LOVE INITIATION



 ビュッデヒュッケ城の、湖畔に面した森の少し開けたところ。
 ゲドはそこに一人で立ち、柵に腕を預けて、目の前に広がる湖をぼんやり眺めていた。日当たりがよく風も穏やかなこの場所は、しかし森の中を歩かなければ辿り着けないので、知る者は少ないだろう。
 だから、この城が昔も運び手の拠点であったときにここを見付けたゲドは、一人になりたいときなどによくここに来た。
 そして今もこうして一人でボーっとしているゲドは、しかし昔とは違った気分になる。人と接するのを疎ましいとまでは思わないが、一人でいるほうがずっと気楽で好きだった。
 だがゲドは、人の気配が全くないこの空間にいることに、どこか寂しさを感じていると気付く。
 人と深く関わらず生きてきたゲドだったが、それでもここ数年は常に近くに誰かがいた。
 エースたちが、ドライなはずの傭兵なのに、気付けばゲドの側にいたのだ。いつのまにか、その人の気配が近くにあるというということに、慣れていたのだとゲドは思う。
 それから、暇を見付けては駆け寄ってくる、カラヤの少年。
 ヒューゴといるとき、ゲドはしばしば、ワイアットとのことを思い出した。
 二人は肌の色こそ近いが、それ以外の類似点は皆無に等しい。では何故なのか・・・ゲドは、もうそれに薄々気付いていた。
 彼らが似ているのではない。彼らに向けるゲドの思いが、近しいのだ。
 と、ゲドの背後で草を踏み分ける音がした。
 思わず振り返ったゲドの目線の先にいるのは、ジンバだ。
「・・・・・・」
 ゲドはそのことに対するどんな感情も読み取れないような表情を保つが、ジンバはいとも簡単にそれを読み取る。
「ヒューゴだと思ったか?」
「・・・・・・ああ」
 言ったものの返事を期待していなかったらしいジンバは、すぐに返答があるので驚いた。
「素直だな」
「・・・繕ったところで、今さら、だろう」
 ジンバには自分の考えなどお見通しなのだろうとゲドは思う。
「・・・それは、かいかぶり過ぎだよ」
 ジンバは肩をすくめながら、ゲドの左に立った。そしてゲドとは反対に柵に背を預ける。
 ゲドの左隣、そこはジンバ・・・ワイアットの指定席だった。右目を失ったゲドの死角を埋める為、自然と、いや意識的にワイアットはそこに立つようになったのだ。
「で、遂にヒューゴに陥落か?」
 さっきのゲドの返答を受けて、ジンバは窺うように問うた。しかしゲドはそれには答えず、話題を逸らす。
「・・・俺のことはいい。それより、お前のほうはどうなんだ? クリスに名乗りをしないのか?」
「それについては、俺も自分に呆れてる。父親として、あの子に会うのが怖いんだよ・・・」
 ジンバはゲドが変えた話題に乗って、正直にその心境をもらす。
「だから、あの子に変な虫がつかないか、こっそり見張るのが関の山さ」
 そう言って笑うジンバの顔は、「ワイアット」ではなく、クリスの父「ワイアット・ライトフェロー」のものだ。ゲドはそのことに、少しの感慨を覚える。
「多少女らしさには欠けるが、なんてったって、我が娘ながらとびっきりの美人だもんな。アンナそっくりだ。アンナも、ゼクセ一の美人だったからなぁ」
 親バカに加えてノロケまで披露したジンバは、そこでふとゲドの顔を見てしみじみ言う。
「・・・思ったんだが、俺って、守備範囲広いよな」
「・・・・・・・・・」
 自分に感心するようなジンバのセリフに、ゲドは呆れた視線を送った。呆れつつ、しかし確かにそうだなとも思う。
「まあ、それは冗談としてだ」
 ジンバは一頻り楽しそうに笑ったのち、ふと表情を改めた。
「俺は・・・アンナと出会って、ちっとはましな人間になれた気がする」
 そして湖面に目を向け、苦笑いを浮かべる。
「まあ、危険が及ばない為とはいえ、俺はあいつらを置いて逃げた。だからやっぱり、俺が基本的にダメな人間ってことは変わっちゃいないがな」
「・・・・・・いや」
 自嘲を覗かせるジンバに、ゲドは首を振る。
「お前は変わったよ。昔のお前なら・・・俺たちはこんなふうに話すことは出来なかっただろう」
 ゲドは、昔のワイアットを、ワイアットと自分を思い出した。穏やかさとは程遠かった二人の関係において、こんなふうに心の内を見せながらそれでも笑い合うことなど、とても出来なかったろう。
「・・・そうだな。でも俺は、おまえも充分変わったと思うぞ」
 ジンバはゲドに目線を戻して、笑う。
「そうか?」
「ああ。あの、傭兵隊の奴らのおかげなのかな。あいつらといるときのおまえは、おまえが自分で思っている以上に、自然だ」
「・・・・・・」
 ゲドはジンバのその言葉に、しかし確かにそうかもしれないと素直に思った。
「あいつらが、おまえの『仲間』になってくれた。おまえとアイツは、『仲間』なんて言葉じゃとても言い表せない複雑な関係だったし、俺は『仲間』にはなってやれなかったからな」
「・・・・・・」
「でも俺は、おまえに愛して愛されることを教えてやれた、そう自負してる」
 ジンバは真っ直ぐゲドを見据え、穏やかに笑む。
「昔は気付けなかったが・・・おまえ、俺のことちゃんと好きだったろう?」
「・・・・・・」
 ゲドは思い返し、確かに自分も昔とは変わったのだと知る。昔ゲドは、ワイアットと全てを共にし、その存在に凭れ掛かっていた。それなのに、自分がワイアットに向ける思いを、知ろうともしていなかったのだ。
「・・・・・・そうだな」
 今のゲドは、そこに確かにあった感情を、素直に認めることが出来る。
「俺はあのとき、望んでお前とああなったし・・・」
 成り行きでも手慰みでもなく、誰でもよかったわけでもなく。
「俺はお前のことを、確かに・・・愛していた」
 常に傍らにあって、支え合い慰め合い、求め合った。ゲドが愛したのは、炎の英雄でも他の誰でもなく、ワイアットだったのだ。
「・・・昔、それに気付けていたら、俺たちは今でも二人でいられたかもしれなかったな」
 互いに想いを伝えることなく、始まりそして終わった関係。もし、とワイアットは感傷を隠さず漏らす。
 湖も木々も、吹く風も注ぐ陽も、そしてゲドもジンバも、昔と何も変わらないように見える。このままやり直せると、そう思えるほど。
 それでも、変わらないものなどなく、決して戻れることはない。そして二人とも、そんなことを望んでいなかった。
「ゲド、俺も、汚い手を使っても手に入れたいと思うほど、おまえを愛して・・・いたよ」
 ジンバは、区切りを付けるように、過去形で想いを返す。
 そしてジンバは一度目を閉じ、開いたときにはもうその瞳は前を向いていた。昔を振り返る時間は、終わったのだ。
「にしても、愛してる、ね。おまえの口からそんな言葉が出てくるなんて、思ってもみなかったなぁ」
 ジンバは揶揄いを含んだ口調で、目を細めてゲドを見遣る。
「言って貰った俺が言うのもなんだが、言う相手が違うんじゃないのか?」
「・・・・・・」
 ゲドが逸らした最初の話題にジンバは上手く戻したようだ。相変わらず口がウマい、とゲドは半ば感心する。
 だがゲドは、もう話題を逸らそうとはしなかった。
「・・・そう・・・だな」
 昔ワイアットに言うことが出来なかったこと。同じことを繰り返してはいけないだろう。
 ゲドは、自分の思いを確かめるように、目を閉じた。
 そして、ジンバが優しく見守る中、ゲドはゆっくりと瞳を開く。
「・・・なんだか、いざそうなると、惜しいなぁ」
 ちゃかすように、それでも本音を含ませて、ジンバがゲドを見つめた。その感情が、決してわからないわけではないゲドは、同じ視線を返す。
「それは、お互い様だろう」
「まあ、な」
 そこでジンバは、一瞬目を逸らし、そして少し躊躇いがちに口を開く。
「・・・なあ、最後に一遍だけ、・・・キスしていいか?」
 突然のジンバの頼みだが、しかしゲドはそれが自然な流れのような気がした。
 ゲドは好きにすればいいと、ジンバくらいしか気付かない態度で示す。
 ジンバはゆっくりと手を伸ばし、ゲドの髪を梳くように頭を撫でた。その懐かしい感触に、ゲドの目は自然と閉じる。
 程なくして、ゲドの唇にぬくもりが触れた。
 ジンバは少し顔を離し、ゲドに微笑み掛ける。その穏やかな光を湛えたアイスブルーの目を、ゲドは真っ直ぐ見返した。
「・・・お前がいて、よかったよ」
 昔も、今も。
 ジンバは、その返事のようにもう一度、口付ける。
 そのキスは、昔とは全く違って、触れるだけのとても優しいものだった。




END

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・・・ええと、これは間違いなくちゃんとヒュゲドです。
予定以上にワイゲドになってしまったけども・・・