LOVE CHEER
最後の仕上げにテーブルクロスの細かいしわを伸ばして、トーマスは息をついた。
「はぁ・・・上手くいくかな・・・」
少し自信なさそうに、トーマスはまた溜め息をつく。
どうしても思い出してしまった。全く思うようにいかなかった、数ヶ月前のことを。
このビュッデヒュッケ城を炎の運び手の本拠地と定めてから少し経った頃のことだった。せっかく協力することになったのだからと、トーマスは出来れば仲良くしたいと思って、ささやかな親睦会を開いたのだ。
招待したのは、まずは炎の英雄ヒューゴとゼクセン騎士団団長クリス。もちろんトーマスは二人の因縁を知っている。だからこそ、こういう場を設けて関係を少しでもいいほうに持っていけたらと思ったのだ。
そしてもう一人、ヒューゴと同じく真なる紋章を宿し、50年前の炎の運び手の一員でもあったゲド。彼はトーマスから見てとてもとっつきづらいとは思えない人物だったが、しかしヒューゴとクリスと自分の三人っきりよりは、もう一人いたほうがいいと思ったのだ。あの無愛想なゲドがいたほうがましだと思うのだから、トーマスも先行きの不安はひしひしと感じていた。
そして、その予感は全く正しかった。
城主トーマスの招待とあって、三人ともちゃんと来てはくれた。が、三人とも、明らかに乗り気ではなさそうだ。
ヒューゴはクリスが隣にいることを考えないようにしているのか、表情はとても固い。そんなヒューゴの様子に気付かないわけもなく、クリスは居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。ゲドはそもそもこういう場が苦手そうでいつも以上の仏頂面だ。
これ以上なく重苦しい空気だったが、しかしトーマスは諦めなかった。
どうにか明るい雰囲気にしようと、話題を振ってみる。いや、振ってみようとした。
「・・・ゲド様は」
と、まずは無難なところでゲドに昔の炎の運び手の話でも聞いてみようと思ったのだが。
「・・・・・・様付けはやめろ」
「・・・え? あ、は、はい、すみませんっ!」
出鼻を完全に挫かれてしまった。
ゲドにきつく咎めるつもりなどなく、ただ単に様を付けられるのが苦手だから改めて欲しかっただけだと、付き合いが長い人ならわかったろう。しかし、トーマスにはわからず、機嫌を損ねてしまったと思ったのだ。
そんなわけでゲドに話題を振ることが出来なくなったトーマスは、今度はどっちに話し掛けようか迷う。
「・・・あ、あの、ヒューゴ様は」
「・・・・・・・オレも、様付けはいいよ」
考えた末ヒューゴに話し掛けたトーマスは、またもや挫かれる。ヒューゴの声はいつもの明るさも覇気もなく、とても何か明るい話題を続けられそうにない雰囲気だった。
「・・・・・・じゃ、じゃあ、クリス様は・・・」
「・・・・・・・」
クリスは、トーマスが形の上で自分の配下であるから様付けするなとは返せず、しかし話を振られても困るとその表情で言っている。
そんなとき、部屋の扉がノックされた。そして入ってきたのはルイスだ。ルイスはブラス城からの伝令をクリスに伝え、そしてクリスは、これ幸いと表に出しはしないが、トーマスに簡単に謝るとさっさと部屋を出て行ってしまった。
クリスが欠けてしまえば、こうやって集まった意味も半減以下になってしまう。かくしてトーマスの試みは、完全に失敗してしまったのだ。
それから数ヶ月。
グラスランドとゼクセンは何度か戦闘を共にした。一般兵士レベルでも、交流はどんどん深まっている。ヒューゴとクリスも、悪くない雰囲気になってきている、ようにトーマスには見えた。
だからトーマスは、ここらでもう一度、親睦会を開いてみようと思った。
前回が散々な結果だったことはもちろんトーマスに苦い記憶として残っている。が、それでも今度は、とトーマスは思うのだ。
「よし、今度こそ!」
気弱になりかける自分を叱咤して、トーマスは決意を新たにする。
景気づけにエイエイオー!と腕を上げたところ、うしろの扉が開いた。
最初の訪問者はゲドだった。
「あ、ゲドさん、今日はよろしくお願いします!」
「・・・・・・あぁ」
ゲドは短く答え、椅子に掛ける。
この数ヶ月で、トーマスにも少しはわかった。無愛想でとっつきづらく思えるゲドだが、決して冷たい男ではないのだ。
以前とは違う、とトーマスは前向きな気分になる。
「失礼する」
次に入ってきたのは、クリスだ。
クリスも、ゲドと同様に無愛想でとっつきづらく見える。最初の印象が強くてどうしても畏まってしまうトーマスだが、それでも最初よりずっと話し易くなった。職務中は厳しさが前面に出ているクリスだが、垣間見せる女性らしい優しさをトーマスは知っている。
やっぱり以前とは違う、トーマスはまた一つ前向きな気分になった。
最後に入ってきたのはヒューゴだ。表情は以前と同じで固く、俯き加減に席につく。
それでも、ヒューゴの明るい性格を知っているトーマスは、きっとすぐに打ち解けるはずだと、わざと楽天的に考えた。
「えっと、今日は集まってくれてどうもありがとうございます」
自分も席について、トーマスは改めて三人の様子を窺った。
以前ほどの重苦しさはない。が、なんともいえない緊張感がそこにはあった。
前回と一番違うのは、クリスがゲドの存在を意識している。ジンバ・・・クリスの父ワイアットがこの世を去ったのは数週間前のことだ。ワイアットを知るゲドに、父のことを聞きたいのか、それでも複雑な何かがあるらしく聞けずにいるようだ。
ゲドはそんなクリスに気付いているようだが、だからといってどうしていいかわからないのか、無表情を貫いている。
そんな二人の様子が、気にならないわけはないだろうヒューゴは、しかし初めと変わらず俯いたまま顔をしかめていた。
「・・・・・・・・・」
以前とは確かに違うが、かといって以前よりいい雰囲気かというと、そういうわけでもなさそうだ。そう思ったトーマスだが、しかしやはり諦めてなるものかと思う。
「あ、あの、ゲドさん」
トーマスは意識した明るい声で、ゲドに果敢に話し掛けた。
「む、昔の話とか、聞いてもいいですか? 昔の炎の運び手のこととか」
この話題なら、クリスは父に関係あることなのでもちろん、そしてヒューゴもゲドの昔話なら興味あるだろうから、乗ってきてくれるはずだとトーマスは期待した。
しかし。
「・・・・・・話すほどのこともない」
と、ゲドは一言だけ言って黙り込んでしまう。確かに、このような場で昔話を語って聞かせるような人に、ゲドはとてもじゃないが見えなかった。
「・・・・・・」
せっかく興味ありそうな顔をしていたクリスも、未練はあるようだが、ゲドがそうだから続きを促すことは出来ずにいる。
そして頼りにしていたヒューゴは、相変わらず俯いたままだった。トーマスがゲドに話し掛けたことすら聞こえていなかったように見える。
「・・・・・・?」
それどころか、ヒューゴの眉間のしわはいっそう深まり、何かに耐えるように唇を噛み締めている。顔色もどこか優れず、体調でも悪いのかとトーマスは心配になった。
しかし声を掛けようと思ったトーマスよりも早く、ヒューゴの異常に気付いたものがいる。
「・・・ヒューゴ」
躊躇いがちに、クリスはヒューゴに声を掛けた。
クリスは、もちろんゲドのことが気になってはいたようだが、やはりそれ以上にヒューゴに気を留めていたのだろう。
「・・・顔色が悪いようだが・・・大丈夫か?」
心配そうに、クリスが尋ねた。
このクリスの優しい気遣いがきっかけで二人ももう少し打ち解けないだろうかと、トーマスは期待する。
しかし、事態はトーマスの期待した通りにはならなかった。
クリスの気遣う視線に、ヒューゴが返したのは、鋭い視線だ。
「・・・お、お前なんかに・・・!」
険を含んだ言葉が、クリスに向かう。
ヒューゴはすぐにハッと押さえてとめたが、しかし一度出た言葉を、取り消すことは出来なかった。
だからクリスはそれを受け止めるしかない。
「・・・済まない」
迂闊に声を掛けた自分を咎めるように、クリスは俯いた。
「・・・・・・・っ」
ヒューゴの表情が一瞬、泣き出す寸前のように歪む。
それから、席を立ち、そのまま逃げるように部屋を出て行ってしまった。
「ヒューゴくん!!」
トーマスは思わず立ち上がってそれを見送った。
クリスはもちろん、ゲドもヒューゴのあとを追う素振りは見せない。
少し迷って、それでも放っておけないと思い、トーマスはヒューゴのあとを追った。
ヒューゴは部屋からすぐの、廊下の突き当たりに立っていた。窓枠に手を掛け、空を見上げているように見える。
その背中には、少年らしい健やかさも英雄としての力強さも感じられなかった。とても小さく頼りなさ気に見える。
「ヒューゴくん・・・・・・」
そんなヒューゴにどんな声を掛ければいいのか、トーマスにはわからなかった。
ヒューゴはトーマスの存在に気付いて、振り返りはせずに口を開く。
「・・・わかってるんだ。今は・・・こんなんじゃだめだって、ちゃんとうまく付き合わないといけないんだって」
自分を不甲斐なく思うようにヒューゴは呟いた。ギリリと音がしそうなほど、窓枠を強く握りしめている。
そんなヒューゴが、とても痛々しくて、トーマスはどうにかして彼の気を楽にしてやれないかと考えた。
「・・・無理はしないほうがいいですよ。しなきゃいけないんだって、自分を追い込んでも、つらくなるだけだと思うし・・・」
「そんなこと・・・っ!!」
選びながら言葉を継いでいたトーマスを、ヒューゴが苛立ったような声でさえぎった。同時に振り返り、睨みつけ、それからハッとしたように視線を落とす。
その表情は、さっきと同じで、泣きそうに見えた。
「・・・オレ・・・だめなんだ」
「・・・ヒューゴくん」
つらそうに口を開くヒューゴを、とめたほうがいいの聞いていたほうがいいのか、トーマスは迷う。
「・・・憎いとか思ってる場合じゃないって、わかってる。だから考えないようにしてたのに。でも・・・自分が、思い通りにならない」
「・・・・・・」
トーマスが思っていたよりもずっと、ヒューゴは囚われているようだった。
親友を斬ったクリスを仲間として・・・それ以前にその存在自体を、認めること。それがどうしても出来ないと、出来ないなら忘れようと思ってもそれすら叶わないと、儘ならない自分に苛立ちめいたものを感じているのだろう。
「・・・どうすればいいかわからない。なぁ、トーマスさんはどうして・・・」
ヒューゴはどこか縋るように、トーマスを見つめた。
「トーマスさんの母親はグラスランドの人に殺されたって言ってた。それなのに、なんでオレたちに優しく出来るんだ? どうやって許せたんだ? オレには、どうしてもわからない」
「・・・ヒューゴくん・・・」
トーマスに、あの夜がよみがえる。
ヒューゴたちをこのビュッデヒュッケ城から脱出させる作戦を決行する、その前夜のことだった。どうしてグラスランドの人間である自分を匿ったり助けたりするのか、ヒューゴはそうトーマスに尋ねたのだ。
そのとき、トーマスは自分の母親がグラスランドの盗賊団に殺されたことを最後にボソッと言った。そしてそこでトーマスは翌日のこともあるので話を切り上げたのだ。
そのときのことを、トーマスは今まですっかり忘れていたが、しかしヒューゴにはどうしても忘れられなかったようだ。
「・・・そういえば、そんな話、しましたね」
トーマスは、あのとき話半分で終わらせてしまったことを悔いた。
「なぁ、どうして・・・」
「・・・・・・」
トーマスはヒューゴの隣に並んで、窓の外に広がる青空を見上げた。
今日は、時間ならたくさんある。ヒューゴの気が済むまで語ろうと、トーマスは思った。
「・・・僕だって、最初から許せたわけじゃないです」
だから正直に、トーマスは自らの思いを話した。
当時のことを思い出すと、トーマスだってまだ胸は痛む。だが、今ヒューゴが抱えている痛みに比べたらたいしたことないとトーマスは思った。
「僕も・・・最初は・・・憎みました」
ヒューゴが、意外そうにトーマスを見る。
トーマスは思わず苦笑した。母を殺した相手を全く憎まずいられるような人間に、自分はヒューゴには見えていたのかと。
だが、トーマスも人並みに、憎んだのだ。
「母を殺した盗賊団を含めて・・・グラスランドの人みんな、憎くて堪らなかった」
「・・・・・・・・・」
トーマスが嘘をつくような人間ではないとヒューゴは知っている。だからこそ、それなのに何故そんなふうに穏やかに話せるのか、ヒューゴにはそれがわからないようだった。
視線でどうしてなのかと問うてくるヒューゴに、トーマスは思い返しながら答える。
「・・・憎いと思いながら・・・それでも、それじゃ何も変わらないんじゃないかって、そう思った」
「・・・・・・・・・」
「母がいなくなって、途方に暮れていた僕に親切にしてくれたのも、グラスランドの人だったんです」
ヒューゴは思わぬ事実に、少し目を丸くした。
「最初はその人たちの優しさをとても素直に受け取れなくて、ひどいこともたくさん言った。それでも、その人たちは、ただ僕に優しくて・・・」
あの人たちのことを、きっと一生忘れない。トーマスはそう思う。
「それから、僕は、思うようになったんです。許すとか許さないとかじゃなくて・・・ただ、出会った人、その人を何人とかじゃなくて、ちゃんと見て知って・・・」
そこでトーマスは、ヒューゴの顔を真っ直ぐ見る。
「たとえば・・・君をグラスランド人だからって理由で恨むことは簡単かもしれない」
「・・・・・・」
「でも、僕は、目の前にいるヒューゴくんが、好きです」
トーマスは素直に、自分の気持ちを言葉にした。
もう一度、ヒューゴは目を見開く。
「だって、ヒューゴくんは、強くて思いやりもあって楽しくて、とても素晴らしい人です」
「・・・そ、そんなこと」
ヒューゴがちょっと困ったように眉を下げた。おかげで少し彼の張り詰めていた空気が和らぎ、トーマスは僅かに安堵する。
「僕は、ヒューゴくんのことを、そう思うんです。なのに、昔僕の母を殺したグラスランド人だからってヒューゴくんのことを悪く思うのは・・・もったいないですよ」
「・・・もったいない?」
「ええ、もったいないです。一生のうちに出会える人の数は限られてます。だったら僕は、出会った人とは出来るだけ、仲良くしたいって思います。いいなって、好きだなって思う人となら、なおさら」
「・・・・・・」
「もちろん、そんな理屈ばかりで考えてるわけじゃないですよ。ただ、こうしてヒューゴくんを目の前にすると、あぁ僕はヒューゴくんのことが好きだなって思うだけで。だから、その自分の感情に素直になってるだけなんです。ね、簡単なことでしょう?」
「・・・そうかな・・・」
ヒューゴは自信なさそうに曖昧に首を振る。だがトーマスは諦めず、辛抱強く続けた。
「だって、ヒューゴくんだって、たとえば・・・メルヴィルくんと話すとき、彼がゼクセンの人だっていちいち考えてます? ゼクセンの人なのに仲良くしている自分がおかしいと思います?」
「そ、それは・・・」
ヒューゴはハッとしたように顔を上げた。言われて気付いたのだろう。
「・・・メルヴィルはいい子で・・・一度決めたら何言っても耳を貸さない頑固なところもあるけど・・・だからって、ゼクセン人だからなんて理由で悪く思ったりなんかはしない。それに・・・」
悔いるように首を振って、ヒューゴは今の自分の思いを正直に口にした。
「そうだ、オレは知ってる。ゼクセに住む人だって、腹立つやつもいたけど、親切な人もいた。騎士にだって、嫌なやつもいるけど、いいやつだっている。それで、そんなことも、本当は・・・関係ない」
ヒューゴは、見失ってしまっていたことを、今度は忘れないよう刻み付けるように、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「トーマスさんがオレたちを助けたのだって、オレたちが困ってたから。目の前で困ってる人や苦しんでる人がいるのに見て見ぬ振りなんて出来ない。そうなんだって、オレはちゃんとわかってたはずだったのに。・・・・・・けど、でも」
噛み締めるような言葉が、しかし最後に一転して、小さくなった。ヒューゴはどうしようもないように、ゆるく首を振る。
「でもオレは・・・あの人は・・・」
「・・・うん、だからといって、単純には、ヒューゴくんはいかないですよね」
それでもクリスがヒューゴの、親友を殺した直接の仇であることは確かなのだ。全てのゼクセン人を憎んではいなかったとしても、だからといってクリスを許せることにはならない。
トーマスにはヒューゴのその気持ちがよくわかった。
「・・・・・・正直に言うと、僕だって、母を殺したあの人たちを許せているかって聞かれると、はいって答えることは出来ない。僕はまだ、どこかであの人たちを、許せてはいない。だから僕には、ヒューゴくんに何かを言う資格はないのかもしれないけど・・・」
トーマスは仕方なさそうに、小さく笑った。憎むなと言うのが正しいのかもしれないけれど、それでもトーマスは、大切な人を殺されて憎まずにいることの難しさを知っている。許せないと思うその気持ちが、よくわかる。
「・・・だから、無理に許そうとしなくても、いいのかもしれない」
「・・・・・・いいのか?」
ヒューゴが驚いたようにトーマスを見返す。
「・・・うーん、よくはないのかもしれないですけど。でも、感情を無理に押さえ付けたりしても、苦しいだけだし」
「・・・・・・」
それは身に染みてわかっているのかヒューゴは顔をしかめる。
だが、トーマスがもうあの人たちに会うことはないのと違って、ヒューゴはクリスとこれからもしばらくは付き合っていかなければならないのだ。許そうと思い込むこむ必要はないかもしれないが、憎いと思い込んでもいられないだろう。
「許せないと思うなら、それでも仕方ないかもしれない。でも、憎しみ以外の感情にも正直になることも、大事だと思うんです」
「憎しみ以外・・・」
ハッとしたように、ヒューゴは顔を上げる。思い当たることが、あるようだ。
「・・・さっき・・・クリスさんが、オレに大丈夫かって、声掛けた」
ヒューゴは少し苦しそうに、それでもここまできたら全てトーマスに聞いて欲しいと、口を開く。だからトーマスは、黙ってそれを受け止めた。
「オレ、あの部屋に入るとき、クリスさんのこと憎いって思っちゃ駄目だって思った。普通に接しないといけないって。でも、どうしても、あのときのこと思い出したりして・・・クリスさんの顔を見ることが出来なくて。なんでオレってこうなんだって、どうしてうまくやれないんだって、自分が情けなくて腹立たしくて・・・」
「・・・・・・」
「そんなとき、クリスさんが声掛けてきて。オレは・・・・・・お前のせいでこんなに苦しんでるのに、お前にだけは心配されたくない、そう思ってしまった。どうにか抑えたけど、あのままあそこにいたら、自分が何言いだすかわからなくって、逃げるように部屋飛び出して・・・」
ヒューゴは窓の外、青空を見上げる。
「カッとなってたのが少し落ち着いて、そしたら、なんだか、泣きたくなった。あんなやつに我慢する必要なかったもっと言ってやればよかったって、どこかで思っている自分がいて。それでいい憎め、憎んだままでいろって。憎んじゃいけないってずっと自分に言い聞かせてきたのに、どうして自分はまだこんなこと考えてるんだろうって。・・・・・・トーマスさん」
ヒューゴは、トーマスに背を向けた。
「クリスさんはオレのこと心配してくれて声掛けてくれた、そうだよね?」
ヒューゴの表情がわからず、トーマスは戸惑いながら、それでも正直に思ったところを伝える。
「はい」
「だよね・・・」
ヒューゴはそこで、振り返った。トーマスの予想に反して、ヒューゴは小さく笑っている。
「わかってる。本当は、わかってる。オレは、クリスさんのことを憎んでる。考えないようにしたって、やっぱり、憎んでることは変わらない」
「・・・・・・」
「でも・・・それだけじゃない。それ以外の感情を、オレは・・・確かに、クリスさんに・・・感じてる」
ヒューゴは、一言一言を噛み締めるように、言葉を継ぐ。
どれだけヒューゴがつらそうでも、ここでとめてはいけないのだと、トーマスは黙って待った。今ヒューゴは、一つ、乗り越えようとしているのだ。
「・・・クリスさんてさ・・・お堅くて冷たそうに見えるけど、結構・・・・・・優しいよね。不器用で、伝わりにくいけどさ」
ヒューゴはなんとか言い終わって、それからふっと気をゆるめた。その表情は、いつものヒューゴの、笑顔だ。そこには、全てを出し切った清々しさも見える。
だからトーマスも思わず笑った。
「ええ、僕も、最近そう思います」
「だよね」
ヒューゴはそこで、ふと真面目な顔をする。
「・・・オレ、クリスさんと、話してくる。今のオレの思いを、隠さず伝えてくるよ」
未だ開かれない、クリスがいるはずの部屋の扉を見つめ、ヒューゴは静かに言った。必要以上の気負いも深刻さもそこにはなかったので、トーマスはなんの心配もいらないと思う。
「はい」
だからただ頷いたトーマスに、ヒューゴは一度背を向けて、それから思い出したように振り返った。
「そういえば、思ってたんだけどさ。オレのこと、ヒューゴくんって呼ぶの、やめてくれないかな。なんか変なかんじがする。ヒューゴでいいよ」
「・・・じゃあ、僕も、トーマスでいいですよ」
くすぐったそうに笑うヒューゴに返しながら、トーマスはそういえば誰かと呼び捨てで呼び合うのは初めてだと気付いて、そのほうがくすぐったい気がすると思った。もちろん、それ以上に嬉しい。
照れたように笑うトーマスにつられてヒューゴも笑った。
「・・・じゃ、オレ行ってくる」
そして歩き出したヒューゴは、またもう一度振り返る。
「トーマス、ありがとう。オレも、トーマスのこと、好きだよ」
「・・・・・・」
ヒューゴの直接的な言葉は、しかしトーマスが言った同じ言葉に対するものだ。思い出して今さら恥ずかしくなったトーマスはごまかすように笑った。
「あ、あは、あははは」
そんなトーマスにもう一度じゃあと言って、ヒューゴはクリスのいる部屋へ入っていく。
それを見送って、トーマスはホッと胸を撫で下ろした。思わずヒューゴのあとを追いかけたときはどうなることかと思っていたが、どうにかなんとかなったようだ。
「一歩前進、ですよね」
今回も期待した通りうまくいったとはとても言えないが、それでも悪くなかったとトーマスは思った。
「よし、今度こそ!」
トーマスは呟いて、両の拳を握る。
その頭の中は、もう次の親睦会の計画で一杯だった。
「あ、ゲドさん」
だからトーマスは、ヒューゴと入れ替わるように部屋を出てきたゲドに、駆け寄る。
「今日はせっかく来て頂いたのにほとんど話が出来なくてすみませんでした。でも、・・・だから、またお誘いしていいですか?」
「・・・・・・」
ゲドは、期待と希望を込めた瞳で見上げるトーマスをちらりと見て、そして背を向ける。
「・・・・・・そうだな、悪くない」
とだけ残して、ゲドは去っていった。
悪くない、と彼が言うのなら、本当に悪くないと思っているのだろう。寡黙ゆえに言葉に嘘がないゲドだ。
「はいっ!」
トーマスは一瞬遅れで返事して、それから思わず抑えきれず笑顔になる。
今度こそ、きっとうまくいく。トーマスはそう、懲りずに思った。
『みんなで仲良く』がモットーのトーマス。うまくいけばもちろん、無理だと思えようと余計なお世話だと言われようと、それは変わらない。
彼は気弱そうな外見に反して、不屈の精神を持っていた。
END
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弱そうで強い、トーマス。立派な子ですよ。父親に爪の垢を煎じて飲ませたいですね。
でもって・・・フォローしておくと、ゲドさんは別に薄情なわけじゃない、のですよ?(笑)
その辺やクリスとのあれこれは、またいつか。
ヒューゴがみんなに大事に思われてる話が大好きですから(笑)
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