13.弱み



「・・・・・・・・・へ?」
 返ってくるはずのない声が、聞こえた。
「・・・・・・・・・」
 ゲオルグはまさかと思いながら、おそるおそる視線を向ける。すると、見開いたカイルの目と、バチッと合った。
「・・・・・・・・・」
 寝ているとばかり思っていた。だから、ゲオルグは口にしたのだ。今までずっと本人に言えなかった、カイルに対する思いを。
 ゲオルグは不測の事態に、ただ固まってしまった。そしてカイルは、数度瞬きし、それからゆるく笑う。
「・・・あ、聞き間違いか・・・夢でも見てたか・・・ですよねー」
 そんなことゲオルグ殿が言うはずないですもんね、そんな言葉も聞こえてくるようだった。
 一瞬物憂そうな顔をしたカイルは、再び目を閉じる。
 眠れば夢の続きが見れるかもしれない、そう期待したのだろうか。
「・・・カイル!」
 ゲオルグはとっさにカイルの肩を揺すって眠るのを阻止した。
 カイルにとっては現実より夢の中のほうが幸せなのかもしれない。そんなふうに思わせている状況を、変える絶好の機会だとゲオルグは思った。
 すでに言葉はゲオルグの口から放たれているのだから。
「・・・ゲオルグ殿?」
 眠りを妨げられたカイルはゲオルグを不思議そうに見上げる。ゲオルグはこの期に及んで躊躇しそうになるのを抑え付け、口を開いた。
「・・・聞き違いでも、夢でも、ない」
「・・・・・・え・・・え?」
 カイルは事態を全く呑み込めていないようだ。ゲオルグは心持ち姿勢を改める。
「・・・もう一度、言おう」
「・・・・・・」
 カイルも起き上がって、ゲオルグを正面から見据えた。その青い瞳は、困惑と不安と、それから期待で揺れている。
 告げればきっと、喜びで輝くのだろう、そう信じてゲオルグは再度口にした。
「・・・俺は・・・お前が、好きだ」
 その瞬間、カイルがハッと目を見張る。信じられない、そう顔に書いてあるようだった。
 だが、ゲオルグはもう繰り返したりなどしない。さっきの一言に、全てを込めたのだ。それ以上の言葉を重ねずとも、伝わるだろう。
「・・・・・・ゲオルグ殿・・・」
 心なしか、カイルの頬が赤らみ瞳が潤んでいる気がする。ならば、ゲオルグの思いは伝わったのだろう。
「・・・オレ・・・オレも」
 カイルもゲオルグへの思いを伝え、そして二人はようやく晴れて体だけの関係かられっきとした恋人になれる・・・はずだった。ゲオルグがおとなしくカイルが言葉を継ぐのを待っていれば。
「・・・済まなかった」
 一度伝えてしまえば、なんだこんなことかと、躊躇していたのが馬鹿らしく思える。ゲオルグはこんなことならさっさと言ってやっていればよかったと思った。そしてその後悔と、罪悪感が、黙っていればいいことをゲオルグの口から漏れさせる。
「本当はもっと早くに言えればよかったんだが・・・なかなか踏ん切りがつかんでな。だがそのせいで、お前を苦しめた」
「・・・・・・え、それって・・・?」
 ゲオルグは、申し訳なさからカイルから視線を逸らしていた。だから、カイルの表情が段々変化していくのに、気付かない。
「・・・あぁ、俺はお前の気持ちを知っていた。それなのに・・・」
「・・・・・・」
「なかなか俺の気持ちを言うことが出来んで・・・本当に、済まな・・・」
 さらに謝罪の言葉を続けようとしたゲオルグだが、それをカイルによってとめられた。
 カイルの、平手打ちによって、とめられた。
「・・・・・・カイル・・・?」
 ゲオルグがぶたれた頬を押さえて呆然と視線を向ければ、カイルの瞳は確かにキラキラ輝いている。だがそれは喜びによってではなく、どうやら怒りによって、のようだ。
「・・・知ってた? オレの気持ちを知ってて黙ってた・・・?」
「・・・・・・あ、あぁ・・・」
 カイルは笑っている。だが、口の端は引き攣り、こめかみ辺りには青筋が浮かんでいた。
 ゲオルグは思わず、じりじりとベッドの上を後退りする。
「へー・・・てことは、なんでオレが気持ち隠してたかにも見当ついてたりしましたー?」
「・・・・・・ま、まぁな・・・」
「ふーん、それもわかってて、あー、そうですかー」
「・・・・・・だ、だから今こうやって謝っとる・・・っぶ!!」
 カイルが投げつけた枕が、ゲオルグの顔面にクリーンヒットした。
 たかが枕といえども、至近距離から、しかも投げ手が女王騎士となれば結構な威力になる。
 が、多分手近に刀があったら斬りかかられていた気がするので、ゲオルグはダメージを食らった顔を押さえながらホッとした。
 それほど、カイルは殺気立っている。
「ゲオルグ殿、一言いいですかー?」
「・・・・・・な、なんなりと・・・」
 ゲオルグがおそるおそる促すと、カイルは引き攣ったような笑顔から、一転して無表情になった。
「・・・・・・最っ低ーです」
 低い声で吐き捨てるように言って、カイルはベッドから降りようとする。ゲオルグは慌ててとめた。
「ま、待てカイル!!」
 ゲオルグが服を引っ張って行かせまいとすれば、カイルはそれを引き剥がそうともがく。
「触らないで下さいよーこの人でなしっ!!」
「だ、だから謝っただろうが!」
「謝れば許されるとでも思ってるんですかー!?」
 ハッと鼻で笑って言うカイルを、しかしゲオルグはどうにか力ずくでベッドの上にとどめておくことに成功した。
 力で敵わないとわかったからか、カイルは諦めて抵抗をやめる。だが不機嫌そのものの表情で、ゲオルグに視線を向けようともしない。
「・・・・・・・・・いや、言おうとは何度も思ったんだ! だがきっかけが!!」
「・・・言い訳ですかー?」
「・・・・・・わかった、もう言い訳はせん。済まなかった。本っ当ーに、済まなかった!!」
 ゲオルグは、勢いで前に手をつきガバッと頭を下げた。胡坐を掻いてはいるが、形も心意気も、土下座に近い。だが、これでカイルの機嫌が直ると思えば、ゲオルグには躊躇いなどなかった。
 しかし。カイルは、やっぱりゲオルグを見ようともしない。
 こんなはずではなかったと、ゲオルグは自分の失言を悔いた。
 思いを伝え合ったなら、そのときは恋人同士として甘ったるい時間を過ごせるはずだったのに。ゲオルグは、甘党ではあるがベタベタするのは苦手だった。だが、少しくらいは、という願望もあるにはあったのだ。
 が、現実に待っていたのは、怒るカイルと機嫌を取ろうとするゲオルグ、という甘さの欠片もない展開だった。
「・・・いや、でも、お前恋愛事は得意じゃないか。なんで俺の気持ちには気付かんかったんだ?」
 ゲオルグは謝っても無駄なら、と攻め方を変えてみる。本当ならもっと揶揄うように言ってやるつもりの言葉だったのだが。
 そして、そんな言い分も、カイルにはちっとも効かなかった。
「へー、今度は責任転嫁ですかー。気付かなかったオレが悪いって言いたいんですねー。いやあそうですかー、てことはオレのほうが土下座するべきですかー?」
 益々臍を曲げられてしまう。
「・・・・・・」
 さすがにこうなってくると、ゲオルグのほうも気持ちが荒れてきた。
 非を自覚してはいる。だがそこまで怒らなくてもいいではないかと、カイルの怒りが理不尽なものに、ゲオルグには思えてきた。
「・・・あぁ、そうだな、俺はお前の気持ちを知りながら黙ってたさ」
「・・・・・・は?」
 突然ふんぞり返りながら言ったゲオルグに、カイルは思わず視線を向ける。
「で、それがどうかしたか?」
「・・・・・・うわ、開き直るつもりですかー!?」
 信じられない!という目で見てくるカイルだが、ゲオルグはもう動じなかった。
「謝っても聞く耳持たれんなら、もうどうしようもないだろう。だいたい、餓鬼じゃないんだ、いつまでも拗ねるな、大人気ない。しかも気付かんかった自分棚上げで、最低だの人でなしだの、よく言えたもんだ。そもそも、俺がなんとも思ってない奴を抱けると思われてたことこそ、心外だな。俺のほうこそ、ガッカリだ」
 溜め込んでいた鬱憤を晴らすかのように、ゲオルグは一息に言い放った。その様こそ、大人気ない。
 カイルはそんなゲオルグを目を見開いて見つめ、それから烈火の如く怒り始める・・・かと思えば。
「・・・だ・・・だって・・・」
 意外にもカイルは、シュンとした様子で視線を下げ、体を縮こまらせた。
「・・・オレに好きだって思われてるって知ったら、ゲオルグ殿引いちゃうかもしれないとか思ったり・・・ただ単に体だけだから応じてくれてるのかと思ったら、バレないようにしないとって・・・。でも、やっぱり気持ち知ってもらいたいし、出来れば振り向いて欲しいし・・・セックス出来るだけで嬉しいって思う反面空しかったりもして・・・」
 カイルの声は、泣いているのかと疑えるほどか細い。膝を立ててそこに額をくっつけられれば、表情は少しも窺えなかった。
「悩んで苦しくて嬉しくてでもやっぱり悲しくて・・・そんな、ゲオルグ殿の気持ちとか、気付く余裕なんて全然なくって・・・。なのに、そんなの全部わかってた上で黙ってたって、そう言われたら・・・オレが怒りたくなる気持ちもわかって下さいよ・・・!!」
「・・・・・・カイル・・・」
 ゲオルグはふんぞり返っていた体を慌てて前屈みにして近付き、おそるおそる俯くカイルの髪を撫でる。振り払われないので、今度はその体を抱き寄せた。
「・・・済まなかった」
 改めて言われると、自分の卑怯さ愚かさが身に沁みて、ゲオルグは腕に益々力を込める。
「お前の、言う通りだな」
「・・・・・・」
 カイルが身動ぎしたので腕の力を少し弱めると、カイルは顔を上げた。その瞳には僅かに涙が滲んでいて、ゲオルグの心がズキンと痛む。
 と同時に、ゲオルグの頬もズキンと痛んだ。
「・・・・・・・・・」
 カイルに頬を思い切り抓られたのだ。何をする、と目で訴えたゲオルグに、カイルはしれっと答えた。
「オレの言う通りだって、ゲオルグ殿が言ったんじゃないですか。もう怒ってないとでも思いました?」
「・・・・・・」
 油断出来ん奴だ、とゲオルグは思う。だが、カイルの切々とした訴えを聞いてしまったゲオルグは、もう腹立たしく思ったりなど出来なかった。
「わかった、気が済むまで抓ってくれて構わん」
「・・・・・・」
 するとカイルは、逆に手を離した。
「それよりは・・・・・・」
 そしてカイルは何か言いたげにゲオルグを見上げ、しかし何も言わない。
「・・・なんだ?」
 ゲオルグが眉をしかめれば、カイルは不満そうに口を僅かに尖らせる。
「何って、オレの気持ちには気付いたんですから、そこも察して下さいよー」
「いや、そう言われてもな・・・」
 わからないものはわからなかった。するとカイルは益々不満そうな顔になる。
「だいたいゲオルグ殿、ムードってものがないですよー。いつもベッドに直行ーだし。いかにも性欲先行ってかんじで、そりゃオレが気付かないのもムリないですよー」
「・・・・・・・・・」
 それには充分自覚があったので、ゲオルグには否定出来ない。
「いや・・・それは・・・」
「それは・・・?」
 カイルは胡乱な目をゲオルグに向けた。言いにくいが、しかし黙り込むという手段に出ることを今日のカイルは許してくれなさそうで、ゲオルグは正直に白状した。
「・・・仕方ないだろう、こんなふうにお前を腕に抱くと、理性がすぐに飛ぶんだ。手順なんて、踏んでる余裕はない、悪いか」
「・・・・・・」
 ゲオルグが開き直って言えば、目を見開いたカイルは一瞬ののち、顔をパーっと赤く染める。
「そ、そんなこと恥ずかしげもなく言わないで下さいよー!」
 聞かされたカイルのほうが恥ずかしそうに、ゲオルグの体をグイグイ押した。
 そんなかわいらしい反応をされて、ゲオルグは期待していた展開にやっとなった気がすると、胸を躍らせる。
 カイルにはムードがないと言われたし、その自覚が自分でもある。だが少しくらいは恋人らしく戯れてみたかったのだ。
「・・・こうしている今も、俺の理性は刻一刻と減っていっているんだが、どうするカイル」
「!!」
 カイルはゲオルグの体を押す力を強めた。
「だ、だったら、離れましょーよ!!」
 だがゲオルグは、勿論カイルを抱く腕に力を込める。
 つい数刻前に抱いたばかりだが、やはり気持ちが通じ合っていると違うだろう。しかもおかげで、いつもよりは余裕がある。
「・・・そうだ、カイル」
「な、なんですかー?」
 また何か変なことを言うんじゃないかと疑ってそうなカイルに、ゲオルグは正直になるついでにずっと前からの願望をやっと口にした。
「キスしていいか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 目を見張ったカイルは、それから僅かに口篭りながら問う。
「そ、それを・・・そ、それは・・・なんで今までしなかったんですか・・・?」
「・・・やはりそういうことは、けじめをつけてからだと思ってな」
 ゲオルグが答えれば、カイルは呆れたような視線を送ってきた。
「いい心掛けな気もしますけど、一体いつケジメつけるつもりだったんですかー? さっきだって、オレが寝てたら気付かないままだったじゃないですかー」
「・・・・・・・・・」
 ゴホン、とゲオルグは咳払いをし、カイルのつっこみを黙殺した。
「で、していのか悪いのか」
「・・・。だいたい、そういうこと聞くところが、ムードないって言ってるんですよー・・・」
 つまり、聞かずにさっさとすればいい、ということらしい。そうゲオルグは判断した。
 ゆっくり顔を近付ければ、カイルは少し困ったように視線を動かし、それから目を閉じる。
 目の前で無防備に晒されているカイルの唇に、ゲオルグは初めて唇で触れた。
 指では何度も触っていて、その柔らかさは知っている。それでも、唇を介した感触はまた格別だった。
 押し付け食むようにし、それから舌で舐める。そして一端離れると、カイルが小さく吐息をもらした。
 引き寄せられるようにもう一度口付け、今度は隙間から舌を差し込む。味わうようにねっとりと舌を這わせながら、ゲオルグの手はいつの間にかカイルの頭を掴み、貪る手伝いをした。
「・・・・・・ん・・・っ」
 深く、深くなる口付けに、カイルが小さく今度は声をもらす。ゲオルグは堪らず、キスは解かないままカイルをうしろへ押し倒した。
 カイルは抵抗する素振りを見せたが、ゲオルグが抑え込み執拗に舌で弄っているうち、その手は弱々しくゲオルグの肩を掴むだけになる。
 しばらくしてようやく離れる頃には、二人の息は完全に上がっていた。
 こんなことならさっさとやっていればよかった、あまりのよさに、ゲオルグはそう思う。
 髪を撫で、再度口付けようとしたゲオルグを、しかしカイルがさえぎった。
「ちょっと・・・待って下さいよー・・・!」
 睨むように言われても、その目つきで逆に煽られるゲオルグだが、無視するとまた性欲先行と責められそうなので動きをとめる。
「どうした?」
「・・・ほら、結局オレ言ってないから、一応言っとこうかと思って・・・」
「・・・?」
 なんのことかわからず続きを待ったゲオルグに、カイルは頬を赤くしながら見上げて言う。
「オレ、ゲオルグ殿のこと、好きです」
「・・・・・・・・・」
 確かにゲオルグはとっくにわかっていたことではあるが、本人の口から聞くのは初めてだった。
 改めて言われると、なんだか非常に、照れくさい。
 ゲオルグは思わずカイルの肩口辺りに顔を落とした。カイルに負けず顔が赤くなっている気が、ゲオルグはする。
「・・・・・・卑怯だぞ」
「はあー? ゲオルグ殿にだけは言われたくないんですけど!」
 呆れたように言うカイルだが、ゲオルグの頭をポンポン叩く手つきは、とても優しい。
「ゲオルグ殿ー、動きとまっちゃったんですけどー?」
「・・・・・・」
「・・・まーいいですけど。オレ、こうしてるだけで今すごい・・・幸せだし」
「・・・・・・・・・」
 カイルは正直に、言葉通り幸せそうに言った。
 ゲオルグは甘党だが、ベタベタしたり甘ったるいムードに浸るのは苦手なほうだ。だが、意外と悪くないかもしれん、と思ってしまった。
 それどころか、気を許せば自分の口から甘い言葉が出ようとする。
「・・・・・・・」
 勿論それでも、やはり慣れず居た堪れない思いも強い。
 やはりこれからもさっさと押し倒して事に及んでしまうに限る、ゲオルグはそう思った。




END

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最初はゲオルグの立場をずっと弱くしようと思ってたんですけど…うん、まあ、あれですね…
惚れた弱み、ってどっちにも言えることだよね!!みたいな!!!(セルフフォロー)