7.出来心
(※II主の名前はクロウです)
そろそろクロウたちが戻ってくる頃だ。マイクロトフも同行していることだし、カミューは出迎えでもしようと、城の入り口にやってきた。そしてふと、キョロキョロと辺りを見回しながら敷地を跨いだ青年に目をとめる。
そこには、二十代後半と思われる青年が立っていた。
滅多にお目に掛かれない見事なプラチナブロンドをゆるく一つに纏め、尾の部分は風任せになびいている。夕陽を受けて、きらきらと輝くその髪は、まるで芸術品のようだ。
サファイアを思わせる青い瞳も美しく、形のいい鼻梁、キュッと引き結んだ形のいい唇と共に、人形のように整った顔を形作っている。旅装束に身を包んでいるが、その割には肌は白く滑らかで、物腰も柔らかくしなやかで、スタイルも抜群だ。
男に対して使うべき言葉ではないかもしれないが、しかしカミューは他の表現を知らなかった。美人、である。
カミューが思わず視線をとめたように、この場にいる誰もが彼を見ていた。だが、声を掛けようとするものはいない。おそらくその美貌と、そのどこか固い表情に気後れしているのだろう。シーナ辺りがいれば、躊躇もなく口説きに掛かっていたかもしれないが。
どうしようかと考えている様子のその青年に、カミューはゆっくりと歩み寄った。誰かを訪ねてきたのかもしれない、客をあまり待たせて失礼だろう。
「何か、御用ですか? よろしければ、私が承りますが?」
にこりと笑って声を掛けたカミューに、青年が視線を向けた。
間近で見ると、その美貌は益々完璧なものに思えた。眉が少ししかめられていて、その表情のせいもあって、近寄り難い印象を与える。だが。
「あ、助かりますー」
ホッとしたように口元をゆるませ、喋った途端、そのイメージはガラリと変わった。
花が綻ぶとはこういうことを言うのかと思うような、表情の変化。ふわりとした微笑みが、少し甘めの声と合わさり、人好きのする印象に青年を見せた。おそらく大抵の人が、好意で以って警戒を解いてしまうだろう。
カミューは少し、鏡を見ているような気分になった。柔らかい青年の微笑みは、しかしカミューに、どこか一筋縄ではいかないものを感じさせる。にっこりと他意なさそうに笑いながら、実は腹の底では冷静な考えを巡らせているような・・・そう、カミューは自分と似たものを感じたのだ。
「ちょっと人を探しているんですけどー」
「お名前を窺ってもよろしいですか?」
促しながら、しかしカミューの脳裏に、浮かぶ人物があった。自分とどこか似たところを持つ青年・・・あの夜の彼とのやり取りを思い出し、益々その予感は強まる。
そして、青年の口から出てきた名は、カミューの想像通りだった。
「はい、ゲオルグ・プライムって人なんですけどー」
やはり、この青年が、あのゲオルグの想い人なのだ。孤高に生きているかに思えるゲオルグが、執着している人間。
あのゲオルグが、どこか自信なさそうだったのを、カミューは不思議に思っていた。ゲオルグほどの男相手なら、大抵の人なら黙って従うだろう。それなのに、と。
だがこの青年は、確かに人にほいほいと従うようなことはしない、一筋縄ではいかない人物にカミューには思えた。
ともかく、この青年はゲオルグの願う通り、会いにきたのだろう。
「ゲオルグ殿は、今出ていますが、そろそろ帰る頃だと思いますよ。日が沈む前には、戻られるでしょう」
「そ、そうですかー!」
パッと、青年の顔が輝いた。白い頬が赤みを増し、青い瞳も煌き、いっそう青年を魅力的に見せる。
青年がゲオルグに相当な想いを抱いていると、簡単にそれが読み取れた。カミューは、それなのに何故ゲオルグがあまり上手くいっていないという様子だったのかがわからない。
もしかすると、あのゲオルグ・プライムという人間は、恋愛に関してはからっきしなのではないか。そう想像してカミューは、だったら面白いのに、と思った。
この二人に対する好奇心が、ムズムズと育っていく。
「では、戻るまでしばしの間、よろしければ私がお相手させて頂きましょうか? 少々の退屈紛れにはなるでしょう」
「あ、ホントですかー?」
カミューが申し出れば、青年は嬉しそうな笑顔で応えた。
「嬉しいなぁ。男でも、お兄さんみたいな美人さんなら、オレも文句はないかなー!」
カミューは青年を酒場に案内した。レストランよりも酒場のほうが城の入り口に近く、クロウたちが帰ってきてもすぐわかるだろう。
「あ、美人さんですねー。潤いのある酒場で、いいですねー!」
促されるまま席に着きながら、青年は酒場の女主人レオナを見て言う。
「それに、さっきも思ったんですけど、ここってステキな女性がいっぱいですねー!!」
酒場に入るときにすれ違ったバレリアとアニタのことも言っているのだろう。
どうやらこの青年は、女好き・・・マシな言い方ではフェミニスト、の気があるようだ。もしかしてゲオルグを不安にさせているのはそこなのだろうか、カミューは推理してみた。女に目がない恋人にいつもハラハラさせられている二太刀いらず、というのもなかなか面白い。
そうでなくても、自分が女に負けないくらい美人なのに女と見れば嬉しそうにしている青年の存在だけで、カミューは充分楽しいのだ。
さしあたってはこの青年から何を引き出そうか、カミューはそれを考えながら、まずは軽く自己紹介したのだが。思い付く前に、青年のほうがそのキッカケを作った。
「あ、申し遅れました。私はカミューと申します」
「え、あ・・・・・・、あの、オレはカイルって言います・・・」
青年・・・カイルはカミューの名を聞いた途端、僅かに眉をしかめたのだ。自分も名乗りながら、カイルはカミューを探るように見る。
「・・・私の名が、何か?」
「あっ、いえ」
顔を凝視した非礼を詫びるように、首をプルプル振ったあと小さく頭を下げたカイルは、やはりまた遠慮がちにではあるがカミューの顔を窺うように見上げる。
「あの、カミュー・・・殿の名前、ゲオルグ殿からの手紙で見たなぁって・・・」
「あぁ、彼が手紙を書いているときに同席したもので。邪魔をされた、なんて書かれていたのではないでしょうね?」
「いえ、その、ほ、褒めてましたけどー・・・」
なんだか歯切れ悪く、カイルは答える。特に、褒めて、の部分で僅かに声が小さくなって、カミューにある予想をさせた。それを確かめようと、カミューは話を振る。
「それは、よかったです。一体どんなふうに、私のことを書いていたのですか?」
「そ、それは・・・物腰が穏やかとか・・・いつも笑顔浮かべてるとか・・・」
答えながら、カイルの口元が僅かに尖る。やはり、とカミューは思った。
この青年は、ゲオルグが自分以外の人を褒めたことが、面白くないのだ。子供じみた嫉妬を覗かせたカイルに、カミューの悪戯心が大いに刺激される。一見すると手ごわそうに見えるカイルは、しかし意外にも、スキだらけにカミューには思えた。おそらくそれは、ゲオルグに関する場合だけなのだろうが。
ともかくカミューは、しばらくこの青年で遊ばせてもらうことにした。クロウたちが戻るまで、まだ時間はある。
「そういえば、私もあなたのことを少し聞きましたね」
「えっ、ゲオルグ殿、オレのことどんなふうに言ってました!?」
カミューがまずはと振った話題に、カイルはあっさりと食い付く。その瞳に見えるのは、期待、だろう。ゲオルグが恋人自慢をしていた、とかそういう話を待っているのだ。
確かにゲオルグは、言葉少なであったが、それでもカイルへの愛情を端々で覗かせていた。が、カミューがそのことを伝えてあげるわけは、勿論ない。にこり、と笑んで口を開いた。
「あなたに浮気されても仕方ない、と言っていましたね」
「・・・・・・」
カイルは目を丸くして、しばらく固まった。その言葉の意味するところを考えているのだろう。
「・・・え、それって、えぇっと・・・オレに浮気されても・・・構わないってこと・・・?」
「さぁ、私にはわかりませんが」
ゲオルグがそういうニュアンスで言ったのでないことはカミューも知っている。その上で、それを教えず、カイルを翻弄しようとしているのだ。マイクロトフがここにいたら、悪趣味なことはよせ、ととめてくれたかもしれないが。カイルにとっては不幸なことに、彼は今ここにはいない。
そしてカイルは、カミューの狙った通り、目に見えて動揺していった。
「な、なんで・・・オレ、そんな、浮気とか・・・」
眉がぐいっと下がって、捨て犬と表現出来るような表情になる。黙って静かにしていたときは、非の打ち所のない美人に見えたというのに。
しかし、それは悪い変化には思えなかった。揶揄いがいのある、なんて可愛らしい人なんだろう、カミューは年上の男に対してそう思ってしまう。
そんなカミューの心の内など知らないカイルは、惑うように視線をフラフラさせていたが、不意にハッと目を見開いた。
「も、もしかして、自分も浮気してるから・・・だからオレもしても別にいいって・・・!?」
グルグルと考えていたらしいカイルは、そんな答えを出す。
まさか、と自分で否定し始める前に、カミューはその設定に乗らせてもらうことにした。
ピクリ、と自分の体を揺らしたのだ。そう、まるで言い当てられて動揺したかのように。
「・・・カミュー殿?」
おそるおそる、といった様子でカイルがカミューを見つめた。そして躊躇いを振り払うように、少し身を乗り出す。
「・・・な、何か知ってるなら、教えて下さいっ!!」
思いつめたような切実な色をした碧眼を向けられれば、ほとんどの人なら良心の呵責を覚えて冗談を撤回するだろう。が、カミューの演技は益々冴え渡った。
「それは・・・聞かないほうがいいのではありませんか?」
「・・・・・・き、聞きます」
硬い声で言ってから、カイルは口をぎゅっと引き結んだ。何を告げられても耐えられるように、だろう。
カミューは遠慮なく、でっち上げを口にした。
「実は・・・その相手というのは、私なのです・・・」
「・・・っ!」
カイルが息を呑むのが、気まずそうに見せる為視線を下に向けているカミューにもわかった。おそらく、手紙でカミューの名を見たときから、一度は疑ったことがあったのだろう。さっきのカイルの様子で簡単に想像は付いていた。
「初めは、私が一方的に、彼のことを思っていました。部屋が向かいにあることもあり、何度も顔を合わせるうちに親しくなり・・・彼の強さ、人柄、生き方、その全てに、いつのまにかすっかり魅了されてしまっていたのです」
スラスラと澱みなくカミューは語る。最後に、僅かに頬を染めて見せたりもした。
「そして、私はついに、我慢出来なくなり彼に・・・想いを告げたのです。すると彼は・・・その、あなたに話すのはとても申し訳ないのですが・・・」
躊躇する振りをしながら、カミューはキッパリと言葉にした。
「彼は、私の思いを受け入れてくれました」
「・・・・・・・・・・・・」
ちらり、とカミューが盗み見れば、カイルは目を見開き、口を益々強く引き結んでいた。その顔色は、随分と生気を失ったように、青白くすらある。
やり過ぎただろうか、と心の片隅で思いつつ、しかしカミューはとどめとばかりに畳み掛けた。
「お願いします、彼を責めないで下さい!」
声を張り、好きな男を健気にかばう様を演じる。
「彼はきっと、寂しかったのです。そこに付け入った、私が悪いのです!!」
切なそうにカミューが言い切った、丁度そのときだ。城の入り口辺りでざわめきが聞こえた。
クロウたちが帰ってきたのだろう。カミューにとっては都合よく。
「・・・あ、彼が帰ってきたようです」
カミューが言い終わるのが早いか、カイルがすくっと立ち上がった。椅子を倒す勢いで、そのまま一目散に駆け出す。
カミューは勿論、このあとの展開を予想し内心で笑いながら、そのあとを追った。
それはまるで一陣の風だった。
帰還したクロウたちを出迎える人々の間をぬって、その風もといカイルは、一直線に二太刀いらずと名高いゲオルグの元へ駆けてくる。
何事かと驚く周囲の人同様目を丸くしたゲオルグは、しかしそれがカイルだとすぐにわかった。
実はゲオルグは、手紙を出してから、ファレナに届くまでの日数そしてすぐにカイルがファレナを発った場合にここに着くまでの日数を計算し、そろそろだろうか、と内心ソワソワしていたのだ。
そんなゲオルグだから、自分に駆け寄ってくるカイルを、思わず人目もはばからず腕を広げて迎えようとした。感動の再会、のはずなのである。周囲の目は気にならない、どころか存在すら忘れてしまっても無理はないだろう。
カイルが自分の胸の中に飛び込んでくるとばかり思っているゲオルグは、そのカイルが鬼のような形相をしていることに、全く気付いていなかった。
衆人環視の中、ゲオルグの元に辿り着いたカイルが、息が乱れているのにも構わず、ゲオルグにギュッと抱き付く・・・わけはなく。
辺りに、乾いた音が響いた。バシーン、と。
思わず自分の頬を押さえた人も多かったろう。それくらい、痛そうな音だった。
その平手を正に受けた当人ゲオルグは、その肉体的、何より精神的ショックに、呆然としている。
そんなゲオルグに対して、それだけでは気の済まない様子のカイルは、言葉を投げ付けた。
「ゲオルグ殿の、浮気者ー!!! アルマジロンに噛まれて死んじゃえーー!!!!」
妙に幼稚な罵り文句のあと、今度は反対の左の頬に、もう一張り。
そして風は、やってきたその勢いのまま、またどこかへ駆けていった。
残されたのは、呆然とするゲオルグ、及び同じく呆然とするクロウを初めとしたその場に居合わせた人々。ゲオルグのショックも相当だろうが、しかしクロウたちの衝撃も、言葉にならないほどだった。
それも当然だろう。二太刀いらず、その名に相応しい素晴らしい刀の腕前を持つ、ゲオルグ・プライム。どちらかというと寡黙で、それが故に渋い大人の魅力を振りまいている、ゲオルグ・プライム。
その、誰もが憧れや尊敬を抱いてしまうような男が、突然現れた金髪碧眼の美人しかし男に平手で殴られ、加えて浮気者などと罵られたのだ。
目を疑ってゴシゴシと目元を手でこするもの、見なかった振りをするもの、その反応は様々だったが、一様にみなゲオルグから距離を取っていた。
そして渦中のゲオルグは、やっと我に返る。
「か、カイル、待て・・・!!」
ハッとして今さら本人には聞こえない呟きをもらしつつ、ゲオルグはカイルが走り去った方向へと駆けていった。
人々はそんなゲオルグのうしろ姿を、ただ見送る。一体何がどうなっているのか、そしてこれからどうなるのか、興味はある。が、それ以上に。
知ってはいけない気がした。これ以上、ゲオルグ・プライムという人間のイメージを崩したくなかった。情けない二太刀いらずなど、誰も見たくなかったのだ。
だからみな、乾いた笑いを浮かべつつ、何も見なかったことにした。
一方カミューはというと、勿論、笑いを噛み殺しながらゲオルグのあとを追った。
カミューが追いついたとき、二人は二メートルくらい距離をとって対峙していた。
美丈夫と美人が真面目な顔して向き合っているのだから、それはそれは迫力がある。堪らない緊張感が二人の間に漂い、バチバチと火花を・・・散らしているのはカイルが一方的に、なのだが。
しかめっ面で睨み付けつつ近寄るなと視線で牽制しているカイルに、ゲオルグは困惑したようなまだ動揺しているようなめずらしい表情をしながら、おそるおそるといった感じで話し掛ける。
「・・・お前が何を勘違いしているのかは知らないが」
「勘違い! そういうことにしてごまかそうったって、そうはいかないですよ!!」
「いや、だからな」
「言い訳なんて聞きたくありませんー!!」
カイルは全く聞き耳を持とうとしていない。ゲオルグは益々困ったように眉を寄せた。気の毒に、とコッソリ覗き見しているカミューは人事のように思う。
それにしても、カイルという青年の、最初の印象と今の姿のなんとかけ離れていることか、カミューは思わず嘆息した。
黙って済ました顔をしていれば、並の女なら敵わないくらいの美貌に相応しい、凛とした立ち姿。口を開けば、甘い声と朗らかな微笑で、辺りをぱっと明るくし艶めかせる。
それなのに、今の青年ときたらどうだろう。子供のような表情でゲオルグを睨み付け、子供のような言葉をゲオルグに投げ付けている。まるで聞き分けのない駄々っ子のようだ。それなのに、それでも充分、魅力的に見えるのだから、美形というのは得なのかもしれないが。
ともかくそんなカイルのせいで、喚き散らす子供とそれを宥めようとしているゲオルグ、という構図になってしまっていた。そのわりには、ゲオルグのほうが優位にあるようにはちっとも思えないのが不思議である。
「とにかく、一旦落ち着け! な!?」
「ヤです! そんなこと言って、どうせ適当にオレのこと言いくるめようとしてるんでしょー!!」
「だから・・・全く、お前はちっとも変わらんな・・・」
後半は小声で、ゲオルグは疲れたようにボヤく。何度も言うが、二太刀いらず、という立派な通り名を持つゲオルグ・プライムだ。そんなゲオルグを、こんなふうに困りきらせることが出来る存在など、他にいないだろう。カミューは益々感心してしまった。
そしてそんなふうに思われているなんて全く知らない二人は、修羅場を続行する。
「ひどいですよー! オレは浮気なんてせずに、女性とはデートするだけでとどめてたのにっ!!」
それなのにそっちは浮気してたなんて!とカイルは詰りたかったのだろうが。ピクリと、ゲオルグの眉が動いた。
「・・・待て、それは浮気とは違うのか!?」
「違いますー!!」
「どこが・・・っ」
カイルのよくわからない理屈に、堪らず言葉を返そうとしたゲオルグだが、しかし途中で言葉をとめる。
「・・・・・・ともかく!」
カイルのペースにウッカリ乗りかけたゲオルグは、しかしそれでは駄目だと思ったのだろう、一度深く呼吸した。それからゆっくりと口を開く。
「俺は、浮気なんぞ、しとらん」
とにかくその一点をわかってもらおうと、ゲオルグはカイルを真っ直ぐ見据えてキッパリと言った。内容はともかく、低いそれでもよく通る声で断言したゲオルグは、とても凛々しい。自然と言葉も説得力を持っていた。
のだが。相当ショックで頭の中がグルグルになっているのだろう、カイルにはどうやら届かなかったようだ。
「す、素直に認めて謝ったら許してあげようと思ったのに・・・シラきり通すつもりですか最低ですー!!」
「・・・・・・・・・」
少しも自分の言葉を聞き入れてくれないカイルに、思わずゲオルグが小さく溜め息をついた。どうしたものか、と思っているのだろう。確かにカイルという青年は、一筋縄ではいかないようだ。
まさかゲオルグ・プライムが、恋人にどう対処していいかわからず悩む姿を見る日が来るなんて、カミューは何度目か驚くと同時に、とても愉快な気分になった。
「そもそも、お前はどうしてそんな勘違い・・・とにかく、どうしてそう思っているんだ? それくらいは教えてくれないか?」
「・・・・・・だ、だって、そう言ってたもん・・・!」
カイルは、感情が昂ぶっているせいか、それとも元々なのか、ちゃんとした答えを返しはしない。子供でももうちょっとまともな説明が出来そうなものだが、ゲオルグはどうやらそんなカイルには慣れているようだ。
「誰かがそう言っていた、それだけなんだな?」
確認しながら、それならば誤解を解くのは簡単だろう、そう思ったらしくゲオルグはホッとしたように息を吐いた。
一方カイルは、ゲオルグがこれから自分を丸め込もうとするに違いない、と思ったらしく、先手を取って口を開く。
「それだけじゃないです! ゲオルグ殿だって、わざわざ手紙にも書いてたじゃないですか!!」
「・・・あぁ、カミュー殿のことか」
なんだそのことか、とゲオルグはつい何気なく、うかつにもそう漏らした。
勿論、カイルがそれを聞き流すはずない。ゲオルグの口から出てきた、自分以外の名前に過敏に反応した。
「あ、ほら、やっぱり心当たりあるんじゃないですかー!!」
「違う、カミュー殿とは何もない」
「往生際悪いですよー!!」
「・・・・・・・・・」
ゲオルグは一度目を閉じた。それから、ハァーと溜め息をつき、そしてゆっくりと顔を上げる。
「・・・カイル、いい加減にしないか!」
語気を荒げ、ゲオルグは怒りもあらわに言い放った。
客観的に見ているカミューには、それが本心からの怒りではないと、わかったのだが。
しかし冷静さを欠いているカイルは、そんなことには気付けなかった。さっきまで興奮で顔を赤くしていたのに、ゲオルグに怒鳴られた途端ビクリと体を揺らして、顔色も少し褪せる。
そんなカイルに、ゲオルグは低い低い声で、さらに畳み掛けた。
「お前は、俺のことが信じられんのか?」
「そ、それは・・・」
さっきまでの勢いはどこへいったのか、カイルは眉を下げながらモゴモゴと口を動かし、視線を俯ける。一気に形勢逆転してしまったようだ。
経験豊富なカミューにも、結局のところこの二人のどっちが主導権を持っているのか、いまいちわからない。ともかくゲオルグの狙い通り、事態は終息に向かおうとしていた。
「とにかく、俺を信じろ。俺は浮気なんて、していない」
俺にはお前だけだ、お前だけを愛している!!とか言えばいいのに、とカミューは思ったが、どうやらゲオルグはそういうセリフを言うのが苦手のようだ。
しかし、さっきカイルに届かなかった言葉は、今度はちゃんと届いた。
「・・・ゲオルグ殿」
カイルがゲオルグを見上げる。その瞳にはゲオルグを責める色合いはなく、怒られたとショックを受けている様子もなくなっていた。頬には赤みが戻り、ゲオルグに向けられた碧眼が潤んでいく。
仕切り直し感動の再会が、始まるのは時間の問題だろう。
カミューは考えた。別に二人の仲をとことん邪魔してやろう、なんて思っているわけではない。だが、どうせならもうちょっと二人を揶揄って楽しみたい、そう思ってしまうのも確かだった。
そしてカミューは、瞬時に答えを出す。ゆっくりと、二人の前に姿を見せた。実はカイルに言ったのは嘘なのだ、などと白状する為では、勿論なく。
「ゲオルグ殿、私とのことは・・・遊びだったのですね・・・!」
ゲオルグをキッと睨み付けながら、カミューは言い放った。ゲオルグはギョッと目を見開き、カイルは目を丸くしたあとゲオルグに鋭い視線を向ける。
「な、お前、何を・・・っ!?」
「・・・や、やっぱり浮気してたんじゃないですかー!!」
焦ったようなゲオルグの声と、叫ぶようなカイルの声が重なった。
険しい表情をしたままカイルはズカズカとゲオルグに歩み寄る。そして右手を思いっきり振り上げた。
また、バシーン、というあまりにも痛そうな音が響き渡るかと思えば。全くの不意打ちだった前回とは違って、今回はゲオルグにも少し余裕があった。そうなれば、後れを取るゲオルグではない。
ガシッとカイルの右腕を掴んで、すんでのところでとめた。だがカイルは諦めず、今度は左手を出そうとする。ゲオルグはそれも、右手でどうにかとめた。
両手をしっかりとゲオルグの両手に掴まれ、それでもカイルはゲオルグを睨み続ける。そんなカイルをどうにか押さえ込みながら、ゲオルグはカミューに視線を向けた。
「カミュー殿、冗談にも程があるだろう!」
どうやらゲオルグは、カミューがカイルを上手く騙してしまったのだと気付いたようだ。
「冗談? なんのことですか? なかったことにしてしまうつもりなのですか?」
「だから・・・・・・・・・っ!?」
いい加減にしろ、と言いたかったのだろうか、しかしゲオルグは途中で言葉をとめた。見開いたその目が映すものを追ったカミューも、思わず同じように目を見開く。
ゲオルグをまだ睨み付けていると思われていたカイルが、いつのまにかその碧眼に涙を漲らせていた。眉は下がり、唇が震えている。
「お、オレ・・・」
「カイル・・・?」
ゲオルグが焦ったように覗き込むと、カイルは顔を俯けて目を閉じた。その拍子に、涙が一粒ポロリと落ちる。
「オレ、こんなとこまでノコノコやってきて、バカみたいじゃないですかー・・・」
「カイル・・・・・・っ!!」
ゲオルグが腕の拘束を解き、その代わりカイルの体を引き寄せた。しっかりと腕を回し、強く抱きしめる。
さすがにカミューも、ちょっと反省した。カミューとしては動揺したり困ったりするゲオルグが見たかっただけで、予想外の表情を見せるカイルで楽しみたかっただけで、カイルを泣かせるつもりなんて勿論なかったのだ。
「・・・済みません、やり過ぎました」
「・・・・・・全くだ」
素直に謝ったカミューに、ゲオルグは恨みがましい視線を向けた。
だが、今はカミューを責めるよりも、腕の中のカイルをどうにかすることがゲオルグにとっては重要なのだろう。すぐに視線をカイルに戻した。
「カイル、聞いたか? 全部カミュー殿の冗談だ。俺たちはなんでもない。わかったか?」
ゲオルグがあやすような口調で、優しくカイルの耳元に語り掛ける。
それを耳に入れながら、カミューはそっと二人の前から姿を消した。といっても、完全にこの場から離れたわけではなく、初めのようにそっと覗き見出来る場所に戻っただけなのだが。
自分が引っ掻き回した、そのせいで変なことにならないよう、ちゃんと二人の仲が修復するのを見届けたかったのだ。という理由と、それから、ゲオルグがどうやって上手く纏めるのだろうという、好奇心、である。
ゲオルグは腕を解いて、カイルの頬に手を添えて顔を覗き込んだ。
「カイル、本当はわかっているんだろう?」
適当にごまかして宥めてしまおう、という意思がまるでないとわかるような、誠実な口調でゲオルグは言う。
「俺が浮気なんてするはずないと、お前が一番よく知っているじゃないか」
「・・・ゲオルグ殿」
カイルがやっと顔を上げた。泣きそうな表情は変わらない。それでも、疑心暗鬼にとらわれているときよりはずっと、穏やかな瞳に戻っていた。
「・・・スイマセン。わかってる・・・はずだったんですけど・・・」
カイルもゲオルグへと手を伸ばす。さっき、激情のままに張り手を食らわせてしまった頬に、そっと触れた。
「でも、会えない間ずっと、そのことだけじゃなく・・・不安で・・・」
「いや、俺が悪いんだ」
小さな声で続けようとしたカイルを、ゲオルグはさえぎる。
「俺が、・・・」
もっとちゃんと思いを言葉にしていたら、そう言おうとしたゲオルグを、今度はカイルがとめた。ゲオルグの唇に、自分の唇を合わせることで。
そうなると、もう言葉はいらないようだった。離れていた時間を埋めるように、二人はしっかりと唇を合わせ、何度も触れ合う。何度も何度も、何度も・・・最初はあぁ上手くまとまったかと少しホッとしていたカミューも、次第に見ていてちょっと鬱陶しくなってきた。いつまでくっついて離れてくっついて離れてくっついてくっついてくっついているのか。
仲直りまで見届けたことだし、カミューはそろそろ立ち去ろうかと思った。
「・・・あ、そうだ」
しかし、カイルが久しぶりに言葉を発したので、カミューはなんとなくもう一度目を向けてみる。
「ほんとは、一番最初に言おうと思ってたんですけど・・・」
カイルはゲオルグの腕を掴む力を強めて、まだ潤んだままの瞳を向けて言った。
「オレも、会いたかったです」
「カイル・・・」
初めて、カイルがゲオルグに笑い掛けた。眦を幸せそうに下げ、碧眼を輝かせ、口元を綻ばせ、そして頬をいっそう赤く染める。
さすが美形、怒った顔も泣きそうな顔も魅力的だったが、しかしやはり笑顔には敵わなかった。誰のせいでカイルの笑顔が曇ったのか棚に上げながら、カミューは勝手にそう思う。
勿論ゲオルグにとっては、なおさらだろう、再びしっかりとカイルの体を抱きしめた。カイルもゲオルグの背に腕を回し、また二人はしっかりと抱き合う。
男前と美人が沈みかけた夕陽をバックに抱き合う光景は、まるで物語の一部分のように素晴らしいものだった。
が、そんなものに興味のないカミューは、今度こそ立ち去ろうと、振り返る。
すると、目の前に立ち塞がる壁・・・ではなくマイクロトフがそこにいた。
「マイクロトフ、無事で何よりです」
そういえば、そもそもはクロウとマイクロトフたちを出迎えようとしていたのだと思い出し、カミューはとってつけたように言葉を掛ける。
しかしマイクロトフは聞こえていないのか、黙りこくって、眉を寄せた硬い表情のままカミューを見返した。
「・・・マイクロトフ?」
「・・・・・・・・・知らなかったぞ」
マイクロトフが、搾り出す、正にそう表現すべき口調で言う。
「お前が、まさかゲオルグ殿に・・・懸想していたとは・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
カミューは、目を丸くしながら、必死で耐えた。笑い出すのを、である。
一方マイクロトフは、真剣な顔をしながら続けた。
「その、ショックだと思うが・・・あまり気を落とすなよ?」
一体マイクロトフがどこまで見て聞いていたのかはわからないが、どうやらカミューがゲオルグに横恋慕した挙句振られたと思っているようだ。
そして恋愛に疎い同僚は、それでも必死にカミューを励ます言葉を探りだす。
「お前なら、他にももっと、誰だって・・・いい人が・・・・・・カミュー?」
カミューは遂に耐えられず、顔を俯け口元を押さえた。喉元をせり上がってくる笑いをどうにか口の中で殺しているカミューが、しかしマイクロトフには、どうやら泣いているように見えたらしい。
「か、カミュー!? な、何も泣くことはないだろう・・・!!」
焦ったように、マイクロトフは大きな図体を所在なさげにカミューの目の前でオロオロとさせた。
マイクロトフの困りきった表情なら、何度も見たことがある。だから、めずらしいゲオルグの取り乱す様や美人なのに喚き散らすカイルは、カミューに新鮮な楽しさを提供してくれた。
しかし。やはり結局のところは、自分はこの男を揶揄って遊ぶのが、一番楽しいようだ。
カミューは、口元を押さえた手の下で、それはそれは楽しそうに微笑んだ。
END
------------------------------------------------------------------------------
カミューのキャラを間違ってる気がしますが。
それより何より、これが41歳と36歳かっていう…(特にカイル…)
ちなみに、当初はこうなるはずでした。
「だ、だってゲオルグ殿、何も言ってくれなかったじゃないですか…!!」
「だから、俺が何も言わんのだから、お前も黙って俺の側にいればいい!!」
「ゲオルグ殿…!」
「カイル!!」
そして二人はひしっと抱き合った。みたいな。
(カイルが泣きだしたのでボツになりました…)