予感



 女王宮の中庭は、日当たりがよく風もそよそよと穏やかに吹き、昼時などは昼寝するのに絶好の場所になります。
 カイルも、大きな木の根元に座って幹に背を預け、すやすやと眠っていました。
 とはいえカイルは、寝る為にここにやって来たわけではありません。待ち人がいるのです。
 そろそろ昼ごはんを食べる時間になって、カイルはまずは女王騎士の詰め所に向かいました。ガレオンが勤務に余裕があるなら、一緒に食べようと思ったのです。
 そしてガレオンは、あと三十分くらいしたら時間が取れるから、それでもよければ待っているように言いました。
 カイルは勿論、待ってます!と答え、じゃまになるといけないので詰め所を出てここでこうして待っているうちに、つい眠ってしまったのです。
 そんなわけで規則正しい寝息を立てているカイルに、不意に近付く人影。どうやらガレオンのものではないその人物が、カイルのすぐ側までやってきた、そのときでした。
「・・・・・・にゃ・・・っ!!!」
 心地よい夢の中にいたはずのカイルは、何か衝撃を感じて、無理やり夢から引き摺り出されてしまいました。
 そんなカイルのふさふさの尻尾に、襲い掛かる激痛。
「にゃ、にゃ・・・ん・・・・・・」
 重しをこれでもかと乗っけられたように、ずきずきとするその場所に、感じていた圧力はすぐに消えました。ですが、痛みはちっとも取れません。
 突っ伏して身悶えるカイルの、背を誰かが優しく撫でました。
「・・・済まん、大丈夫か?」
「・・・・・・ん・・・にゃ・・・」
 案ずるような声に、返事を返す余裕もまだカイルにはありません。しばらくカイルは痛みが治まるのをただひたすら待っていました。
「・・・・・・・・・・にゃあー・・・」
 それからどれくらい経ったでしょうか、ようやく尻尾の痛みが我慢出来るくらいまでになります。カイルはようやく体を起こしました。
 そして、痛みで涙が滲んでいた目を拭いながら見上げたすぐ先にいたのは、ガレオンと同じ女王騎士のゲオルグです。カイルを心配そうに覗き込んでいます。
「・・・にゃ・・・・・・?」
 どうしてゲオルグがこんなに近くにいるのか、状況がまったくわかっていないカイルは首を傾げました。一方ゲオルグは、カイルの尻尾に目を落としながら、申し訳なさそうに言います。
「済まん、下に注意を払っていなかったから、気付かなかった」
「・・・・・・」
 カイルはゲオルグの視線を追っかけるように自分の尻尾を見ました。カイルの乳白色の綺麗な毛並みは、まだ痺れるような痛みが残っている部分だけ、薄汚れてしまっています。
「・・・俺が踏んだんだ」
 まだいまいちわかっていなさそうなカイルに、ゲオルグが端的に言いました。おかげでカイルにも、ようやく痛みの原因がわかります。
 カイルに近寄ってきたゲオルグは、足元にカイルの尻尾が伸びていることに気付かず、思い切り踏んづけてしまったのでしょう。
 ゲオルグはとても立派な体型をしているし、ブーツも履いています。そんなゲオルグに遠慮なく踏まれたのですから、どうりで痛いはずです。
「・・・・・・にゃ、にゃー・・・」
 ゲオルグの足元を見て、カイルはそこで踏んづけられたのかと、ついそのときの痛みがよみがえるようでぶるっと身震いしました。
「・・・本当に、済まなかった」
 そんなカイルの様子を見て、ゲオルグが険しい表情で言います。そのつもりはなかったのに傷付けてしまったことを、心底悔いているのでしょう。
 カイルはそれに気付いて、慌てて首を振りました。
「平気です、もうあんまり痛くないから、大丈夫ですー」
 確かに涙が出るほど痛かったのですが、ゲオルグはわざと踏んだわけではないので、恨む気持ちにはなりませんでした。
「ほら、もう動かせますー」
 だからカイルは、まだ心配そうなゲオルグに、尻尾を振ってみせました。まだしつこくズキズキしているのですが、我慢します。
 するとゲオルグは、やっとほっとしたように、小さく息を吐きました。
「そうか、よかった」
 それから、カイルのほうへ乗り出していた体を、少し引いてそこに腰を下ろします。
「言い訳ではないが・・・尾があるかもしれんと思いながら歩いていなかったからな」
「にゃ、仕方ないですー」
 普通の人間には尻尾なんてないから、ゲオルグが見落としても当然だとカイルは思いました。しかもゲオルグは、とっても心配してくれて、カイルの背を優しく撫でてもくれました。
 カイルはゲオルグと、最初に紹介されたとき以外、個人的に会話したことはほとんどありません。ゲオルグは一見ちょっと怖そうに見えて、カイルには近寄りがたく思えたのです。でも、本当は優しくていい人なんだなぁと、カイルは思い直しました。
 それとほぼ同時に。ゲオルグが、少し目を細めてカイルに笑い掛けたのです。
「そう言ってもらえると有難いが・・・。次からはちゃんと足元にも気を付けんとな」
「・・・・・・・・・にゃ・・・・・・」
 何故でしょうか。ゲオルグの自分に向けられる微笑みを見た瞬間、カイルの胸がきゅっと締め付けられたような気がしました。どくどく、という自分の心臓の音が、いつもよりも大きく聞こえる気がします。
 そんなカイルには気付かず、ゲオルグは再びカイルの尻尾に視線を落としました。
「しかし、意外にしっかりとしているんだな。簡単に折れたりしそうに見えるが・・・本当に大丈夫か?」
「・・・にゃ、大丈夫ですー」
 カイルはちょっといつもと違う自分に戸惑いながらも、ゲオルグの不安を払拭する為にもう一度尻尾をぶんぶんと振って見せました。どうしてか、さっきまで感じていた痛みも、もう気になりません。
 ゲオルグはその尻尾の動きを目で追いかけ、それから控えめにカイルに尋ねました。
「・・・少し、触ってもいいか?」
「・・・にゃ・・・・・・」
 動物と同じように敏感な場所で、しかもさっき踏まれたばかりだから人に触られたくないだろうかと、ゲオルグはそう考えたのでしょう。
 確かにカイルは、相手によっては触られるのが嫌いです。子供や亜人嫌いの貴族などは、好奇心や嫌がらせでたまにカイルの尻尾をぎゅっと遠慮なく握ったり引っ張ったりします。カイルはそれが大嫌いでした。
 でも、好きな人が相手なら、話は別です。カイルはガレオンに耳や尻尾を触られるのが大好きでした。
 そして、ゲオルグに触られるのも、嫌じゃないと、カイルはそう思います。
「・・・にゃ、いいです」
 だからカイルはこくりと頷きながら答えました。許可を得られたゲオルグは、さっそく手を伸ばしてきます。
「・・・・・・にゃ!」
 しかし、なんとなく身構えながら待っていたカイルは、ゲオルグの指が触れた瞬間、つい弾かれたように尻尾を逃がしてしまいました。
「・・・痛かったか?」
 その反応に、ゲオルグが不思議そうに不安そうに眉を寄せます。カイルは慌てて首を横に振りました。
「にゃ、痛くないです!」
 本当に、痛かったわけではないのです。ただ、ゲオルグに触られたそのとき、ビリッと何か電流のようなものが走ったような感覚があったのです。しかもそれは、嫌な感覚ではありませんでした。
 カイルには何がなんだかわかりません。ただ、ゲオルグに触られるのを嫌がっていると勘違いされたら嫌なので、カイルは尻尾を掴んでゲオルグのほうに差し出しました。
「平気です、どうぞー!」
「・・・・・・」
 ゲオルグはカイルの言葉に嘘がないと読み取ってから、さっきよりもゆっくりと手を伸ばしてきます。
 そして、まずは先っぽの毛並みを撫でました。次に、自分が踏んづけて付けてしまった汚れを、カイルが痛がらないか確かめながら、慎重に払っていきます。
 その動きに、ゲオルグの心配とは反対に、カイルの喉が小さくごろごろと鳴り始めました。ガレオンに撫でてもらうのと同じくらい、気持ちいいのです。
 でも、ガレオンに撫でてもらっているときは、安心してそのまま眠ってしまいたくなるような、そんな心地よさなのですが、今の気持ちよさとはそれとはちょっと違う気がしました。さっきみたいに、自分の心臓の音がいつもよりも大きく聞こえる気がします。
「・・・しかし、いい毛並みだな」
 汚れを払い終わったゲオルグは、そのまま尻尾をゆっくり撫で続けました。その手つきも、尾を見つめる目つきも、とても優しいものです。
 カイルは、このままずっとこうしていたい、そんなふうに思いました。
 ですが、残念ながら、不意にゲオルグは指をカイルの尾から離してしまいます。
「いかん、すっかり忘れていた」
 などというゲオルグの呟きも、カイルの耳には入らず、ただ自分から離れていくゲオルグの手を名残惜しそうに見つめました。
 しかし、次のゲオルグのセリフは、カイルの耳にしっかりと届きます。
「ガレオン殿から、伝言を言付かっていたんだった」
「・・・にゃ!?」
 どうやら、だからゲオルグはカイルの元を訪れたようです。
 そういえばガレオンを待っていたんだと思い出して、カイルはガレオンとの大事な約束を短い間とはいえ忘れてしまっていた自分を不思議に思いました。ですが今は、それよりもガレオンの伝言のほうが気になります。
「ガレオン、カイルに何か言ってたんですかー?」
「それは・・・」
 ゲオルグはちょっと言いにくそうに、それでも伝えてくれました。
「急な勤めが入ったから、昼飯は一人で食ってくれ、だそうだ」
「・・・・・・・・・」
 みるみるうちに、カイルの眉が八の字に下がり、耳も尻尾も力なく垂れ下がってしまいます。
「・・・にゃ・・・そうですかー・・・」
 カイルは小さく溜め息をつきました。ここで駄々をこねてガレオンの仕事のじゃまをしたくなんてありません。それでも、ガレオンと楽しく昼ごはんを食べれるのだと思っていたカイルが、がっかりしてしまうのは仕方のないことでした。
「わかりましたー・・・わざわざありがとうございますー・・・」
 落ち込みながらも、カイルは伝えにきてくれたゲオルグにお礼を言います。
「・・・いや、通り掛かる用があったから、ついでに伝えておこうと引き受けたんだ。構わん」
 少々気の毒そうな声色で言って、ゲオルグは少し思案げに眉を寄せました。それから、カイルの頭を優しく撫でます。
「・・・実は俺はこれから昼食をとるところなんだが・・・よければ一緒にどうだ?」
「・・・・・・にゃ?」
 ゲオルグの提案に、カイルは顔を上げました。ゲオルグは、さっきと同じように、とても優しい目つきでカイルの答えを待っています。
 どうしてでしょうか、さっきまでカイルの心を占めていた悲しみが、一気に飛んでいったような気がしました。
 勿論、ガレオンとお昼ごはんを食べられないのは残念です。でも、その代わり、ゲオルグが一緒に食べようと誘ってくれているのです。
「どうする?」
「・・・・・・にゃ、行きます!」
 カイルはつい意気込んで答えました。いつの間にか、耳も尻尾もぴんと立っています。
「そうか」
 カイルの返事に頷いて、ゲオルグは腰を上げました。カイルも追ってすぐに立ち上がります。
 中庭から廊下に戻って、二人は食堂に向かって歩き出しました。
「・・・・・・」
 そうやって並ぶと、カイルはゲオルグの口元辺りまでしか身長がありません。前を向いて歩くゲオルグが、なんだかもどかしく思えて、カイルはつい口を開きました。
「・・・ゲオルグ殿ー」
 するとゲオルグは、すぐにカイルに目を向けてくれます。
「あぁ、ゲオルグで構わんぞ?」
「にゃ・・・げ、ゲオルグ」
 言われた通り、ゲオルグ、と名を呼んだだけで、なんだかカイルの鼓動が早くなった気がしました。
「どうした?」
「・・・・・・」
 どうした、と問われても、何故ゲオルグに声を掛けたか自分でも説明出来ないカイルは困ってしまいます。
「・・・・・・忘れましたー・・・」
 だからカイルは、そういうことにしておきました。幸いゲオルグは変に思うこともなく、逆に面白がるような口調で言います。
「腹が減っているからか?」
「にゃ・・・」
 図星を指されたからだと、ゲオルグはカイルの頬が赤らんでいる理由を考えたかもしれません。ですが本当は、言って小さく笑ったゲオルグが、その原因なのです。
 確かにカイルはおなかが減っています。それなのに、なんだかもう、胸がいっぱいになって苦しいくらいに思えました。
 そんなふうに、大好きなガレオンと一緒にいるときだってなったことはありません。それがなんなのか、どうしてそうなるのか、カイルにはわかりませんでした。
 でも、もう少しゲオルグと一緒にいたら、わかる気がする。カイルはなんとなくそう思いました。




END

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頂き物ガレカイの設定がベースにある話になります。(※この場合、ガレオンとカイルは親子のようなものです)
しかし、カイルが「にゃ」と言い過ぎですよね・・・