LOVE FORBIDDEN



 英雄戦争が終わると、二人はすぐに落ち合った。
 走って走って辿り着いた目の前のドアを、シーザーは息を整える間も惜しんで開く。
「はぁはぁはぁ・・・」
 荒く呼吸をしながらシーザーは部屋の中の人物を確かめ、苦しいのも忘れて頬を弛ませた。
 そして、その人物が立ち上がるのよりも早く、シーザーは勢いに任せて飛び付く。半端な体勢だった為バランスを崩した腕の中の男ごと、シーザーはベッドへと倒れ込んだ。
 しばらくそのまま息を整えていたシーザーは、やっと落ち着いて、ゆっくりと体を起こす。
「・・よぉ、なかなかの名演技だったぜ、兄貴」
 眼下の男、アルベルトは、こらえきれない笑いを浮かべるシーザーに、同じように笑い掛けた。
「お前こそ、シーザー」
 そっと髪を撫でられて、その久しぶりの感触に、それだけでシーザーは陶酔めいたものを感じる。
 言葉を交わすのは、後回しだった。
 まずは、肌と肌で、感じ合いたい。シーザーはその思いのまま、アルベルトの唇に自らのそれを合わせた。
 アルベルトの腕も、引き寄せるようにシーザーの背に回される。
 躊躇いなど微塵もなく、二人は己の欲に任せて抱き合った。


 アップルによって語られた祖父レオンの思想。
 アルベルトはそれに、なんの感銘も受けなかった。素晴らしいとは思わないが、しかしアップルや一緒に聞いていた大人たちのように、それが間違っているとも思わない。
 アルベルトは幼い頃から軍師としての教育を受け、ハルモニア留学も期待されるままの成果をあげて終えた。確かに軍師の、策を講じ人を思い通りに動かす、そのこと自体には楽しみを感じる。しかし、目指すもの、軍師としての自分の到達点がアルベルトには少しも見えていなかった。
 そして、それならそれでも構わない。アルベルトはそう思っていた。
 ただ、退屈なのは、つまらない。
 だから、アルベルトは思ってもいないことを口にした。レオンの思想は素晴らしい。それこそ、我がシルバーバーグ家の果たすべき悲願だと。どんな犠牲を払っても、達成しなければならないのだと。
 語りながらアルベルトは、さあどうする、と思う。こんな自分を、良識ある大人たちはどう諌めようとするのだろう。そんなアルベルトの期待は、しかしすぐに失望に変わった。
 大人たちは、何も言わない。少し眉をひそめ、それでも、そういう考え方もあると、間違っていると思っているはずなのに正面から批判しようとはしない。
 シルバーバーグ家では思想の方向性は個人に任されているからか。それとも、自信がないからか。まだ二十歳ほどのアルベルトを、説き伏せる自信が。
 諦めかけたアルベルトの耳に、ふいに声が届いた。
「おれは、間違ってると思う」
 真っ直ぐにアルベルトを見上げているのは、シーザーだ。
「たくさんの人を巻き込んで犠牲にする、そんなやり方しか出来ないなんて、そんなの軍師じゃねぇ!」
 てっきり話を聞いていなかったかに見えたシーザーは、しかし真っ向からアルベルトに反論する。
 その視線を受け、アルベルトは喜びを感じた。
 アルベルトが言い返せば、シーザーもまたその考えを批判する。そのやりとりは、大人たちには派手な兄弟喧嘩、思想の衝突に見えただろう。
 しかしアルベルトは、自分を見据えるシーザーの瞳に、享楽の光を、確かに見付けた。


 大人たちは去り、部屋にはアルベルトとシーザーだけが残された。
 シーザーは絨毯に座り込んで、最近はまっているという異国の遊び「折り紙」に再び興じている。その周りには器用に折られた様々な折り紙細工が、まるで戦利品のようにきれいに並べられていた。
「・・・・・・シーザー」
 アルベルトが名を呼ぶと、シーザーは手をとめパッと顔を上げる。
「さっき反論したのは、自分の良心故か?」
 そう問うたアルベルトに、シーザーは、即座に返した。
「違ぇよ。たださ、みんな兄貴になんも言い返さないからさ。んなの、面白くねぇし」
 アルベルトの考えが間違っていると思ったから、そんな理由ではないのだと、悪びれた様子もなくシーザーは笑う。
「それに、兄貴もつまんねぇって顔してたからさ。な、ちょっとは退屈紛れたろ?」
 自分を見上げるシーザーの瞳、そこに宿っているもの、それは自分と同じだ。アルベルトはおぼろげに気付いていたことを、今はっきりと確信した。
 シーザーは、自分にとって楽しいか、アルベルトにとって楽しいか。それだけしか、考えていないのだろう。
 もう躊躇することはないのだと、アルベルトは知った。
 椅子を立って自分の側まで来たアルベルトを、シーザーは嬉しそうに見上げる。
 その表情は、一見無邪気だが、しかしそれだけではなかった。その瞳に潜むもの、それはアルベルトにしかわからないし、そしてまたアルベルトにしか向けられないものなのだ。
「・・・シーザー、ゲームをしないか?」
「・・・おれと兄貴で競うのか・・・?」
 首を傾げるシーザーを、アルベルトは膝をつき視線の高さを同じにして覗き込む。一つ、折り紙細工がアルベルトの膝の下で潰れたが、シーザーは気にも留めなかった。
「いや、二人で、遊ぶんだ。世界を使って」
「・・・世界を・・・使う?」
「あぁ」
 アルベルトはシーザーの今日も元気に跳ねている髪を優しく撫でる。
「そうだ、シーザー。俺とお前なら、なんでも出来るさ」
「兄貴と・・・おれで・・・?」
 シーザーは世界という言葉よりも、アルベルトと一緒というところに惹かれているようだ。アルベルトには簡単にそれが読み取れる。
 どこか嬉しそうに綻んでいるシーザーの口に、アルベルトはそっと唇を合わせた。
 そして、驚くシーザーに、嫣然と微笑み掛ける。
「俺は、お前だけは、裏切りも見捨てもしない。この先、何があっても」
 アルベルトはシーザーの手を取り、自らの顔へ引き寄せる。
 シーザーの手は自然と頬の感触を確かめるように動き、その視線は魅入られたようにそらされない。
「その証を、まずは手に入れてみたらどうだ?」
「・・・・・・証?」
「あぁ」
 シーザーの手をもう一度取りアルベルトは、襟元からシャツへの中へと導いた。
 服に隠れた肌の体温に触れ、ピクリとシーザーの手が揺れる。
「・・・・・・兄・・・貴?」
 声が少し上擦っているシーザーの口を、アルベルトは再度塞いだ。
 戸惑うシーザーの指が、アルベルトの助けを借りず動きだすまでに、そう時間は掛からなかった。
 おそらくシーザーは状況を掴めてはいないだろう。それでも、目の前のアルベルトを拒むことなど、出来なかったのだ。
 何故ならシーザーは、こうなることを、ずっと望んでいた。兄であるアルベルトと、こんなふうに肌を合わせ抱き合うこと、それだけを。
 シーザーよりも大人のアルベルトは、その思いを、その意味を知っていた。
 そして、自らがシーザーに向ける思いも、知っている。
「兄貴・・・兄貴ぃ・・・」
 シーザーは夢中で、動くたびに自らが作った折り紙細工が潰れ無残な姿になっていくのも見えていない。もうシーザーにはアルベルトしか見えていなかった。
 その視線も、名を呼ぶその声も、這う手も触れる肌も、アルベルトには心地いい。他の誰でもなくシーザーだけが、そこに存在するだけで、アルベルトを喜ばせた。
 そしてそれはシーザーも同じだと、アルベルトを見つめる瞳が、そう言っている。
 一緒にいるだけで充分、そしてもっと楽しむ方法も、アルベルトは知っていた。
 だからアルベルトは、それをシーザーに教えるのだ。二人で楽しみを共有する、その為に。
 シーザーを、引き摺り落とすわけではない。ただ、手を取り合い、そして共に堕ちていく、それだけなのだ。


「でも、こんなに上手くいくとは思わなかったな」
 シーザーはアルベルトの背と自らの背を凭れ合わせながら、この数ヶ月を振り返って笑う。
「言った通りだったろう?」
「あぁ、さすがはおれの兄貴だ」
 アルベルトが言った、世界を使って遊ぶということ。最初はなんのことかわからなかったが、それでもシーザーはアルベルトについていくことになんの抵抗も不安も感じなかった。
 アルベルトが言うのだから、間違いはない。何よりシーザーは、「証」を手に入れたのだから。
 そして、やはりアルベルトは裏切らなかった。全てがシナリオ通りに進み、何一つ違えることなく結末を迎えたのだ。グラスランドもゼクセンもそしてハルモニアさえも、アルベルトの手の内でまるで赤子のようだった。
「でも楽しかったな、『普段はだらしないけどここ一番では頼りになる、ちょっと未熟なところもあるけど将来有望な少年軍師シーザー』を演じるのは。おまえはまぁだいたい地のままだったもんな。今度は全然違うのやってみれば?」
「次か・・・・・・」
 考えただけで楽しくなってきたシーザーは、アルベルトの反応が余り乗り気じゃないように思えて首を傾げる。予定通り行き過ぎてアルベルトは楽しめなかったのかと。
「もうやんねぇのか?」
「いや・・・」
 しかしやはり、二人の考えることは同じだったようだ。
「ちょうど、それを考えていたところだ。次はどこにしようかと」
 言葉に続いて紙を広げる音がし、シーザーは思わず体を捻って覗いた。アルベルトの前に置かれているのは、世界地図だ。
「・・・そうだなぁ」
 シーザーはアルベルトも同じことを考えていると知って、俄然楽しみが増した。アルベルトの肩に手を掛けて覗き込み、その地図を眺める。
「また同じ設定でも面白そうだけど・・・全然違うところに行くってのもいいかもな」
「例えば?」
「うーん・・・」
 シーザーは少し考えて、身を乗り出し地図を指す。
「南の群島諸国とか、ファレナまで足を伸ばしてもいいかもな」
 言いながら、シーザーは本当はどこでもよかった。どこでよりも何をよりも、アルベルトと、が一番シーザーにとって重要なのだ。
「・・・シーザー」
「ん?」
 そんなシーザーを、アルベルトが咎める響きで呼んだので、何がいけなかったのかと顔を覗き込む。
 するとアルベルトは、自分の肩に体重を預けるシーザーの手を軽く叩いた。
「いくらお前が小柄だとはいえ、そう体重をかけられると重いな」
「あっ」
 言われてみれば、いつも姿勢のいいアルベルトが少し前屈みに上体を曲げている。
「悪ぃ悪ぃ、ごめんな」
 シーザーはパッと手を離し、代わりにアルベルトの首にその腕を回した。そうしてから、かかる体重はあまり変わらないかもしれないと思ったが、一度こうしてくっつくと離れづらくなる。
 しかしそれはアルベルトも同じだったのか、今度は何も言わなかった。
「・・・やっぱり、おれ、しばらくはいいかも、なんもしなくても」
 シーザーはアルベルトの髪に顔をうずめ、その感触と匂いを味わう。僅かに残る汗の気配に、先程までの行為を思い出してシーザーは、腕の力をさらに強めた。
「だって、長いことほとんど一緒にいられなかった。すげ、寂しかったぜ」
 会いたい気持ちを押さえ付ける、またこうやって触れられなくなる、そんなのはもう当分は御免だった。
「兄貴は? おれといない間に・・・浮気なんてしてねぇだろうな?」
 自分に回された腕に、アルベルトは手を添え答える。
「あぁ」
「ほんとか? あのいっつも一緒にいた黒い男とも?」
 シーザーは本気で疑っているわけではない。ただ、自分が一緒にいられないときに側にいられた男に対する、ただの嫉妬だ。
 その思いを隠さず覗き込めば、アルベルトは正しく理解し、そして欲しい答えをくれる。
「あぁ、ただの道具に過ぎないさ、あの男も・・・誰も」
 冷え切った口調で、それでもシーザーに向けられるときだけその視線は熱を孕んでいる。自分にだけ向けられるアルベルトのその光を見るのが、シーザーは大好きだった。
「お前以外はな、シーザー」
「うん・・・おれも」
 いつだって欲しい言葉をくれるアルベルトの口に、シーザーは唇を重ねる。軽くするつもりでも、それは自然と深くなっていった。
 シーザーが体勢を変えようとしたそれよりも早く、アルベルトが動く。
 向き合って、シーザーは首にアルベルトは腰に、互いに腕を回し合い、飽きることなく口付けた。
 体温の上昇をシャツ越しに感じるのがもどかしくて、シーザーがその隙間に手を差し込めば、同時に視界が揺れ背がシーツに触れる。
 欲しがる気持ちは、アルベルトも決してシーザーに負けていなかった。
「・・・おれたち、どっか狂ってんのかもね」
 こんなことをしていて感じるのは幸福感だけ、シーザーはそんな自分が少し可笑しい。そして、同じように思っているんだろうか、と兄を見上げた。
「あぁ・・・当然の帰結だろうな」
「?」
 少しも不思議ではないと言うアルベルトにシーザーは首を傾げる。
「・・・母のことを聞いたことがあるか?」
「いや・・・・・・そういやねぇな」
 どうしてその話題が出るのかはわからないが、シーザーは思い返した。
 母親はシーザーが物心付いたときにはもういなかったので記憶にはもちろん残っていない。そして、どんな人だったか、そんなことをシーザーが誰かに尋ねたこともなかった。
「・・・まあ、それも当然だろうな。気にはならなかったのか?」
「別に。おれはおまえがいれば、それでよかったし」
 笑って言ったシーザーの髪をアルベルトは優しく撫でる。
「・・・母は・・・シルバーバーグの名を持つ女だった」
「親類だったってことか?」
「いや・・・」
 アルベルトはもう一度シーザーの髪を撫で、薄く笑んだ。そしてシーザーは、語られた事実に、笑いたくなるアルベルトの気持ちを理解する。
「姉だ。我らの父、ジョージ・シルバーバーグの」
「・・・・・・」
「俺たちは、二人の狂気の末に産まれ堕ちた、罪の子だ」
「・・・・・・へぇ」
 シーザーの口元は、自然とアルベルトと同じように歪む。
 今まで特に気に留めたことのなかった父のことを、シーザーは少し見直した。
「やるじゃん、親父も」
 姉弟で愛し合いアルベルトは生を受け、それでも二人はとどまることなかったのだろう。そうして生まれたシーザーは、確かにそんな二人の血を受け継いでいることを感じた。
「・・・おれたちがおかしいのも、そのせいなのかな」
 禁忌だと知っていても、それでも自らの思いには逆らえない。常識やモラルにどれだけ反していようが、こうして触れ合う誘惑に逆らえない。逆らう気も、ない。
 シーザーは目の前のアルベルトに迷わず手を伸ばした。こうして触れること、何故それを躊躇わなければならないのか、そう思う。
「でも残念だな、おれたちにも子供が作れればいいのに」
 アルベルトが女なら自分が女なら、そう思うわけではないがシーザーは思わず呟いた。
「産まれてくる子は、きっと化け物だ」
 赤い髪、緑の瞳を持った、二人の狂気の結晶。思い浮かべてシーザーは、実現していたら楽しかったろうと笑う。
「・・・そうだな。だが、俺たちに子は産まれない」
「・・・ま、そうだけど」
 余り興味なさそうに首を振るアルベルトを、シーザーは不満そうに見上げた。少しは話に乗ってくれてもいいのに、と思っていると、アルベルトはそんなシーザーの髪を梳きながら微笑み掛ける。
「・・・だがシーザー、お前となら、子を作るよりももっと楽しいことが、いくらでも出来るだろう?」
「・・・・・・例えば?」
 アルベルトの意図がわかって、シーザーは笑いながら敢えて問い返してみた。
 しかし言葉を待たず、シーザーの手は再びアルベルトのシャツの下へと潜り込んでいく。
「例えば・・・」
 そしてアルベルトの口も、それ以上の言葉を継ぐことはなかった。
 下りてくる唇を受け止めながら、シーザーは左手を背に回し、右手を髪に差し込む。
 長いこと会うことすらしなかった期間があるなんて信じられなかった。さらに引き寄せて肌を合わせれば、もう二度と離れられない気がする。
 今この瞬間以上に幸せなときなどこの世にあるのかとシーザーは思った。




END

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シルバーバーグ家に土下座したい気分です。
ごめんなさい。
いろいろと、各方面にもごめんなさい。
書いてるこっちとしては、とても楽しかったですが。(終わってる・・・)