8.憂鬱



 自分の部屋に入ろうとしたゲオルグは、三階から下りてきてさらに一階へ下りようとしているカイルを見掛けた。
 カイルはいつもの女王騎士服ではなかったので、ゲオルグはついその姿を眺める。
 意外と服はきっちり着こなすカイルだが、今は黒いズボンの上に白いカッターシャツをルーズに羽織っているだけの恰好だ。
 そしてゲオルグの視線に、カイルも当然気付いた。ゲオルグに笑い掛け、口にしたカイルの言葉に、ゲオルグはギョッとする。
「あ、ゲオルグ殿、オレこれから女になってきますから、楽しみにしてて下さいー!!」
「・・・・・・・・・」
 しかしゲオルグは、カイルのいつもの軽口なのだろうと判断して、気にせず忘れることにした。


 それから一時間は経っていないくらいだろうか。パタパタという音が段々近付いてきて、そしてゲオルグの部屋の扉が開いた。
 聞き覚えのない足音だったので視線を向けたゲオルグは、そこにいる人物に目を見開く。
「ゲオルグ殿ー、聞いて下さいよー!!」
 親しげに話し掛けるその声に、聞き覚えはなかった。
 そしてその姿にも、見覚えがない。
 ゲオルグの目の前にいるのは、かなりの美女・・・というより、まだ二十歳くらいに見えるから美少女といったほうが正しいかもしれない。
 背中半ばほどまでの長さの髪は眩いばかりの金糸、澄んだ青い瞳を飾る睫毛の長さには申し分ない。形のよい鼻、少し大きめの口と合わせて小さな顔に絶妙に配置されていた。その唇は、赤く瑞々しい。
 170はないだろうスラリとした体、白く透き通るような肌を、飾り気のない白いカッターシャツで包んでいた。サイズが大きく膝上まであるシャツの下には、もしかしたら何も着ていないのか、形のよい脚が覗いている。
 この美少女の美貌、その際どい恰好よりも、しかしゲオルグは着ている服に引っ掛かった。
 そう、さっきカイルが着ていたのと、全くといっていいほど同じ服なのだ。
「・・・・・・・・・」
 全体として見れば、間違いなく別人だ。だが、部分部分の特徴を挙げていけば、驚くほど似ていた。
 そう、まさしく性別が入れ替わった、としか思えない。
 何より、さっきゲオルグに向けた言葉。あんなふうにゲオルグに話し掛ける人間など、他にいなかった。
「・・・・・・カイルか?」
 それでも信じられず、ゲオルグはおそるおそる問い掛ける。
 すると目の前の少女は、ケロッと答えた。
「何言ってるんですかー。そうじゃないなら、誰だっていうんですかー?」
 言葉以上に、その口調が確かにカイル本人なのだと教えている。
 だがまだ信じられないゲオルグの脳裏に、さっき部屋に入るとき掛けられたカイルの言葉が思い出された。
 女になってきます、とか言ってなかっただろうか。
「・・・・・・いや、しかし、そんな馬鹿な・・・」
 ついついボヤくゲオルグを、カイルは怪訝そうに見上げる。
「何ブツブツ言ってるんですかー? 変なゲオルグ殿ー」
「・・・・・・知り合いの男が突然女になって現れるほうが変だと思うが?」
 異常なのは自分ではない、とゲオルグは思う。
 だがカイルはいつものように晴れ晴れとしたトーンで言葉を返した。その声がずっと高く変に甘いことに、ゲオルグはまだ慣れていないのだが。
「突然じゃないでしょー。さっきちゃんと言ったじゃないですかー」
「・・・・・・」
 あれのどこが「ちゃんと」だったのだ、ゲオルグは思わずつっこみかけて、いや今はもっと問題にすべきことがあるだろうと思い直す。
「・・・どこから聞けばいいのやらわからんが・・・」
 まずは何故そんな姿になったのかを尋ねようとしたゲオルグだったが、カイルに先を越された。
「あ、そーだ、ゲオルグ殿聞いて下さいよー」
 ゲオルグの戸惑いなどに構わずカイルは自分のペースを貫く。そんなところは変わっていない・・・のは、同じ人物なのだから当然なのだが。
「というより、見て下さいよー、かな?」
 などと言いつつ、カイルはシャツの前のボタンを一つ外して、襟を広げる。すると元々今のカイルには大きめな服だったので、胸元があらわになった。
 そこに、僅かな胸の谷間が思いきり見えて、ゲオルグは思わず目を逸らそうとする。
 が、カイルがさらに大きく広げようとしたので、ゲオルグは反射的にカイルの手を掴んでとめた。
「何をしている!」
「え、だから見て下さいって言ったじゃないですかー」
「だから、そんなところを見せるな!」
 ゲオルグはもう三十路前の男だ。今さら女の胸の一つや二つ見たところでどうってことない。
 だがそれが、ついさっきまで男だった同僚のものとなると話は別だろう。
 カイルはそんなゲオルグの思いがちっともわかっていないようで不思議そうに見上げ、それから眉を少ししかめた。
「ゲオルグ殿ー、ちょっと痛いですよー」
 言われて、ゲオルグはカイルの両手を掴んだままだったと思い出す。
 今さらだが力を込めれば折れてしまいそうなカイルの手首の細さに気付いて内心動揺し、しかしそれを隠しながらゲオルグは改めて問いを口にした。
「・・・で、そもそもどうしてお前はそんな姿になっているんだ?」
「あ、それはですねー、立ち話もなんだし座りましょうよ」
 カイルは勝手にゲオルグのベッドに登る。なんかもう好きにすればいい、と放置したゲオルグだが、しかしカイルがいつもの癖で胡坐を掻こうとするので慌ててとめた。
 男だったときに着ていた黒いズボンを今はいていないのがサイズが合わないせいなら、下着も付けていない可能性もある。まさかそれはないだろうとは思ったが、しかしいまいちカイルは信用ならなかった。
 カイルはゲオルグの心配を読み取って、別に気にしないのにーという顔をしながら正座する。
 その反応はもしかして本当に付けていないのか?と疑いながら、しかしそのことについてはもう忘れておくことにした。
 ともかく話を聞こうと、ゲオルグはベッドの端に腰掛ける。カイルと正面きって向き合うのを避けたのだが、カイルは特に気にならなかったようだ。
「あのですね、レヴィ殿がちょっとの時間性別を変えられる魔法を編み出したとか聞いたんで、ちょっとオレにもかけてもらおうと思ったんですよー」
「・・・・・・」
 そんな魔法がありなのかとゲオルグは思ったが、しかし魔法はからっきしなのでそこは流しておくことにした。
「それで、なんで女になってみようだなんて思ったんだ・・・?」
 女好きなカイルだが、自分が女になっても意味ないだろうとゲオルグは思ったのだが。
「そんなの、決まってるじゃないですかー! 女体の神秘を自ら体験出来るんですよ!? ならなきゃ損ってもんじゃないですかー!!」
「・・・・・・・・・」
 ゲオルグは頭痛を覚えた。どこまで馬鹿なのだこの男は、と。
 だがカイルは、ゲオルグなど気にせず続けた。
「で、オレってスタイルいいじゃないですかー。ね?」
「・・・・・・まぁな」
 同意を求められたのでゲオルグは仕方なく答える。確かにカイルは、筋肉も付きすぎていないし脚も長く、剣士にしてはスラリとして均整がとれた体だ。
 ゲオルグが同意すると、カイルはうんうんと頷きながらさらに語る。
「だから、オレが女になったら絶対に、ボンキュッボン!!なこーいうスタイル抜群の体型になるんだとばっかり思ってたんですよ!!」
 カイルは瓢箪のような形をくねくねと手で表現したが、ゲオルグはもう半分目を逸らしていた。
「で! 巨乳になったら、そのときはその触り心地を心ゆくまで楽しもー!!とか思ってたんですよー!! でも、聞いて下さいよゲオルグ殿ー!!」
「・・・・・・・・・」
 聞きたくない、と思いながらゲオルグは、ひどくなった気がする頭痛を訴える頭を押さえた。
「ていうか、見て下さいっていうか、もー触って下さいよー!!!」
 そんなゲオルグの手をカイルは掴んで、グイッと引っ張った。突然のことにゲオルグは逆らえず、導かれるまま手が、カイルの胸に触れる。
「・・・・・・!!」
 あんまりのことに思わずカチンと固まってしまったゲオルグだが、カイルはどこまでもゲオルグに構わず続けた。
「ほら、この胸! 超ちっちゃいんですよ!! いや別に、貧乳が嫌いだとかそういうわけじゃないですけど! でも、せっかくだから巨乳になりたいじゃないですかー! ボヨヨーンってしたいじゃないですかー!!」
 とかなんとか訴えるカイルの言う通り、ゲオルグの手には少々物足りないくらいの小ぶりな乳房だった。だが、小さくとも確かな触感は、当然のように下着など付けていないのでシャツ一枚越しによりリアルに、柔らかく伝わってくる。
「・・・・・・・・・」
 そんな胸をグイグイ押し付けられて、しかしゲオルグは逆に頭が冷めるのを感じた。
 言ってることの馬鹿馬鹿しさ加減は確かにカイルそのものだ。だが、こんな体で顔で声でカイルだと言われても、とてもそんなふうには見れなかった。似た顔の別人、としか思えない。
「・・・そろそろ離せ」
「え、あ、もしかして照れてますー? ちょっとくらいなら、揉んでもいーですよー?」
 大サービスです!とか言って離す様子のないカイルの手を、ゲオルグは力ずくで逃がした。少し力を込めただけで、簡単に振り解けたのだ。
「ゲオルグ殿ー、ノリ悪いですよー? ちっちゃい胸はヤなんですかー?」
 カイルは面白くなさそうに口を尖らせる。だが、面白くないのは、ゲオルグのほうだった。
「俺は、女の・・・」
 少し苛立ちめいた感情に任せて言いそうになったゲオルグは、しかしかろうじてその言葉を呑み込む。
 女のお前なんかに興味はない。
 何かマズいニュアンスが含まれている言葉な気がした。
「・・・・・・・・・」
「えー、まさか女性に興味ないわけじゃないんでしょー?」
 黙り込んでしまったゲオルグに、カイルはゆっくり近付いてきた。
「だいたい、最初っから反応悪いですよー。オレ、自分で言うのもなんだけど、かなり美少女じゃないですかー? オレが男だったら放っとかないですよー!」
「・・・・・・俺に言い寄られて嬉しいのか、お前は」
 何気なく言ったつもりだったが、なんだか自虐的なセリフになった気がして、ゲオルグはカイルから体を背けた。
 が、カイルはそのゲオルグの背中に、遠慮なく抱き付いてくる。腕を前に回してくれば、当然背に胸が当たった。
「だってー、なんとなく癪ですよー。ねー、ちょっとくらいメロってきませんー?」
 ゲオルグだって男だ。女にうしろから抱き付かれれば、悪い気はしない。通常なら。
 だが中身がカイルだと思うと、ゲオルグは逆に、怒りに似た感情を覚えた。
 これはカイルではない。こんな柔らかい体、甘い声、こんなのはカイルではない。
「離れろ・・・!」
「うわっ!?」
 ゲオルグが激情に任せ振り払うと、カイルの軽い体は簡単にうしろへ飛ばされてしまった。
 ベッドに背中から倒れ込んだので、苛立ちを忘れてゲオルグは慌てて引き起こそうとした、そのときだ。
 ボンッと大きい音がすると共に、カイルの体が白煙に包まれた。
「カイル!?」
 ゲオルグは、しかし自分の魔法に対する耐性の低さを充分知っているので、ただ見守るしかない。
 そしてやがて白煙が薄れていき、カイルの姿が見えた。カイルは上半身を起こし、呑気な声で言う。
「あれー、もう元に戻っちゃいましたねー」
 言う通り、カイルはすっかり男に戻っていた。体格も低い声も慣れたもので、ゲオルグは思わずホッとする。
 が、ハッと気付いて目を逸らした。
 女の体なら膝上まであったシャツだが、男に戻れば当然その丈は短く見える。そして、足の付け根をかろうじて覆うシャツの隙間から、大事なものが見えるような見えないような・・・というか、見えた。やっぱり下着は付けなかったらしい。
「・・・服を早く着ろ」
 自分が微妙に動揺していることにさらに動揺しつつ、それを隠しながらゲオルグは言う。だがカイルは、男に戻ったから余計にか、気にする様子はなさそうだ。
「別に、男同士なんだからいいじゃないですかー。それに服、置いてきちゃったし」
 そう、男同士なんだから別に気にする必要はないはずである。だがゲオルグは、やはりカイルに視線を戻せなかった。
「なら俺のコートを貸してやるから、さっさと取りに行け」
 ベッドから立ってコートを取りに行ったゲオルグの背に、カイルの声が掛かる。
「・・・なーんか変なの。女のオレには無反応だったのにー」
「・・・・・・」
 ギクリ、としながらゲオルグは平静を装ってコートを手に取る。
「・・・男の裸なんぞ、出来れば見たくないだろう」
「まー、そうですけどー」
 それらしい理由に納得したのか、カイルは投げて遣されたコートを羽織った。そしてベッドを下りて部屋を出て行くかと思えば。
「・・・・・・何をしている?」
 カイルはピタッと、ゲオルグの背中に張り付いた。
「んー、別にー・・・」
 とか言いつつ、カイルはゲオルグに回した手にさらに力を入れてくる。
 ゲオルグは困惑した。さっきとは違ってしっかりとした男の体。
 ゲオルグは、緊張に似た感覚に襲われた。何故か身動き取れなくなる。
「・・・ゲオルグ殿ー」
 耳のすぐうしろで聞こえた声。今までにだって何度も聞いた、聞き慣れた声だ。それでも何故か、ゲオルグは思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
「・・・なんで今度は振り払わないんですかー?」
「・・・!!」
 ゲオルグはハッと我に返った・・・ということは、一体今まで自分はどういう状態だったのだと思って、しかしゲオルグはそれは考えないことにした。
「ゲオルグ殿、もしかしてー・・・男のオレに抱き付かれるほうが、嬉しいんですかー?」
 カイルは腕を解き、ゲオルグの顔を覗き込む。
 物言いたげにじっと見つめられ、ゲオルグはドキリとした。なんだかマズい気がする。非常にマズい気がする。
 が、カイルは不意に、いつもの笑顔に戻った。
「なーんて。そんなわけないですよねー」
 自分が女好きだからか、とてもそうだという結論には至れないのだろう。
 ゲオルグはホッとする反面、少しガッカリする。
 それから、自分の感覚に戸惑った。
 そしてそんなゲオルグを最後まで構わず、カイルはドアのほうに向かう。
「あ、そーだゲオルグ殿ー」
 ドアノブを持ってカイルが振り返った。そしてゲオルグも振り返るのを待っているのがわかって、仕方なくゲオルグも向き直る。
 カイルは、ニッコリ笑って言った。
「また女にしてもらったら、今度こそゲオルグ殿をメロメロにしてみせますから! 覚悟してて下さいねー!!」
 と、ろくでもないことを口走って、カイルは部屋を出て行った。
 顔を合わせてまで言うことか、とゲオルグは呆れる。
 その一方で、女になってくれたほうが助かる気がする、とも思った。精神的・・・か肉体的にか、なんとなく。
 一体それが自分のカイルに対するどんな感情に起因する思いなのか、はゲオルグは考えないことにした。
 しかし考えなくとも、なんだかとても嫌な事態に陥った予感はヒシヒシとする。
「・・・勘弁してくれ」
 ゲオルグは力なく呟いて、深く溜め息をついた。




END

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普段人物描写をほとんどしないので、女体化は結構難しかったです。美人を形容するのは大変だけど楽しいかも!!
でもなんだか、女体化の醍醐味を外してる気がします…。ゲオルグは女カイルにはムラムラ出来ないんだって!
次の話でリベンジしたいです。(これもまたシリーズ化するそうですよ…)