face up to reality
「おっさん、恥ずかしいこと言ってもいい?」
そう言って続けられたカイルの言葉を、声を、表情を、俺はずっと忘れることが出来なかった。
「オレ、あんたが好きだった。・・・今まで、ありがとう」
泣きそうにも見える顔で、カイルは笑った。
「しかし、あのときの悪ガキが・・・成長したもんだ」
ヴォリガは感慨めいたものを感じて、思わず溜め息をつく。
幼いときのカイルはやんちゃで暇さえあればケンカかナンパをする、一言で言えば問題児だった。何度そんなカイルを怒鳴って叱ったかわからないヴォリガだったが、根は真っ直ぐでさっぱりとした少年が気に入っていたのだ。
そんな少年が、この国最高の地位と言ってもいい女王騎士にまでなった。
ヴォリガの感慨は、しかしそのことに対するものだけでは、ない。
「おっさん、何おっさんみたいなこと言ってんのー?」
「・・・俺ぁ、おっさんだ」
揶揄うような声に、ヴォリガはその方向を振り返った。
そこには立派に成長した青年カイルが、浴衣を軽く羽織っただけの格好で横たわっている。
昔面倒を見ていたカイルと、まさかこんなふうに床を共にする日が来るなど、ヴォリガは思ったこともなかった。いや、同じベッドで寝たことなら昔もあったが、勿論それとは意味が違う。
「いや、昔散々面倒見てやったおめえに、面倒になるとは思わなくてな」
「それはー、お互い様だと思うけど? オレもいい思いしたしー」
肘枕して陽気に笑いながら見上げてくるカイルと、昨夜ヴォリガは久しぶりの再会を祝って酒を酌み交わした。
そして弾みか勢いかなんとなくな流れでか、何故かベッドへなだれ込んでしまったのだ。
子供の頃を知っているカイルとそうなっても余り違和感を感じなかったのは、酔っていたからだと思っていた。だが酒が抜けた今カイルを見ても、あまり昔の面影はよぎらない。
適当な長さで適当に切られどこかパサついていた髪は、長く伸ばされその毛先まで手入れが行き届き、艶やかな光沢すら放っている。痩せていて生傷だらけだった体は、戦士の立派な体躯へと成長していた。
「でも、おっさんは変わんないねー」
カイルはヴォリガを見上げて言い、それから首を傾げる。
「・・・んー、でも、ちっちゃくなった?」
「おめえがでかくなっただけだろ」
「あはは、そうだねー」
体を起こして、カイルはヴォリガの背中を指でなぞった。
「・・・昔は、おっきく見えたもんなー。身長も、手も、背も」
懐かしむような声色、そこに陰はない。
「・・・おめえが真っ直ぐ立派に育ってくれて、俺ぁ嬉しいよ」
「真っ直ぐー?」
ヴォリガの言葉に、カイルは茶化すように笑った。そしてうしろから抱き付き、何も身に着けていないヴォリガの上半身、腹筋辺りをわざとらしく撫でる。
「こんなことしてて、真っ直ぐ育ったなんて、言えるのかなー?」
そんなふうに言いながら、しかしカイルはきっと、今の自分を恥じたり否定したりなどしていないだろう。ヴォリガにもそれはわかる、が。
ヴォリガは自分がカイルを昨夜招いた本当の理由を思い出した。単に近況報告をしたかったわけではなく、肌を合わせるなんて目的でも勿論ない。
「・・・すまなかったな」
「えー?」
ヴォリガはカイルの腕を解いた。そして正面から向き合う。
それでも、目を合わせることは出来なくて、ヴォリガは視線を下げながら言葉を搾り出した。
「あのとき・・・・・・守ってやれなくて」
「・・・・・・・」
容易に思い出せるあの記憶。小さくなっていくカイルのうしろ姿。
あのときのカイルと、目の前のカイルは、まるで別人に見える。そう思えるほど、カイルは立派な人間になった。
だがそれは、あのときの小さな少年が努力した、その結果なのだ。十四歳という幼さで一人で生きていくことになったカイルが、それでも負けずに頑張ったからなのだ。
今のカイルを否定するわけではなく、しかしカイルがそう生きざるを得なくなった、それは自分のせいでもあるのだと、ヴォリガはそれを済まなく思う。
「・・・おっさんのせいじゃないじゃん。それにオレ、どうせいつか出てくつもりだったからさー、ちょうどよかったし」
カイルはヴォリガが何を言っているのか、何を言いたいのかを察して、明るく笑い飛ばそうとした。その口調は、過去のことだから、そう言っている。
だがヴォリガは、カイルがそう言うのならそれでいいか、そうは思えなかった。
「・・・・・・だったら」
「え?」
「だったらなんで、おめえはあのとき・・・」
ヴォリガの脳裏に、あの日が鮮やかによみがえる。
カイルがデビアス卿の不興を買ってレルカーにいられなくなったその夜、街を出るカイルをヴォリガが最後に見送った。
何もしてやれない自分に対する不甲斐なさと、カイルのこれからに対する心配で一杯で、それでもただ見送った。
「おめえ、ほんとは出て行きたくなかったんだろ? だったら、あんときそう言ってくれりゃよかったじゃねえか!」
強がらず、泣いて嫌だここにいたいと、そう言ってくれれば、デビアス卿になんと言われようとカイルを一人で行かせるなんてしなかった。
ヴォリガはそうしなかったカイルを責めるような口調になって、しかしそうではないと首を振る。
「・・・俺が・・・俺はなんにも出来ねえで・・・」
走り去っていったカイルの小さな背を、ただ黙って見送った自分を、ヴォリガは責めたかったのだ。
「・・・どうしたんだよ、おっさん。らしくないよー?」
カイルはまだ笑い話で済ませようとする素振りを見せる。だがヴォリガは顔を上げることが出来ず、俯き強くこぶしを握り締めた。
「・・・・・・」
そんなヴォリガの様子に、カイルも少し真面目な顔になる。
「・・・ずっと、気にしてたの?」
「・・・ずっとってわけじゃ・・・ねえけどよ」
「・・・・・・オレは、よかったと思ってるよ? あのときああなって、だから今のオレがいるわけだし」
カイルの口調から、気休めなどではなく本心からそう思っていることはわかる。それでもやはり、ヴォリガの気は晴れない。
「それは結果論にしか過ぎねえだろう。今、たとえおめえがどんなに幸せだったとしても・・・あのときの寂しさやつらさが、消えるわけじゃねえ」
「・・・・・・・」
「おめえにそんな思いさせちまった自分が、俺は許せねえんだよ・・・!」
ヴォリガは吐き出すように言った。
「・・・だから、おっさんが悪いわけじゃないって」
少し困ったような宥めるような声色でカイルが言葉を返す。
カイルにとってはもうすっかり過去の話なのかもしれない。それなのに蒸し返すのは身勝手なのかもしれない。
それでも、許してもらって自分が楽になりたいだけじゃないのか、カイルが今幸せならいいじゃないか、そう思いながらも、ヴォリガは話を終わらせることが出来なかった。
「・・・でもおめえ、俺に助けてって言っただろう」
「・・・言ってないよ」
「言ってねえけど、言った。俺には聞こえてた」
カイルの泣き出しそうな笑顔が、小さな背中が。
思い出しては、行くことないここにいろ、何故そう言ってやることが出来なかったのか、ヴォリガはずっと悔いていたのだ。
「・・・違うよ、おっさん」
そんなヴォリガに、カイルがそっと手を伸ばした。頬に触れ顔を上げさせようとしたが、ヴォリガはやはりまだ上げられない。
「確かにオレ、あのとき、ほんとは嫌だったんだと思う」
「・・・・・・」
「あんな形で出てくことになって・・・きっとおっさん、呆れてるんだろうなーって」
「は?」
思わずヴォリガは顔を上げた。目の前のカイルは、笑っているが、しかし僅かにその表情は苦い。
「どうしようもないやつだって、ほれみたことかいつか問題起こすと思ったって。そんなふうに思われてるのかなって思うと・・・」
腕を下ろして、今度はカイルのほうが少し視線を逸らした。
「そうだね、オレ・・・引き止めて欲しかったのかもしれない」
「カイル・・・」
そんなふうにカイルが思っていただなんて、ヴォリガは思ってもみなかった。
確かに自業自得だなどとカイルを中傷するものもいたし、正確な事情を知っているものもいなかった。ヴォリガもはっきりとは知らなかったが、しかしデビアス卿の言い掛かりに近かったのだろうことは簡単に想像が付いた。だからこそ、みすみす行かせてしまった自分を、ヴォリガは責めていたのだ。
それなのにカイルがそんなふうに思っていたとは、ヴォリガは益々あのとき行かせてしまったことを悔いる。
「・・・すまねえ」
「だから、謝ることないって。おっさんのおかげだもん。あれからオレがどうしようもない人生歩まずにすんだのは」
「・・・なんでだよ?」
反対じゃないのかと思ったヴォリガに、カイルは視線を合わせ穏やかに微笑んだ。
「これが今のオレだって、おっちゃんに胸張って言えるオレになろうって、そう思ったから」
「・・・・・・」
「だから、それが果たせて、嬉しいよ」
迷いのない口調。今の自分に対する自信すら、そこには見える。
「だから、あのときそうなってたら、今のオレはいないわけで。だから今のオレがあのときに戻ったら、やっぱりレルカー出ることを選ぶよ。変な仮定だけどさ」
「・・・・・・」
「おっさんは結果論って言ったけど、それも悪くないと思うよ?」
カイルはまたヴォリガに手を伸ばした。
「それに、あのままおっさんといたらさ、オレにとっておっさんは、父親みたいな存在にしかなんなかったし」
今度は両手でヴォリガの頬を包み込んで顔を近付け、素早くちゅっと口付ける。
「こーんなことも、出来なかった」
離れてから悪戯っぽく笑うカイルに、ヴォリガの張っていた肩も思わず落ちた。
「おめえな・・・朝っぱらからよくもまぁ・・・」
「昨日はこれ以上のことしたのに、変なのー」
おかしそうに笑うカイルだが、おそらくヴォリガの気持ちを少しでも明るくしようと考えての行動だったのだろう。
カイルは、しかし不意に少しだけ表情を改める。
「・・・おっさんオレ、あのとき言ったよね。あんたが好きだった、って」
「・・・・・・」
忘れるはずがない。ずっと、あれがカイルが自分に向けた最後の言葉になるのだと思っていたのだ。
口ではいろいろ言って突っぱねながら、それでもカイルが自分のことを慕ってくれていたと知っていた。カイルがそんなふうに思う価値のない男だと、あのときヴォリガは自分をそう思ったのだ。
しかしカイルは、ヴォリガに微笑み掛ける。
「・・・今はちょっと意味違うけどさ。それでもオレ、変わらず好きだよ、おっさんが」
「・・・カイル」
「だからそれでいいじゃん、って思うのは、オレが軽いからなのかな」
冗談めかして笑いながら、カイルは今の正直な思いを真っ直ぐ伝える。
カイルがそうなのに、いつまでも過去を気に病んで暗い顔をしているのは、何か違うようにヴォリガは思った。
十年間ずっと心に引っ掛かっていたことなのだ。それでいいじゃん、とはまだ思えないが。
「・・・俺も、おめえのこと、好きだったよ」
カイルの顔を真っ直ぐ見て伝えれば、カイルはしかし不満そうに口を尖らせる。
「えー、過去形ー?」
「・・・・・・好きだ、よ」
恥ずかしさを隠しながらヴォリガが言うと、カイルは少しだけ照れたように、それでも嬉しそうに笑った。
その笑顔は、昔たとえばちょっとしたことで褒めたときにカイルが見せた笑顔と、少しも変わっていない。
初めてヴォリガの中で、昔のカイルと今のカイルが重なった。
「すっかり変わっちまったと思ったが・・・やっぱりおめえは、あのカイルなんだな」
「何言ってるのー?」
変なおっさんー、と笑うカイルの顔も、昔のカイルを思い出させる。カイルは昔からこんなふうに、屈託なく笑う子だった。
カイルは立派になった。だがその本質は、何一つ変わっていなどいない。
あのときの泣き出しそうな笑顔だけにとらわれていたから、だからヴォリガはそれに気付かなかったのだ。
自分の思いにとらわれるあまり、昔のカイルも今のカイルもちゃんと見えていなかったのだ。
「はは、情けねえ」
ヴォリガは頭をガシガシとかき回した。
それから、改めて目の前のカイルを見据える。
「・・・ほら、服はちゃんと着ねえか」
昔のカイルの面影を見付けると、途端に庇護欲を刺激されるのだから不思議だった。
そしてだらけている襟を合わせてやりながら、ヴォリガは昔面倒見てやっていたカイル相手にしてしまったことを思い出して、非常に居た堪れない気分になる。
「なんか・・・罪悪感みてえなのが感じちまうな」
「えー、一通りやっちゃってからそういうこと言うー?」
口を尖らせるカイルの言い分も尤もだが。
「だってなあ・・・ガキの頃から知ってるおめえとなあ・・・」
ヴォリガは違う意味でカイルを正視出来なくなって、そろそろと視線をずらしついでに体も背けた。
「あ、ひどーい。やっぱりおっさんはオレのこと嫌いなんだー!」
しかしそう言われると、カイルのほうを向き直さざるを得なくなる。手で顔を覆ってシクシクと泣き真似する、その姿がどれだけわざとらしかろうが。
「そ、そういうわけじゃなくてだな!」
振りだとわかっていても心配で、ヴォリガは思わず顔を覗き込もうとした。するとカイルはパッと顔を上げ、素早くヴォリガにキスを一つお見舞いする。
「でもオレ、昔のオレのまんまじゃないからね」
そして目を見開いたヴォリガに、カイルはニッコリ笑ってみせた。
「おっさんが追いかけてきてくれなかったら、オレのほうが追っかけてっちゃうんだから」
ヴォリガの首に手を回し、覗き込むように見つめてくるその笑顔は、昔と同じようでいて、それでも少し違う。
「振り払われても、今のオレは、簡単には離さないよー?」
「・・・・・・何言ってやがる」
カイルの冗談めかした口調の中の本心に、ヴォリガは気付いた。
過去を吹っ切れていないのは、やはりヴォリガだけではないのだろう。あのときのことは、きっとカイルの中に、傷として残っているのだろう。
だとしたら、だからこそ。
「・・・・・・しねえよ、んなこと」
ヴォリガはグイッとカイルを引き寄せた。そして、昔よくやったように、頭を思い切り撫で回す。
「もー、やめてよー」
カイルは形だけの抵抗をしながら、嬉しそうに笑った。
その笑顔も、昔の笑顔に似て、それでも全く同じではない。
カイルが成長したのが原因なのか、それともカイルを見るヴォリガの目が変わったせいなのか。
それを考えるのはまた今度にしようとヴォリガは思った。
目の前のカイルも、そして記憶の中のカイルも、笑っている。当分はそれでいい、ヴォリガはそう思った。
END
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この二人の間に恋愛感情があると思いますか?(聞くな)
書きながらそれがどうしてもわからなくて…!(ぉぃ)
でもそんな曖昧な感じの関係もいいかなー…とか…思ったり…。
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