good coming out of evil
ガスッ、と背中に何かがぶつかった。
・・・というか、正確に言えば、蹴られた。しかも思い切り。
小柄なビーバー族の体は、軽く飛んでしまい、それから地面に落下した。
「う・・・うう・・・・・・」
打った腹と蹴られた背中を襲う痛みに、マルーンはしばらくは起き上がることも出来ずもんどりうっていた。
だから人間と一緒に生活するのは嫌なんだ、とまでは思わない。ぼんやりと座り込んでいた自分にも非がないとは言えないし。
そしてわかっている、自分がわざと蹴られたわけではなく、おそらく単なる事故なのだろうということも。
だがやっぱり恨めしい思いになるのは抑えようがなかった。
マルーンは自分を蹴り飛ばした人間がいるであろう方向に顔だけ動かして向く。
すると、思ったよりも近くにその人間の顔があった。マルーンの様子を窺っているらしく、しゃがみ込んで身を乗り出している。
「大丈夫ー? ごめんね、痛かったよねー?」
軽い口調で、へらっと薄笑いを浮かべて。
悪いだなんてちっとも思ってないだろう!!と、目の前の男が見知らぬ者なら、マルーンも思ってしまっていただろう。
だが、マルーンは知っていた。この男が見掛け通りただ軽薄なだけの人間ではないと。
「・・・・・・確か、おいらたちの村を助けに来てくれた・・・?」
マルーンは身を起こしながら記憶を辿った。ビーバーロッジが襲撃されたとき、王子と共に駆けつけてくれた女王騎士。名は確か、カイル。
「あー、そうそう。よく覚えてたねー」
感心したように言うカイルに、マルーンはちょっとムッとする。自分たちを助けようとしてくれた人を忘れるほど薄情ではない。
「覚えてるよ。助けてくれて、嬉しかったし」
「そう? 照れるねー」
言ってしかし照れた様子もなくカイルは笑う。
なんだかあのときと雰囲気が違うとマルーンは思った。少し考えて、あのときは語尾も間延びしていなかったし表情もずっと引き締まっていたからだと気付く。
それだけ、ビーバーたちを助ける為に必死になってくれていたということだろう。
「・・・ほんとに、ありがとな」
「ん? いいっていいって。それよりさ」
カイルはどうでもよさそうに手を振って、マルーンにそれ以上を続けさせない。
「オレ、ビーバー族とまともに顔合わせるの初めてでさ、だから聞いてみたいことあるんだよねー」
「なんだ?」
「ビーバーって、人間の顔、見分け付くの?」
カイルは軽く首を傾げた。
マルーンは、なぁんだと思う。
見分けが付かないと思っていたから、マルーンが自分のことを覚えていたのに驚いたのだろう。
きっとこの人は、いろいろと誤解され易いんだろうなとマルーンは思った。同時に、少し話せばたちどころにその誤解も解けてしまうのだろうとも思った。
「一応付くよ。同じビーバーほどははっきりとはわからないけどな。特徴ある人は覚え易いし」
「オレも特徴ある?」
「うん。黒い服に長い金髪」
「てことは、王子は、赤っぽい服に長い銀髪?」
「そう!」
「なるほどー」
カイルは面白そうに笑う。
「オレたちと同じなんだな。ゴーグル付けて木槌を持ってるのがマルーン、ってねー」
「・・・」
軽い口調で言ったカイルの言葉に、マルーンは思わず一瞬静止した。
「ん?」
「・・・お、おいらの名前、知ってるのか!?」
マルーンは驚いて、それと同時になんだか嬉しくなる。
「知ってるさ、王子たちが呼んでたし。あ、てことは、オレの名前知らない?」
「知ってるよ! カイルだよな?」
「ほら、そっちも知ってんじゃん」
お互い様だろ、とカイルはちょっと得意そうに笑った。その笑顔は妙に子供っぽく見えて、マルーンは自分たちの距離がとても近いように思えてしまう。
マルーンは思わず顔を綻ばせた。人間にはとても判別など出来ない程度だが。
「・・・あ、それで、背中はもう痛くない?」
「あ、うん、もう平気だ」
マルーンはすっかり忘れていた背中の痛みを思い出して、思わずさすりながら、それでももう大して痛まないのでそう答える。
「もしかして、蹴られるの慣れてるー?」
「さすがに初めてだよ!」
「やっぱりー? あ、わざとじゃないよ?」
「うん、わかってるよ。おいらたち、人間に比べたら小さいから。これからは気を付けないとな」
「いやあ、オレはよそ見してたらかで、普通は気付くさ。心配すんなってー」
カイルは笑顔でそう言って、当初の懸案が片付いたからかすっと立つ。
マルーンはその姿を、思わず少しのけ反りながら見上げた。
ビーバーはそもそも人間より体が小さい。だがカイルはどうやら人間の中でもかなり長身なほうらしく、顔など遥か上方に見えた。
「・・・確かに、おいらに気付かなかったのも、無理はないかもしれない」
マルーンは呟いた。目の高さがまるで違う。カイルの視界に自分が入らなかったのも当然な気がした。
マルーンはなんだかちょっと悲しくなる。
そしてそんな自分に少し戸惑って、声をわざと明るくした。
「あ、ええと、背が高いといろいろ見えて便利そうだよな!!」
「・・・試してみるー?」
え?と思ったとき、すでにマルーンの体は宙に浮いていた。ぐんぐんと地面が遠くなり目線が高くなっていく。
マルーンはあっという間にカイルに抱え上げられていた。
「よっと。どうー?」
「あ・・・う、うん」
マルーンはカイルに肩車される体勢になって、その高さにまずびっくりした。
「・・・ち、ちょっと怖い・・・」
マルーンは正直に言って、思わずカイルの頭にしがみ付いた。
「大丈夫、落っことさないってー」
カイルは軽い口調で言いながら、マルーンの足を掴む手に力を込める。
少しホッとしてマルーンは、改めて周囲を見渡した。世界が、全く違って見える。
「・・・やっぱり、おいらに気付かないのも無理ないかもしれないな」
「あれ、もしかして根に持ってるー?」
「ち、違うよ! ・・・ただ」
なんだかその事実がちょっと寂しいだけ、とはマルーンには言えなかった。
どうしてそう思うのか、その理由がわからない。
「・・・おいらも、人間みたいに背が高かったらよかったな」
ただその思いだけは本当で、マルーンは人生で初めて、人間に産まれていればよかったのにとちょっとだけ思った。
そんなマルーンの胸中など全く気にしていないように、カイルは明るい口調で話し掛ける。
「でも、高かったら高かったで、困ることはあるよー?」
カイルは言いながらゆっくりと歩きだした。マルーンは降りなくていいのだろうかと思いながらも、言われるまでは黙っておこうと思う。
「・・・そうなのか?」
「たまにドアの上のところで頭打ったりさー」
すれ違う人たちが不思議な組み合わせの二人をちらちらと見ているが、カイルは気にした様子もなくどこかへか向かって歩き続ける。マルーンはなんだかちょっとくすぐったい気分になった。
「へぇ、それは痛そうだな」
「だろー? 他にもさー、ばっくれたいときだって見付かり易いしー」
「なんで隠れたいんだ?」
「そりゃいろいろと、かったるいときもあるじゃん?」
「女王騎士なのに不真面目なんだな」
「あ、ひどいなー。これでもやるときはやるんだぜー?」
わざと拗ねた口調で言ったカイルの言葉に、マルーンは心の中で、知ってると返す。
ビーバーたちを助けに来てくれたときの凛々しく頼もしいカイルと、今の能天気そうで朗らかなカイル。どっちのカイルも好きだとマルーンは思った。
「だいたいさー・・・・・・あ」
そこでカイルは不意に、何かに気付いたようにやっと足をとめた。
「何も考えずにここまで来ちゃったなー。ごめんごめん」
ここ、とはこの本拠地のちょうど出口だ。
「別にいいよ。用事とかないし。出掛けるのか?」
「ちょっとそこの村までねー」
「・・・・・・人間の村かあ」
マルーンは自分がそういえば人間の町にろくに行ったことがないと気付いた。ロードレイクには何度か行ったが、買い物などの気楽な目的ではなかった。
「・・・人間、怖い?」
「え、ううん、怖くないよ!」
窺うようなカイルの問いに、慌ててマルーンは答える。
確かに仲間にはまだ人間に対しておそれを抱いているものもいるが、マルーンはそんなふうにはちっとも思っていなかった。おそろしい人間だっているが、優しい人間だってたくさんいると知っている。
そんなマルーンだが、今までビーバーロッジからめったに出ない生活を送ってきた。それがこの城で人間と一緒に生活するようになって、自分ではどうってことないと思っていたが、この暮らしに慣れるので精一杯だったのかもしれない。
「ただ・・・きっかけがないというか・・・」
「・・・なんだったら、これから一緒に行く?」
「・・・・・・え!?」
思わぬ提案にマルーンは驚いた。
「い、いいのか!?」
「そりゃねー、一人より二人のほうが楽しいし」
「・・・・・・」
その言葉をそのまま受け取ってもいいのだろうかと、マルーンは返事を返すのを逡巡する。
しかしカイルはマルーンの躊躇いを知ってか知らずか、さっさと決定してしまった。
「はい、決まりねー」
「あ・・・う、うん」
カイルは吊り橋を渡り始める。
風に吹かれて、この体験したことのない高さに、しかしそんなに恐怖を感じていないことにマルーンは気付いた。
まだ言葉を少ししか交わしていないのに、マルーンは自分がカイルのことを信頼きしっているのだろうと思う。
パッと見は軽薄そうでとても信の置けそうにない外見なのに、とマルーンはなんだかおかしくなった。
「あ、笑ったー?」
「え、な、なんで!?」
言い当てられてマルーンは驚く。
ビーバーは感情の起伏が外に現れづらいので、人間には読み取りづらいだろう。しかも今カイルはマルーンのほうを向いてもいないのだ。
「ん、なんとなくさー。伝わってきたよ、空気?か何かで。って、違った?」
「あ、・・・ううん、違わない」
マルーンは首を振って答える。
「楽しみだなって思って」
笑った理由は違うけれど、この思いも本当だ。
「そっかー、よかったよかった」
「・・・うん、よかった」
妙な気分になってしまったりもしたが、それでもマルーンはとても嬉しい。
こんなふうにカイルと知り合えて。こんなふうに言葉を交わせて。こんなふうに触れ合えて。
カイルの頭にしがみ付く手にそっと力を込めながら、マルーンはそう思った。
END
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マルーンが110cmだと知る前に考えたネタなので。
110cmもあったら、さすがによそ見してても気付かず蹴飛ばすことはないような…。
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