LOVE BITTERSWEET
クリスはえれべーたを出て会議室に向かおうとしていた。
一方ヒューゴは、玄関から入って二階へ繋がる階段に向かっていた。
当然、二人の道は交差する。
まずクリスのほうが気付いた。不自然にその歩みをとめ、気まずそうな表情で視線をあらぬ方向に彷徨わせる。
ヒューゴも、気付いた。その姿を認めた途端に笑顔が消え、急に早足になってクリスの前を通り過ぎる。
そんな二人に、それぞれの連れはもう慣れていた。しかしちょうどその場にいたダックとリザードは目を丸くしてその光景を見ている。
二人の関係は、繕いようがないほど破綻しきっているように見えた。
「おい、ヒューゴ、気持ちはわかるが・・・さっきの態度は英雄としてどうかと」
諌めようとした軍曹は、しかし室内に入るなり振り向いたヒューゴに行く手を阻まれて思わず口を噤む。
ドアに手を掛けたヒューゴは、長年の付き合いがあってもその心中を窺えない表情で軍曹を見下ろした。
「・・・軍曹、悪いけど、一人にしてくれない?」
言って、ヒューゴは軍曹の返事を待たずにドアを閉じた。そのままドアに凭れると、その場にずるずる座り込む。
「・・・これで・・・いいんだ」
そして、最近何度となく自分に言い聞かせてきたことを今日もまた口にする。
「オレはあの女を憎んでる・・・憎んでるんだ・・・それだけだ・・・」
頭を抱えて、呪文のように、繰り返した。
そんなヒューゴの脳裏に、さっき一瞬だけ視界に入ったクリスの姿が浮かぶ。硬い表情で視線を逸らしていたクリスの、唇が、浮かぶ。
鉄頭を率いる「銀の乙女」から想像されるよりもずっと、柔らかくあたたかかった、それ。
「・・・っ」
ヒューゴは慌てて頭を振り、その感触を消そうとした。しかし思い通りにならず、逆にその記憶はヒューゴの体に熱をもたらす。
消せない、拭えないそれを抱えて、ヒューゴは長い間そこに座り込んでいた。
図書館を出たクリスは、階段を上ってくるヒューゴに気付いた。一階に下りようと思っていたクリスだが、すれ違う勇気がなくて、用もない石像の間に慌てて入る。
そして、今は誰もいない室内で、深呼吸を一つした。
と、同時に。
ゆっくりと、クリスの背後のドアが開く。
まさか、と思いながらクリスが振り向くと、そこにはヒューゴがいた。
「・・・あんたに、用がある」
ヒューゴはドアを閉め、やはり視線は少し逸らしながらクリスに話し掛ける。
自分を避けていたヒューゴが、おそらく葛藤があったろうに、こうして声を掛けてきた。そう思うと、クリスはただ逃げていた自分が恥ずかしくなる。
「・・・そうだな。私も・・・話をしなければと・・・」
「無理だ」
しかしヒューゴはクリスの言葉を静かにさえぎった。
「無理だよ。言葉なんかじゃ、オレたちは理解し合えない」
相手のことどころか、自分のことだってわからないのに、とヒューゴは続けて心の中でだけ呟く。
そして、やっと顔をクリスのほうに向けた。
「だったら、どう・・・」
困惑したクリスの顔がヒューゴの目に入る。
その唇が、映る。
ヒューゴはクリスに向かって一歩踏み出した。クリスが思わず一歩うしろに下がると、ヒューゴはさらに一歩前進する。
向けられる眼差しは、クリスに自然とあのときを思い出させた。
後退るクリスに、ヒューゴはじりじりと近付き距離を詰める。そして、遂にクリスの背は壁にぶつかった。
「ヒュー・・・」
名を呼ぼうとしたクリスは、しかしその口を塞がれる。
この前と同じように、激しいキス。
ただ違うのは、この行動が今度は紛れもなくヒューゴの意思だということだろう。
何かを確かめるような、本能に突き動かされただけのような、それは長く続いた。実際の時間はわからなかったが、クリスにはそう感じられた。
「・・・っは」
息苦しくなったのかヒューゴは唐突に唇を離す。
しかしクリスは、至近距離で真っ直ぐ見上げてくるヒューゴの瞳に、思わず息を整えるのを忘れてしまった。
また、ヒューゴが顔を近付けてくる。
息苦しいほどの動悸がクリスを襲った。クリスは、とっさに目を閉じる。
それと同時に、
「クリス様っ!!」
バンッと大きな音がし、扉が開いた。
ヒューゴとクリスは弾かれたように離れ距離を取る。
「・・・ボルス、どうした?」
クリスはどうにか平静を装いながら、少し青い顔をしている自らの部下に問い掛けた。
「そ、その、クリス様が・・・か、彼と部屋に二人で入ったと聞いて・・・」
ボルスは遠慮がちにヒューゴを見ながら答える。おそらく、ボルスのうしろから遅れて入ってきた軍曹が偶然クリスを追って部屋に入るヒューゴを見掛けたのだろう。
「・・・思い過ごしだ。私たちは・・・ただ話していただけだ」
今は離れているとはいえ、ヒューゴがクリスを壁際に追い詰めるように立っていたのをボルスは見ている。最近の自分たちの雰囲気を思えば、ボルスが心配するのも当然だろう。
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
しかし本当のことを言うわけにもいかず、クリスはハッキリと否定した。
「ヒューゴ、そうなのか?」
軍曹も窺うように問えば、ヒューゴはゆっくり頷く。
「心配ないよ。いつまでもこんなんじゃだめだって、そう言ったのは軍曹だろ?」
言いながら、ヒューゴは出口に向かって歩き出した。ドアに手を掛け、そこで振り返る。
「・・・・・・クリス」
ヒューゴの目は真っ直ぐクリスに向けられた。
「オレはもう、覚悟を決めた」
そして、それだけ言うと、部屋から出ていく。
「ク、クリス様?」
軍曹が首を傾げながらヒューゴに続いて部屋を出てから、ボルスは心配そうにクリスを窺った。
「・・・なんでもない」
クリスは小さく首を振って返してから、自らも部屋を出ようと歩きだす。
そして、ヒューゴの言葉を反芻した。
「覚悟」
それはおそらく、二人の間にある感情の、正確な名を知ること。気詰まりだけではない、憎しみだけでは説明出来ない、感情。
その為の行動に出る、覚悟。
クリスは、小さく頷いた。
賑わう人々、通り、広場。商人の町ビネ・デル・ゼクセとも、自然溢れるカラヤの村とも全く違う街だった。クリスもヒューゴも、その名も知らない、そして二人を知るものもいない、街。
クリスはヒューゴが一人きりのときを見計らい声を掛け、何も言わずにただ頷くいた。そしてヒューゴはそれだけでクリスが何を言いたいか理解したのだろう。
同じように小さく頷き、クリスを連れてビッキーのところにやってきた。そして、ビッキーに言ったのだ。
グラスランドでもゼクセンでもないところに送って欲しい、と。
そして着いたこの街。漂う異国の空気に、しかし様々な人種が溢れる人並みのせいか、クリスはすぐに馴染んだ。道行く人々もクリスたちに特に注意を払いもしない。しかし民族衣装のヒューゴと一緒にいればさすがに目立ったかもしれないと、鎧を脱いできてよかったと思った。
まったく文化の違う街は興味深く、クリスの視線は自然と彷徨う。それは隣を歩くヒューゴも同じようで、キョロキョロと辺りをしきりに見回していた。
「うわっ、なんだあれ」
どこに行くとも定まらず人波に従って歩いていると、ふとヒューゴが声を上げる。思わず足をとめたヒューゴにつられてクリスもその方向に目を遣ると、そこには見事な屋敷があった。
どう見事かというと、とにかく派手なのだ。ガラスではなく本物の宝石を使っているようにしか見えない、至る所に施された装飾。そしてそれに絡むように咲き誇る色とりどりの薔薇。
「すげー」
感心するようなヒューゴの呟きに、クリスは思わず固定していた視線をヒューゴに移した。
ヒューゴは興奮で目を輝かせ、頬は上気し口元は緩んでいる。笑って、いた。
「・・・・・・」
間近で見たその笑顔に、クリスの心臓は知らず高鳴る。自分に向けられたものじゃないとわかっていても、何故だか嬉しかった。
クリスの視線に気付いて、ヒューゴはその表情を気まずそうなものに変える。思わずはしゃいでしまった自分をごまかすようにまた歩き始めた早足のヒューゴを、クリスもまた少し距離を取りながら追った。
すれ違う人たち、同じ方向に向かう人たち。
彼らにはわからないのだと、クリスは不思議な気持ちになる。ヒューゴがグラスランド人で、自分がゼクセン人だということ。そして、二人の間に憎しみが存在すること。
だったらどう見えているのだろうか、クリスはとりとめもなく考えた。
姉弟には見えないだろう。友人同士も違う。上司と部下、主人と従者くらいが適当だろうか。目の前を行くヒューゴは、どう見られていると思っているだろう。
聞いてみたい、そうクリスは思った。しかし同時に、聞くことは出来ないし聞いたとしても答えが返ってこないことを、クリスは知っている。
異国で、互いを知るのは、互いだけ。それなのに、ここにいる他の誰とより、クリスとヒューゴの距離は遠いのだ。
近付きたいのだろうか、クリスは自問してみた。
目の前にある自分より少し小さい背中。近付ければ、振り返ってさっきのような笑顔を向けてくれるのだろうか。
近付きたいのかもしれない、クリスはそう自答した。
昼だというのに薄暗い路地に足を踏み入れて、ヒューゴはさすがに少し気おくれを感じた。広場の騒がしさとは質が違う喧騒が耳に届いて、怯みそうになる自分を、抑えつけながらヒューゴは適当な店の扉を開ける。
自分がこうなのだからクリスはもっと躊躇しているだろうと、思いやる余裕などヒューゴにはなかった。
客を選ぶような店ではないようで、恋人同士になど見えない二人にも簡単に部屋が貸し与えられる。狭い通路を通って、古びたドアを開ければギシリと軋んだ音がした。
ヒューゴは覚えず深く息を吸い込みながら、一歩室内に足を進める。そして立ち止まり、黙ってあとをついてきたクリスに先に入るように促した。最後の、意思確認のように。
クリスは窺うようにヒューゴを一瞥してから、ゆっくりと足を前に進めた。視線を落としていた為ヒューゴからその表情は見えなかったが、その代わり、すぐ目の前を銀糸が横切る。
ふわりと漂った微かな匂いに、引かれるように、ヒューゴの腕は自然と伸びた。
所在なさげに振り返ろうとしたクリスの腕を掴み、強引に自らのほうへ引き寄せる。そして、驚きに軽く開かれたその唇に、噛み付くように口付けた。
途端に、体に痺れが奔るその理由を、ヒューゴは知らない。
抵抗する様子をみせないクリスを、それでもヒューゴは強く拘束したままキスを続けた。足が縺れ合いクリスの背後のベッドに揃って倒れ込んでも、その勢いは衰えない。
頭の芯が霞んだようになり、体、特に心臓の辺りが燃えるように熱くなる。この昂ぶる感情が、憎しみと呼べるものなのか、それとも違うのかヒューゴにはわからない。
クリスのことは憎い。それは間違いなかった。だが、クリスに向ける感情がそれだけなのか、ヒューゴにはわからない。
こんなふうに組み敷いて、優越感に浸りたいだけなのか。だから、無意識に抵抗しようとする体を押さえ付けて、その漏れる声さえ奪おうとするのか。
ヒューゴにはわからない。そして、ヒューゴは、知りたい。
憎んでしかいないはずなのに。それなのに、何故。
口付ければ、こんなにも胸が苦しくなる。抑えられない鼓動の、その意味を、知りたいのだ。
どうして、その唇の感触が、ぬくもりが、忘れられないのか。
透けるような銀髪が、シーツの上に広がっている。
ヒューゴはなんとはなしにその繊維を手にした。
室内灯の僅かな明かりを受けてきらきらと輝く髪を、ヒューゴは何度も梳く。何度も、何度も。
その表情はひどく落ち着いている。クリスがすぐ側にいるのに穏やかといってもいい顔で、ヒューゴは無心にその髪を弄んだ。
それからしばらくして、幾度目か髪の毛がはらりとベッドに落ちると同時に、クリスが身じろぐ。
ヒューゴは弾かれたように、しかし気付かれないようにゆっくりと手を離した。そして目を覚まし上半身を起こそうとするクリスに手元にあったシャツを投げてやる。
受け取ったクリスは袖を通しながら、ヒューゴの様子を窺うように視線を送った。
すぐ隣にいるのに、ヒューゴはクリスの顔を見ようとはしない。しかし、今までのような、触れれば爆ぜそうな危うさは、そこにはなかった。
それを感じ取ったクリスは、意識せず肩の力を抜く。動こうとしないヒューゴの隣で、クリスもまた穏やかともいえる時間を無為に過ごした。
「・・・なんで」
一時の静寂を破って、不意にヒューゴが口を開く。
「・・・罪滅ぼし・・・のつもり?」
視線は向けないままヒューゴはクリスに問い掛けた。今になって、何故クリスが自分に体を預けたのか不思議になったのだろう。少し気持ちに余裕が出たヒューゴは、やっとそんなことに思い当たったのだ。
「・・・・・・」
クリスは一瞬意味を取りかねたように首を傾げ、しかしすぐにこの状況を指してだろうと気付く。
「・・・そういうわけじゃない」
だがクリスの口から出たのは曖昧な否定だった。
クリス自身も、よくわかっていなかったのだ。大したことではないと、とても言えることではない。迷いがなかったとも、言わない。
それでも、必要だったと、今のクリスには思える。
言葉なんかじゃ理解し合えない、そう言ったヒューゴの言葉は正しかったと。
理解し合えたかどうかはわからない。それでも、何かが変わったとクリスは思った。こうして、並んで同じときを過ごすことが出来るのは、その何よりの変化だろうと。
「・・・・・・そう」
そして、ヒューゴもまた、同じことを感じていた。クリスが隣にいるのに、こんなふうに凪いだ心でいられることが、今はとても自然なことに思える。
そんな自分がヒューゴはわからない。
何が自分を変えたのか、何が変わったのか、ヒューゴにはわからない。それでもと、ヒューゴは口を開いた。
「・・・オレ」
静かな声で、ヒューゴは今言える確かな感情を知らせる。
「やっぱり、あんたが憎いよ」
その思いだけは、少しも変わらない。クリスを許すことなど、どうしても出来ない。
それでも、以前クリスに向かって憎しみを吐き出したときと、その表情も声色も違う。
「憎い。それは本当だ」
ハッキリと言って、ふいにヒューゴは視線をクリスに向けた。真っ直ぐ捉えてくるその瞳に、これまでの激しさや熱は、ない。
迷いや戸惑いに揺れているように見える瞳は、しかし映り込んだ自分の瞳なのだろうかと、クリスにはわからなくなった。
「・・・けど」
小さく声を漏らし、ヒューゴはゆっくりと手を動かす。シーツから離れたその手は、同じようにシーツに張り付いているクリスの手に、触れた。
力任せではない、包み込んでくるようなその手を、クリスは解けない。解きたいとも、思えなかった。
今、手越しに伝わる感情は、憎しみなどではない。
それでは何が行き交っているのか、二人にはやっぱりわからなかった。
わからないまま、それでもこの手を離したいとは、今は思えない。ゆるやかな熱を伝え合うその手を、今は繋いでいたい。
クリスはただ、ほんの少しでも、ヒューゴに近付きたかった。
ヒューゴはただ、自分がクリスに抱く感情を、確かめたかった。
そんなそれぞれの思いの果ての独りよがりな行為。結局二人は確かな答えなど得られなかった。
その代わりに得たのは、ごく僅かな感情の共有。
もっと知りたい、相手のことを、自分の気持ちを。
そして、ただこのときは、こうして手を触れ合わせていたい。
それが二人の、今一つだけ言える、確かな思いだった。
END
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最初から判然としないかんじの話にしようとは思ってたんですが。
やり過ぎた! なんだこれ!
しかもBitterと続けて読むと、何気に微妙に繋がってない気が・・・?
おいおいおい。どうしますか。
なんかもうどうしようもないので、どうでもいいコメントを。
二人が行った都市は、グレッグミンスターです。
・・・どうでもよすぎだ!
このシリーズあと一話あります。そこでなんとかなればいいですね。
頑張ります か ?(聞くな)
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