LOVE BITTER
ゼクセンとグラスランドが協力体制を作ることになってから数週間が経った。
同じ空間で暮らすようになった両者は、ときにいがみ合い諍いを起こしながら、それでも少しずつ歩み寄り始めている。互いを知り、理解し、そして形だけではなく、手を取り合おうとしているのだ。
クリスはビュッデヒュッケ城を巡回も兼ねて歩いていた。噴水のある広場では、互いの武器について語り合っているゼクセン兵士とリザード戦士の姿が見える。
「クリス様、なんだか、いい雰囲気になってきましたよね」
その光景を見て、ルイスが嬉しそうにクリスを振り仰ぐ。そうだな、と答えて、クリスは目を眇めた。
少しずつ、それでも着実に近付く距離は、今回のことが終わればまた離れてしまうのだろうか。それはわからないが、そうならなければいい、そう考えてクリスは思い直した。ゼクセン騎士団長としての自分がそうさせないのだ、と。
「クリス様、次は牧場のほうに行きませんか? 最近は外出していないので、久しぶりにご自分の馬に会ってあげるのもいいかと」
「ああ、そうしようか」
ルイスの提案に、クリスは方向を変えて牧場のほうに向かおうと踏み出した。
そのとき、門番のセシルの声が耳に入り、クリスは思わず足をとめる。
「あっ、お帰りなさい、ヒューゴさん!」
クリスは城門を振り返った。明るく出迎えるセシルの向こうに、ヒューゴの姿が見える。軍曹とフーバー、それからまた仲間にしてきたのかねじりはちまきにはっぴのようなものを着た男を連れていた。
ヒューゴはいつもの笑顔で、セシルにその男を紹介したり口を挟む軍曹に何か言い返したりしている。
「クリス様?」
立ち止まって視線を固定しているクリスに、ルイスが訝しんで声を掛けた。クリスはハッとして、今度こそ牧場へと歩き出す。
未だ、うしろから聞こえる、楽しそうな声。
階段を下りる一歩を踏み出す前に、クリスは何かに引かれるように、もう一度振り返る。
「・・・っ」
そのとき、目が合った。
ヒューゴの視線に絡め取られるように、クリスのほうからは逸らすことが出来なくなる。
しかし次の瞬間、ヒューゴはパッと険しい顔になり、あからさまに視線を逸らした。そして何事もなかったかのように、セシルたちとの会話に戻る。その表情も、笑顔に戻った。
「・・・どうかしましたか?」
再び声を掛けてくるルイスに、クリスは首を振って答えると、切り替えるように早足で階段を下りる。
だが、クリスの頭から離れることはなかった。ヒューゴが自分だけに向ける、おそらく「敵意」であろう感情。
これが初めてではなく、もう何度となく向けられているそれを、クリスは次第に耐えがたいほど、苦々しく思うようになっていた。
生活空間を同じくするようになって、クリスはヒューゴの人となりを知った。明るくて気さくで、意外に礼儀正しい。自然と人を惹きつけるのだろう、彼の周りは、彼を含めていつも笑顔が絶えなかった。
最初は衝突することも多かった、彼らの言葉でいう「鉄頭」とも、少しずつ仲良くなっていっている。あのボルスとすら、笑顔で話しているのをクリスは見掛けたことがあった。
それなのに、ヒューゴは未だにクリスにだけは、笑い掛けるどころか最低限の言葉を仕方なしといったように掛けるだけなのだ。
クリスとてわかっている。状況がどうであれ、自分がヒューゴの親友を殺めてしまったことは消し難い事実なのだ。憎まれるに足ることを、この手は行った。
それなのに、クリスは思ってしまう。何故自分だけ、と。
自室に戻る途中、クリスはヒューゴの姿を見付けた。倉庫でムトと何やら話している。
また憎しみの目を向けられる前に、と見つからない内に立ち去ろうと思ったクリスは、しかし思い直した。
無意識に深く息を吸い、意を決してから近付く。
「・・・ヒューゴ」
声を掛けると、ヒューゴの体がぴくっと反応した。見事に笑顔が消え、ゆっくりとクリスのほうを向く。
「・・・何?」
抑えているのかその視線に憎しみはないが、しかしそれでも充分険しい。その目つきから意識を逸らしながら、クリスは続けた。
「・・・その、少し・・・話をしたいのだが」
「・・・・・・」
するとヒューゴは、無言で歩き出した。クリスが躊躇いがちについていくと、ヒューゴはクリスの自室の隣にある空き部屋に入る。続いて入ってから、クリスは少し迷って、扉を閉めた。
こんな限られた空間に二人きりになることなど初めてなので、クリスは少し緊張してしまう。
部屋に入ったままクリスに背を向けていたヒューゴは、ゆっくりと振り向いた。
「・・・で?」
そしてヒューゴは、クリスと目を合わせないまま、先を促した。
「あ、ああ・・・」
クリスは余りに重い空気に押し潰されそうになりながら、それを取り払うように首を振って口を開く。
「・・・ヒューゴ、ゼクセンとグラスランドが手を組むことになった今、それぞれの代表といえる私たちが・・・こんなことでは駄目だと思う。もっと・・・歩み寄ることが出来ないだろうか?」
クリスはどうにかヒューゴに真っ直ぐ目を向けながら言葉を継いだ。
するとヒューゴは、くっと体を揺らす。それが笑いによるものだと、クリスはヒューゴの次の言葉と表情で知った。
「仲良く・・・しろって? オレとあんたが?」
ヒューゴはクリスから顔を背けたままで、クリスの提案を嘲るように歪んだ笑みを浮かべる。いつもの笑顔とはまったく違ったそれに、クリスは自分の心臓が竦み上がるのを感じた。
こんな笑い方をさせたいのではない。こんな笑顔を向けられるほど、自分は・・・
クリスは、答えなどわかりきっていると思いながら、ヒューゴに問い掛けた。
「・・・やはり、私が・・・憎いか?」
自然と声が少し震えたことに、しかしクリスは、あるいはヒューゴも、気付く余裕はなかった。
「憎い? そんなの、決まってるだろう!」
ヒューゴはパッと火がついたように、声を荒らげ吐き捨てる。それは、怒鳴るようでも叫ぶようでもあった。
「オレはあんたが憎くて、憎くて憎くて憎くて、殺してやりたいくらい、憎い・・・っ」
ギュッと閉じられた瞳、握られた拳。今まで溜め込んでいたものの発露だろうか。
予想していたその言葉に、しかしクリスは抉られるような痛みを覚えた。一言一言が、鋭い刃のように、クリスを貫く。
憎まれていることは知っていた。憎まれることにも、慣れていたはずだ。
それなのにどうして、ヒューゴの「憎い」という言葉がこんなに、こんなにも耐えがたく感じられるのだろうか。その理由を探る暇もなく、クリスは思考を中断させられる。
「憎い、はずなのに・・・っ」
ヒューゴはそこでふいに顔を上げた。そして、真っ直ぐクリスを見る。
熱を帯びた目で射抜くようにクリスを見つめ、一歩前に踏み出して手を伸ばした。ヒューゴの手はクリスの二の腕を掴み、瞳が至近距離でクリスを捉える。
その握力の強さは、憎しみの深さか。その瞳に宿るのは、殺意か。
クリスはその激しさに、思わず目を閉じた。そして、もしヒューゴが自分を殺したいならそれでもいいと、この瞬間のクリスは思った。
そうすることでヒューゴの恨みが晴れるなら。そうすることで、自分に向けられる憎しみが少しでも消えるなら。クリスは、そう思った。
しかし、予想していた衝撃は加わらず、代わりにクリスの唇に何かが触れる。
クリスが思わず目を見開くと、すぐ間近にヒューゴの閉じられた目蓋が見えた。睫毛は黒いんだなと、クリスはこんなときなのに思う。それは、今自分の身に起こっていることからの逃避だったのかもしれなかった。
だが、唇に感じる感触がクリスを現実に引き戻す。それは紛れもなく、ヒューゴの唇の感触だ。
クリスの頭は真っ白になった。体から力が抜け、ヒューゴの力に圧されるようにうしろの扉に背が触れる。
自然と扉との間にクリスを挟むことになり、それを弾みにかヒューゴの動きが加速した。優しさなど欠片もないそれは、貪り奪い喰らうと表現するのが適切だろう。
クリスの体を、何かが駆け抜ける。雷で打たれたような、炎で炙られたような、衝撃に支配された。硬直したように体は動かなくなり、思考は定まらずどうしていいかわからなくなる。
今まで剣一筋だったクリスにとって、こんな経験は皆無に等しい。加えて、相手がヒューゴだということがクリスを一番困惑させていた。今触れているのは、ついさっきクリスへの憎しみを吐き出したばかりの口なのだ。
クリスは振りほどくことを忘れ、ヒューゴもやめる気配はない。どれくらい続いたのか、そしていつまで続くのか。そう思われたそれは、突如終わりを迎える。
扉一枚を隔てた廊下を通る足音が聞こえ、クリスに理性が戻った。何がどうしてこうなっているのかはともかく、取り敢えずはこの状況を打破すべきだと。
クリスは掴まれていないほうの手で、ヒューゴの肩を力任せに押し戻した。唇は離れ、ヒューゴはよろけたように数歩後退する。
「・・・っは」
やっと自由に息が出来るようになり、クリスは息を吸い込み数度深呼吸をした。それから、そっとヒューゴの様子を窺う。
ヒューゴは、ぼんやりとした様子でクリスを見上げていた。さっきまでとはまるで変わって生気の抜けたような表情に、クリスは思わずさっきまでのことは忘れて心配になる。
「・・・ヒューゴ?」
名を呼んで一歩近付くと、ヒューゴはハッとしたように、慌てて数歩後退った。そして、自分がしたことを思い出したのか、唇を押さえる。
その表情の変化は劇的だった。ぼんやりとしたものから、驚愕、そして嫌悪へ。それがクリスに対してのものなのか、それともそんなクリスにしてしまったことに対してか、定かではないが。
「・・・・・・っ」
耐えかねるように、ヒューゴは駆け出した。クリスを押しのけるようにして、部屋を出ていく。
そんなヒューゴを、クリスはなすすべなく見送った。
バタバタと遠ざかる足音、そして衝撃で揺れる扉。
こんなはずではなかったと、クリスは思う。一度じっくり話し合って、少しでも関係を改善できたら、そう考えてヒューゴに声を掛けたのだ。
それなのに、と、クリスは無意識に指を唇に当てる。そこはまだ熱を孕み、ヒューゴの感触を残していた。
「・・・クリス様?」
「っ、ル・・・イス」
部屋の外から掛かった声に、クリスはハッと我に返る。
「こんなところで、どうしたのですか?」
「い、いや、なんでも」
平静を装って答えるクリスに、ルイスは首を傾げた。
「クリス様、熱でもあるのですか? 顔が赤いですよ」
「! な、何もない。平気だっ」
クリスはごまかすように、早足でルイスの隣を通り抜けると、自室に向かった。そして扉を閉め、そこに凭れ掛かる。
クリスは、明らかに動揺している自分に気付いた。それを断ち切る為、首を振り、深呼吸を繰り返す。
それでも、消えることはなかった。
今熱を伴ってクリスを支配しているのは、向けられた憎しみでもなく、何故そんなことをしたのかという疑問でもなく。
その行為、そのもの。
未だ離れない、熱と感触。瞬間見せた、射抜くような目線。
自分にぶつけるようにもたらされたそれが、クリスの体も心も絡め取っている。
「・・・なんだと・・・いうんだ」
力なく呟いたその声にも、熱の片鱗が見え、クリスを戸惑わせる。
クリスの中にあるなにかが、形を持ち始め、クリス自身を揺るがし始めていた。
END
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えーと、この続きはちゃんと考えてます。
でも、まともな展開は期待しないほうがいいですよ・・・
二人とも、二重人格になりそうな予感がします・・・
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