選ぶ道
躊躇いを飲み込んで、ゲオルグは搾り出すように言った。
「・・・お前と、ここで暮らすことは・・・出来ない」
「・・・・・・」
その瞬間、腕の中のカイルがびくりと体を揺らした。そんなカイルをつい力強く抱きしめたくなって、しかしゲオルグはその思いを必死で抑える。
カイルの肩を掴んで、そっと自分から離した。妙に頼りなく映るその顔を真っ直ぐ見つめる。
「カイル、聞いてくれるか?」
「・・・・・・」
カイルもゆっくりとゲオルグと視線を合わせた。その青い瞳が、いつもよりも澄んで見えるのは、ゲオルグの負い目が原因なのだろうか。心に秘めたことがあるゲオルグの、うしろめたさにも似た感情が。
だがゲオルグは、全てを話すつもりだった。自分の置かれている状況、自分の正直な気持ち、全てを。
「カイル、俺はこの森を出て、せねばならんことがある。だから、お前とここに残ることは出来ない」
「・・・・・・オレよりも、大事なことなんですか?」
「・・・どちらが大事とか、そういうものではない。ただ、俺はそうせねばならんのだ」
「・・・・・・・・・」
カイルの瞳が揺れた、ように見えた。いつ泣き出してもおかしくないような碧眼が、しかし気丈にもゲオルグを見つめ続ける。
「俺はある男を追っている。男というよりは・・・家族というべきか」
ゲオルグは感情を込めず、敢えて事務的な口調で語った。何故自分がこの森に来たのか、そしてこれからどうするつもりなのか。
「俺の恩人というべき男が、今窮地に立っている。だから俺は、力を貸したい」
「・・・・・・」
カイルは黙ってゲオルグの話をじっと聞いている。そんなカイルの様子を窺いながらでは、とても冷静に話せそうにないので、ゲオルグは少し視線をずらした。
ゲオルグの恩人、そして親友でもある男、フェリドはこの森の南にあるファレナという国の王だった。だが、その国でクーデターが起き、フェリドは自分の妻と子を連れてこの森に逃げ込んだ。勿論フェリドは再起を狙っているだろう。一先ず逃げ延び、そこで力を集め、国を取り戻すのだ。ゲオルグはそれに力を貸したいと思い、この森に逃げ込んだという情報だけを頼りにここに来た。
「家族を連れてこの森に入ったところまではわかったが・・・カイル、お前は美人なら大抵は案内すると言っていたな」
ゲオルグはカイルが自分の話をどう受け止めているか、敢えて考えず問う。視界の隅で、カイルが小さく頷いたのが見えた。
「奥方は大層な美人だ。お前の目にもきっと敵ったろう。案内したのなら、どの方向に行ったか、教えてもらえると有難い」
もう一度、カイルは小さく頷く。ゲオルグの、カイルの心情を顧みない頼みを、どんな気持ちで承諾したのだろうか。
考えないようにしようと思っても、どうしても考えずにはいられない。こんなことなら最初に全て話して協力してもらっていればよかったと思うが、そんな後悔、今さらだ。
ともかくフェリドの足取りを知る足掛かりは出来たので、ゲオルグがすべきことは、あとは自分の気持ちを伝えるだけになった。
「あいつが国を取り戻すまでに、どれくらいの時間が掛かるかわからん。俺も、どうなるかわからん。だから、いつかここに戻ってくるなどとも言えん。約束など出来ん」
何一つ確実なことは言えなくても、それでもゲオルグはカイルに言いたいことがある。
「カイル、俺は・・・」
「わかってました」
顔を上げて言葉にしようとしたゲオルグを、カイルの静かな声がさえぎった。カイルはいつの間にか顔を伏せている。
「・・・・・・カイル?」
「オレ、わかってました。ゲオルグ殿が、オレを選ばないって」
「カイル・・・」
静かな口調で言って、カイルはゆっくりと、ゲオルグと視線を合わせた。相変わらず、その瞳は泣きだしそうに見える。
それでもカイルは、しっかりとした口調で言った。
「だって、ゲオルグ殿は絶対に、フェリド様を見捨てたりなんかしない。そうでしょ?」
「カイル・・・?」
ゲオルグは抑揚のないカイルの言葉に、違和感を感じる。そしてすぐに、その正体に気付いた。フェリド、その名をさっき自分は一度でも口にしただろうか。
どういうことだ、そう視線で尋ねるゲオルグに、カイルは僅かに微笑んで返した。
「知ってました、オレ。ゲオルグ殿がどうしてこの森に来たのか、どこに行きたいのか、そして何をしたいのか、全部」
「・・・・・・・・・」
思わず目を見張ったゲオルグの背後で、その心情を表すように、木々がざわめいた気がした。
「・・・知っていた・・・・・・?」
「はい・・・。ゲオルグ殿」
呆然とするゲオルグに、カイルは妙に穏やかな表情を、声を向ける。
「今度はオレの話、聞いてくれますか?」
「・・・・・・・・・」
頷くことも首を振ることも出来ないゲオルグに、カイルは語り始めた。
「ゲオルグ殿の言った通り、フェリド様の奥さんはとっても美人で、子供たちも可愛くて、オレは勿論道案内をしました。事情を聞いて、協力しようとも思いました。追っ手がきたら撒いてあげます、って言うと喜んでくれて。ついでに、って頼まれたんです」
そのフェリドの頼みが、ゲオルグにはフェリドの声で聞こえるようだった。
「ゲオルグという男が俺を追ってこの森に来るかもしれん、そうしたら同じように案内してやってくれ、と」
「・・・・・・ならば何故」
未だ動揺したままの心を隠しながら、ゲオルグはどうにか問いを口にする。
「何故、初めにそう言わなかった? 隠したままで・・・俺を試したのか?」
「そうだって・・・騙していたって思われても、仕方ないですよね」
小さく笑って、カイルは顔を伏せた。
いつも感情を素直に表情に表していたカイルが、いつも笑って嬉しそうに尾を振っていたカイルが、今は静かに笑っている。それが諦念からだとしたら、ゲオルグはカイルにそんなふうに思わせて話を終わりたくなかった。
「責めたいわけではない、ただ、理由が知りたい。教えてくれ」
乞うように言えば、カイルはゆっくり口を開く。
「・・・フェリド様は、ゲオルグ殿のこともいろいろ話してくれて・・・なんだか興味が湧いて。それでオレは、お互いにまっさらな状態で会いたいなって、そう思ったんです」
「・・・・・・」
「それで、ゲオルグ殿に会って、オレ・・・」
ずっと澱みなく喋っていたカイルが、しかしそこで言葉を詰まらせた。
何も言えず、ただゲオルグを見つめる。その瞳を見ただけで、カイルが何を言いたいか、ゲオルグはわかってしまった。
カイルの言葉は本心だったのだろう。ゲオルグに、好きだと言った、カイルの言葉は思いは。
「カイル・・・」
ゲオルグは、自分の思い違いに気付いてしまった。カイルの静かな口調は、諦めのせいなどではない。感情を、もらすまいと抑え付けているからだったのだ。一度溢れ出すととまらない、ゲオルグへの思いを。
「ゲオルグ殿がフェリド様たちを助ける為に、ただこの森を通り過ぎるだけだって、わかってました。オレが何を言っても、ゲオルグ殿の決意は変わらないって」
カイルはなんでもないことのように話そうとする。ぎゅっと、こぶしを強く握りしめて。
「でも・・・ただちょっと、言ってみたかったんです。ずっとここにいてくれたらいいなって。そう思っちゃったのは本当で・・・本当にゲオルグ殿が初めてで・・・好きだって、そう思ったの初めてで」
言いながらカイルは小さく笑った。その笑顔は、ゲオルグに痛々しく映る。それでも同時に、そんな気持ちになれたことを喜んでいるように、誇っているようにも見えた。
「わかってました、ゲオルグ殿がここに残るって、そう言うわけないって。そういうゲオルグ殿だから、オレは・・・好きになった。・・・なのに」
ゲオルグが気に病まないようにと、張ったのだろう声が、僅かに震える。
「どこかで、思ってしまってたんです。オレのこと、選んでくれないかなって。あり得ないってわかってて、それでも・・・どこかで、期待してた」
「カイル・・・」
湖面のような青い瞳が、薄い膜を作って揺れる。それでもカイルは、しっかりとゲオルグを見据えた。
「いいんです、わかってる、本当にわかってるんです。だから、ゲオルグ殿が気を遣わなくても、大丈夫です。少しの間、夢が見れた、それでオレは、いいんです。だからゲオルグ殿は、迷わず自分の道を行って下さい」
「・・・カイル、俺は」
自分に必死に言い聞かせているようなカイルの言葉が堪らず、ゲオルグは口を開こうとした。
だがカイルはその隙を与えず、すっと立ち上がる。そして指差した。
「この方向に真っ直ぐ進んだら、そのうち森を出られます」
カイルは繕った平坦な口調で、フェリドたちの居場所を教える。ここで別れようと、そういうことなのだろう。この先も、たまに人と触れ合いながら、一人でこの森で生きていくつもりなのだろう。
「ゲオルグ殿・・・」
カイルが真っ直ぐゲオルグを見つめる。
「オレ、ゲオルグ殿に会えてよかったです」
笑った、カイルの顔は、どこか歪だった。よかった、そう思う気持ちは本当なのだろう。それでも、それだけではない感情が、表情を歪める。
ゲオルグを見下ろして、まるで焼き付けるようにじっと見つめる。その瞳は、言っているのだ。ゲオルグを引き止めてはいけない、ゲオルグはとどまってはくれない、それでも、ゲオルグにここにいて欲しい、と。
その思いを振り切るように、カイルはゲオルグに背を向けた。
「カイル・・・!」
そのまま、すぐにでも森に溶け込んでしまいそうで、ゲオルグは思わず名を呼ぶ。びくり、と揺れたカイルの背から目を逸らさず、立ち上がった。
「カイル、俺の話を聞いてくれと、言っただろう」
ゲオルグはカイルを刺激しないように静かに言う。カイルが逃げようとしても捕まえられるように、そっと距離を詰めた。
すぐ目の前の背中、豊かな金の髪、しなやかな体、その白い肌も、今は力なく垂れ下がっている尾も。全てが、ゲオルグにはただただ愛しく映る。
このまま離れたくない。それが確かな思いだった。これから先、どうなるかわからなくても、それだけは確実なことなのだ。
「俺は、フェリドを助ける。その意思は変わらない。だが・・・」
ゲオルグはカイルに向かって、はっきりと言った。
「俺は、お前も、捨てるつもりはない」
「・・・・・・・・・・・・」
すぐにはなんの反応も返さなかったカイルが、しばらくしてゆっくりと振り返る。
「・・・・・・え・・・?」
そのぼんやりとした表情は、何を言われたか理解出来ていないようだった。
ゲオルグはそんなカイルに、手を差し伸べる。
「カイル、この森を出て、俺と来ないか?」
「・・・・・・・・・っ!?」
カイルははっと目を見開いた。自分に伸ばされたゲオルグの手を、信じられないというふうに見る。期待したくないと、そう言いたげに首を振る。
ゲオルグは重ねて言った。
「カイル、聞き間違いなんかじゃない。俺は確かに言った。俺と一緒に来ないか、と」
「・・・・・・」
「フェリドに力を貸すことは、俺にとって何よりも勝る大事なことだ」
この森に入る前は、フェリドを助ける、それがゲオルグの全てだったのだ。それなのに、そんなゲオルグの心に、カイルは入り込んできた。愛しいその存在は、もう決して、ゲオルグの中から消えないだろう。
「だが・・・お前も同じくらい、大事だ」
「・・・・・・ゲオルグ殿」
未だどこか呆然としているカイルに、ゲオルグはもう一方の手も差し伸べた。腕を開いて、自分の胸を晒す。
「カイル、もう一度言う」
やるべきことがある、だからこの森に残ることは出来ない。いつになるかわからないのに、それまで待ってろなんて言えない。それでも、カイルを諦めることなど出来ないのだ。
だとしたら、ゲオルグのとるべき道は、一つだった。
「俺と、この森を出ないか?」
「・・・・・・」
答えずただゲオルグを見返すカイルに、ゲオルグは腕を開いたままゆっくり歩み寄る。すぐ間近で見つめたカイルの瞳は、相変わらず青く澄んで、美しかった。
その瞳で、微笑み掛けて欲しい。幸せだと、愛しいと、言って欲しい。
これから先も、ずっと、ずっとずっと。
「俺の、側に・・・いて欲しい」
ゲオルグは広げた腕で、カイルを抱きしめようとした。
「・・・・・・だ、ダメです!」
それを、カイルが手で突っぱねて抵抗する。ぶんぶんと頭を振るカイルは、嫌がっているようには見えなかった。ただ怖がっているように、見える。
今までこの森で生きてきたカイルは、これから先もずっとこの森で生きていくと、そう決めていた。だから、ゲオルグがこの森に残ってくれればいいと思っても、ゲオルグとこの森を出るという選択肢など考えもしなかったのだろう。
外の世界に憧れながらも、ここを出なかった一番の理由はきっと、この森を自分の生まれ育った場所として、愛しているからなのだ。
それでもゲオルグは、そんな場所から連れ出してでも、カイルと離れたくなかった。自分勝手な都合でだと充分承知していて、それでも。
「カイル、俺についてきて欲しい」
「・・・でもオレ、足手まといにしかならないし」
「そんなことはない」
「でも、オレがこの森を出たらきっと・・・」
「人を騙す生き方なんて、俺がさせないし・・・お前は、しない」
カイルの前に踏み出すことを躊躇する理由を、ゲオルグは辛抱強く一つ一つ打ち消していく。本当なら無理やりにでも連れ出したかった。だが、それでは意味がない。ゲオルグは、カイルに自分の意思で、選んで欲しかったのだ。
「・・・でも、オレ・・・オレ・・・」
「カイル、俺はお前が、好きだ」
「・・・・・・っ!」
ゲオルグの真っ直ぐな告白に、耐え切れないようにカイルが顔を歪める。ゲオルグを見つめ続ける碧眼から、滴が一筋、流れ落ちた。
「ゲオルグ殿・・・オレ・・・っ」
カイルがゆっくりと、ゲオルグの肩に顔を預ける。まだ少し躊躇いがちなその腕が、しっかりと背に回されるのを待ってから、ゲオルグもカイルを抱き返した。
その瞬間、ゲオルグは改めて思い知る。
この愛しい存在と、離れるなど考えられない。この先、何があろうと。
「・・・・・・カイル」
ゲオルグはカイルの両頬を手で包み、その濡れた瞳に改めて問う。
「俺と一緒に、来て欲しい」
「・・・・・・・・・」
答えようとしたカイルの唇が震えた。それは躊躇いが原因では、もはやないだろう。
また涙を一筋流しながら、カイルが思いをどうにか言葉にする。
「・・・行きます。ゲオルグ殿と、一緒にいられるなら・・・どこにでも行きます」
迷わず言った、カイルの瞳が何よりも、ゲオルグに語り掛ける。
ゲオルグの側にいたい、離れたくない、何よりも、ゲオルグが愛おしい、と。
「カイル・・・」
同じ思いで、ゲオルグはカイルにゆっくりと口付けた。互いの目が閉じられても、そこに映る互いの思いはもう揺るがず、しっかり伝わる。
このときだけはゲオルグも、これから成すべきことも何もかも、カイル以外のいっさいを忘れた。
「・・・・・・しかし、この俺を見事に騙してくれたもんだな」
森の出口に向かってカイルと並んで歩きながら、ゲオルグはつい溜め息まじりに言った。責めるふうではなく、ただ感心しているのだとちゃんと読み取って、カイルも軽い口調で返す。
「ゲオルグ殿、ほんとにちっとも気付いてなかったんですかー?」
「あぁ、疑いすらしなかった」
全く以って不覚だったと、ゲオルグは少々悔しくなった。だが今振り返ってみても、カイルの言動が全てを知った上でのものだったとは、とても思えない。
「本当に・・・すごい特技だな」
ゲオルグは改めてしみじみと思った。すると隣を歩くカイルが、その歩調を少しゆるめる。
「・・・・・・オレ、やっぱり自信なくなります。騙したり・・・そういうことしかオレには出来そうにないんですけど・・・」
不安そうに言うカイルに、ゲオルグも歩く速度を少し落としながら答える。
「そんなことはないだろう。お前はそんなことはせんし・・・」
人を騙したくないから森を出ない、と言っていたカイルがそんなことをするはずがないと、ゲオルグには断言出来た。だが、ゲオルグはこれからのことを考えて、話を変えることにする。
「それに、相手を選べばいい。騙してもいい奴だって、いるからな」
「そうなんですかー?」
驚いたように目を丸くするカイルに、ゲオルグは苦笑しながら教えた。
「お前だって、フェリドの追っ手を撒いただろう? それと同じだ」
「あぁ、なるほどー」
「要は、使い方次第ってことだな。俺が教えてやる。フェリドの力にも大いになるだろう」
「はい! お願いしますー!」
素直に瞳を輝かせるカイルに、ゲオルグは自然と笑みを誘われる。耳もいつものようにぴんと立っていて、やはりカイルはこうでないと、とゲオルグは思った。
「・・・そういえば、フェリドに返さねばならん恩が、また増えたな」
「?」
首を傾げるカイルについなんとなく手を伸ばして、頭を優しく撫でながらゲオルグは教える。
「あいつのおかげで、お前とこうやって巡り合えた」
「・・・じゃあ、オレにとってもフェリド様は恩人になるんですね!」
カイルは大きな発見をしたように笑って、それからゲオルグの腕にそっと、自分の腕を絡めた。
そして凭れ掛ってくるカイルを、ゲオルグは自然に受け止める。幸せそうなカイルの笑顔が、ゲオルグは何よりも嬉しかった。
しばらくはカイルをそのままにして歩いていたゲオルグだが、しかし、不意に気付く。カイルのそんな仕草にすっかり馴染んでしまっていたが、それはここが人の目のない森の中だからこそ出来ることなのだと。
外の世界を知らないカイルは、たぶんそのことを知らないだろう。今のうちに言っておかなければと、ゲオルグは幸せそうに自分に寄り添って歩くカイルに、気の毒に思ってしまいながらも教えた。
「カイル、外に出たら、こんなふうに腕を組んだりあんまり密着したりは、出来んからな」
「・・・え、ダメなんですかー?」
予想通り、カイルは驚いたように丸くした目でゲオルグを見上る。すぐに耳が悲しそうにへたりと倒れてしまいそうで、そうなる前にゲオルグは重ねて言った。
「それから、わかっているとは思うが、耳と尻尾は隠しておいたほうがいい」
「・・・・・・それは・・・わかってますけどー・・・」
もごもごと返事するカイルの、耳がやはりしょんぼりと下を向いてしまう。さっきまでふわふわ揺れたりゲオルグに擦り寄ったり、せわしなく動いていた尾もすっかりおとなしくなってしまった。
その様子が哀れで、ゲオルグは優しい言葉を掛けずにはいられなくなる。やわらかい頭をぽんぽんと叩き、そのまま髪を梳きながら言ってやった。
「・・・二人きりのときは、構わん」
「!!」
するとカイルは顔をぱっと明るくして、再度ゲオルグに腕を絡め、頭を肩に寄せてくる。その拍子に、カイルの耳の毛並みがゲオルグの鼻腔を擽った。
「わかりました。だったら今は、平気ですよねー?」
ゲオルグを見上げる瞳は喜色を湛え、ゲオルグは否とは言えなくなる。元より、言うつもりもない。
振り払わないことで返事に代え、ゲオルグは歩みを再開した。少々歩きにくいが、構わないと思える。
「あ、出口もうすぐですよー」
「そうか。・・・早いな」
進行方向を指して言うカイルに、ゲオルグは少々驚いた。あと最低でも一日は掛かると思っていたのだ。真っ直ぐ抜けたとしても十数日は掛かりそうなこの森に入って、まだ一週間程しか経っていない。
「森を知り尽くしているんだな・・・」
感心すると同時にゲオルグは、そんな場所からカイルを引き剥がすことに対しての罪悪感を僅かに感じた。
思わず、済まん、そう言いそうになったゲオルグに、しかしカイルが何故か同じ言葉を向ける。
「・・・ゲオルグ殿、ごめんなさい」
「・・・・・・何を謝る?」
首を捻ったゲオルグに、カイルは気まずそうに視線を下げて言った。
「・・・少しでも、ゲオルグ殿と長く一緒にいたくて・・・ちょっと遠回りしちゃったんです」
「・・・・・・・・・」
思わぬ告白だったが、カイルが心配しているようにそのことを責めるような気持ちには、ゲオルグはならなかった。自力で森を抜けることを考えれば、少々遠回りしていたとしても、大分早く着いたことになるだろう。
それに、何より。あと少ししか一緒にいられない、それならばその時間をちょっとでも長く。そんなカイルの想いが、ゲオルグには憐れに、そして愛おしく映るのだ。
「・・・・・・構わんさ」
確かにゲオルグは先を急いではいたが、それでも。カイルが作った時間は、自分にとっても必要な時間だったと、ゲオルグは思う。この森でカイルと出会ったことを後悔していないように、無駄な時間だったとは思えなかった。
「・・・・・・出口です」
不意に、カイルがそう言って足をとめる。
「ゲオルグ殿、あと5歩、前に進んで下さい」
「・・・・・・」
つられて足をとめそうになったゲオルグは、言われた通りに足を進めた。丁度五歩目、そこで突如、ゲオルグの視界が開ける。前触れなく、森は終わりを迎えた。
「・・・カイル」
ゲオルグが振り返ると、カイルは立ち止まったまま、自分の足元を見つめている。
「・・・ゲオルグ殿、オレ、ここから先に行ったこと、一度もないんです」
「・・・・・・・・・」
「・・・オレ、ここでこうやって、ゲオルグ殿のこと見送るんだって、そう思ってました」
「カイル・・・」
今のカイルの気持ちは、きっととても複雑だろう。未知の世界に踏み出す恐怖、この森を離れる寂しさ。それでもゲオルグと共に歩める喜びが一番大きいと、そうであって欲しいとゲオルグは思った。
「・・・カイル、行こう」
ゆっくりと、手を差し伸べる。カイルは顔を上げ、そして笑顔で応えた。
「・・・・・・はい・・・!」
迷いのないその瞳は、真っ直ぐゲオルグだけを捉える。カイルは一歩、もう一歩踏み出し、ゲオルグの手を取った。
この森に入るときにはなかったぬくもりが、ゲオルグに触れる。この森に入るときには知らなかった感情が、ゲオルグの胸を満たす。
ゲオルグが愛おしさを抑えられずカイルを抱き寄せると、目の前に広がっている空を映したようなカイルの碧眼が、ゲオルグを見上げ愛しいと言った。
END
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なんだかいくらでも続編書けそうなかんじになりましたが、一応これにて終わりです。
当然のように、国を取り戻す云々の辺りの話は何も考えてないので(笑)