LOVE FRIEND



 シーザーは楽屋裏から舞台を窺っていた。一度はもうお役御免だとこの場を離れたが、やはり仕掛け人としてどうなったか気になったのだ。
 そしてシーザーが交渉した結果出演することになったヒューゴとゲドは、舞台でロミオとジュリエット・・・と思われる劇を一応演じている。
「ロミオ様! これ以上ここにいるとお命にかかわりますわよ! どうか今日はお戻りになって下さいな!」
 どうやら開き直ったらしいヒューゴが、ふりふりのドレスを身に付けどこかおかしい女言葉でジュリエットを演じていた。
 それに対してゲドは、やはりいつもの無表情で、たまにぼそぼそと平坦にセリフと思われるものを返す。
 だがゲドが舞台に上がっているというだけで充分貴重で、さらにヒューゴと恋人同士の役を演じるとあって、大入りの見物客はかなり盛り上がっていた。
「ロミオ様、あぁ名残惜しいですわ!」
 言って、ヒューゴは期待を込めてゲドを見下ろす。次はロミオがジュリエットに向かって溢れんばかりの愛を叫ぶシーンなのだ。
 ゲドは、ヒューゴに向かって緩慢に両手を挙げ、そして一言。
「・・・魂」
 何一つ伝わらないそのセリフに、ヒューゴは少しも動じず勝手に話を進める。
「そうなんですの、そんなにも私を愛しいと思っていてくれているのね! 私も同じだけ愛しているわよ! こんな距離、すぐにでも飛び越えてみせますわ!」
 ヒューゴはバルコニーの柵から身を乗り出して、そこからゲドに向かって飛び降りようとした。しかし、その体をガシッと掴んで阻止するものが一名。
「おじょう様、そろそろお休みの時間ですよ〜!」
「ばあや! お放しになって!」
「いいえ、行かせませんぞ!」
 逃れようとじたばたするヒューゴを、乳母役のエースは力で押さえ付ける。ちなみにエースはお調子者らしく、もちろん乳母の衣装着用だ。
「は、放し、あ、行かないでロミオ様!」
「ぐえっ」
 成り行きを見守っていたゲドは呆れたように舞台の袖に引っ込もうとする。それに気付いたヒューゴは慌ててもがき、その腕が見事にエースの鳩尾に入った。
「待って下さいロミオ様ー!!」
 そんなエースには構わず、ヒューゴはバルコニーを飛び降りてゲドを舞台に引き戻す。
 そうやって台本を無視して進み始めた劇を、観客は楽しそうに見ているし、ナディールも満足そうだ。
「・・・ったく、どう収拾つけるんだよ」
 シーザーは、思わず他人事のように呟く。こんなふうになることは、もちろんシーザーには予想出来ていた。劇とはいえ、ヒューゴが距離を保ったまま愛を語るだけで終わらせられるはずないだろうと。
 そしてその通りな展開になっている光景は、シーザーにとって、微笑ましく映る。
「なぁヒューゴ、やってよかったろ?」
 小さな声で言い、シーザーは楽屋裏をあとにした。


 やっとドレスを脱いで普段着に戻り、ヒューゴは心持軽くなった体を数度弾ませた。そして楽屋裏を出てレストランへ走りだす。
 これから、レストランで出演者の打ち上げがあるのだ。せっかく劇も大成功に終わったことだしとエースが言い出して、ヒューゴももちろん参加するつもりだったのだが。着替えようと思ったときに、興奮覚めやらぬナディールにつかまって感激感謝諸々を切々と語られた。せめて着替えさせてとの訴えも無視され、おかげでヒューゴはゲドたちに置いていかれてしまったのだ。
 その遅れを取り戻すべく走っていたヒューゴに、ときどき掛けられる揶揄いめいた言葉とは違う柔らかな声が届いた。
「ヒューゴさん、ちょっといいかしら。それとも、お急ぎ?」
「あ、アップルさん。ううん、別に」
 いつものように穏やかに微笑むアップルに、ヒューゴは立ち止まって首を振った。
「どうしたの?」
「ええ、シーザーを見掛けなかったかと思って」
「・・・・・・」
 その名を聞くと、ヒューゴはどうしても腹立たしさ半分不甲斐なさ半分な気分になる。ジュリエット役をやることになったのはシーザーのせいであり、開き直って演じて楽しくなかったわけでもないが、むしろおそらくそれこそがシーザーの狙っていたところなのだろう。つまりヒューゴはシーザーに上手いこと踊らされてしまったことになる。
「さあ、知らないよ。オレのほうが聞きたいくらいだし!」
 文句の一つや二つ言ってやらないと気が済まない気がしてきてヒューゴは口を尖らせた。
「あら、だったら早く見付けないと。もしかしたら先に出てしまっているかもしれないし」
「出る? どこか行く予定なの?」
 疑問を軽く口にしたヒューゴを、アップルは一瞬不思議そうに見る。それから、目を細めて苦笑した。
「聞いて・・・ないのね。確かに、そのほうがあの子らしいかもしれないわ」
 そしてアップルは、少し言うのを躊躇うように、しかし静かな声で告げた。
 今日、このビュッデヒュッケを発つつもりだと。
「・・・え? 発つ・・・って・・・」
 ちょっと近くの村に出掛けてくる、わけではないとヒューゴはアップルの言い方で悟る。
「そ、そんなの、聞いてないよ!」
 ヒューゴは驚いて、すぐにでもシーザーを探しに行こうとした。何も言わずにいなくなるのは、アップルの言った通りシーザーならいかにもやりそうで、薄情だとは思わない。が、別れの挨拶も出来ないのはヒューゴは嫌だった。シーザーとは話したいことことがある。今回の劇のことだけではなく。
「オレ、探してくる!」
 言って駆け出そうとしたヒューゴを、しかしアップルは引き止める。
「待って、ヒューゴさん。少し・・・聞いてもらいたいことがあるの」
「・・・アップルさんがオレに?」
 思いも掛けないことを言われ、ヒューゴの足は思わずとまった。
「ええ。もしシーザーがもう発ってしまってても、あの子の足だから、すぐに追いつけるわよ。だから、ちょっといいかしら?」
「・・・うん」
 アップルの様子から、何か改まった話なのかもしれない。そう思って、見当が付かないながらも少し身構えたヒューゴに、アップルはゆったりと笑って言った。
「さっきの劇、とても楽しかったわよ」
「・・・・・・・・・は、話ってそれ?」
 身構えていたヒューゴは、思わずその場に崩れそうになった。真面目な話と思ったら、よりにもよってその話題なのかと。開き直って演じたとはいえ、思い返せばただただ恥ずかしくて出来れば思い返したくないのだ。
「・・・も、あれは忘れて欲しいな・・・」
 消えてなくなりたいくらいの思いに駆られ顔を俯けるヒューゴを、アップルは見上げる。
「どうして。すてきだったじゃない。そうね・・・シーザーが二人にさせようとしたのも、わかる気がするわ」
「・・・え?」
 アップルは意味ありげに笑んだ。
「シーザーはね、あなたのことが・・・」
 言いかけて、アップルは躊躇いを見せる。
「勝手にこんなこと話したら、シーザーに怒られるかしら」
「アップルさん・・・言いかけたんだから最後まで言ってよ・・・」
 アップルが何を言うつもりなのかわからないが、そんなところでとめられると気になってしまう。
 先を促したヒューゴに、アップルは決意するように一度目を閉じ、そして開いた。
「あなたのことがね、きっと、羨ましいのよ」
「・・・羨ましい?」
 シーザーが自分に向けるはずもなさそうな感情を言われ、ヒューゴはあっけに取られたように口をポカーンと開けた。
「・・・少し違うかしら・・・・・・眩しい、のかもしれないわね」
「・・・・・・ま、眩しぃ・・・?」
 さらにあり得なさそうなことを言われ、ヒューゴはアップルの冗談なのかと思いたくなる。が、アップルの顔は至って真面目だった。
 怪訝そうな表情になっているヒューゴに構わず、アップルは自分のペースで言葉を継ぐ。
「ヒューゴさんはシーザーに昔好きな人がいたって知っているのよね?」
「え、う、うん」
 話がよくわからない方向に進みだして、ヒューゴは困惑しながらも頷いた。相談を持ちかけたときに、シーザーから以前好きだった人に使ったことがあるという手を教えてもらったことがあったのだ。何度聞いても、その相手がどんな人なのかは決して教えてはくれなかったが。
 そのシーザーが好きだった人のことが何故今話題に上がるのかヒューゴにはさっぱりわからなかった。
 しかし、アップルの中ではおそらく筋道が立っているのだろう。ゆっくりと話を続ける。
 ヒューゴは、こうなったらもう考えるのはやめてアップルの話にとことん付き合おうと思った。
「シーザーはね、本当は、まだその人のことが好きなのよ」
「え、でも、今は嫌いだって言ってたような気が」
 思い返して、ヒューゴは首を傾げる。そう言ったときのシーザーは、照れ隠しなどではなく、本心だったように見えた。
「ええ、それも本当なの」
「え? どういうこと?」
 全くわからなくて眉を寄せるヒューゴに、アップルは微笑んで教える。
「好きだけじゃない、嫌いだけでもない、複雑なの」
「・・・よくわからない」
 好きという感情と嫌いという感情を同じ相手に同時に抱くなど、ヒューゴには考えられなかった。
 なので正直にわからないと言ったヒューゴに、アップルはそれも無理はないと言う。そこに、理解出来ないヒューゴを馬鹿にしたり咎める響きはない。
「だから、シーザーはあなたのことをすごいと思うのよ」
「・・・・・・好きって気持ちを認めることが出来ることが?」
 嫌いはつまりは好きの裏返しなのだろうかと、ヒューゴは解釈してみる。しかしアップルは首を振った。
「そうじゃないの。好きだと、ただその感情だけを相手に向けることが出来ること。真っ直ぐ、迷いなく」
 アップルの言うことはヒューゴにとってはとても簡単なことで、しかしそう思えることこそがシーザーがすごいと思っていることなのだと、アップルは言いたいのだろう。
「自分もそうなれたら、どんなに楽だろうって、シーザーは思っているの。でも、シーザーにはどうしても認められない部分がある。その人の。どうしても、許せないところがあるの。それは、どうしようもなくて」
 首を振って、アップルはシーザーの苦悩を思ってか、眉を寄せて溜め息をついた。
「そんなところに目を瞑ってしまえたら、何も考えずに、全てを忘れて。そしたらきっと、楽になれるってわかっているの。・・・それでも」
 アップルは、仕方のない子だという表情でシーザーを語る。
「そうしてしまったら、シーザーは自分が自分じゃなくなると知ってるの」
 それでもアップルの口調も眼差しも、シーザーへの慈しみに溢れていた。少しだけ、母が自分を見る目に似ているかもしれないとヒューゴは思う。
「だから、シーザーはあなたが羨ましいんじゃなくて、ただ眩しいの。・・・わかる?」
「・・・ちょっと、なんとなく」
 ヒューゴはやっぱりはっきりとはわからなくて、でも少しだけならわかった気がした。
「アップルさんみたいな人が付いててくれて、シーザーはとても幸せだと思う。でも、シーザーになりたいかって言われると、やっぱりオレはオレのままでいたい。・・・そういうこと?」
「そう、そんなかんじね」
 アップルは少し照れながら、感覚的に理解しているヒューゴに頷いた。
「・・・シーザーはこれからどうするつもりなの?」
 もし自分がシーザーになったらと考えて、アップルの存在はありがたいだろうが、それでも複雑な思いを抱えたままではつらくて堪らないだろうとヒューゴは思う。
「わからないわ。でも・・・」
 アップルは、ヒューゴに何度目かの優しい微笑を向けた。
「あなたに言いたかったの。あの子はきっと言えないだろうし」
 アップルが引き止めてまで言いたかったのは、シーザーの複雑な心の内ではなく、何よりも次のことなのだろう。
「ありがとう。あなたとの出会いは、あの子にとても大きなものを与えたと思うわ。だから、ありがとう」
 シーザーの感謝と、アップル自身の感謝がそこにはあった。
 ヒューゴは、とっさに首を振る。
「ううん。オレも、オレもシーザーにたくさん貰った。色んなこと、教わった。オレもシーザーに・・・」
 言いかけて、しかしヒューゴはそこで言葉を切った。
「オレはシーザーに、直接言いたい。・・・言ってくる!」
 ヒューゴは居ても立ってもいられなくなって、当てはないが駆け出そうとする。そして、思い出したように振り返って、アップルを見た。
「アップルさんも、ありがとう!」
 笑顔で言って、ヒューゴは今度は振り返らず駆けていく。
 そのうしろ姿を、アップルは優しく見送った。


 午後になってやっと出てきた太陽の陽を目一杯浴びられる場所で、シーザーはいつものようにごろんと寝転がっている。
「なんでそんなのんびりしてんだよ・・・」
 駆け回ってやっと見つけたシーザーの姿に、ヒューゴはちょっと脱力した。せっかく息を切らしながら探したのに、と。
「今日発つんだろ? 準備とかはすんだのかよ」
 ヒューゴは回り込んでシーザーが起きているのを確認してから話し掛けた。
「あぁ? 別に身一つみたいなもんだから準備なんてねぇし・・・」
 シーザーはヒューゴが知っていることは特に疑問に思わなかったようだが、わざわざ探しに来てその口から出てきたのが文句でないことを訝しんだようだ。
「ふうん、そうなんだ」
 一方ヒューゴは出鼻を挫かれた感で、取り敢えずシーザーの隣に腰を下ろした。横になっていたシーザーも、体を起こして同じ方向を向く。
 それからしばらく、二人とも無言でただ風が吹きぬける音だけが辺りに響いた。
「・・・シーザーさ」
 こんなふうに静かな時間を過ごしたことが今までなくて、つまりこれが最初で最後なのだろうかと、ヒューゴはちょっと感傷的な気分になる。しかしそれならば、こうやって言葉を交わさずにいるのは勿体ない気がして、ヒューゴは口を開いた。
「いい思い出になるって言ったの、あれ、ほんとは本当なんだろ?」
 視線を向けたヒューゴに、シーザーも顔だけで向き直る。
「・・・だから、そう言ったろ」
 それがどうしたと言いたげな口調のシーザーに、ヒューゴはつい笑ってしまった。
 ナディールに何か上手いことを言われたのかもしれないし、展開を面白がっていたのもあるだろう。だが、いい思い出になる、そう言ったのも紛れもなく本心なのだろう。ヒューゴたちにとって、そしてシーザーにとっても。アップルの話を聞いたヒューゴには、なんの抵抗もなくそう思えた。
「・・・なんだよ」
 自分を見て笑うヒューゴを、シーザーは居心地悪そうに見返す。
「ううん、なんでもないよ。それよりさ」
 ヒューゴは首を振って、過ぎたことより先のことを話そうと話題を変えた。
「シーザーはどうするの? ・・・これから」
 聞きたかったのは、漠然とした未来ではない。ヒューゴはずっと気になっていたのだ。儀式の地でシーザーが言った、片をつけなければならない因縁、のことが。それがなんのことなのか、そしてどうなったのか。
「どうって・・・別に考えてねぇよ」
 シーザーはヒューゴが問いたいことに聡く気付いたようで、しかしそれに答えを返しはしない。
 適当に流そうとするシーザーに感付いて、ヒューゴは膝を抱えながら呟いた。
「・・・なんかさ、オレばっか、色々話した気がする」
 自分のことばかりで、シーザーの話はほとんど聞かなかった気がするとヒューゴは振り返る。言わなかったシーザーを責めるのではなく、聞かなかった自分を悔いるふうに。
 そんなヒューゴを、ちらりと見て、それから正面を向きシーザーは不意にもらした。
「・・・そうか? おまえには結構、喋っちまった気がするけどな」
 らしくなくと、しかしそこにそんな自分を恥じたり非とする響きはない。
 シーザーは少し迷うように、何度か口を開きかけては閉じ、そしてゆっくりと言葉にし始めた。
「・・・おれはさ」
 遠くを見るような目つきで語り始めるシーザーを、ヒューゴは静かに見つめた。ヒューゴはこんな表情をするシーザーを、少ないが確かに見たことがあると思う。
 だがそれがいつかを考えだす前に、シーザーが言葉を継ぎ、ヒューゴは聞き逃さないように耳を傾けた。
「取り敢えず、おれは取り敢えずだけど、あいつをとめる為にこうして追い掛けてた。間違ってるって、あいつの考えを否定する為に」
 あいつ、がシーザーの兄アルベルトのことなのだろうと、ヒューゴは二人の会話を思い出しながら確信する。
「追い掛けてつかまえて、それでどうするのか、それはどう考えてもわからなくって。それでもただ追っ掛けて・・・それで、やっと目の前に、すぐ側に捉えて、やっと手が届いたって」
 シーザーは目の前に右手をかざし、何かを掴み取ろうとする動きを見せる。が、その手は何も握り締めることが出来ず、力なく下ろされた。
「そう思えたのは一瞬だった。結局おれは間に合わなかった。あいつは、もう、おれの手の届かないところにいた」
 喪失感を隠さず、シーザーは自らに対する失望感すらありのまま、ヒューゴに曝け出す。
「おれじゃ、あいつをとめられない。おれの言葉は、あいつに届かない」
 諦めきったかに見えるシーザーの瞳に、しかしふいに力が宿った。
「・・・それがわかった。今は、それで充分だ。あいつとおれの間には、埋められない差がある。まだ、追いつけない」
 シーザーはもう一度右手を、今度は目一杯開き目の前にかざした。
「だから、まずは、同じ土俵に立たなくちゃならない。とめてつかまえてどうするか、そんなこと今は考えてられない。あいつと、対等に向き合えるようにならなきゃいけない。・・・やってやるさ」
 力強い口調で、シーザーは決意というよりは揺るぎない意思を、誰でもない自分自身に誓う。
 それから、右手をゆっくりと下ろし、シーザーはふっと気を弛めた。
「ま、おまえにこんなこと言っても、わかんねぇだろ?」
「・・・・・・うん」
 ヒューゴは素直に頷いた。それでも、シーザーの戦いがこれから始まるのだろうということだけはわかる。そんなシーザーにしてあげられることは、応援しているという気持ちを見せることしか思い付かず、ヒューゴはせめてと気持ちを目一杯込めた。
「よくわからないけど、頑張れ」
「・・・言われなくてもな」
 ヒューゴの真摯な励ましに、シーザーは少し照れたように髪をガシガシと掻いた。
 それから、ゆっくりと立ち上がる。
「・・・にしても、アップルさん、遅ぇな」
「え?」
 つられて立ち上がったヒューゴは、呟かれたシーザーの言葉に思わず聞き返した。
「アップルさんと・・・待ち合わせてんの?」
「あぁ。ここで待ってろって。大方おれに荷物持たせたいから先に行かれたら困るんだろ。・・・それが?」
「あ、な、なんでもないよ」
 ヒューゴは喉元まで出掛かった疑問を飲み込んだ。
 おそらくアップルは、シーザーを探している振りをしたのだろう。ヒューゴにシーザーの話をしたくて、ヒューゴとシーザーを話させたくて。
 そしてヒューゴは、不意に、思い当たる。
「・・・もしかして、シーザーの好きな人って」
 アップルの話、そして、シーザーの静かにそれでも熱を秘めて語るその横顔。
「・・・なんだよ」
「・・・なんでもないよ」
 しかしヒューゴは首を振って、確かめることはしなかった。シーザーはもっと大事な思いを話してくれた。だから、想う相手が誰かなどもう瑣末なことだと思ったのだ。
「それよりさ、アップルさんならさっきあっちのほうにいたよ」
「ほんとか? ったく、仕方ねぇな」
 シーザーは溜め息をついて、ヒューゴが指差した方向へ足を踏み出そうとする。
「・・・シーザー!」
 ヒューゴは、とっさに呼び止めて腕を伸ばそうとした。しかしシーザーは慌てて逃れる。
「あ、なんで逃げるんだよ!」
「だって、おまえ、あれやろうとしたろ。カラヤ式の別れの挨拶?とかなんとかってやつ」
 逃げ腰で嫌がるシーザーをヒューゴは首を傾げて見る。カラヤでは別れのときなどに精霊の加護を願って抱擁し合うが一般的なのだ。確かに大人の男同士はあまりしないし、ヒューゴも母にされるのはなんだか気恥ずかしくて苦手だが、それでもおかしいことではない。
「見掛けたことあるけどよ、男同士であんなことやっても薄ら寒いだろ」
「そうか? ・・・風習の違いってやつなのかな」
 ヒューゴは今回学んだことを呟き、しかしまだ諦められないようにシーザーを見る。その視線を受けて、シーザーは気まずそうに言った。
「・・・だいたいな、そういうこと、しないといけないのはおれにじゃないだろ?」
「・・・ゲドさん?」
「とか・・・な」
 断る口実にしては、シーザーの言葉は、正確に衝いていた。ヒューゴがまだ残している、すべきことを。
「・・・うん」
 一度も話したことがないのにそのことをシーザーがわかっているのを、ヒューゴは不思議に思うよりただ嬉しく思った。
「・・・シーザー、隙ありっ!」
「うわっ」
 ヒューゴは素早くシーザーに飛びついた。驚き慌ててもがくシーザーをギュッと力任せに押さえ付ける。
 そしてヒューゴは、そのままの体勢で言った。
「あのさ、ちゃんと片がついたらさ、オレに報告に来なよ?」
 オレも負けないようにカラヤを復興しとくから、ヒューゴはそう笑う。
 諦めたようにおとなしくなったシーザーも、同じように笑った。
「・・・おう」
「あ、でも、早く来てくれないと、オレいなくなっちゃうから。ゲドさんと旅に出る予定なんだからさ!」
「はは、仕方ねぇな。頑張ってやんよ」
 軽口を叩き合い、そして二人はしばしそのままで時間が過ぎていくのを惜しむようにただ沈黙した。
 ヒューゴはシーザーに会いに来て言いたかった言葉を思い出す。しかし、もうその言葉を口にする必要はないと思った。
 もうきっと、シーザーには伝わっているだろう。こうして、自分に今、伝わってくるように。
 ふいに、シーザーがヒューゴの背を軽く、二度両手で叩いた。そしてそれが合図のように、二人は体を離す。
「・・・じゃ、おれは行くわ」
「ん」
 シーザーはやけにあっさりとヒューゴに背を向けた。余韻を、残さないように。
 歩きだした背中が、だんだんと小さくなっていく。
「シーザー!」
 思わず声を上げたヒューゴは、掛ける言葉を迷って、結局ありふれた一言を選んだ。
「またなっ!」
 それに、シーザーは右手を上げて、小さく振って返す。ヒューゴも、見えないとわかっていて、同じように腕を振った。大きく、力いっぱい。
 もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないのだ。
 そう思ったヒューゴに、ふいに、シーザーの言葉がよみがえる。
 初めて会ったとき、一緒にビュッデヒュッケ城から逃げたあと、シーザーはまた会おうと言った。
 あぁ、と答えながら、そのときヒューゴはきっともう会えることはないだろうと思っていた。言ったシーザーもまた、同じだったろう。
 それでも、二人は言葉通り会えた。
 だとしたら。
「縁があったら、また会おうよ」
 ヒューゴは、そのときのシーザーの言葉を口にしてみた。
 また、がもう一度あるだろうか。久しぶり、ともう一度笑い合うことが出来るだろうか。
 そうだったらいい、そう思いながら、一方でヒューゴはやっぱりもう会えないかもしれないとも思う。
 そして、もしそうであっても。それでも、何も憂えることはないと。
 未来がどうなろうと、出会いも過ごした時間もかけがえなく、いつまでも消えないのだから。
「・・・さてと、まだみんなレストランにいるかな」
 ヒューゴは一度大きく伸びをした。それから、シーザーが去ったのと反対方向に体を向ける。
 そしてヒューゴは自らの未来に向けて、軽やかに駆け出した。




END

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ヒューゴが、シーザーよりもは言うまでもなく、
アップルさんよりも背が高いのがしつこく信じられない今日この頃です。
シリアスな話のコメントは難しいですね。(だからって↑は・・・)
えっと、ところどころ抽象的な描写でちょっと反省です。
シーザーの考えてることはよくわからないです。(ぉぃ)