9.「優しさ」



「ゲオルグ殿ー、ご機嫌いかがですかー?」
 妙に陽気な声が聞こえたと思うと、ゲオルグの目の前、すぐ鼻先に何かが押し当てられた。
 振り向きざまのことで思わず目を瞬かせたゲオルグは、それが何か、そしてそれが誰か、理解して溜め息をつく。
「カイル、何をしとるんだ、お前は・・・」
 眼前の酒瓶をどかすと、顔を真っ赤にしたカイルのゆるんだ表情が目に入り、ゲオルグはもう一度溜め息をついた。
「・・・酔っ払いがなんの用だ?」
「オレは酔ってませんよー」
 ふわふわした声で、へらへらした笑顔で、カイルはのたまう。
 それを酔っていないと言わずしてなんと言う、などと酔っ払いにつっこんでも無駄なので、ゲオルグは矛先を変えようとした。
「それよりも」
「それよりゲオルグ殿ー、一緒に飲みましょうよー!」
 しかし先を越され、ゲオルグは再びカイルに酒瓶を押し付けられてしまう。
「飲んで、ぱーっと」
「カイル、お前なあ・・・!!」
 堪らず、ゲオルグはさえぎり返した。そして、酒瓶を持つカイルの右手首をむんずと掴んで、歩き出す。とにかく人目がつかないところにカイルを連れて行かなければならないのだ。
 セラス湖の城を一先ずゴドウィンにくれてやってから、王子軍はドワーフキャンプにその本拠地を移していた。全員は勿論入りきらないので、ラフトフリートに身を寄せているものもいるが、それでもこのドワーフキャンプは人で溢れていた。
 そして、王子軍はこれからゴドウィンに反撃する為、より結束を強めねばならない。ここが肝心所となるのだ。
 そんなときに、王子軍の中枢ともいえる、女王騎士のカイルが、酔っ払いと成り下がっていたら。士気だってそれに合わせてぐんと下がってしまうだろう。
 それがわからないカイルではないだろうに、と不思議に思いながらも、ゲオルグはカイルを引っ張っていく。
「全く、こんなときに、何をやっとるんだ・・・」
 自分に用意されたテントに向かいながら、ゲオルグは思わず声に出してぼやいた。
「・・・それは、景気付けですよー」
 すると意外にも、カイルがちゃんと返事を寄越す。声は足取り同様、とてもふわふわしてはいるが。
「・・・なんのだ?」
「ゲオルグ殿、オレ、思うんですよ」
 会話がちゃんと成立するのか疑いながら問い返したゲオルグに、やはりカイルはちゃんとした返事を返しはしなかった。だったら、聞き流せばいいのかもしれないが。
「はぁ・・・?」
 酔っ払いの戯言にしては、カイルの言葉はどこか真剣さを持っているように思えたのだ。本音を、滲ませているように。
 ゲオルグは、カイルが言おうとしていることに、つい耳を貸した。そしてカイルは、酔っ払いとは思えない静かな声で、ぽつりと呟くように言う。
「オレたち、もっと腹を割って話すべきだ、って」
「・・・・・・」
 ゲオルグは思わず足をとめた。その言葉が、妙に胸につまされるような気がしたのは、カイルのひどく切実に聞こえた声色のせいか、それともゲオルグ自身に思い当たることがあるせいか。
「カイル、お前・・・」
 ゲオルグは振り返って、カイルが一体どんな表情をしているのか、見ようとした。
 だがちょうど、カイルが俯いてしまったので、表情を窺うことが出来なくなる。が、ゲオルグはそれでころではなくなった。
「うぶっ」
 と、カイルが口元を押さえたのだ。
「おい、カイル!!」
 ゲオルグは焦った。酔った挙句もどす、なんて醜態を人前で晒すなんて、士気以前に人として阻止してあげるのがカイルの為だろう。
「カイル、とにかくこっちに来い!」
 ゲオルグはカイルを抱えるようにして、足早に自分のテントへ向かった。


「・・・少しは落ち着いたか?」
「・・・・・・は、はぁ・・・」
 青白い顔をしたカイルが、それでもしっかりと頷いて返した。
 結局、慌てて自分のテントに引っ張り込んだカイルは、ゲオルグが差し出したいつも刀の手入れに使っている布切れに、盛大にぶちまけた。その様は、いっそ気持ちいいくらい豪快なものだったが、いやしかしやはり、思い出してゲオルグは胸がうっとなる。
 それから、水を飲んでようやく人心地ついたカイルは、地面に座り込み椅子を机代わりにして上体を伏せ、ぐったりしているのだ。
 その少し乱れた髪も、飾りタスキが地面について汚れていることを気にすることない様子も、カイルらしくない。ゲオルグは間近で見下ろしながら、首を傾げた。
「・・・どうしたというんだ、一体」
 ゲオルグの知るカイルは、人前でこんな無様なことをするような男では決してないのだ。いつも身ぎれいにし、どんなときでも自分をちゃんと保つのが、カイルという男だったのだ。
「・・・スイマセン」
 恥じ入るような声色は、それ故か、それとも気分が悪いせいか、とても小さい。ゲオルグは隣りに腰を下ろした。
「・・・何故こんなになるまで飲んだんだ?」
「・・・・・・・・・」
 ゲオルグの問いに、カイルは椅子からゆっくりと顔を上げる。青白い顔は、どこか悄然としていて、益々カイルらしくなかった。疲れているときだって、常に明るい振る舞いを絶やさなかったのに。それなのに、ゲオルグの前で、繕おうともしていない。
「・・・だから、景気付けだって、言ったじゃないですか」
 低い声でぼそぼそと言ったカイルが、ゆっくりした動きで辺りを見回した。そして、ゲオルグがカイルから取り上げて床に打ち捨てていた酒瓶に目をとめる。
「ゲオルグ殿、飲みましょう・・・!」
 カイルは突如声を張り上げた。掠れたその声質が、空元気なことを強調する。ゲオルグは転がっていた酒瓶に伸ばす、カイルの手を掴んで阻止した。
「今日はもうよせ!」
「だって!!」
 強い口調で言ったゲオルグに、カイルも強く言い返してくる。
「だって、素面じゃ何も、言ってくれないでしょ!?」
 真っ直ぐゲオルグを見つめるカイルは、見たことのない顔をしていた。
 溜め込んでいたものを吐き出すような、いつもの軽い口調とはまるで違う辛辣でさえあるそれ。キッと自分を睨み付ける目つきの剣呑さに、ゲオルグは思わず怯んだ。
「・・・カイル?」
 どうしたと問い掛けるゲオルグに、カイルは気まずそうに視線を逸らしてから、もう一度顔を上げる。一瞬の激情は治まったようだが、それでも依然としてその表情はいつもとはまるで違う。苦しげなその顔は、悪酔いが原因ではないだろう。カイルはすでに酔いなど醒めているように見えた。
「・・・・・・・・・なんで」
 カイルは喉の奥から絞り出すように、ゲオルグへと問い掛ける。
「なんで、教えてくれなかったんですか? ・・・フェリド様と、陛下のこと」
「・・・・・・」
 ゲオルグは僅かに目を見開いた。あの夜のことは、ゲオルグに未だに鮮やかな傷として癒えず残っている。その傷を抉られたような痛み、そしてあのときのことをカイルが持ち出してきたことに対する驚き。
 いや、ゲオルグも考えなかったわけではない。ただ、常に人の心を明るくしようと振舞うカイルだから、そしてどこか人に深入りしようとしないように見えるカイルだから、踏み込まれることはないとどこかで安心していたのかもしれない。
 だがカイルは、踏み込んできた。酒の力を借りて、自分を失くすくらい酔っ払って。その決意は、酔いが醒めてしまっても、もう引っ込められなかったのだろう。
「・・・王子には言えなくても、オレやミアキス殿にくらいは言ってくれてもよかったんじゃないんですか?」
「カイル、お前・・・」
 一言ひとこと言葉を継ぐたびに、カイルの顔が苦しそうに歪む。出来れば触れずにいたかったのだろう。ゲオルグの苦しみを思って、そして、あの夜のことはカイルにとってもつらい記憶だろうから。
 それなのに口にするのは、このままで進めないと思ったからだろうか。わだかまりを心に抱いたままでは。
 ただゲオルグは、カイルはてっきり自分がゲオルグに信頼されてないのではないかという疑い憤り、そのせいでゲオルグに対する自らの仲間としての信頼が揺らいでいることを問題にしているのかと思っていた。
 だが、そうではないのだと、ゲオルグは知らされる。
「なのに、なんで、言ってくれなかったんですか?」
 顔が、声が、再び気色ばんでいくカイルは、ついに核心を口にした。今まで誰にも言えなかっただろうことを、ゲオルグだけに。どこか嫉妬にも似た感情を抱きながら、ゲオルグに。
「フェリド様だって・・・なんで、オレたちに何も言ってくれなかったんですか? オレたちじゃ頼りにならないって、そう思ってたってことなんですか・・・!?」
 絞り出すようなカイルの悲痛な声が、ゲオルグの耳に痛かった。
 カイルはずっと、そのことこそを気にしていたのだろう。フェリドが、長年側にいた自分たちではなく、ゲオルグを選んだことを。
 フェリドにとって自分がなんだったのか、何故なんの力にもなれなかったのか、ならせてくれなかったのか。長年フェリドに仕えて尽くしてきた、女王騎士としての自負が、打ち砕かれてしまったのかもしれない。
 カイルやミアキスたちの、強固なまでの王家の人々に対する忠誠心と愛情を、ゲオルグは目の当たりにしてきた。
 そんなカイルにとって、大事な場面で力になれなかった、その事実は女王騎士としての存在意義を失わせるほどのことだったかもしれない。
「・・・・・・カイル・・・」
「・・・・・・」
 カイルは、口にしてしまった自分の弱さを恥じるように、ゲオルグから視線を外した。吐き出してすっきりしたようには見えない。むしろ、再確認したその事実に押し潰されそうになっているかのようだ。
「・・・・・・カイル」
 ゲオルグは地に手をつき項垂れるカイルの背をそっと撫でた。振り払われるかもしれないと思ったが、反応がないのでそのままゆっくり撫でながら、ゲオルグは口を開く。
 ゲオルグが何か言っても、カイルにとって意味はないかもしれない。それはゲオルグの言葉であって、フェリドの言葉ではないのだから。
 だが、何も言わずただこのカイルを見つめていることはゲオルグには出来なかった。
「・・・カイル、俺はな。何故フェリドが俺を呼んだか、ファレナでお前たちと過ごすうちに、わかった」
「・・・・・・・・・」
 ゆっくりと、カイルが顔を上げてゲオルグを見る。まるで救いを求めているかのような眼差しに、ゲオルグはこんなときだが庇護欲のようなものを感じた。
 手の位置を背中から頭に移しながら、ゲオルグは続ける。
「お前は・・・お前たちは、ガレオン殿もミアキス殿も、カイルお前も、・・・優し過ぎるんだ」
 彼らが愛情故に決して陛下に手向かえないだろうと、フェリドにはわかっていたのだろう。ゲオルグの予想に過ぎないが、それでもゲオルグの目に映ったカイルたちの姿を思い起こせば、それが真実に近いと思えた。
「・・・・・・そんなの」
 だがゲオルグの言葉を、首をゆるく振ってカイルは拒否する。
「優しいって言いません。・・・弱いって、言うんです」
 弱いから、頼りないから、フェリドは何も打ち明けてくれなかったのか。そう思い益々悔しそうにカイルは口元を震わせる。
 打ち明けられれば、苦しんだだろう。だが、フェリドと共に苦しむことも出来なかった、自分を責めるように。
 ゲオルグにはそんなカイルの気持ちもわかる。だが、フェリドの気持ちもまた、わかるような気がした。
「・・・そうかもしれないな。だが、フェリドはお前たちの、その弱さを愛していた」
「・・・・・・」
 人によっては弱いと言うかもしれない、優しいと言うかもしれない。人がいいと言うかもしれない、甘いと言うかもしれない。
 そんな自分とアルシュタートに向けられる愛情を、フェリドは失わせたくなかった。守りたかったのだろう。
「・・・俺にも、フェリドのその思いはよくわかる」
 あのときの感触、自分がアルシュタートを殺めたという事実は、未だにゲオルグを苦しめている。
 自分でさえこれほどつらいのだ。もし、あんなに愛していた女王を手にかけていたなら、その苦しみと悲しみは想像を絶するものだっただろう。そんな目に、彼らを・・・カイルを合わせたくはなかった。
「・・・だから、あのときのことは、今でも悔いてはいない。あれが俺の役目でよかった、そう思っている」
 ゲオルグは心から、そう思えた。
「・・・・・・・・」
 ゲオルグが静かに微笑んでみせると、カイルは瞳を揺らしながら見つめ直し、それから視線と呟きを落とす。
「・・・・・・一番優しいの、ゲオルグ殿じゃないですか」
「よしてくれ、そんなんじゃないさ」
 そんな言われ方は面映ゆくて、ゲオルグは苦笑しながら首を振った。だがカイルも首を振ってから、ゲオルグを見据える。
「・・・・・・ごめんなさい、ゲオルグ殿が羨ましいみたいに言っちゃって。ゲオルグ殿だって、つらかったのに」
 すみません、と自分を恥じるように悔いるように。
「・・・構わん」
 実際、カイルには羨ましく思う気持ちが確かにあったのだろう。フェリドの信頼をゲオルグに奪われてしまったような悔しさまじりの。
 それを咎める気にはゲオルグはなれなかった。
「それに、その為の酒だったんだろう?」
「・・・・・・」
 素面ではゲオルグは何も言ってくれない、とカイルは言った。だが、素面じゃとても口に出来なかったのは、カイルのほうだったのだろう。
 ゲオルグにあのときのことを思い出させるのを躊躇い、フェリドに選ばれなかったのだと思い知りたくもなくて。それでも、このままずっと触れずに蓋をし、見ない振りし続けるのももう限界だったのか。
 おそらく誰にも弱みを見せられなかったカイルは、ゲオルグに無意識に救いを求めていたのかもしれない。それは、これでカイルの心を少しでも軽くしてやれたならいいと思う、ゲオルグの願望かもしれないが。
「・・・ほんとにオレ、なんかカッコ悪いとこばっか見せちゃいましたね・・・」
「確かに、酔って吐いて喚いて、最悪だな」
「そ、それは・・・」
 はははと笑いながらゲオルグが頭をごつくと、カイルも少し決まり悪そうに、小さく笑った。だがそんなカイルの瞳から、不意に涙が零れる。
「・・・あ、あれ?」
 カイルは不思議そうに目をぱちぱちとしばたたかせるが、涙はとまらずカイルの頬をぬらしていった。溜め込んでいたものを出しきり、張り詰めていたものがゆるんだせいか。
「す、すいません・・・」
「・・・・・・」
 カイルは慌てて目元をごしごし拭い涙を抑えようとしたが、ゲオルグはその手を掴んでとめた。
「・・・これ以上、何を繕うことがある?」
「・・・・・・・・・」
「構わん」
 どうせならもう、全てを見せてしまえばいい。耐える必要はない。ここまで来たら、なんだって受け止めてやる。
 ゲオルグはカイルを抱き寄せると、言葉を背を撫でる手に変えた。
「・・・ゲオルグ・・・殿」
 ゲオルグの言いたいことが伝わったのか、カイルはしばらくして体の力を抜く。ゲオルグの肩に顔を押し付け、嗚咽を漏らし始めた。
 感受性が豊かなくせに、今までろくに泣くことも出来なかったのだろう。だからこの場は、気の済むまで泣かせてやりたかった。
 一頻り泣いて疲れ果て眠れば、明日には笑顔に戻れるだろう。
 カイルを抱きしめながら、ゲオルグは友に思いを馳せた。フェリドが愛し、守りたかったもの。
 ゲオルグもまた、心から愛しいと思った。




END

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そしてここから恋は始まる…みたいな… ?
いかにも続編が書けそうなかんじになったので、書けたら書きたいなぁと思います。(書けたら…)