変わらぬ愛を
勤めを終えて自室に戻ろうとしていたザハークは、あと一部屋通り過ぎれば自分の部屋というところで、その通過する予定の部屋へと引き擦り込まれた。
隣の部屋の主が誰か嫌でもよく知っているザハークは、自分の腕を掴む人間、すなわち同僚カイルを冷たく見下ろす。
「・・・離せ」
しかしカイルは、構わずザハークを部屋の中へとどんどん引っ張り込んでいった。
「オレ、ザハーク殿に相談があるんですよー!」
そういうときは普通、相談に乗ってくれませんか?とまず伺うのが筋なはずだ。しかしカイルは明らかに、乗ってもらえるものだと決め付けている。
「・・・・・・」
はぁ、と溜め息をついて、ザハークは抵抗するのを諦めた。そのほうが、結果的には早く終わるのだと、経験上わかっているのだ。
ザハークは促されるままテーブルについた。カイルは紅茶の準備を始め、長くなりそうなのかと、ザハークは内心ゲッソリする。
そんなザハークの前に湯気の立つカップを置いて、カイルは自分は何も持たずベッドに登り、行儀悪く胡坐をかいた。
「・・・・・・で、なんだ」
紅茶に罪はないのでありがたく頂きながら、ザハークはしぶしぶ促す。どうせカイルのことだから、たいそう下らない相談に違いないのだ。これも、経験上わかっていること、である。
「はい、あのですねー、真面目に聞いて下さいよー?」
「前置きはいいから、さっさと話せ」
放っておくとなかなか本題に辿りつかず脱線しまくるので、ザハークは口を挟んだ。いつもなら、それでもカイルの話は無駄だらけなのだが。
「じゃ、ズバリ言いますねー」
めずらしく、カイルは核心を切り出したらしい。ザハークが全く以って想像もしていなかったことを。
「オレ、ゲオルグ殿に口説かれたんですよー」
「・・・・・・・・・ぶほっ」
見事に、ザハークは口に含んでいた紅茶を噴いた。
「わー、汚いなー。自分で始末して下さいよー?」
「・・・・・・」
自分が原因だというのに、カイルは思いっきり迷惑そうな声色で言う。
だがそのことについて文句を言ってもどうにもならないとわかっているので、ザハークは無言でティッシュ箱を引き寄せて口元やらテーブルやらを拭いた。
それから、カイルのセリフを反芻する。紅茶を噴き出すだなんておよそ自分らしくない粗相をすることになってしまった、その原因のセリフを。
「・・・口説かれた、と言ったか? ゲオルグ殿に」
「はい、そうなんですよー」
やはり聞き間違いではなかった。それを確認したザハークの感想は、驚いたというのもあるが、それ以上に。
「・・・ゲオルグ殿も、趣味が悪い」
ザハークは盛大に呆れた。こんなのを口説こうと思うなんて、とザハークの視線は自然とカイルを値踏みする。ザハークは一応、剣士としてのゲオルグに一目置いている。そんなゲオルグが口説く価値があるのか・・・そんなものカイルにはない、それがザハークのわかりきった結論だった。
「ちょっとー、どういう意味ですかそれー!」
「・・・で」
不本意そうに口を尖らせるカイルを、ザハークは当然無視する。
「だからなんだというんだ?」
さっさとカイルの下らない悩みを聞いて適当に返答してさっさと部屋に帰りたいザハークだった。
「あ、はい、それでですねー。オレ、ゲオルグ殿に口説かれちゃってー」
それでどうやって断ろうか悩んでます、ということなら、ザハークは自信を持って返事することが出来る。そのうちゲオルグ殿のほうが愛想尽かすだろうから安心しろ、と。カイルを口説こうと思うなんて、ゲオルグは気の迷いを起こしているとしか、ザハークには思えなかった。
だがカイルの悩みは、残念ながらそうではなかったようだ。
「それで、オレ・・・勿論喜んで!!ってつい答えちゃったんですよー・・・!!」
「・・・・・・」
どうやら、カイルのほうも満更ではないらしい。ザハークは額を押さえてはぁーと溜め息をついた。
「そうか、それは・・・よかったな」
気持ちを入れず、平坦な口調でザハークはおざなりに言う。
ザハークとしては、カイルとゲオルグが恋仲になろうが、そんなこと知ったこっちゃなかった。自分に迷惑が掛からなければ、それでいい。
だが実際、こうして部屋に引き擦り込まれるという迷惑を被っているのだ。ザハークに恋愛相談しよう、とカイルが思うはずもないと思うが。
益々何故自分がこんなところにいるのか見失うザハークに、カイルはハッとしたように言い返した。
「よ、よくはないんですよー! ザハーク殿、忘れてませんっ!?」
カイルは少しザハークのほうに身を乗り出して訴える。
「・・・何を?」
「だ、だって、ゲオルグ殿・・・オレが女だって知らないんですよーっ!?」
嫌々ながらザハークが視線を向けた先で、カイルが叫ぶように言った。
カイルのことを知っている人間が聞いたなら、耳を疑っただろう。誰が女だと?と。
反対に、カイルのことを全く知らない人がこの光景を見たら、それはそれで首を傾げただろう。何故ゲオルグという人間は、知らないのだろうか、カイルはどう見ても女なのに、と。
そう、嘘のような本当の話。女王騎士きっての優男カイルは、実は女だったのだ。
人前では女王騎士の正鎧をしっかり着込んでいるカイルだが、自室にいる今はシンプルなシャツをかぶり細身のパンツを履いている格好だった。平均的な女よりは少々体のつくりがしっかりしているが、それでもやはり肩や腰のラインは充分女性的で、そして何より胸のふくらみは男ではあり得なかった。
ザハークに向かって身を乗り出しているせいで、だらしなく肌蹴たシャツの胸元からより強調された胸の谷間がちらりと覗いている。ザハークだって男である、が、カイルのそんなものを見たところでなんの感慨も覚えなかった。
「・・・そういえば、そうだったな」
カイルの性別なんてどうでもいいザハークは、だからどうしたと、相変わらず冷めた視線をカイルに向ける。
「だから、大問題じゃないですか! ゲオルグ殿はオレが女だって、知らないんですってば!」
「・・・それは聞いた」
繰り返すカイルの言いたいことが、ザハークにはちっともわからなかった。
確かにゲオルグはカイルを男だと思っているようだ。ゲオルグだけでなく、ほとんど全てと言っていいほどの人が、カイルが女だということを知らない。
それは女性らしい体型を完全に隠してしまう女王騎士服と、そして男にしか思えないようなカイルの、たとえば女に目がないといった立ち振る舞いのせいだった。しかも、カイルがわざとそう演技しているのではなく、素直に自分の心に従った行動なのだから、益々誰も疑いはしない。
だからカイルが女だと知っているのは、ザハークのほかにはフェリドやミアキスなどごく少数に限られていた。同じ女王騎士でも、ガレオンやアレニアは知らない。生真面目な二人は、男として振舞うカイルの性別を疑ったりなどしないのだ。それにしても、ガレオンなど八年も共にいるのだから少しは感付いてもよさそうなものだが、それだけカイルの挙動が男として違和感ないということなのだ。
そしてゲオルグは、まだこの国に来て日が浅い。いくら鋭い男でも、気が付かなくても不思議ではないだろう。
「もー、ザハーク殿、もっと親身になって考えて下さいよー。オレの気持ちになって!」
「・・・・・・」
どう考えても無理な注文である。女なのに男として生きているだけで、ザハークには理解不能だ。その上、男から口説かれて、その上で何を悩んでいるのか、なんてザハークにはわからない。というか、わかろうとする気がそもそもないのだから、わかろうはずもなかった。
「・・・貴殿が女で、ゲオルグ殿が男なのだから、むしろ問題はないだろう」
適当なザハークの返答に、カイルは噛み付く。
「どこが問題ないんですか! ザハーク殿、ちゃんと聞いてます? ゲオルグ殿はオレが女だって知らないんですよ!?」
「・・・・・・・・・」
聞いた聞いた何度も聞いた。さっきから何分もそこで話がストップしていて、ザハークはそろそろ苛立ってくる。
「だから、何が問題なのだ。はっきりさせろ」
するとカイルは、その言葉を待っていたと言わんばかりに、またザハークのほうに少し身を乗り出す。
「それがですねー。ザハーク殿、オレって普段完璧に男でしょ?」
「・・・・・・」
ザハークが面倒なので頷くだけで返すと、カイルはピッと人差し指を立てて口元に添えながら、少々声を潜めて言った。
「で、そんなオレを口説こうと思ったってことは・・・オレ、思ったんですよ、もしかしてゲオルグ殿って、そっちの趣味があるんじゃないかって・・・!」
「・・・・・・・・・」
もしそうだとしても、それもまたザハークにとってはどうでもいいことである。やはりカイルの話は、ザハークにとって全く無駄でしかないようだ。そんなこと八年前からわかっていたことだったが。
「で、もしそうだったら、オレが女ってわかったらゲオルグ殿、気を変えちゃうんじゃないかって心配になったんですよねー!」
「・・・・・・」
そんな心配、勝手に一人でやっていてくれ、ザハークは心底そう言いたかった。盛大にもれそうになる溜め息を、すっかり冷たくなった紅茶で飲み込む。
「・・・・・・こういう相談なら、私よりもミアキス殿のほうが向いているのではないか?」
恋愛相談を自分にして一体何が解決すると期待しているのか、ザハークにはちっともわからなかった。
しかしカイルは、ザハークの気も知らずぷるぷると首を振る。
「そういうわけにもいかないんですよー。ザハーク殿じゃなきゃ。さすがにフェリド様にこんなことさせるわけにはいかないし」
「・・・・・・」
その、こんなこと、とやらをザハークにはさせていいと、どうやらカイルは思っているようだ。全く以って腹の立つ。ザハークの眉間の皺は深くなる一方だった。
「で、ザハーク殿には是非ですね、ゲオルグ殿を誘惑して欲しいんですよー」
「・・・・・・・・・うぐっ」
今度は噴き出さずにすんだ。だがその代わり、気管に詰まらせてしまい、激しく咳き込む。勿論カイルは、そんなザハークの心配などしてくれず、話をどんどん進める。
「それでもし乗ってきたら、やっぱりゲオルグ殿はそっちの趣味があるんだーってわかるじゃないですか。反対に乗ってこなかったら、普段は普通にノーマルだけど、オレの魅力にうっかり引っ掛かっちゃったのかな、って。まぁ、単にザハーク殿が全然好みじゃなかった、って可能性もありますけどー」
「・・・・・・・・・カイル殿」
あまりにも好き勝手なカイルに、さすがのザハークももう黙っていられなかった。
「私にそんなことをする義理があると思うか?」
ないだろう、一ポッチたりとも、ないだろう。苦虫を噛み潰したような顔で問うザハークに、カイルは、驚いた!という表情で返した。
「えー、協力してくれないんですかー!? なんでですかー、ひどいですよザハーク殿! ケチー、冷たーい、デコっぱちー!!」
「・・・・・・・・・」
明らかに関係ない悪口が含まれていたがそこは無視することにして。
「そういう話なら、私は失礼する」
最初っからそうしておけばよかったと思いながら、ザハークは席を立とうとした。
「あ、ちょっと、待って下さいよー!」
そのザハークの腕を慌てて掴んで、カイルは引きとめようとする。
「ねー、他に頼める人いないんですよー! 協力して下さいよー!!」
「断る。別の手を考えろ」
「だったらそれ考えて下さいよー!」
「だから、それも他を当たれ」
ぐいぐいと腕を引っ張るカイルだが、男と一応女、やはり力の差は歴然で、ザハークはカイルを引き摺るようにして少しずつドアのほうへ向かう。
そのザハークの目指す脱出口、ドアが、不意にノックされた。
思わず二人とも動きをピタッととめて、ドアの向こうの人物の次の行動を待つ。
「・・・カイル、いるか?」
ゲオルグの声だった。カイルの顔がちょっと明るくなって、呑気にドアに向かってハァーイ!と答えようとする。ザハークはつい思い切り、その軽そうな頭をはたいた。
「ちょっと、何するんですかーっ?」
「貴殿は馬鹿か」
ザハークはズバリ言って、カイルの顔から下に視線を落とした。カイルはつられて、自分の体を見下ろす。そして軽装で女の体つきだとひと目でわかる自分の格好に、やっとハッとしたように目を見開いた。
「や、やばいじゃないですか!!」
カイルが焦って無駄に室内をきょろきょろと見渡す間にも、ゲオルグのノックは続き、そして。
「カイル、いないのか? 入るぞ?」
ゲオルグは勝手に判断して、ドアを開けてしまう。
その瞬間のカイルの動きは、とても素早くて、思わずザハークが感心してしまうほどだった。一直線にベッドにダイブしてシーツをかぶり、頭だけをピョコンと覗かせる。
それと同時にゲオルグが室内に足を踏み入れた。
「カイル・・・・・・ザハーク殿・・・?」
ゲオルグはすぐにザハークに気付いて、訝しそうに眉をしかめる。普段仲良さそうに見えないカイルとザハークが、プライベートで一緒にいるのだから、当然の反応だろう。
だが、実は仲良しだなどと思われたら堪らないので、ザハークはカイルの相手はゲオルグに任せてさっさと退出しようとした。しかし。
ゲオルグはカイルとザハークを交互に見比べ、そして、ザハークに何故か険しい視線を向けてきた。
その理由に、ザハークは一瞬遅れで、嫌々ながら感付いてしまう。
カイルはベッドの上に座り、体にシーツを巻き付けている。つまりゲオルグは、そういう方面に疑ってしまったのだろう。
普段はどこか泰然としているゲオルグが、こんな剣呑な目つきをするなんて、とザハークは少し驚く。ゲオルグはどうやら本気でカイルに気があるようだ。蓼食う虫も好きずき、という言葉が脳裏をかすめ、感心すらしてしまうザハークだった。
が、そんなふうに誤解されるなど甚だ不本意だと、ザハークは一瞬遅れで気付く。
「カイル殿、これを期に話したらどうだ」
本当は女なのだと、話すも話さないもどっちでもいいザハークだが、カイルがベッドでシーツにくるまっている理由を、誤解されるのだけは堪らない。
カイルもゲオルグの険しい表情を見てまずい状況にあると気付いて、困ったように眉を下げた。
「ええっとー」
「・・・カイル、どういうことだ?」
「え、ええっとー・・・」
ゲオルグの鋭い視線に耐えかねたのか、カイルは縋るような視線をザハークに向ける。
「ザハーク殿、なんか言い訳して下さいよー!」
「・・・・・・」
どうやらここで本当のことを話すには、心の準備が足りないらしい。しかし、言い訳などと言ったら、ますます怪しまれてしまうではないか。ザハークは舌打ちしたくなる。この二人の痴話喧嘩なんかに巻き込まれるなど、全力で御免だ。
「・・・では、私はこれで」
ザハークは淡々とそう言って、ドアに向かった。
「あ、ちょっと、ザハーク殿待って下さいよー! 薄情者ー!!」
などとカイルの言葉が背に掛けられたが、ザハークは当然無視する。薄いどころか、こんな場でカイルに掛ける情などこれっぽちも持ち合わせていないのだ。
「失礼する」
やっとのことで、ザハークはカイルの部屋からの脱出に成功する。ほっと息を吐きながら、ザハークは清々しい気分で自室に戻っていった。
薄情にも部屋を出て行こうとするザハークを、カイルはついつい縋るように目で追った。しかし、扉はアッサリと閉まり、部屋にカイルとゲオルグの二人きりになってしまう。
カイルは自分に向けられる鋭い視線に、おそるおそる目を向けてみた。どういうことだ、ゲオルグは目だけでそう聞いてくる。
「あ、あのー・・・」
カイルは何か言わなければと、口を開いた。ゲオルグに変な誤解をされるのは嫌だ。しかも相手がザハークだなんて、冗談じゃない。
「・・・・・・・・・」
が、カイルの口から、言葉が出る気配はなかった。口を無意味にパクパクさせ、視線をふらふら彷徨わせる。ゲオルグとずっと目を合わせているのも怖いが、その視線を無視し続ける勇気もないのだ。
たぶんゲオルグは、本気でザハークと何かがあったと疑っているわけではないと、カイルは思う。カイルが基本的には男にこれっぽっちも興味がないとゲオルグはわかっているだろうし、それ以前によりによってザハークを選ぶはずもないと、考えてくれているはずだ。
もしかして本当にザハークとのことを疑って嫉妬しているのなら・・・それはそれでちょっと嬉しい気もするが。しかし、ゲオルグはただ、カイルのあからさまに怪しい態度に何か隠し事があるのだろうと感付いて、それを話せと言っているのだろう。
カイルだって、話したい。いつかは告げなければならないことだし、カイルとしても早く知って欲しい。今は、そのまたとないチャンスだ。
今しかない、今バラしてしまおう。
そう思えば思うほど、カイルの口は、しかし反対にどんどん重くなっていった。どうしても踏み出すことが出来ない。
自分が実は女だと知ったらゲオルグはどう反応するのだろう、カイルは今まで何度も想像してみたことをまた改めて考えてみた。
ゲオルグのことだから、少しは驚くだろうが、そうだったのか、その一言で片付けてくれる気がする。その可能性が一番高いだろう。ゲオルグは細かいことにはこだわらない性質だ。性別が果たして些細なことかどうかは措いといて。
だから大船に乗ったつもりで話してしまえばいい、カイルもそう思っているのだ。ただ、一割くらい、不安があって。それがカイルに、告げることを躊躇わせる。
もしかしたら、女は駄目だ、と言われるかもしれない。カイルが見た限りではゲオルグはノーマルだが、それでも可能性が全くないとは、言い切れない。その少しだけの可能性が、カイルは怖かったのだ。
男だと思って好きになったカイルが、実は女だったと知っても、そのまま同じ思いでいてくれるだろうか。無理だ、そう言われるかもしれないと想像しただけで、カイルは身が竦み上がる思いだった。
あぁ自分って本当にゲオルグ殿のことが好きなんだなー、と思い知る瞬間でもあるが、そんなことをこの場で実感していても仕方ないだろう。
「あ、あのですねー・・・」
オレ、実は女なんですよー! 長さにして5秒も掛からない、そのフレーズを言いさえすればいいのだ。カイルは何度も自分に言い聞かせるが、それでもしつこく踏ん切りがつかなかった。
「・・・・・・カイル」
そんなカイルに痺れを切らしたのだろう、ゲオルグが動く。ゆっくりと歩み寄ってくるので、カイルはついついベッドの上を後退した。
ゲオルグがベッドに足を掛けるのと同時に、背が壁にぶつかって、カイルはまさしく蛇に睨まれた蛙の心境になる。
「・・・カイル、何を隠している?」
ゲオルグは穏やかな口調でカイルに問い掛けた。その穏やかさが、逆に怖い。
「あ・・・のー・・・」
いつもの癖で笑ってごまかしたくなるが、強張った頬では歪な笑いにしかならなかった。カイルの視線はゲオルグから逃れるように俯き、身も自然と縮こまる。
すぐ近くの威圧感すら感じられるゲオルグの気配が、しかし、不意に薄れた。
「・・・・・・?」
カイルが思わず視線を上げると、ゲオルグがベッドから降りるところだった。
「・・・何も、無理に聞き出したいわけじゃない」
ゲオルグは溜め息まじりにそう言って、くるりとカイルに背を向ける。そしてそのまま、そのうしろ姿は扉のほうへと踏み出す。
「・・・・・・ま、待って下さい・・・!」
カイルはとっさに声を張り上げた。
呆れられたり、秘密を打ち明けられるほどは信用していないと思っているとか誤解されるのは、嫌だった。
「話します・・・話しますから!」
「・・・・・・」
歩みをとめ振り返ったゲオルグは、突然気を変えたカイルを量るように見つめる。カイルも頑張って、ゲオルグと視線を合わせた。そうしているとどんどん怯みそうになるが、耐える。
「・・・・・・深刻な話なのか?」
今の真顔、そしてさっきの言い渋る様子から、ゲオルグはそう感じ取ったのだろう。
「・・・というか・・・オレたちの今後に関わることというか・・・」
「・・・・・・そうか」
それきり、ゲオルグは口を閉ざした。ただカイルをじっと見つめる。カイルが話し始めるのを待っているのだろう。
ついにこのときが来たと、カイルの心臓はバクバク言いだす。それをどうにか宥めながら、カイルは一体どうやってバラそうかと、今さらながら考えた。
言葉で聞いたところで、俄かには信じられないだろう。やはり一番は、実際に見せることだと思うのだが。カイルはそれはなんだか恥ずかしくて嫌だった。ゲオルグにじっと見つめられたまま、この体を包むシーツを剥げる自信など、全くない。
となると・・・カイルはどうにか一つの方法を選び出した。
「・・・ゲオルグ殿、うしろ向いてもらっていいですかー?」
「・・・・・・?」
ゲオルグは怪訝そうに眉を寄せたが、しかしカイルが真剣に言っているとわかって、背を向けてくれる。
ごくり、とカイルは唾を飲み込もうとして、口の中がカラカラに渇いていることに気付いた。心臓も相変わらずうるさい。
それでもカイルは覚悟を決めて、シーツを体から落とした。ゆっくりベッドを降りて、ゲオルグのうしろ頭を見上げる。
いつもよりも高いところに見えるのは、普段は底上げしたブーツを履いて身長を高くしているからだ。
そのブーツを脱いだカイルの背は、ゲオルグの鼻先辺りまでしかない。女王騎士服を脱いだ今、体のラインもシャツ一枚ではごまかせず女性らしく、ゲオルグの男らしいがっしりとした体つきとは比べるべくもない。
そのことを目の当たりにして、カイルは悔しいような、でもちょっと嬉しいような、複雑な思いを覚えた。
「・・・カイル、まだか?」
「あっ、はい!」
結構待たされているゲオルグに問われ、今はそんなことどうでもいいと、カイルは思考を打ち切る。
「・・・じゃあ、いきます」
ゲオルグの真後ろに立ったカイルは、一つ深呼吸をしてから、えいっと、ゲオルグの背中に体を押し付けた。
カイルが考えたバラす方法、それは、男にはあり得ない胸のふくらみを、触ってもらうことだった。とはいえ、正面から、しかも手で触ってもらうのには、まだちょっと度胸が足りない。
だから、背中に押し付けることにしたのだ。ゲオルグが女王騎士服をしっかり着込んでいたら使えない手だが、幸いゲオルグは部屋着に着替えている。
そのゲオルグの背に、巨乳とまではいかないがまずまずの大きさの胸を、むにょっと押し当てたというわけだった。
そしてそのまま、カイルは腕を前に回してぎゅっと抱き付く。すると腕の中のゲオルグが、カチン、と固まった気がした。カイルを背中に貼り付けたまま、ゲオルグはゆうに数分は硬直していただろうか。
しばらくはおとなしくしていたカイルも、せっかく覚悟を決めたことだし、さっさとなんらかの反応が欲しくなる。
「・・・・・・ゲオルグ殿ー?」
カイルは遠慮がちに問い掛けてみた。
それからの、ゲオルグの行動は、素早かった。
まずカイルの腕を掴んで自分から引き剥がす。それから左手でカイルの右腕を引っ張り、自らの正面に引き摺り出した。
「わっ」
突然のことに、カイルは驚いて、状況についていくのがちょっと遅れてしまう。
気付けばカイルは、いつのまにか両腕をゲオルグの手でそれぞれ掴まれ、正面から見つめられていた。そしてゲオルグの視線は、主に、カイルの胸元に注がれている。
シャツ一枚に包まれた自分の乳房を、ゲオルグにじーっと眺められ、カイルはなんだか恥ずかしくなってきた。
「・・・・・・そんなに見ないで下さいよー」
だから小さな声で抗議してみたのだが、ゲオルグの信じられないものを見る視線は、ちっとも逸れる気配はない。突如知らされた衝撃の事実に、思い遣る余裕がないのだろう、カイルの両腕を掴んだ手にはぎゅっと力が入り、痛いくらいだった。
「・・・あ、あのー・・・手がちょっと痛いんですけどー・・・」
再び控えめに言ったカイルの言葉は、今度はちゃんとゲオルグに届いたようだ。
「・・・・・・あ、あぁ、済まん」
ゆっくりとカイルの手を解放し、ゲオルグは視線をふらふらと、カイルの体を上から下まで動かす。その顔に浮かんでいるのは、単純な驚きと困惑だ。
「・・・・・・カイル、お前・・・」
少々掠れた声で、完全にはそうなんだと認識出来ずにいるゲオルグは、本人に確認する。
「お前、まさか・・・」
「・・・・・・はい、オレ、実は女なんですー・・・」
カイルはようやく、言葉でその事実を告げた。
目を見開いて、ゲオルグはそれを受け止める。そして何を思ったか、まだ固まったままの表情からは読み取れない。
カイルにどんどん不安が湧き上がってきて、視線がつい下を向く。
「・・・あの、今まで黙っててすみません」
小さな声で詫びながら、カイルは何度目になるか、どうして自分は女に生まれてしまったんだろうと思った。もし男に生まれていたら、なんの問題もなく、ゲオルグの気持ちを受け入れられたのに、と。
それとも、元々男に生まれていたら、ゲオルグのことを好きにならなかっただろうか。どちらにしても、カイルはこんなことでゲオルグと駄目になってしまうなんて、絶対に嫌だった。
それでも、その鍵を握るのはゲオルグで、カイルではない。ゲオルグの答えを、カイルはおとなしく待っていた。
「・・・・・・・・・?」
が、何故かゲオルグは、一向に反応を返してくれない。このまま生殺しのような状態でいるのもつらくて、カイルはそーっと視線を上げてみた。
ゲオルグは、顎に手をあて、なにやら興味深そうにカイルを観察している、ように見える。いろんなパターンを想像したが、こんな反応をされるとは思いもしていなかったので、カイルは困惑してしまった。
「・・・・・・あのー、何してるんですかー?」
尋ねてみると、やっとゲオルグはカイルの困惑に気付いてくれたようで、教えてくれる。
「あぁ、そういえばいつもよりも背が低いと思ってな。それに、体つきも、全体的に小さくないか?」
「・・・はぁ・・・いつもは厚底ブーツ履いてるし、女王騎士服って造りがしっかりしてるから・・・」
ついゲオルグの質問に答えながら、カイルは内心、そんなこと?と首を捻る。
「そうか、なるほどな。しかしそれにしても、普段は見事に男になりきっているんだな。俺も疑いすらしなかったぞ」
「・・・・・・」
やはりゲオルグは、カイルが女だということに、これっぽっちも気付いていなかったらしい。なんて確認は、今のカイルにはどうでもいいことで。
そのずっと男だと思っていたカイルが、実は女だと知ってそれでどう思ったか、カイルはそれが知りたいのだ。
「・・・あ、あの、ゲオルグ殿、それで・・・どうなんですか?」
知りたいが、しかしずばり聞く勇気もなくて、カイルは遠回しに窺う。
「どう・・・とは?」
「だ、だから・・・オレが女だって知って・・・それで・・・」
それでも、まだオレのこと好きですか? そう聞きたいカイルは、やっぱり答えを聞くのが怖くて、はっきりとした問いに出来ない。
そんなカイルに、ゲオルグは少し思案したのち、口を開く。
「・・・もしかして、お前が女だと知って、俺が気を変えるかと心配しているのか?」
「そっ、それは・・・」
確かにそれを心配をした。だがそれを肯定するのは、ちょっと恥ずかしいし、気持ちを疑われたとゲオルグに思わせるのも嫌で、はっきりと答えを返せない。
目を伏せているカイルの、頬に不意に、ゲオルグが手を伸ばしてきた。ゆっくりと撫でられ、カイルはつい視線を上げる。
ゲオルグは、少し細めた目でカイルを見つめ、優しく微笑んでいた。
「もしそうなら、案ずるな。俺の気は変わらん」
「・・・・・・・・・ほ、ほんとですか・・・?」
カイルは思わず、心配していたことを隠したい思いを忘れて、そう問い掛けていた。ゲオルグは、しっかりと頷いて返す。
「男なのにこれから女になろうと思ってるとか言い出したら、俺も困るがな。確かに俺はお前を男だと思っていたが、俺が好きになったお前は女だったんだろう? ならば何も問題はない」
「ゲオルグ殿・・・」
やはりゲオルグは、大きい男だったようだ。カイルが実は女であったということは、つまり女に生まれたからこそ、ゲオルグが好きになった今のカイルがある。だからゲオルグは、カイルが女であることを、驚きはしたがそれでも自然に受け止められたのだろう。
カイルはほっとすると同時に、ゲオルグなら受け入れれてくれると信じきれなかった自分を恥じた。
「・・・・・・すいません」
ほんの僅かでも疑ってしまって、すみません。カイルは自分の小ささを思い知らされたようで、再び顔を俯けた。
そんなカイルが、なかなか打ち明けなかったことを詫びていると、ゲオルグは思ったのだろう。
「いや、言いづらく思うのも当然だろう。事が事だしな。それに・・・」
ゲオルグはカイルの両頬を手の平で包み込み、顔を上げさせながら、少し口調を軽くして言った。
「ザハーク殿と実はできてました、などと言われるよりも、よっぽどましだ」
「・・・そ、それはあり得ないですってー!」
カイルは思わず言い返してから、ゲオルグの軽口がカイルの気を軽くするためのものなのだろうと気付く。
ゲオルグはなんて優しくて男らしくて格好いいのだろう。カイルは羨ましく思う余地もなく、ただそんなゲオルグに選んでもらえた自分を誇らしく思った。
そして湧き上がる感情を、カイルはつい、そのまま言葉にする。
「・・・オレ、ゲオルグ殿が好きです。大好きです」
「・・・・・・・・・」
ゲオルグは少し虚を衝かれたような顔をし、それから、思わずといったように、カイルの口を塞いだ。
「っん・・・!」
突然のことにちょっと驚いたカイルだが、すぐにそれを喜びと共に受け入れる。カイルが応え始めると、ゲオルグはキスを続けながら、カイルの体をそっと抱きしめた。おそらく思い描いていたのとは違っただろうカイルの体を、腕に馴染ませるように。
実は女だということを、ゲオルグは迷わず受け入れてくれた。これでもうなんの問題もなく、ゲオルグの気持ちを受け止め、ゲオルグに想いを向ければいいのだ。カイルは嬉しさで自然と顔を綻ばせながら、ゲオルグに腕を回し返そうとした。
が、ハッと、そういえばまだゲオルグに確認しておかなければならないことがあると、思い出す。
「・・・あ、あの」
カイルは唇をゲオルグから一旦逃がして、躊躇いがちに言った。
「オレはこれからも男として・・・というかつまり、今まで通り生きてくつもりなんですけど・・・」
カイルが女と知ったゲオルグは、これからはカイルに女らしさを求めるかもしれない。だがそれは無理だと、ちゃんとわかっていて欲しかった。
「それでもいいですかー・・・?」
それはちょっと・・・と言われたらどうしよう、カイルはさっき反省したばっかりなのにやっぱり不安になる。
そんなカイルに、ゲオルグは優しく微笑み掛けた。
「構わん」
やはりゲオルグの返答は、迷いない。
そして再び口付けられ、カイルは今度こそ安心しきって、ゲオルグの背に腕を回した。
END
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なんだか紳士的?なかんじのゲオルグですが、別にそんなこともないんですよ。
な続編(エロネタ)を書ければいいなぁと思っております。
それから、後半部分、ゲオルグ視点にするかカイル視点にするか悩んで、結局カイル視点にしたわけですが。
ゲオルグ視点のほうも途中まで書いてるので、そのうちこっそりのっけられたらな、とかも思っております。