scarred me
そっと、傷跡を指でなぞる。
顔の上を斜めに走る三本の傷、そのうちの長めの二つを交互に、撫でる。
その手つきに、ガレオンはついあのときのことを思い出した。同時にカイルが、ガレオンの上で小さく笑って言う。
「初めて会ったときのこと、思い出しますね」
「・・・・・・・・・」
懐かしむ口調で言ったカイルは、記憶を辿るように、二本の傷をまたなぞり始めた。
ガレオンにもそのときのことは、傷が痕となり残ったように、しっかりと焼き付いている。脳裏に鮮やかな、その記憶。
自分に消えない傷を負わせた少年と、肩を並べて戦ったときのことを。
その戦いは、乱戦、と表現されるべきものだった。
ファレナ軍はアーメス軍によって上手く森林地帯へとおびき出されてしまったのだ。森の中では集団戦闘は難しく、自然と個人戦になってしまう。しかも、そのようなゲリラ戦に近い戦闘には、ファレナよりもアーメスのほうが長けていた。だからこそ、彼らは戦いの場を森へと移したのだから。
そしてアーメスの読みは正しく、ファレナ兵は早々に隊列を乱し、混乱の中散り散りになってしまった。間違いなく、アーメスと正面きって戦火を交え始めて以来の、フェリド率いるファレナ女王国軍最大の窮地だろう。
自らの部隊を率いる部隊長でもあるガレオンもまた、部下を見失い喪い、一人になって久しかった。鬱蒼と生い茂る緑の森は、亜熱帯気候に属するらしく、蒸し暑い。ファレナのからりとした熱気に慣れているガレオンには、堪らなく不快だった。
そして、そんな不快感はまた、焦りと不安を増長させる。戦況はどうなのか、どれくらいの犠牲者が出たのか、そしてフェリドは無事なのか。しかしガレオンにはそれを知る術などなく、ただ目の前に現れるアーメス兵に対して武器を振ることしか出来なかった。
戟には血や肉片がこびりつき、疲労と共にガレオンの腕を鈍らせていく。だが、いつまで続くかわからないこの状況で、精神の摩耗のほうが激しかった。
アーメス兵でもなく死体でもなく、生きたファレナの兵士に会いたい。ガレオンはそう願いながら、重い腕を足を動かし続けていた、そんなときだった。
立ち込める血の匂い、その真っ只中に、少年のうしろ姿が見えたのだ。ガレオンは警戒しながら、木々の合間を縫ってゆっくり距離を近付けた。
体格は成人男性に比べて小さいが、うしろ姿では年の頃はわからない。この欝蒼とした森では悪目立ちしてしまうだろう、いっそ眩い金の髪は、それでも土埃や血が付着し、ここが戦場だということを忘れさせない。肩を上下させ、ついさっきまで戦っていたのだろう、右手の刀からは血が滴り落ちている。その右腕に、ファレナ義勇兵を表す布が巻かれていた。
ガレオンに、ようやく仲間に会えた安堵と喜びが湧き上がる。
「少年、無事か?」
ガレオンは歩み寄りながら問い掛けた。だが、少年からの返答はない。
「・・・少年?」
もう一度声を掛けてみたが、やはり答えはなかった。少年はガレオンに背を向け、ただ立ち尽くして肩を上下させている。
「・・・・・・」
戦闘直後の自失状態にあるのだろう。声が届かぬならと、ガレオンは少年に背後から手を伸ばした。
早く久方ぶりの仲間の顔を見たい、声を聞きたい。急いた気持ちがガレオンに、迂闊な行動を取らせたのだ。
少年の周りには、まだ新しいアーメス兵の死体。ついさっきまで、この場で戦闘があったのだろう。いや、敵を斬り捨てた刀をまだ手にしている少年の、その精神はまだ戦闘の真っ只中なのだ。
ガレオンの左手が、少年の肩に触れた、その瞬間だった。
手練のガレオンすらも怯みそうになる殺気、少年から立ち昇ったそれは、一気にガレオンへと向かってくる。ガレオンを、敵と認識したのだ。
振り返り様、少年の左腕がガレオンの手を払い、次いで右腕が、その切っ先が滑るような軌跡を描きながらガレオンを捉えた。
一閃。
とっさに体を逃がしたガレオンだが、間に合わなかった。少年の射抜くような瞳を映した、ガレオンの左目の上を、這うように刃が駆け抜ける。
太刀筋に合わせて血飛沫が辺りに飛ぶが、奔った痛みすら構う余裕もなく、失せない少年の殺気から逃れるようガレオンはうしろへ身を引いた。だがすぐさまそれを追って、振り降ろされた刀が今度は下からガレオンに襲い掛かってくる。
ガレオンが逃げた分、踏み込んできた少年の切っ先は、再びガレオンに迫り、今度は鼻の辺りを撫で上げた。
これで二太刀。ガレオンは相手が味方だということを一瞬忘れて、手にした戟を振るおうとした。だが、少年を包んでいた鋭い殺気が、不意に、途絶える。
ガレオンの右目が、少年の両の目と合った。驚きに見開かれた、少年の瞳と。
刀をゆっくりと下ろした少年は、そのまま呆然としたようにガレオンを見つめた。それは正に、夢から覚め現に戻ってきた表情。
「・・・・・・無事か、少年」
ガレオンは下手に刺激せぬよう、静かな声で語り掛けた。しばらくぶりの仲間の姿に、再び湧き上がる喜びも、抑えたつもりだったが。伝わってしまったのか、それともやはり、少年もガレオンと同じだったのか。
仲間を見失いただ敵を斬り続ける行為を延々と強いられていた最中に、目にした同胞の姿。少年の顔が僅かに、泣き出す直前の子供のように歪む。
その表情にあるのは、やはり安堵だった。見れば年の頃はまだ十代半ば、心細い思いはガレオンの比ではなかっただろう。
今にも泣きそうに笑い出しそうにも見える表情は、しかしすぐに消えた。
「・・・・・・血が・・・」
小さく呟いた少年は、ガレオンの血で濡れた自らの刀をはっとしたように放り投げる。
「・・・オレっ、怪我・・・目が・・・!」
「・・・・・・」
慌てる少年と対照的に、ガレオンは一時痛みを忘れていた傷を、冷静に分析した。
顔を伝う生ぬるい血は一度思い出せば不快で、拭うがまだ血はとまらない。どちらも致命傷とは程遠いが、決して浅くはない傷だ。特に左目の上を通り斜めに走る傷は、眼球に達していて、早急に手当てをしなければ失明の可能性もある。
だが、これくらいの怪我で済んで、幸いだったと言えるだろう。少年が反射的に繰り出した、殺気を帯びた二太刀を、ガレオンだからまともに浴びずに済んだのだ。並の兵士なら、二太刀目を待たず命を落としていておかしくない。逆に言えばそれだけ、少年の太刀筋が冴えていたということだ。
ともかくガレオンも武人、戦において四肢を失うくらいの覚悟なら、いつでも出来ている。
「・・・いや、大事ない」
「そんなわけないじゃないですか!」
だが少年が、ガレオンの言葉を鵜呑みにするはずもなかった。
ガレオンが女王騎士だということにも、当然気付いているだろう。アーメスとの戦において、女王騎士の役割の大きさを、ファレナの国民なら誰もが知っている。
「早く手当てを・・・っ!」
少年は焦ったように自分の衣服を探り、札を数枚取り出した。そしてガレオンを座らせると、その札をまとめてガレオンの左目に押し付ける。
「気休めにしかならないかもしれないですけど・・・」
そう言うや、札が青く光ってガレオンを包んだ。
少年と水の紋章との相性が余程いいのだろう、下位の優しさの雫の札が、確実にガレオンの傷を癒していく。どうやら、失明はせずに済みそうだ。
続けて少年は、医療の心得があるガレオンが教えるのに従って、血を拭き傷口に丁寧に布を巻き付けていく。これで応急処置は終わりだ。
「済まぬ、手間を掛けさせた」
「いえ! オレのほうこそ・・・」
少年は、ガレオンの正面で姿勢を正して、少し思い詰めたように見上げてくる。
「あの、すみません、本当に・・・オレ・・・」
「いや、落ち度は我輩のほうにあった」
戦場で特殊な精神状態にあるものにうしろから手を掛ければどうなるか、冷静に考えればわかりきっている。すべき配慮に欠けていたのはガレオンで、非がどちらにあるかは明らかだ。
「おぬしが気にすることではない。それよりも・・・よう、無事であった」
傷を負ったことなど、今のガレオンにとっては瑣末な問題だった。ガレオンは心からの思いでそう言う。生きた仲間、しかもこのような才ある若者とこの状況で出会えたことは、ガレオンにはこれ以上ない希望のように思えたのだ。
「オレのほうこそ、何がどうなってるのか全然わからなくて、どうしていいかわからなくて、ただ・・・」
少年はいつの間にか、その右手に刀をぎゅっと握りしめている。さっきガレオンに対してしたように、片時も離せず、ずっと振るい続けるしかなかったのだろう。
少年もまた、救いを見出したようにガレオンを見上げた。
「ガレオン様・・・オレたちはまだ、大丈夫ですよね・・・?」
「・・・・・・」
正直なところ、ガレオンにも戦況はわからない。だが、少年の問いに答えることは出来た。
「我らには女王陛下と、女王騎士長殿がついておられる」
ガレオンは、断言する。
「何も心配はいらぬ」
「・・・はい」
少年は真っ直ぐな眼差しで、力強く頷いた。
このような少年の未来の為にも負けてはならないし、このような少年がいるファレナの未来は何も憂えるものはない、ガレオンはそう思う。
「ときに少年、名はなんと?」
今さらだが、これからしばらく死線を共にする少年に、ガレオンは尋ねた。
「あ、はい。オレは・・・」
「・・・・・・」
答えようとした少年を、しかしガレオンは手で制止する。
ガレオンの後方から、近付いてくる複数の気配を、感じ取ったのだ。まだ敵か味方かはわからないが、アーメス兵だと仮定して備えねばならない。
そのことを伝えようと、ガレオンが少年を振り返ると。すでに少年は、戦闘態勢に入っていた。眼光鋭く、右足を踏み切ればいつでも斬り掛かれる体勢。ガレオンに教えられるまでもなく、少年は遠い気配を感じ取り即座に反応したのだ。
「・・・多分、アーメスですね」
「・・・わかるのか・・・?」
そこまでは読み取れなかったガレオンが問えば、少年は頷く。
「足音というか歩き方というか、ファレナ兵とアーメスはちょっと違うんです。なんとなく、ですけど」
「・・・・・・」
たいしたものだ、と思うが今はそんなことに構っていられる状況ではない。
ガレオンは立ち上がって、戟と盾をしっかりと握り締めた。
「少年、名は?」
「はい、カイルと言います」
「ではカイル、いけるか?」
複数の足音が聞こえてくるほうへ向き、問い掛けながらもガレオンは自然と少年をうしろへかばおうとする。しかし少年は、ガレオンの左隣に並んで立った。
「勿論です。怪我させたぶん、その左目代わりになります」
ガレオンに鮮やかな傷を付けた刀を構え、少年は自分よりうんと年上の女王騎士に向かって言い切る。
「オレがあなたを、命に代えても守ります」
「・・・いや、それはならぬ」
自分の為に、若い才ある命を散らせるわけにはいかない。むしろ命を懸けるべきは自分のほうなのだと、ガレオンは感じた。
だが、ガレオンの前に一歩出た少年は、ガレオンを振り返る。
「大丈夫です、今のはノリで言っただけですから。オレって、思ってもないこと軽口で言っちゃうタチなんですよねー」
戦場に似合わない、軽く明るい口調で言って、少年は笑った。
「あなたもオレも、こんなところじゃ死にません。でしょ?」
「・・・・・・うむ」
何故か強い説得力を持った少年の言葉に頷きながら。
そういえば、初めて少年の笑顔を見た。こんなときだがそう思ったことを、ガレオンは覚えていた。
そのときに付いた脇腹辺りの傷を撫で返すと、くすぐったそうにカイルは笑った。
あのときの笑顔とは勿論違う、大人びて、そして色を感じさせる笑い方。
ガレオンの上で、すっかり少年から青年に成長したカイルは、かつて自分がつけた傷をしつこく弄っていた。
「これって、傷ものにした責任、取ったことになるんですかねー」
なんて言いながら、カイルは可笑しそうに笑って、左目の傷へ口付ける。
「でも、似合ってますよね」
そのまま傷を舐め下ろしていく、その仕草はいつのまにか、どこか熱っぽい愛撫めいたものになっていた。
「こんなふうに、自分が付けた傷があるっていうのは、なんかいいですね。なんだか・・・ぞくぞくします」
そしてカイルは、また可笑しそうに笑いながら、ガレオンに囁きかけてくる。
「もし、オレが別れようって言ったら、この傷のこと持ち出して、無理やりでも引き止めて下さいね」
そんな未来が来るなんて、思っていないからこその軽口なのだろう。
今度は唇へとキスを落としてくるカイルへ、ガレオンは腕を伸ばした。
「・・・それは、お互い様というものであろう」
「・・・っ!」
くるりと体勢を入れ替え、今度はガレオンが見下ろす形になったカイルは、少し顔をしかめ息を吐いてからガレオンを見上げる。
「我輩にも、責任がある」
「・・・傷物にした・・・ですか?」
首を捻ってから、カイルはガレオンに手を伸ばしてきた。
「でもオレ、思ってないですけど、傷だって」
普通なら、こんなふうに男に組み敷かれる行為は、男のプライドを酷く傷付けるものだろう。それなのに、また鼻の上を通る傷を撫でてくるカイルは、やはりガレオンに笑い掛ける。
「・・・でも、離れられない理由、ってのは同じですかねー」
そう言うカイルは、楽しそうで嬉しそうで、幸せそうで。
こんなふうに笑うカイルを、こんなふうに見下ろすときが来るなど、ガレオンは思いもしなかった。この傷を負わされたときにも、共に生き延び笑い合ったそのときにも。
ガレオンは自分に向かって伸ばされた腕に引かれるように、すっかりと馴染んだカイルの唇に口付けた。カイルの手が、髪を撫で背に触れてくる。同じようにガレオンも、カイルの髪を撫で肌に触れていく。
ガレオンの下でカイルは、この傷痕よりもずっと鮮やかに、微笑んだ。
END
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現在軸のガレカイは、騎乗位⇒正常位だったりします実は。(どうでもいい裏話…笑)
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