LOVE HOLD



 吐く息は白く、空を見上げても灰色の重たそうな雲が一面に広がっている。
 その日は、とても寒かった。
「あぁ、やだなあ。雪でもふってきそう」
「おれも寒いのはきらいだ」
 隣から聞こえた声に同意して、シーザーは憂鬱そうに溜め息をついた。
「はやく春になんねぇかなぁ・・・」
 冬はまだ始まったばかりなのに、シーザーはもう暖かい季節が恋しくて堪らない。ポカポカ陽気を浴びながら昼寝するが一番幸せなとき、そう豪語しているシーザーは冬がこの世からなくなればいいと思うほど嫌いだった。
「ほんと寒ーい。はやく家まで帰りたいよぉ」
「おれもー・・・」
 再び隣の声に同意しながら、シーザーは家までの道のりを歩く。
 家庭教師に教わるのが堅苦しくて嫌だったのでシーザーは学校に通っていた。そう決めたことを、この季節だけシーザーは後悔するのだ。
「ああ、もう、スカートなんてはいてくるんじゃなかった」
「・・・・・・」
 さすがにこれにはシーザーも同意できない。彼女の膝丈のスカートから覗く足は、見ているほうが寒くなるくらいだった。
「・・・おまえ、バカだろ。寒いのわかってんのに」
「でも、きのうまでは足出しててもがまん出来る寒さだったの」
「ったく、ガキが色気だしてるからそんなことになるんだよ」
「ほっといてよ。あんたに見せてるわけじゃないんだから」
 などと言い合っていると、少し寒さが和らぐ気がする。たまたま帰りが一緒になっただけだったが、たまにはこうして誰かと連れ立って帰るのもいいかもしれないとシーザーは思った。
 が、ピューっと一際強く風が吹き抜け、やっぱり寒いものは寒いとシーザーは思い直す。
「ちくしょう、手袋してくりゃよかった」
 ポケットのない服だった為そこであっためることも出来ず、シーザーがかじかむ手を擦り合わせれば、彼女は自慢するように手袋に包まれた手をかざす。
「あんたも計画性のなさじゃ人のこと言えないじゃない」
「うるせぇよ。あぁ、にしても寒ぃ」
「鼻も耳も痛いしねー」
「手も足も冷てぇしー」
 愚痴っても状況は変わらないとわかっていても、それでも口はとまらなかった。
 輪唱のように文句を言い合っているうち、不意に、そういえば、と彼女が話題を振る。
「冷たいといえば、シーザーのお兄さんのことだけど」
「・・・なんだよ、冷たいといえばって」
「だって、そんなかんじじゃない、なんとなく」
「・・・まぁ」
 否定は出来ないシーザーだ。だがそのことよりも、一体アルベルトのことでなんの話があるのか、シーザーはそのほうが気になる。
「で、なんだって?」
「あ、うん、あのね」
 彼女は、寒さのせいではなく、少し頬を赤くする。
「アルベルトさんて、彼女とか、いるの?」
「あぁ?」
「だから、付き合ってる人いるの、って聞いてるの」
 アルベルトに彼女という言葉が余りにぴんと来なくて思わず呆けたシーザーは、重ねて言われ少し考えてみる。
「・・・・・・さぁ、いないんじゃねぇ?」
 知らないが、アルベルトに恋人がいるようにはなんとなく見えなかった。
「そう? じゃあ好きな人は?」
「さぁ・・・ていうかおれが知るわけないだろ? なんでんなこと聞くんだよ?」
「だって、興味あるもん。あんな人がどんな人を選ぶのか」
「あんなって・・・」
 アルベルトの性格の悪さはそんなに有名なのだろうかとシーザーは思った。が、そういうわけではないようだ。
「でも、自分があんなに美形だと、やっぱり相手を見るときもきびしくなっちゃうのかしら」
「美形・・・アル兄のことか?」
「あたりまえじゃない。あたし、あんなにきれいな顔の人、見たことないわよ」
「・・・まぁ、そりゃ整ってはいる・・・気がするけど」
 今までそんなふうにアルベルトの顔を見たことのないシーザーにはよくわからなかった。
「シーザーは毎日見てるから、そのありがたみがわからないのよ。うらやましい」
「・・・なんか、何気におれに失礼じゃね?」
「何よ。あんたの顔こそ、見あきたのよ」
「うわ、ひでぇ」
 彼女に言われても特にショックというわけでもないが一応そういう反応をしたシーザーに、しかし彼女は気を取られるとこなく、でも、と話題転換する。
「シーザーって、アルベルトさんのこと、「アル兄」って呼んでんだ」
「・・・なんだよ」
 なんだか笑われてる気がして、シーザーは居心地が悪くなる。
「別にー。知らなかったな、シーザーってブラコンだったんだ」
「そ、そんなことねぇよ」
「いいじゃない、照れなくて。お兄さんがあんなすてきな人だったら、あたしだって誰だってブラコンになっちゃうわよ」
「・・・・・・」
 やっぱりアルベルトの性格の悪さを知らないんだ、とシーザーは、しかしそのことをなんだか喜んでいるような自分に戸惑う。
「でもね、すてきな人なんだけど、アルベルトさんって恋人にしたいってタイプじゃないのよね」
「ん?」
「なんていうの? 観賞用? そんなかんじ。ちょっと遠くから見ておきたいかんじ」
「なんだ、それ」
「だからね、どうせあたしなんかじゃ釣り合わないってわかってるし。それに、ずっと一緒にいたいって思えるような人じゃないっていうか・・・」
「・・・・・・」
「だからね、あたしは付き合うなら、シーザーみたいなタイプがいいかな」
「おれぇ?」
「だって、あんただと気をはらなくていいし、一緒にいても楽だもん」
「アル兄が手が届かないからって、手近にいるおれってわけか? 失礼な話だな」
「別にあんたがいいっていってるわけじゃないじゃない。まぁね、とにかくあんたの大好きなお兄ちゃんを取ろうなんて考えてないから、安心してよ」
「・・・だ、だから、別におれはアル兄・・・アルベルトが」
「照れなくていいっていったじゃない。別に変じゃないわよ。あたしだってお兄ちゃんって呼んでるし」
「・・・じゃあ、なんで笑ったんだよ」
「それは、シーザーがそう呼んでるってことより、アルベルトさんがそう呼ばれてるんだってことが、なんだか意外だったから」
「・・・そう・・・なのか?」
 よく意味がわからずシーザーは首を傾げる。
「だって、アルベルトさんってどっちかいうと、「お兄様」ってかんじじゃない」
「お兄様・・・・・・あいつに合ってるかどうか以前に、おれがそんんふうに呼ぶことが不自然だろ」
「・・・・・・確かに、気持ち悪い」
「・・・・・・・・・」
 やっぱり傷付くわけではないが微妙な気分になるシーザーだ。しかし、マイペースさはもしかしたらシーザー以上なのかもしれない彼女は、思ったままに口にする。
「でも、やっぱり意外。アルベルトさんって、ああ見えて、それでもちゃんとお兄さんなんだね」
「ああって・・・一体おまえん中のあいつはどんな人間なんだよ」
「・・・なんていうか・・・一人で生まれてきて、一人で生きているかんじ・・・?」
 彼女は言いながらよくわからなくなったのか首を傾げる。しかしシーザーには彼女の言わんとしていることがわかった。確かにアルベルトには、誰も寄せ付けない、そういう部分があったのだ。
「・・・で、でも、あいつはあぁ見えて、それなりにちゃんとおれのこと相手してくれたりもするし」
 それでもそんな部分ばっかりではない、確かにそう言えるとシーザーは思う。
「だから、意外だって言ってるの。・・・きっとシーザーは、あたしたちが知らないアルベルトさんをいっぱい知ってるんだろうね」
「・・・そ、そりゃまぁ、兄弟だし」
 たいしたことじゃないだろう、と言いつつ、シーザーはさっきのようにまた自分が少し喜んでいることに気付く。
「きっと、アルベルトさんのファンにやっかまれてるわよ。そのうち夜道でうしろからおそわれたりして」
「・・・なんでおれがアル兄のせいでそんな目に合わなきゃいけないんだよ」
「しかたないわ。それがあんたの運命なのよ。美形の兄を持って、平凡な顔で生まれてきたあんたの」
「・・・悪かったな、平凡な顔で。だいたい、人のことあんたってゆうな」
「何よ、あんたが先におまえって言ったんじゃない」
 しばし睨み合って、それでもその口がとまることがないのは、それが彼女の性質なのか女であるという性別の問題なのか。
「とにかく、せっかく美形のお兄さんがいるんだから、大事にしなさいよ」
「なんだそれ・・・。そんなに欲しけりゃ、やるよ」
「あら、いらないわよ」
「散々持ち上げといて、いらねぇのかよ・・・」
 やると言ったのは自分だが、本気だったわけではないが、それでもそう返されると微妙な気分になる。
「言ったじゃない。アルベルトさんって、一緒にいたいタイプじゃないって。ちょっと遠くから見ていたいかんじなの」
「・・・・・・」
「なんていうか・・・誰の手も届かないところにいて欲しいかな」
「・・・。・・・だから、おまえの中で、あいつはどんな存在なんだよ。まさか王子様とでも言うんじゃねけだろな」
 シーザーはわざと、茶化すように軽い口調で返す。
「あ、それに近いのかも」
「おいおい・・・」
「何よ、その呆れ顔。いっとくけど、あたしだけじゃなくて、みんなそう思ってるんだからね。高・・・高・・・ね?の・・・なんだっけ?」
「高嶺の花。・・・言っとくけど、別にそんないいもんじゃねぇぞ、あいつ」
「いいのよ、どんな人だって。見た目で楽しませてくれれば。だから、近付こうとも思ってないし」
 夢見がちに見えて、しかし彼女はちゃんと知っているようだった、偶像というものを。
「・・・まぁ、どっちにしても、おれには関係ねぇけど」
「あ、噂をすれば!」
「ん?」
 彼女が突然嬉しそうに反対側の道を指したのでシーザーもそっちに目を遣る。
「今日も変わらず、すてきね。いいもの見たわぁ」
「・・・・・・はは、よかったな、王子様を一目見れて」
 まるで拝むように手を合わせる彼女は、シーザーにとっては理解不能だ。その先にいるのは、シーザーにとってはなんの変哲もないいつもの兄アルベルトなのだ。
「せっかくだから、一緒に帰ったらいいじゃない」
「・・・あ、あぁ」
 実はちょっとそうしようかと思ったところに言われ、シーザーは逆に行きにくくなる。そんなシーザーの背を、彼女は遠慮なく叩いた。
「ほら、行きなさいよ。それで、彼女とか好きな人がいるのか、ちゃんと聞いてきてよ!」
「・・・もしいたら、どうすんだ?」
「・・・わかんないけど。でも、聞いといて!」
 再度背中をぐいっと押され、シーザーは仕方ないというふうを装いながら、アルベルトのほうへ踏み出した。
「じゃあな」
「うん、じゃあね。あ、おかげで寒いの忘れられたわ。ありがとね」
 笑いながら手を振る彼女に、シーザーは確かに自分も途中から寒さが気にならなくなっていたことに気付かされる。
「あぁ、おれのほうこそな。さんきゅ」
 シーザーはその一因に手を振り返して、もう一つの要因へと歩き出した。


 距離が近くなるほど、自然とシーザーの足は軽くなる。
「おーい、アル兄ー」
 最後はほとんど走りながら、アルベルトに追い付き並んだ。
「なぁ、これから家に帰るんだろ? せっかくだから一緒に帰ろうぜ」
 アルベルトは一瞬シーザーに顔を向け、すぐ何も言わず前を向いてしまう。しかし返事がどうであれもうそうするつもりのシーザーは気にしなかった。
 隣を歩くシーザーに気を使う様子もなく、アルベルトは自分の歩幅で歩く。自然とちょっと早足になりながら、頭一個分以上自分より高いアルベルトを見上げシーザーはやっぱりコンパスが違うんだよなと実感した。
「・・・アル兄はさ、おれくらいの年のころ、どれくらいの身長だった?」
「・・・さぁな」
 シーザーの問いに、アルベルトは思い返す素振りもなく返す。それはいつものことなのでシーザーは全くこたえなかった。
「おれも、15になったら、アル兄くらいの高さになってるよな?」
「・・・どうだろうな」
「だって、おやじもアル兄も高ぇじゃん。だったらおれもおっきくなるはずだろ?」
 二人の父親は長身で、アルベルトもこの年でもう大人に引けを取らない身長を得ていた。
「・・・お前は母親似だ。無理だろうな」
「・・・・・・」
 しかしシーザーの期待は、アルベルトによって冷静に崩される。確かにどちらかといえば、アルベルトは父似で、シーザーは母似だった。その母親は、父と正反対にとても小柄で背も低い。
 両親の並んで立ったときのアンバランスさを思い出して、シーザーは自分とアルベルトもずっとそんなふうなんだろうかと思った。
 そんなシーザーに、アルベルトは慰めるわけではなく、皮肉るように声を掛ける。
「・・・残念なことだな」
「・・・・・・別に」
 この話題をどれだけどうでもいいと思っているかがよく伝わってきて、シーザーはそれでも言葉を続けた。
「おれは背が低いからって劣等感感じたりしないし。だからおれのこと身長でバカにしたってむだだぜ。そっちこそ残念だったな」
「・・・・・・」
 アルベルトは反応を返すのも面倒そうに溜め息をつく。
 そんなアルベルトをシーザーは見上げた。身長差で負けているとか悔しいとかは本当に思っていない。
 ただ、この距離では、アルベルトの表情があまりよく見えない。そのことが、シーザーはちょっと惜しかったのだ。
「・・・あ、いいもん見っけ」
 ちょうど差し掛かった橋の、端にある数段高いところにシーザーは登った。緩やかに流れる川が左の眼下に見えるが、足場には充分な幅がありよっぽどのことをしなければ落ちることはなさそうだ。
 見下ろす形になったアルベルトの顔を見て、シーザーは思わず笑う。
「・・・・・・気にしていないんじゃなかったのか?」
「あぁ、してない」
 シーザーが嬉しいのは、見下ろせることではなく、すぐ近くで顔が見れることなのだ。そんなこと、アルベルトが気付くはずもなく、否定は負け惜しみだと解釈したのか、前を向いてしまった。
「・・・アル兄、そもそもおれがこんなとこを歩くことに対する一言はないわけ?」
「何がある」
「そんなところ歩くなんて危ないぞ!とか。アップルさんだったら絶対、そんな行儀悪いことしないの!って言ってるだろうし」
「・・・好きなところを歩いて好きに落ちればいいだろう。関係ない」
「冷てぇなぁ」
 あまりに予想通りの反応で、シーザーは笑ってしまった。
 アルベルトがこんなことを平気で弟に言ってしまえるなんて、きっと彼女も誰も知らないのだろう。知る必要もなく、遠くから見ているだけで満足出来る、彼女達にとってアルベルトはそんな存在なのだ。
 確かにこうやって改めて間近で見ると、アルベルトはシーザーから見てもケチの付けようのない、整った顔をしている。
 同じ親から生まれたはずなのに、それでもシーザーとアルベルトは似てはいなかった。
 髪の色も目の色も、同じ赤だと緑だと表現することも出来るが、その色合いはかなり違う。濃淡も違えば、髪質だって違い、アルベルトの髪はところどころは跳ねているがそれでも跳ね放題のシーザーと反対に多くがすっと真っ直ぐ下りている。
 眉も目も、垂れ下がったシーザーとは反対にアルベルトは吊り上っている。その切れ長の目は、基本的に動かない表情、引き結ばれた薄い唇と合わさり、見る人に冷たい印象を与える。冷たいと言えば聞こえは悪いが、クールだと言い直せば、それもまた魅力の一つになるだろう。
 彼女の言う通り、誰も寄せ付けないように見える、それでもシーザーはアルベルトに近寄り難さを感じたことはなかった。
 彼女たちにとっては偶像でも、シーザーにとってアルベルトは初めから生身の人間だったのだ。すぐ側にいて、手を伸ばせば触れられるし、言葉だって交わせる。
 シーザーにとってアルベルトは、彼女の言ったような「高嶺の花」や「王子様」などではなく、ただの人間だった。
 もしかしたら、自分が女だったら感想も違ったのかもしれないがと思ったシーザーは、そういえば彼女に聞いといてと言われたことがあったと思い出す。
「・・・なぁ、アル兄、好きな人とかっているのか?」
 シーザーの質問に、アルベルトは下らないことを聞くなという視線を送るだけで答えは返さなかった。だからシーザーはその反応から勝手に推測する。
「・・・そっか、いないのか・・・好みのタイプとかはあるのか?」
「・・・さっきから、お前は何を」
「なんとなくさぁ・・・」
 女の子に聞いてと頼まれたとはなんとなく言いづらく、そして自分自身も興味がないわけではないのでシーザーはそこはごまかす。
「でもさぁ・・・結婚はするつもりなんだろ?」
「考えたことはない」
 その口調は、まだ15歳だからというものではなく、これから先相応しい年齢になっても考えるつもりがないと言っている。
「そうなのか? 家を継がなくてもいいのか?」
「家の為に何かをしようという気はない。お前が継ぎたければ継げ」
「え、おれだって今から考えたくねぇよ」
 思わず反射的に返してから、シーザーは面倒そうだからという自分の理由とアルベルトの理由は違うような気がする。
「でもさ、子供とか欲しくねぇの? ほら、自分の思想を受け継がせたりさ」
 アルベルトは首を振る。
 その様子は、シーザーにどうしても思い出させた。一人で生まれて一人で生きていく、そんな人間に見えるとアルベルトを語った彼女の言葉が。
「・・・弟子とか取る気もねぇの?」
「・・・誰かに引き継がせようとなどと思っていない」
 その迷いのない口調に、ほんの少し、シーザーの鼓動が早くなった。
「自分の目指すところへは、自らで辿り着く。誰の助けも借りない。自分だけで、完成させる」
 アルベルトは静かに、それでも意思を込めて語る。
 アルベルトにはこういうときがあった。自らの進むべき道がもう見えているのか、その瞳は遥か遠くを見据えているように見える。
 シーザーはこんなとき、いつも不安になった。アルベルトがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、心臓が竦み上がるほどの動悸を覚えるのだ。
「・・・なぁアル兄・・・どこにも行くなよ?」
 その感情を、シーザーは素直に口にした。普段は照れくさくて言葉に出来ないが、今のシーザーはそれよりも不安な気持ちのほうが大きかったのだ。
 ただ一言、行かない、そう言って欲しかった。
「・・・忘れたのか? 二ヶ月先にハルモニアに行くことが決まっている」
「そ、そういうんじゃなくって・・・」
 確かに、アルベルトはもうすぐハルモニアに留学する。正直に言えばシーザーは、それもとても嫌だったのだが、しかし今聞きたいのはそういうことではなかった。
 アルベルトがわざと答えをそらした気がしてシーザーは焦る。
「そういう意味じゃ・・・・・・っ!?」
 しかしシーザーの追究の声は、途切れた。
 アルベルトから望む言葉を必死で引き出そうとしていたシーザーは、足元のレンガが欠けていることになど気付かなかったのだ。
 あ、と思ったときには遅く、足場を失った左足につられて体はうしろに倒れる。
「・・・っ!!!!」
 シーザーは下の川に大きな水音をあげて落下する、はずだった。
 しかしシーザーの体は引き戻され、石畳にその足も手も触れる。
「・・・・・・あ・・・」
 へたり込んだまま、シーザーは思わず速いスピードで脈打つ心臓を押さえる。
「ぶねぇ・・・」
 下の川は流れが急なわけでもないしここからの高さもそうないので、おそらく落ちても風邪は引くかもしれないがたいした怪我などしないだろう。そうわかっていても、もしという恐怖と、それから助かったという安堵感にシーザーはどっと襲われる。
 しばらくはそのままで息をつくのが精一杯だったシーザーは、しかし自分に掛かっていた影が離れていくのに気付いて慌てて立ち上がった。
「あ、ち、ちょっと待てよっ」
 離れていく背中にシーザーは追い付いて、今度は右側に並ぶ。
 大丈夫かと声を掛けもしないその態度からは信じられないが、さっきシーザーの手を掴み引き戻してくれたのは、確かにアルベルトだった。
 落ちかけたのは一瞬の出来事だったので、さすがのアルベルトも冷静な思考を働かせる暇はなかっただろう。つまりアルベルトは、とっさに手を出しシーザーを助けたことになる。
「・・・なぁアル兄、さっき、好きに落ちればいいって言わなかった?」
「・・・・・・」
 アルベルトは前を向いたまま答えない。しかしシーザーは気にせず続けた。
「さっき、焦った? おれが落ちたらどうしようって思った?」
「・・・・・・お前がどうなろうと、関係ない」
 アルベルトは素っ気なく返す。歩くスピードが少し速くなったように、シーザーには思えた。
「でも、さっき・・・」
 シーザーはアルベルトを見上げ、それから視線を下げる。
「こんなふうに掴んで、引きとめてくれたよな」
 それは確か左手だったが、シーザーは構わずアルベルトの右手を取った。
「こんなふうに、ぎゅっと」
 痛いくらいに、強く。
「・・・・・・」
 アルベルトは一瞬シーザーを見下ろし、すぐに前を向きなおして歩き出そうとする。
 が、シーザーが手を離さず立ち止まったままだったので、自然とうしろに引かれてしまった。
「・・・いつまでそうしている」
 離せと言外に伝えるアルベルトの手を、しかしシーザーは離そうとしなかった。
「いいじゃん。今日寒いしさ」
 そしてそのまま歩き出すので、アルベルトも仕方なさそうに足を動かす。
 軽く振り払う素振りをしたが、シーザーがギュッと握っていたので振り解けず、アルベルトはそれ以降は諦めたように力を抜いた。
 ホッとして手の力を少し緩めながら、シーザーは嬉しくなる。
 強引に振り解こうと思えば出来るのに、そうしないアルベルトは、シーザーに許しているのだろう。手を繋いでいてもいいと、触れてもいいと。
 誰も近寄らせない雰囲気を持ち、そしてまた本人もそれを意図してもいるのだろうアルベルトは、しかしシーザーが近寄ることは許しているのだ。
 そうなんだと思ってシーザーは、つい、少し緩めた手の力をもう一度強める。
「アル兄の手ってさ、意外とあったかいよな」
 こんなことも、きっと彼女たちは知らないのだ。知る必要もないと思っているかもしれない。
 だが、シーザーは知れて嬉しいし、触れて嬉しい。遠くから見ているだけで充分だとは、とても思えなかった。
 確かにこれではブラコンと言われても仕方ないかもしれない。それでも、こうしていられるならそう言われてもいいかもしれない、シーザーはそう思った。
 アルベルトがどこか遠くに行こうとするなら、こうして手を掴んで離さなければいい。シーザーは、そう思った。




END

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彼女って誰だ・・・。
それ以上に、アルベルトの扱いが・・・王子様って・・・!(笑)
あ、シーザーの顔も決して平凡じゃないって思いますけどね。表情で損してる感があるような。