10.自己嫌悪



「女好きだけど意外と男もいけるんですよー」
 細かい話の流れは忘れたが、カイルはそう言った。
 だから俺は、確かにいろいろとこだわりのなさそうな男だし、とそれを真に受けてしまったのだ。
 そして俺は、それならばと、そう都合よくはいかないかと思いながらも話を振ってみる。
「だったら、俺もいけるのか?」
「そりゃー、ゲオルグ殿さえ、いけるなら、ね」
 軽い口調で言った俺に、笑いながらカイルは試すように首を傾げてみせた。
 俺がいけるなら、だと?
 遠慮なく、その頬にゆっくり腕を伸ばし、指先でなぞった。このなめらかな頬に触れたいと、思わなかった日などない。
「俺は、いけるが?」
 挑むようにニヤリと笑って言ってやれば、カイルは一瞬目をパチリとし、それから笑った。
「じゃ、いってみますかー?」
 なんとも気軽な口調で。実際、カイルにとってはなんてことないことなのかもしれない。よくあることなのかもしれない。
 胸は焼けるが、しかし今は目を逸らしておくことにした。
 まずは目尻辺りに口付けそれから頬へあごへ首筋へ、唇は指先で触れるにとどめておく。
 聞かれたら、適当な答えでも寄越そう。唇にだけは、キスをしない。
 その柔らかな弾力を返す唇に、本当は触れたい味わいたい。
 だが、思い違いをしてはならないのだ。これは好き合っての行為ではない。それは忘れてはならない。
 触れる指から唇から、どんどん欲が溢れだす。カイルの動機がどうであれ、早く欲しい、その思いで理性は脆くも崩れそうになる。
 それでも、忘れてはならないのだ。歯止めが必要だった。
 だから唇に、キスはしない。


 だが、どこかおかしいと、すぐに気付いた。
 ほとんど夢中でカイルを抱いた。僅かに残る理性が違和感を訴えたが、それでもとまれなかった。
 そして全てが終わって、意識を飛ばしたカイルのいつもより少し青白い顔に、やっと熱くなっていた頭が冷えたのだ。
 カイルは随分と憔悴しているように見えた。その様子に、最中感じた違和感をかろうじて思い出す。
 男もいけるんですよーなどと言っていたわりに、カイルは男に慣れているふうでもなかったのだ。男同士の不自然な行為だからこんなもんかと、理性の薄かったのも手伝って先に進むのを優先した。カイルは慣れていると思い込んでいたせいもあった。
 だが、今思えば明らかに、カイルは男に抱かれるのに慣れていなかった気がする。初めてだったのかもしれないとすら思えた。
 ぐったりとベッドに沈んでいるカイルの髪に触れる。サラサラとして指通りのいい髪の感触を楽しみながら、そうだと知っていればちゃんと優しくしてやったのに、と思わず暖かい気分になった。
 が、すぐに我に返る。
 セックスしたからといって、恋人同士になったわけではなかったのだ。
 カイルは軽い気持ちで誘ってきたようにしか見えなかった。
 だが、いくらカイルが軽い男だからといって、経験もないのに男に抱かれようと思うだろうか。なんとも思っていない男に。
 それは自分に都合よ過ぎるただの勘違いだろうかと思いつつ、しかし期待してしまった。


 そして、そうなんだろうかという疑いを持って見れば、カイルの思いは意外にもわかり易かった。
 自分に向ける些細な笑顔や言葉の端々から、カイルは好きだと言っていた。
 この俺が、好きだと。
 だから軽い男を装って仕掛けてきたのだとすれば、馬鹿なことをしたなと思う反面、やはり嬉しい。それから、こんなにわかり易いのによく今まで気付かなかったと自分に呆れもしたが。
 だがそれよりも、これからどうするかが問題だった。カイルはすっかり、体だけの関係に落ち着いてしまったのだ。
 俺が一言、言ってやれば全てが解決するのだろうと思うのだが。
「・・・だいたい、恋愛事はお前のほうが得意じゃなかったのか。なんで気付かんのだ」
 ついついボヤいて責任転嫁をした。
 カイルは安らかな寝息を立てている。最初に比べ、カイルは随分とセックスに慣れた。それは俺の努力の賜物・・・と言いたいところだが。
 もう三十も目前だというのに、初めのときと変わらず、カイルを腕の中にすると理性はアッサリと崩れ去ってしまうのだ。
 欲求に任せて、その体を好きなだけ味わう。情けないことに、カイルの反応を楽しむ余裕もほとんどなかった。
 そんな味気ないセックスだから、本当に性欲を満たすだけの行為なんだなと、カイルはおそらくそう思っているだろう。
 そしていつも、終わって眠るカイルを前にして、やっと冷静になれるのだ。このままじゃいかんだろう、と。
 この瞬間、自分が堪らなく嫌になる。
 カイルの気持ちを知っていながら、自分の気持ちを告げることもせず、ただ体だけ求めるのだ。どんな最低な男なんだ、俺は。
 わかっている。それはよおくわかっている。
 だが、いざカイルと二人になり親密な空気になれば、すぐに性欲がメキメキっと育ってしまう。目の前の体を抱きたい、その思いだけで頭が一杯になり、とてもではないが何も言えなくなるのだ。
 かといって、こうして冷静になってしまえば、それはそれで一体なんと言えばいいのやらわからなかった。散々体だけの関係を装ってきて今さら、と。
 いや、本当は、わかっている。たった一言、言えばいいだけなのだ。
 その一言が、だがしかし言い出せない。
 なんと無様なことだろう。
 まだ寝ているカイルの髪を撫でた。柔らかい触り心地も好きだが、その色も好きだった。愛するチーズケーキと似た色だということに運命めいたものを感じた、などとは口が裂けても本人には言えないが。
 しばらくその髪を楽しんでから、顔に掛かる部分を払って手を引く。
 性欲が満足した今は、相変わらず寝息を立てているカイルの顔を見ているだけで、純粋な愛しさがどんどん湧き上がってくる。
 その思いを、少しでも表に出せばいいだけの話だというのに。
 そうすれば、その唇にキスすることが出来る、そんなご褒美を用意しても、それでもどうしても踏み出せないのだ。
 勿論ずっとこのままでいるつもりはない。時間が経てば経つだけ言いづらくなるだろうし、カイルだって今の関係は決して楽ではないだろう。
 そして、伝えたくないわけではない。本当は、知って欲しい、早く。
 躊躇することは無意味で、恥ずかしく思うことは愚かだ。理性ではよくわかっている。
 だが、年を取ったせいか、思いを言葉になかなか出来ない。いや、元々こういった類のセリフなど、言ったこともなかった。
 それでも、たった一言でこの体だけの関係から抜け出せるのだ。
 カイルも自分を好いている。同じ気持ちだと、伝えればいいだけなのだ。
 カイルは、まだ眠っている。
 試しに言ってみようか。寝ている隙に、聞いていない内に、とはなんとも情けなくはあるが。
 それでも、勇気と覚悟が必要だった。
 こんなふうに葛藤していたと知られたら、カイルはきっと呆れるか馬鹿にするだろうが。そのときは、気付かんお前が悪い、と開き直ってやろう。
 なぁ、カイル。
 俺がこんなに恰好悪くなるのは、お前に関してだけだ。
 そのうち教えてやるから、そのときは存分に喜ぶがいい。
 なぁ、カイル。

 俺はお前が、好きだ。




END

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情けなさより卑怯さを強調したかったんですが。やっぱりどっちかいうと、情けない奴になりました(笑)
どうしようもない29歳です。スイマ セ  orz


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