12.抱擁



 王子軍は無事ソルファレナを奪還した。つまり、ゲオルグがファレナ女王国を去る日が、近付いているということだ。
 ゲオルグは本拠地として使っていたセラス湖の遺跡に足を運んでいた。
 湖に沈めることに決まった城では、人々が忙しそうに荷物を運び出している。ゲオルグもその例にもれず、何か忘れ物でもしていないか見に来たのだ。
 といっても、居室を与えられていたとはいえ、あまり腰を落ち着けていなかったゲオルグにたいした荷物はなかった。ほとんど寝る為の場所として使っていたのだから、当然だろう。
 そして、この部屋での数少ない記憶が・・・カイルとのあの珍妙なやり取りなのだから口惜しい、ゲオルグはそう思う。
 結局カイルはあれ以来、隙を見付けては女になってゲオルグの部屋にやってきた。ゲオルグをメロっとさせる、という目標を本気で掲げているのかどうかわからないが、ゲオルグに妙に絡んでくるのだ。
 だが、それもゲオルグがファレナのいる間だけ、あと少しの辛抱になる。あと少しで、あのカイルの困った行動から解放される。それは同時に、カイルとの別れを意味するわけで、それを思うとゲオルグは単純に喜ぶことも出来ないのだが。
 つい重苦しい気分になりかけたゲオルグは、首を振って部屋を出ようとした。
 が、その扉が、勢いよく開く。そして、いつものように入ってくる、シャツ一枚姿の女性・・・勿論カイルだ。
「ゲオルグ殿ー! ちょうどよかったですー!!」
「・・・・・・・・・」
 反対になんてタイミングが悪いんだと思いながら、ゲオルグは脱力する体でベッドに腰掛けた。気にせず部屋を出ていけば、カイルもゲオルグを追い掛けてきてしまうだろう。相変わらずの薄っぺらなシャツ一枚という格好で。
「・・・何か用か?」
「何って、決まってるじゃないですかー!」
 ゲオルグがすでに疲れきった声で問えば、カイルはそんなゲオルグに張り切って近付いてくる。
「ほら、見て下さいよ、この巨乳! ていうかそろそろ触って下さいよー!!」
 ゲオルグの目の前に立って、カイルは自分の胸をそれぞれ両手で持ち上げてみせた。薄っぺらかった初めの頃と違って、今はたぷんとカイルの手からいくらかはみ出ながらも乗っかっている。カイルの念が届いたのか、随分と立派な胸になった。
 美少女というのが適当だった初めに比べ、今は胸だけじゃなく背も伸び体のラインも女らしくなって、美女という言葉のほうが相応しい。さらに、胸が大きくなった分、シャツが引っ張られて裾が短くなり、脚がかなり際どいところまで見えていたりする。
 が、そんな姿のカイルを見ていても、ゲオルグは一向にそそられなかった。中身がカイルとはいえ、外見は紛うことなき美女だというのに。このまま女に興味がなくなってしまったらどうしてくれるんだ、とゲオルグは結構切実に思っていたりする。
 そして、そんなゲオルグには構わず、カイルはマイペースだ。
「ほら、ゲオルグ殿、触ってみて下さいー! やわらかくて気持ちいいですよー! オレも最初に触ったとき、うっとりしちゃいましたもん・・・!」
「・・・・・・・・・」
 ほらほらほら!と胸を押し付けようとしてくるカイルから、逃れる為ゲオルグはベッドの上を移動した。が、勿論カイルはついてくる。
「ゲオルグ殿ー、我慢しなくていんですよー? ムラムラっと、きませんー?」
「・・・そろそろ、諦めたらどうだ?」
 艶っぽい笑顔を浮かべてみせるカイルに、ゲオルグは溜め息をついてから言った。
「どうしてですー? あとちょっとしかチャンスないんですよー?」
「・・・・・・」
 確かにあと少ししか、ファレナでの時間はゲオルグに残されていない。
「・・・・・・だからこそ」
 ゲオルグは、思う。
 カイルが女になり始めてから、ゲオルグは男のカイルとまともに話もしていなかった。以前は、二人で飲みに行ったり、手合わせしたこともよくあったというのに。
「女になる前に来て欲しいものだな」
「それじゃ意味ないでしょー。・・・なんでですかー?」
 首を傾げてみせるカイルに、ゲオルグはどこか自棄気味に言った。
「俺は、男のお前が、好きだからだ」
「・・・・・・」
 カイルはちょっと目を丸くしてから、あはははと笑う。
「ゲオルグ殿ー、それってまるで告白みたいですよー」
「・・・・・・そうだな」
 冗談めかして言ったカイルの言葉を、ゲオルグは静かに肯定した。
 自覚なら、ちょっと前からあった。このまま、本来の姿のカイルとはろくに話も出来ず、会えなくなってしまうのは嫌だ。別れなければならないこと自体、本当は嫌だ。
 そんなふうに思っていることを、カイルは全く知らないだろう。最後に、せめて知って欲しい気が、ゲオルグはした。そしてカイルがどう思おうと、どうせ、顔を合わせるのはあと少しの間なのだ。
「告白だ」
「・・・・・・・・・」
 はっきり言って見上げれば、カイルは思いっきり目を丸くしている。
 そして口から出てきた言葉は、やっぱりずれていた。
「え、ゲオルグ殿、いつの間にオレにメロメロになっちゃったんですかー!? だから、胸触ってもいいって言ってるじゃないですかー!!」
「・・・・・・・・・」
 狙い通りにいったと、嬉しそうに笑うカイルに、ゲオルグは正しく伝えてやった。
「女のお前じゃない。男の、と言っただろう」
「・・・・・・・・・」
 カイルはもう一度目を丸くした。そしてそのまま固まってしまったカイルが、しばらくしてようやく口を開く。
「・・・え、つまりそれって・・・ゲオルグ殿は、男のほうのオレが・・・好きなんですか・・・?」
「・・・ほう、も何も、お前は男だろうが」
 もう半分は女のつもりなのかと、ゲオルグは呆れる。だがカイルは、それどころではないようだ。
「・・・・・・そんな、それじゃ・・・」
 呆然とゲオルグを見つめ、形のいい唇を震わせる。拒否感からだろうかとゲオルグは思ったのだが。カイルは、へたりとその場に座り込んで、そして何やらゲオルグには理解出来ないことを叫んだ。
「つまり・・・オレって全くの骨折り損っていうか・・・すっごくムダなことしちゃったわけー!?」
「・・・・・・・・・・・・はあ?」
 何やら頭を抱え始めるカイルに、ゲオルグはついていけずただ呆然とその頭を見下ろす。告白したゲオルグに対して、カイルのこの反応はなんだろう。ちっともわからない。
「・・・・・・おい、カイル?」
 しばらく待っていたが、カイルはがくりと床に手をついて一向に浮上してこないから、ゲオルグは待ちくたびれてその頭をぽんぽんと叩いてみた。
 すると、弾かれたようにカイルががばっと顔を上げる。若干涙ぐんでいる美女に上目遣いされれば、さすがのゲオルグも多少はぐらっとくる。
 が、このカイルにぐらっときてなるものかと耐えるゲオルグに、カイルが突如噛み付いてきた。
「・・・っそうなんだったら、なんでもっと早く言ってくれないんですかー!?」
「・・・・・・・・・はあ?」
「お、オレがなんで女になったと思ってるんですかー・・・っ!!」
「・・・・・・・・・・・・」
 ぽかぽかとゲオルグに殴りかかってくるカイルを、ゲオルグはとにかく落ち着かせようと、引っ張り上げてベッドに座らせる。
「ほら、落ち着け。あ、足は立てるな胡坐もかくな!」
「・・・・・・ゲオルグ殿、うるさいー・・・」
 煩わしそうに口を突き出したカイルは、だがおかげで昂っていたのが治まったようで、おとなしくゲオルグの向かいに横座りした。それでも充分シャツの裾は心許ないのだが、今のゲオルグはそれより他に気を取られているのだ。
 さっきから、一体カイルが何を言っているのか。そして、自分の告白が一体どうなってしまったのか。
「で、なんだって?」
「だから、オレがなんの為に女になったと思ってるんですか!!」
 身を乗り出して訴えるカイルの、すっかり豊かになった乳房がシャツの胸元からこぼれんばかりになるが、双方ともこの場では気にしない。
「・・・・・・それは、女体の神秘がなんだかんだとか、言ってなかったか?」
「ゲオルグ殿、まさかオレが本気でそう言ってたと思ってたんじゃないでしょーね!?」
「・・・・・・・・・」
 まさかも何も、ゲオルグは疑わずそう思ったのだが。
「・・・・・・違うのか?」
「違うに決まってるじゃないですかー!! オレがそんなふざけた理由で女になるとでも思ったんですか、失礼ですよー!!」
「・・・・・・・・・」
 カイルはぷーと頬を膨らませるが、ゲオルグにそう信じさせたのは、間違いなく本人の日頃の言動なのだ。カイルの訴えは理不尽だと思うが、それもこの場では気にしない。
「だったら、理由はなんだ?」
「それはー・・・じゃあ、問題を変えます! オレがゲオルグ殿をメロっとさせたがってたのは、なんででしょー!?」
「・・・・・・・・・俺のほうが聞きたい」
 クイズ形式にしてきたカイルに、疲労感を感じてゲオルグは頭を押さえながら溜め息をついた。
「いいから、答えを聞かせろ」
「もー、ノリ悪いですよ、ゲオルグ殿ー。オレがどんな思いで女になったと思ってるんですかー」
「・・・だから、それを聞かせろと言ってるんだろうが・・・・・・」
 さっきからちっとも話が進んでいない。
「・・・理由は?」
 そろそろ話せ、とゲオルグが視線鋭く問えば、カイルはようやく素直に口を開いた。ゲオルグが予想だにしていなかった理由を、教える。
「・・・・・・だから、女だったらゲオルグ殿に好きになってもらえるかなって思ったんですー・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・」
 一息で叫ぶように言ったカイルは、肩で荒く息をする。また冗談を、と片付けられないほど、その顔は紅潮していた。
「・・・・・・それが理由、か・・・?」
 それでも信じられずゲオルグが確認すると、カイルはまだ赤いままの顔を、開き直ったように縦にぶんぶん振る。
「そーですよー」
「・・・・・・・・・」
 ということは、俺たちは両想いか!と即座に喜ぶには、どうにも釈然としない感じがあった。聞きたいことがたくさんある気がして、逆に何を聞けばいいかわからないから、取り敢えず一番に思い付いたことを聞いてみる。
「・・・・・・どうして、女になったんだ?」
「・・・だから、女だったらゲオルグ殿に好きになってもらえるかなーって」
「・・・・他に方法があると思うが」
 確かに、カイルが女になったことによって、ゲオルグはカイルへの思いに気付いたようなものだ。が、別に女になったカイルを好きなったわけではない。
 しかし、カイルの答えははっきりしていた。
「え、何言ってるんですか、男が男を好きになるわけないじゃないですかー!」
「・・・・・・・・・」
 ぐっとこぶしを握って力説するカイルに、ゲオルグは遠い目をしそうになったが、頑張って問い掛けてみる。
「・・・・・・お前は、俺のことをどう思ってるんだ?」
「え、ああ、それは、好きですよー?」
「・・・・・・・・・」
 ちなみに大層軽い口調だったが、一応これがカイルからの告白ということになる・・・のだろうか。自分だってどさくさ紛れに告白したようなものだが、少なくとも真面目な口調で言ったつもりだ、というのはこの際置いておくことにして。
「・・・俺は男だが?」
「知ってますけど?」
「・・・・・・・・・」
 男は男を好きにはならない、とさっき力説しなかっただろうか。
「お前も・・・男だよな?」
「あったり前じゃないですかー」
 ゲオルグ殿頭大丈夫ですかー?とでも言いたげなカイルに、ゲオルグは益々腑に落ちない。
「・・・・・・男のお前が男の俺を好きになっておいて、男の俺が男のお前を好きになるわけはないと思ったのか?」
「・・・・・・・・・ややこしいですね。えーと・・・それとこれとは別問題、ってやつです」
「・・・・・・意味がわからん」
 ゲオルグは溜め息をついてから、気分を変える為首を振った。その点については、もう気にしないことにする。
 すると他に一体何を疑問に思っていたか、思い出すのも一苦労だが、どうにか捻り出した。
「・・・で、もし女のお前を俺が好きになっていたとしたら、どうするつもりだったんだ? ずっと女のままでいるわけにもいかないだろう?」
「それについては、オレもちゃんと考えたんですよ!」
 カイルは立派な胸を張って言う。
「ほら、最近どんどん女でいられる時間が長くなってってるでしょー。この調子でいけば、いつか女になっちゃえると思ったんですよねー!」
「・・・・・・女になるのか?」
 男が一時的にではなく女になってしまおうなんて、並の覚悟では思えないだろう。
「・・・お前、俺のことがそんなに好きなのか?」
 思わず口にして、それからどんな思い上がった問いなんだと、ゲオルグは発言を後悔したが。しかしカイルは、あっさり頷いた。
「はい、そうなんですよー」
「・・・・・・・・・」
 にこにこと、カイルはゲオルグに微笑み掛ける。カイルの思いを知った今、調子よくその笑顔が可愛らしく見えてしまって、ゲオルグはちょっと情けなくなった。
 さらにはカイルは相変わらずの際どい格好で、状況が変わった今、目の遣り場にちょっと困る・・・そう思ったところで、ゲオルグは気付く。
「・・・もしかして、その格好も・・・」
 服のサイズが合わないからなどと言っていた、シャツ一枚という無防備過ぎる格好を、ゲオルグが指せば、カイルはこれまた頷いて返した。
「当たり前じゃないですかー。女の武器を最大限に活かす為ですよー! まあ、最初のうちは胸とかちっちゃかったから、あんまり意味ないかなーと思ったんですけど、ほら、この通り、立派に成長してくれたし!」
 胸を張って言ったカイルは、しかし眉をしかめて、不思議そうにゲオルグを見つめる。
「でもゲオルグ殿、オレがせっかく女になって体使ってまで誘惑したのに、ちっとも興味持ってくれないから、ちょっと焦ってたんですよー? オレ、自分でも結構いけてると思うんだけどなー」
「・・・・・・」
 確かにこのカイルは、他の要素全てを排除して外見だけで評価するなら、とびきりの美女だ。ゲオルグもそれは認める。だが、中身があのカイルだと知っているから、ゲオルグは美女だと思って接することが出来なかったのだ。
 しかしカイルは、勝手に理由を勘違いしてくれる。
「・・・もしかして、ゲオルグ殿って・・・そっちの趣味があるんですかー?」
「・・・・・・・・・は?」
 全く身に覚えのないことを言われて、思わずゲオルグが否定するのを一瞬忘れた間に、カイルは信じられないというふうに両頬を押さえながら若干ゲオルグから離れる。
「うわー、そうなんだゲオルグ殿って・・・そうだったんだー!! どうりで、このナイスバディの美女になびかないと思った・・・!!」
「・・・・・・いや、カイル、そんなわけないだろう・・・?」
「いいんです、隠さないで下さい! それに、おかげで男のオレを好きになってもらえたって考えれば、むしろ喜ぶべきですよね!!」
「・・・・・・・・・」
 勝手に誤解してしまうカイルに、訂正するのがなんだか面倒になって、ゲオルグはこの場は放っておくことにした。勘違いを正すのは、おいおいに、でいいだろう。
「それで、カイル、そろそろ元の姿に戻らんか? やはり落ち着かん」
 女になった理由がゲオルグに好きになってもらう為なら、もう女でいる必要性はないだろう。ゲオルグとしては、違和感のあるこの姿よりも、早く元の男の姿に戻ってもらいたかったのだが。
「そう言われても、オレの意志じゃ戻れないしー。あと一時間くらいはこのままじゃないですかー?」
 首を傾げて言ってから、カイルはゲオルグに近付いてきて、肩に手を掛けた。
「それに、もう女性になることはないから、この巨乳を味わえるチャンス、これで最後なんですよー? せっかくだから、思いっきり触っとかないと、損ってもんですよー?」
「・・・・・・」
 ゲオルグを落とすという目的がなくなった今、どうしてまだ胸を触らせたがっているのかよくわからないが。
 ちらりと、ゲオルグはカイルが誇る胸元に視線を向けてみた。
 ゲオルグは別に巨乳が嫌いなわけではない。今までは、何故か女でいるカイルに対する反発から、少しも興味が持てなかっただけなのだ。
 そして、初めに比べて随分と女らしくなった体つきも。カイルのこの姿は、ゲオルグに好かれたいが為のものだったのだ。そう思えば、さっきまでなんとも思っていなかったのに、途端にとても愛しく見えてしまってもおかしくない、かもしれないだろう。
 好きになってもらう為に性別を変えてしまおうだなんて、普通考え付かない馬鹿らしく愚かしい行動に出るほどの、愛情。嬉しくないわけがない。
 そんなカイルの思いに応えることに、躊躇う理由もない。
「・・・確かに、せっかくだからこの体を抱いとくのもいいかもしれんな」
「え、そこまでやりますかー?」
 ここは前向きに、と思って言ったゲオルグは、僅かに怯んでみせるカイルの腕を逃がさぬよう引いた。好いた相手の、胸を揉むだけ、なんてのは無理な話だろう。
「どんなかんじか興味ある、と以前言ってただろう?」
「まーそうですけどー・・・やっぱり男より女性のほうがいいとか、そうなっちゃうと困るっていうかー・・・」
 眉をしかめていたカイルは、しかしぱっと笑顔になって言い放った。
「あ、でも、ゲオルグ殿は女性ダメだから、大丈夫かー!」
「・・・・・・・・・」
 やはりその誤解を、今ここで解いておくべきか、ゲオルグは思う。
「つまり、いいんだな?」
「・・・んー、まあ・・・・・・」
 カイルは少し考えるように首を傾げてから、ゲオルグににこりと微笑み掛けた。
「途中で男に戻っても、苦情は受け付けませんけど、それでいいなら、ね」
 勿論そうなっても、ゲオルグにとってはなんの障害にもならない。
 微笑み返してゲオルグは、女になっているカイルの体を、初めて躊躇わず抱きしめた。




END

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お題に繋がっているのが最後の5文字だけという…。
どこで男に戻ったかは、お好きに想像下さいませ!