15.愛すべきあなたと



「群島諸国ですかー。あそこは暑いから女の子が薄着なんですよねー」
 エストライズの船着場に向かいながら、カイルが弾むような口調で言った。
「カイル様は群島諸国に行かれたことがあるんですか?」
「いやー、ないけど、ゲオルグ殿情報だよー」
 リオンの問いに答えてから、カイルは引率の先生よろしく最後尾を歩いているゲオルグに近寄っていく。
「ゲオルグ殿ー、てことはその服だったら暑いんじゃないですかー? もっと薄着になったほうがいんじゃないですかー? コートとか外したほうがいんじゃないですかー?」
 キラキラ顔を輝かせて提案してくるカイルに、ゲオルグは呆れた視線を送った。
 カイルの魂胆なら、わかりきっている。
「腕とか出したほうがいいですってー!! なんだったら脱ぐの手伝いますよー!! 脱いだ服はオレが責任持って預かっておきますからー!!」
 つまりカイルは、ゲオルグの服を脱がせたいらしい、肌を見たいらしい。服を預かってどうするのか、に至ってはもう考えたくもなかった。が、おそらく頬擦りしたり匂いを嗅いだりするのだろうと、考えずとも思い付いてしまってゲオルグは深く溜め息をつく。
「・・・だったらお前も、その恰好では暑いだろうと思うが?」
 ゲオルグは矛先をずらそうと、カイルの女王騎士服を指しながら言った。
 するとカイルは何故か、頬を染めてゲオルグの体をつつき始める。
「やだ、ゲオルグ殿ったら、オレの肌が見たいだなんてー! 言ってくれれば私服で来たのに、もー!!」
「・・・・・・・・・」
 そんなこと言っとらん、と返すのも面倒なゲオルグだった。が、カイルは気にせず続ける。
「でも、二人っきりのときなら・・・いくらでも、見ていいんですよー?」
「・・・」
 ゲオルグは無視して歩みを速めた。当然、カイルは遅れずついてくる。
「あ、ゲオルグ殿ー待って下さいよー! 図星で照れてるんですかー? やだなー、オレのほうが照れちゃいますよー!」
「・・・・・・」
 ゲオルグは再度溜め息をつきながら、ずっとこんな調子のカイルの相手をしなければならないのだろうかと、気が重くなった。
 だが、カイルのテンションの高さは、意外と続かなかったのである。


「・・・うぅ・・・う・・・」
 ベッドに横になってカイルは呻いていた。
「死ぬ・・・ゲオルグ殿、オレ死んじゃいますー・・・」
 呻くカイルのテンションはかなり低い。そんなカイルの枕元に椅子を持ってきて座り、ゲオルグは軽く溜め息をついた。
「大袈裟な・・・たかが船酔いだろう」
 カイルだけでなく、王子もリオンもかなり苦しんでいるようだ。しかし、そこまででもないだろう、というのがゲオルグの正直な感想だった。
 三人とも初めて海を体験するそうだが、この船は立派なつくりに見合って相当乗り心地がいい。この程度の揺れで、とどうしても思ってしまった。
 しかもゲオルグは、生まれてこの方船酔いというものをしたことがないのだ。余計に理解出来ない。
 が、ゲオルグがどう思っていようと、本人たちは至って深刻なのだ。
「た、たかがじゃな・・・っうぶ」
 抗議しようとしたカイルは慌てて口を押さえた。
 カイルが言葉を継げなくなるとは確かに相当なのだろう、とゲオルグは思わされる。
「風に当たったらどうだ? あいつらはそのほうがましだと言っていたが」
「・・・・・・いーです・・・」
 有効かどうかは知らないが提案してみたゲオルグに、しかしカイルは小さく首を振った。
「もう鎧とか・・・脱いじゃったし・・・」
「・・・・・・」
 確かに、カイルはベッドに横になるにあたって早々に、額あても上着も鎧も飾りタスキも外している。あまり褒められたことではないかもしれないが、着ていたとことで今のカイルはどっちにしても役に立たなさそうなのも事実だった。だから別にいいだろうとゲオルグは思う。
 王子とリオンには、ゲオルグと同じく船酔い知らずのベルクートとニケアがついている。何かあっても彼らに任せておけばいいし、おかげでゲオルグもカイルにこうして付き添っていることが出来た。
「・・・・・・それにー」
「・・・ん?」
 まだ何かあるのかと、ゲオルグはいつもより弱々しいカイルの声を聞き取ろうと少し顔を寄せた。
「外行ったら・・・ゲオルグ殿にこうやって二人っきりで看病して・・・もらえなくなりますもんー・・・」
「・・・・・・・・・」
 いつもの、軽口なのかもしれない。
 だが、青褪めた顔でか細い声で言われると、そうかそうかとなんだかその気持ちを受け入れてやりたくなるから不思議だった。
「・・・あぁ、ついててやる」
 ゲオルグが頭を撫でてやりながら言うと、カイルは小さく笑う。
「へへー、ゲオルグ殿・・・オレ、頑張りますねー・・・」
「・・・うん?」
 頑張ったところでどうにかなる問題でもないと思ったが、カイルは決意を反映してか瞳をキラリと輝かせながら言った。
「だって・・・アレも同じくらいつらいですよねきっと・・・。だから、今から慣れとくと思って・・・頑張りますよー。ゲオルグ殿との愛の為ですからー・・・」
「・・・・・・・・・・・・は?」
 ゲオルグはカイルが何を言っているのかちっともわからなかった。だが、碌なことを言っていないのだろうと、何故か簡単に予想出来てしまう。
 いつもならだから聞き流すところだが、具合が悪いカイルにその仕打ちは気が進まず、話を促してしまった。
「アレ・・・とは?」
「アレはアレですよー・・・つわりですー」
「あぁ、なるほど・・・・・・・・・!?」
 うんうんと相槌打ちそうになったゲオルグは、しかしギョッとする。
「・・・・・・つわり、と言ったか?」
 カイルはアレに今から慣れておくと言った。そして、つわりとは妊娠した女性特有の症状だ。つまり、アレ=つわり、なわけがないはずなのだが。
「はいー、つらくても苦しくても乗り越えて・・・ゲオルグ殿との愛の結晶を見事産んでみせますからー・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 ゲオルグは返す言葉を失った。だがカイルは構わず続ける。
「そーだ・・・ゲオルグ殿は何人欲しいですかー? オレはやっぱり・・・男と女の子、一人ずつは・・・欲しいなぁー・・・」
「・・・・・・カイル?」
 ゲオルグが控えめに横槍を入れてみたが、やはりカイルは気にせず続けた。
「やっぱり男だったら・・・ゲオルグ殿似がいいですねーきっととってもイイ男に成長しますよー・・・ゲオルグ殿みたいに。あ、でも女の子でも意外とかわいかったりしてー」
 相変わらず顔色は悪く声も弱々しい。それでも、思い浮かべているのか虚空に視線を向けているカイルは、どこかウットリとしたような笑顔を浮かべていた。
「・・・・・・・・・」
 ゲオルグは、どうしたものか、と思う。
 カイルの妄想癖の激しさは今さら驚くべきことではないし、軽口にしてもこんなことはしょっちゅうあった。
 だが、船酔いで気分が悪いときに無理してまで口にするだろうとか、ともゲオルグは思う。
 まさか、カイルが男同士で子が作れると思っているとも考えにくいが・・・。
「・・・・・・・・・」
 そしてゲオルグが選んだ、カイルへの対処は。
「・・・・・・大丈夫か?」
 熱があるか確認するようにカイルの額に手を当て、ゲオルグは真剣に案じた。
 具合が悪いせいで頭の螺子が一つ二つ外れてしまったかと思ったのだ。そんな船酔いの症状は聞いたことがないのだが。
 そして心配そうに眉をひそめたゲオルグに、カイルの顔から笑顔が消え、その表情が一転して重苦しく暗いものになる。
「・・・ゲオルグ殿のバカー。話に乗ってくれてもいいじゃないですかー・・・」
「・・・・・・」
 どうやら、軽口だったらしい。だが気分が悪いときに何故わざわざ、と首を捻りたくなったゲオルグに、カイルが答えを教える。
「どうせつらいなら、嬉しい状況だってことにしてそれがちょっとでも紛れるようにしよーっていうオレの努力を・・・はぁー・・・」
「・・・・・・」
 どうやら、どうせ気持ち悪いならつわりで気持ち悪いことにして妊娠した妻と夫というシチュエーションを楽しもう、と思ったらしい。
 相変わらず変に前向きなカイルに、ゲオルグは感心とも呆れともつかない溜め息をついた。そして、カイルの意図がわかったところで、そんな真似が出来るわけないとも思う。
「・・・・・・わかりましたよぉー」
 するとそれを読み取ったのかカイルが口を尖らせながら言った。
「到着するまでおとなしく寝ときますーはぁーー・・・」
 最後に盛大に溜め息をついてから目を閉じたカイルの口調は、完全にふて腐れている。
「・・・・・・」
 そんなカイルを宥めようにも、しかし休むと言っているのだから起こすわけにもいかず、ゲオルグは早くも寝息を立て始めたカイルをただ見守った。
 顔色は青白く眉も寄り、あまり快適な眠りではないのだろうと予想させる。
 カイルがこうなのだから王子とリオンもかなりつらいのではないかと思ったが、しかしゲオルグはここを離れる気にはならなかった。たとえ無意味であろうと、ついててやりたいと思う。
 だが、カイルが寝てしまったので、何をしようかとゲオルグは悩んだ。手持ち無沙汰でカイルの髪を梳きながら、こんなことならカイルの軽口に付き合ってやればよかったかもしれないと思う。
 ニルバ島に着くまではまだまだ時間がある。
 その長い時間をどう過ごすか、それをカイルに任せてきっていた自分に、ゲオルグは気付いた。


「もー、ひどいですよみんな! オレのこと放って行っちゃうなんてー! 起こしてくれればいいのにー!」
 ニルバ島での用事を全て終え船に戻ってきた一行を待っていたのは、カイルの元気な愚痴だった。
「しかもなんですかーこんな美人のおねーさんを連れて帰ってくるなんて!! 一体何があったんですかーねーねーねー!!!」
「それは、ゲオルグが是非話したいってさ」
 うるさいくらい騒ぎ立てるカイルを、王子は慣れものでゲオルグに押し付けてしまう。途端にカイルは顔を輝かせてゲオルグに駆け寄ってきた。
「そーなんですかー! もーゲオルグ殿ったら、早く言って下さいよー!! さ、さ、あっち行きましょー!!」
 腕を引っ張ってカイルはゲオルグを甲板のほうへと引き摺っていく。ベルナデットなどその光景を目を丸くして見ていたが、カイルは気にした様子はなかった。
 そして、すっかりいつもの調子を取り戻しているカイルに、ゲオルグはなんだかホッとしてしまったのだ。
 促されるまま甲板の端に並んで立つと、カイルはさっそくゲオルグに絡んできた。言葉でも、体でも。
「で、なんでオレのこと置いてっちゃったんですかー? 目が覚めたら誰もいないしー、でも行き違いになったら困るから船離れられないしー。もー寂しかったですよー!」
 言いながら、カイルはゲオルグの左腕に腕を回しべたっと張り付いてきた。
「・・・具合悪そうだったから、起こすのも気が引けてな」
 といいつつ、やはり済まない思いはあって、ゲオルグはカイルを振りほどけない。
 するとカイルは益々調子に乗って、今度はゲオルグの肩に顔を凭れさせてきた。
「もー優しいなぁゲオルグ殿ー! 身重のオレを気遣ってくれたんですねー!?」
「・・・・・・・・・」
 まだそのネタを引っ張るのか、と呆れたが、しかし付き合ってやればよかったと後悔したことを思い出し、ゲオルグは口を開いてみた。
「そうだな・・・俺は一人目は女がいいかな。お前似の」
「・・・・・・・・・」
 カイルは驚いたように目を見開いてゲオルグを見上げる。それから、パーっとその顔を輝かせた。
「はい! じゃあ女の子産みます! 頑張って産み分けてみせますー!! で、二人目はゲオルグ殿似の男の子ですねー!!」
「・・・・・・・・・」
 やっぱり言うんじゃなかったかもしれないと、人目を気にせずはしゃぎだすカイルに、ゲオルグは少し後悔させられた。そして、そんなカイルの様子に、本当に軽口なのかわからなくなりそうになるゲオルグだった、が。
「あ、じゃこれからさっそく種仕込んできますかー!? どうしますー!? オレはいつでも準備万端ですよー!!」
「・・・・・・」
 あぁなんだそれが目的か、とゲオルグは納得した。
「・・・で、今度は気持ち悪くなったりしてないのか?」
「あ、ちょっと、話そらさないで下さいよー!!」
 不満そうに訴えてくるカイルの気をゲオルグはあっさり逸らす。
「やっぱりお前の適応力はすごいな」
「え、そうです!? やだ、褒められたら照れちゃいますー!!」
 途端にカイルは嬉しそうに身をくねらせ始めた。
 益々顔が輝いてくるカイルを見て、ゲオルグはちょろいなと思う反面、しかし感心もする。
 船が出港してもうだいぶ経つ。それなのに、行きとは違ってカイルが船酔いする気配はちっともなかった。適応力がすごいと褒めたのは、何も口からでまかせではなかったのだ。
「もう船酔いはしなそうだな」
「はい! だって、いちいち気持ち悪くなってたら、ゲオルグ殿の足手まといになっちゃいますもんね!」
「・・・もうそんなに乗る機会もないだろう?」
 首を傾げたゲオルグに、カイルは目を見開いて噛み付く。
「何言ってるんですかゲオルグ殿! もしかしてオレをファレナに追いてっちゃうつもりですか!? そうは行きませんよ!! オレはどこまでもゲオルグ殿追っ駆けていきますからね!!」
「・・・・・・」
 どうやらカイルは、ずっと先のことを見据えているらしい。
 さすが前向きな男だ、と思うと同時に、ゲオルグは少し困ってしまう。
 全て終わったあと、ゲオルグはファレナを去るつもりだが、カイルがどうするつもりか聞いたことはなかった。
 だが、予想は容易く出来ていた。カイルはきっと、ゲオルグから離れようとはしない。
 その予想は、実のところは期待だったのかもしれないとゲオルグは思った。
 ハッキリと言葉で聞かされて、嬉しい、と感じてしまったのだから。だからゲオルグは、困ってしまう。
「・・・そうだな、毎度毎度寝込まれたら、俺も退屈だ」
「ダイジョーブですよ、もうなりませんからー。って、ゲオルグ殿、オレが寝てる間つまんなかったんですかー? オレの寝顔見つつ、相手してくれないと寂しいぞこら、とか思ってたんですかー!?」
 勝手に想像してキャーキャー言ってるカイルを、ゲオルグは頭を掴んで引き寄せた。
「あぁ、そうだな」
「・・・!!!」
 まさか肯定されるとは思っていなかったのか、カイルはガバッと体を仰け反らせゲオルグの顔を覗き込み、それからまたガバッとゲオルグに抱き付いた。
「そ、そうなんだったら言って下さいよー! そしてたら起きていくらでも相手したのに!!」
 カイルはルンルンと弾んだ声で嬉しさを言葉に代えて吐き出す。
「あ、じゃあ続き話します!? ゲオルグ殿は何人欲しいですかー? でも、子供出来ちゃうと、二人の時間が減っちゃいますよねー」
「・・・・・・いや、その話をしたいわけではなく」
「だからやっぱり作るのは数年後にしましょうね! あーでも、ゲオルグ殿って意外と子煩悩なタイプだったりしてー! そうだったら、オレ・・・自分の子供に嫉妬しちゃいそうですよーどうしましょー!!」
「・・・・・・」
 カイルはどうやら今この設定で妄想するのに相当ハマっているようだ。ゲオルグが口を挟んでも気にせずツラツラ続ける。もちろんゲオルグにピタッと抱きつく体勢はそのまま。
 そんなカイルを、ゲオルグは体から引き剥がした。突然のことにカイルは言葉を途切れさせる。
 そしてカイルの口から非難や哀願の言葉が出てくる前に、ゲオルグはカイルの肩を再び軽く抱いた。
「カイル、人目もあるし、そろそろ中に入らないか?」
「えっ、なんですかー? 人目があったら出来ないことでもしてくれるんですかー!?」
 期待に瞳を輝かせるカイルの耳元に、ゲオルグは低く囁いてやる。
「して、欲しいのか?」
「!!!」
 カイルは言葉に出来ないようで、真っ赤になった顔をブンブン縦に振ることで返事に代えた。それからまたゲオルグにギュッと抱きついてくる。
「こら、歩けんだろう」
「だってー!! ゲオルグ殿にそんな、ニヤリって微笑みながら囁かれたら、オレもう腰が抜けちゃいますよー!! 責任とって下さいよー!! あ、お姫様抱っことか、それはさすがに恥ずかしいから、しろとかは・・・ねぇー・・・!!」
 益々瞳を輝かせ頬を赤くして見上げてくるカイルに、ゲオルグは小さく溜め息をついた。
「・・・全く、お前という奴は」
 正直、鬱陶しいと思ったことがないと言えば嘘になる。相手をすることが面倒だと思うこともある。
 だがそれ以上に、そんなカイルがゲオルグには、可愛くそして愛しかった。
 責任とって欲しい、とはこっちの言い分だとゲオルグは思う。
 相手してくれないと寂しい、なんて思うようになるだなんて、どうしてくれるんだと。
 だが、カイルはゲオルグから離れるつもりはないらしい。ずっと、どこまでも。
 だったら問題ないか、とも思ってしまうゲオルグだった。




END

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そこは甲板そこは人前。
情けなくないゲオルグ書こうと意気込んだですが、どっちにしてもバカッポーになりました…。