LOVE KISS



「軍曹・・・あれ、何やってるんだ?」
 並んで歩いていたヒューゴがふいに立ち止まり、ある一点を見ながら軍曹に尋ねる。
 軍曹は軽い既視感を覚えたが、気のせいだろうと首を振りながら同じ方向に目を向けた。
 その先にいるのは、若い男女の姿だ。どう見ても恋人同士な二人は、木陰とはいえ決して人目がないわけではないのに、周りの目は気にならないのかキスをしている。
 予感は正しく、いつかと全く同じ光景だった。
「何ってお前・・・知ってるだろうが・・・」
 そのときも同じことを尋ねたヒューゴを、軍曹は訝しんで見上げる。
「うん・・・キス・・・なんだよな?」
 しかしヒューゴは軽く首を傾げた。
「でも・・・なんかちょっと、違わない・・・?」
「?」
 言われて軍曹は、見ていられないとそらしていた視線を、もう一度男女に向けた。
 二人は相変わらずキスし合っている。前回と違うところがあるとすれば・・・
「なんだ。ちょっと激しいだけじゃないか」
 いわゆるディープキスを、二人はしているようだ。
 それがどうしたんだと軍曹はヒューゴを見上げた。
 ヒューゴは、ほうけているとも熱心ともつかない表情で二人を見続けている。
「・・・ヒューゴ、お前まさか、唇と唇を合わせるだけがキスだと思ってるわけじゃないよな・・・?」
 聞きながら、しかしちょっと前までキスそのものさえろくに知らなかったヒューゴならあり得るとも思う。恋人ができたとはいえ、その相手もそんなことを教えてくれるようにはとてもじゃないが見えなかった。
 そしてそんな軍曹の予感もまた、やはり正しかったようだ。
 ヒューゴは何も答えなかったが、その表情が「そ、そうだと思ってた・・・・・・」と言っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
 そんなことも知らないヒューゴの相手をしなければならないゲドと、そんなことも教えてくれないゲドを恋人にしてしまったヒューゴ。一体どっちが気の毒なのだろうかと軍曹はどうでもいい疑問を抱く。
「・・・で、あれは具体的に何をしてるんだ?」
「・・・・・・」
 取り敢えず、こんな疑問をぶつけられている自分が一番気の毒だ、と軍曹は嫌な答えを得た。
「・・・・・・俺に聞くな、人間に聞け」
 というより自分の恋人もしくは頼りになる軍師さまに聞け、と軍曹は言外に伝える。
 ヒューゴの恋愛に関して、どんな忠告も助言もしないと、軍曹はとっくの昔に決めていたのだ。
 が、そんな軍曹の決意なんて知るはずもないヒューゴは、自分の疑問に正直に口を開く。
「・・・そういえば、ダックもキスするのか?」
「・・・・・・人間にされたことならあるがな」
 くちばしに視線を送りつつ聞いてくるヒューゴに、軍曹は溜め息まじりに返した。
「へえ、さすがは軍曹、やるじゃないか。相手は?」
「・・・・・・・・・」
 お前だよお前、とは口・・・いや、くちばしが裂けても言いたくない軍曹だった。


 結局軍曹は、キスの具体的なやり方もダックがキスをするのかも、ヒューゴに教えてはくれなかった。
「・・・・・・どうなんだろう」
 だから、そんなことを考えながらゲドの部屋目指して歩いていたヒューゴは、ついつい目を留めてしまう。
 人間と違って、突き出た鼻、大きく裂けた口、肌を覆うふさふさの毛。
「・・・なぁ、コボルトもキスするのか?」
 ヒューゴは地下一階の倉庫で今日ものん気に倉庫番?をしているムトに唐突にそう切り出した。突然だったせい・・・かどうかはわからないが、ムトは能天気な顔でいつものようにハテナマークを飛び散らしながら首を傾げる。
「え? キスを預けるって? ぼくに?」
「違うよ。キスをムトはしたことがあるの?」
 まさかムトはキスを知らないんじゃないだろうなと、ヒューゴは自分のことは棚上げで疑う。
「キスかぁ・・・そういえば、したことないなぁ・・・」
 どうやら知識としては知っているらしいが、実践したことはないと、ムトは今初めて気付いたかのように―おそらくはそうなのだろうが―呟く。ムトはほとんどこの城で育ったようなもので、ここが少し前までは寂れに寂れていたことを考えれば、二十歳を超えていてもしたことがないのは仕方ないかもしれない。
「でも、どうしてそんなこと聞くの?」
「ちょっと気になっただけだよ。コボルトのキスってどんなだろうって」
 ヒューゴの完璧な好奇心に、ムトは人(犬?)がいいので答えを探す。
「・・・うーん、ぼくはしたことないけど・・・・・・コボルト同士のキスの仕方なら、なんとなくわかると思うよ」
 おそらく本能なのだろう、ムトは長そうな舌をちらちら口から覗かせつつ言う。
「・・・・・・へえ」
 ヒューゴにはあまり想像が付かなかったが、なんとなくそのことにホッとした。
「じゃあ・・・人間とは? 人間とも出来るの?」
「たぶん出来るとは思うけど・・・」
 そこでムトは、ヒューゴをその無垢そうな目でじっと見る。そして、口を開いた。
「なんなら、試してみる?」
「えっ!?」
 ヒューゴは思わず後退りした。自分で試されるのかと思ったのだ。やっぱりあまり想像は付かないが、それでもさっきの舌の動きを見たあとでは、なんとなくゾッとしてしまう。
 が、続けられたムトの言葉は、ヒューゴの予想とは違った。ある意味、悪いほうに。
「・・・うん、してみてもいいかも・・・・・・したいかも・・・・・・ゲドさんとなら」
「・・・・・・・・・っい、いいわけないだろ!?」
 一瞬ほうけたヒューゴは、慌てて食って掛かった。
「ダメだ! オレが許さない! ていうか、なんでゲドさんが出てくるんだ!?」
「・・・え・・・なんとなく・・・?」
 ムトは首を傾げる。これも、本能、というやつなのだろうか。
 ヒューゴは当分ムトをゲドに会わせないようにしようと決めた。部屋の配置的にそれがほとんど不可能だと、今のヒューゴはとてもじゃないが気付かない。
「だいたい、キスは好き合ってる人同士しかしちゃダメだ!!」
「え・・・ぼく、ゲドさんのこと好きだけど・・・ゲドさんはぼくのこと嫌いなの?」
「そ、そういう好きじゃなくてだな・・・」
 悲しそうな顔をするムトに、どう説明していいやらヒューゴは悩む。普段は自分がこんなふうに軍曹やシーザーを悩ませているのだという事実には、都合よく気付かないヒューゴだった。
「と、とにかく、ゲドさんにはオレがいるんだから・・・そう、キスは一人の人としかしちゃダメなんだ! ゲドさんはオレとするから、ムトとは出来ないの! そういうこと!!」
 どうにか納得させられる理由を考え、ヒューゴはなんとなく勝ち誇ったように言った。
「そっかぁ・・・・・」
 ムトは、納得したようだが、ひどく残念そうに溜め息を落とす。
「ホントに、絶対、ダメだからね!!」
 その様子に不安を覚えて、ヒューゴはしつこく念を押した。
「そういうわけだから、えっと、変なこと聞いてごめんね! 忘れて!!」
 そして、これ以上この話題を続けると益々変なことになりそうな気がして、ヒューゴはピシャっと会話を終わらせて駆け去った。
 もしかしたら、もう手遅れだったかもしれないが。
「・・・・・・キスかぁ」
 残されたムトは、何かを思い描きつつ、楽しそうに呟いた。


 一方ヒューゴは、走りつつ、一体どうしてあんな会話になったんだっけそういえばそもそもは軍曹曰く「激しい」キスの仕方を知りたかったんだ、と初心に戻っていた。
 そんなとき、毎回こういうときについつい頼ってしまう赤い頭がヒューゴの視界を掠める。
「あ、ちょうどよかった、シーザー!!」
 ヒューゴは迷惑かもしれないなどと微塵も思わず駆け寄る。
「なぁ、聞いてくれよ・・・・・・ん?」
 いつものように芝生に横たわるシーザーの隣に、もう一人だらしなく寝そべる男の姿がある。
「ジョアンも・・・何してるんだ?」
 ヒューゴは遠慮なく近寄り二人の顔を交互に覗き込んだ。
「・・・・・・見ての通り、寝てんだよ。ジャマすんな」
 おかげであったかい日光の陽をさえぎられたシーザーが目を閉じたまま迷惑そうに言ったが、ヒューゴは全く構わない。ヒューゴの中では、寝ている=暇、なのだ。シーザーが睡眠に時間を割く為にどれだけ生活を切り詰めているか、悟らせるつもりのないシーザーのせいもあってヒューゴは全く知らなかった。
「そんなことよりさ、教えて欲しいことがあるんだけど」
 と、シーザーにとったらよっぽど「そんなこと」を、ヒューゴは真剣に問いにする。
「あのさ、激しいキスって、何するんだ? 普通のキスと、どう違うわけ?」
「・・・・・・・・・」
 シーザーは、こうなったヒューゴがなかなかしつこいことを嫌ながら知っているので、ゆっくりと上体を起こす。
「・・・なんで、おれにそんなこと聞くわけ?」
 が、だからといって答えようと思ったわけではなく、さっさと追い払いたいシーザーだった。
「目に入ったからだけど。知ってんだろ? いいから教えろよ」
「あのなぁ・・・」
 頼りにされてるのかされてないのか微妙な言い回しで聞いてくるヒューゴをシーザーはなんだか疲労を感じつつ見上げる。
「んなこと、他のやつに聞けよ。誰でも知ってるって」
「だったらシーザーが教えてくれてもいいだろ? シーザーはしたことあんのか?」
「・・・・・・うるせぇ、おれは寝んだよ」
 もう一度寝転がろうとするシーザーをヒューゴは引っ張ってとめる。
「なぁ、教えろって!」
「やだよ、面倒い。だいたい、教えるって、どうやってだよ。口で説明しても伝わんねぇだろ」
「え? じゃあ・・・してくれるの?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 一瞬、二人は無言で見つめ合う。
「はぁ!? なんでおれがおまえにすんだよ!!」
「えっ、オレだって嫌だよ! ・・・でも、コボルトとよりは・・・マシ?」
「コボルトと比べんな! ていうか、マシとかマシじゃねぇとか、そういう判断基準なのか!?」
 シーザーは自分が仕える若き英雄の常識を心底疑った。
「違うよ。だからオレだってシーザーとなんか嫌だって言ったじゃないか」
「・・・・・・なんかってな・・・」
 そう言われるとそれはそれで微妙な気分になるシーザーだ。
「・・・・・・とにかく、だな」
 なにがなんだかわからなくなりかけつつ、シーザーはともかくヒューゴを全力で追い払おうと、優秀な頭を無駄なことにフル回転し始めた。ところに。
「おいおい、お前らさ、うるさすぎ。ちっとも眠れねえじゃねえか」
 二人のやり取りを全く気にせず寝続けていたと思われていたジョアンだが、やはりそうはいかなかったようで、迷惑そうに片目を開けて二人を睨む。
「キスすんならさっさとすればいいだろ? だからもちっと静かにしてくれ」
「だから、しねえってば! というかおれも寝てんだよ。こいつがどうでもいいこと聞いてくるから」
 変な誤解されては堪らないとシーザーはヒューゴを指差して状況説明する。指されたヒューゴは、こうなったらジョアンでもいいからと、二人を交互に見ながら答えを要求した。
「だから、教えてくれるんだったら、そのあと寝るのジャマしないって。な、激しいキスって、どうやるんだ?」
「・・・なんで貴重な睡眠時間を割いて、んなこと教えなきゃいけねんだよ」
「だろ? だいたいさ、こんな絶好の昼寝日和にさ、寝なきゃ損ってもんだぜ」
「そうそう。せっかく鬼がいぬまに、って寝にきたのにさあ・・・・・・」
「そうそ、鬼の目をかいくぐるのは大変なんだぜぇ・・・・・・」
「・・・って、ぶつぶつ言いながら二人とも、もう半分寝てる・・・器用だなぁ」
 思わずヒューゴは感心してしまった。
 ここまで睡眠に執着するその気持ちはわからないが、しかしなんだかそれをジャマするのは申し訳ない気がするとヒューゴは思わされてしまった。
「・・・仕方ないなぁ、別の人に聞きに行こうか・・・」
 ヒューゴが諦めて立ち上がり行き先を思案していたとろこに、ふいに元気な足音が聞こえてくる。
「あっ、いたっ!!」
 一直線に駆け寄ってきたその少女は、遠慮なくジョアンを起こしにかかった。
「こらこら、まだ夜までは時間があるよっ! 寝る暇があったら、一に訓練、二に訓練!!」
「・・・・・・見付かったか・・・」
 張りのある声に、諦めきったような疲れた声が続く。
「・・・エミリー、今日も元気だね」
「おっ、ヒューゴ! なんだったらヒューゴも一緒にこれから鍛える!?」
 どちらかといわなくても元気な自分よりさらに数倍も元気なエミリーは、ヒューゴにいつもの高テンションで答える。「ヒューゴも」の「も」とは、他に自分とそれからジョアンも、ということだろう。
 強制的に数に入れられているジョアンは、仕方なさそうにのっそりと体を起こす。
「あのさ、たまには休息を入れるのも、体作りには重要なんだぜ?」
「そう言って、もう一時間以上経ってるじゃない。これ以上休むと、体がなまっちゃうよ! さっ、まずは牧場までランニング!!」
 言いながら、エミリーはとてもランニングとは思えないスピードで走っていってしまう。
「・・・・・・あぁ、もう、ったく」
 ぶつぶつ言いながらジョアンは、そのまままた寝てしまうかと思いきや、立ち上がって徒歩ではあるがエミリーのあとを追うように歩き出した。
「・・・なんだ? あれ」
 嵐のように現れて去っていったエミリーもだが、あんなに睡眠に固執していたはずなのに・・・とヒューゴはジョアンのうしろ姿を不思議そうに見送る。
 すると、エミリーの大声に目を覚まされたのかシーザーが、眠そうな声でジョアンの近況を教える。
「見ての通りだよ。元気なのが来たんで、あいつも最初はそれなりにやる気になってたみたいだけど、元々の怠け癖が直るはずもなく、最近はああやって隙を見てはサボろうとしてるってわけ」
「へえ・・・そのわりに、文句言いつつも付き合うんだな」
「結局まんざらじゃねえってことだろ、あいつも」
「・・・訓練が?」
「さぁなぁ。どっちにしても興味ねぇよ、人の恋愛だなんだ、なんてな」
 シーザーはあからさまな視線をヒューゴに向けながら言う。
「・・・わかったよ、今回は、他の人に聞くってば」
「は、じゃなくて、も、にしてくれ。じゃ、な」
 ひらひらと手を振って、シーザーはやっとこれで眠れると、嬉しそうに瞬時に寝に入った。
「・・・・・・」
 もうちょっと真面目になれないんだろうか、とシーザーを見下ろしヒューゴは、自分こそどうでもいいことで時間を費やしているにも関わらず勝手に呆れた溜め息を落とした。


「・・・てわけでキスについて聞きたいことがあるんだけど」
 場所は変わって、昼間にも関わらずそこそこ人がいる酒場。
 テーブルについてやっぱり昼間だというのに酒の入ったグラスを口に運ぶ大人達をヒューゴは次のターゲットに選んだ。
「・・・・・・というか、お前はどうしてそれをオレに聞こうと思うかな?」
 一瞬あっけに取られ、それから僅かに青筋を浮かべながら問い返したのは、確かにこういう話題には適任に思えるエースだ。
「だって、経験豊富だって自慢してたじゃないですか」
「あぁ、そうさ。だがな、それをオレに聞くのは酷だ、とか考えなかったわけか?」
 ヒューゴの言う通り適任ではあるが、エースの言う通り、むしろ嫌がらせに近かった。
 エースがゲドにひそかに思いを寄せていたのをヒューゴも知っていて、それなのにそのゲドとのキスのことで聞きたいことがあると言っているのだから。
 これがヒューゴでなければ、間違いなく嫌味な当て付けだったろう。ではヒューゴがどういうつもりだったかというと、ただ単に何も考えていないだけだった。
「いいじゃないですか」
「よくねえ。一体どんな神経してんだか・・・」
 呆れるエースだが、同じく一緒にテーブルで酒を飲んでいたクイーンが、隣でなんだか気まずそうな男の気持ちを代弁する。
「というか、その話題をゲドがいるのに堂々とすることのほうが、すごいと思うけどね」
「・・・・・・・・・・・・」
 よく言ってくれた、と思ったかどうかはわからないが、ゲドは渋面で酒を呷る。
「全く、デリカシーのない坊やだ。大将、やっぱり考え直したほうがいいですって!」
 それに便乗するようにエースが何度目になるかゲドに提言してみる。
 が、結果はいつもと寸分変わらなかった。
「・・・・・・」
 溜め息一つ、それ以上のどんな反応もゲドはエースに返しはしない。わかっていて、それでも毎回ちょっと切なくなるエースだった。
「・・・ったく、おい、子供はこちらからお帰り下さい!」
 エースはヤケになったように、ヒューゴの腕をとり、ずるずる引きずるように出口まで連れて行く。
「えっ、ちょ、ちょっと・・・!」
 慌てて抵抗したものの腕力ではとても敵わず、ヒューゴはポイっといとも簡単に外に放り出されてしまった。
「え、えぇ、エースさんっ!?」
 と喚くヒューゴに構わずドアを閉めてしまうと、エースは一度盛大に溜め息を落としてから、ゲドに目を向ける。
「ったく、こんなどうしようもないやつ、相手出来るのは大将くらいですよ。さ、あとはお任せしますよ!」
 一見ヤケのように、しかしエースはそれでも笑いながらゲドを促す。
「・・・・・・・・・」
 ゲドは少し躊躇ったようだが、ゆっくりと立ち上がった。自分から積極的に動かないゲドには、ああ言うのが一番だと、エースはよく知っていたのだ。
 扉を出るゲドと入れ替わるように、エースはテーブルに戻る。
「知らなかったね、あんたにそんな自虐趣味があったなんて」
 向かいでクイーンが、揶揄うような言葉とは反対に、ひどく優しくエースに微笑み掛けた。
「・・・うるせぇ」
 自分でも自分のどうしようもなさはわかっている、とエースは一息にグラスの酒を飲み干す。
「付き合うよ。じゃんじゃん飲もう」
「・・・いや、押さえ気味でいこう」
 慰撫するつもりかそれともただ飲みたいだけか、際どいクイーンの言葉に、エースは苦笑しながら取り敢えず釘を刺しておいた。


 そしてわけもわからずエースに放り出されたヒューゴは、しかしすぐにゲドも出てきてくれたので、むしろ機嫌はとってもよくなった。
「ゲドさん、せっかくだから、散歩でもしましょう!」
 とヒューゴが誘い、二人は特に行く宛てもなく取り敢えず歩き始めた。
 そうすると自然に足は人気のない森の方に向かい、仲良さそうに訓練しているジョアンとエミリーを通り過ぎ、今日も無駄に騒がしく武器を鍛えているペギィを通り過ぎたところで、ヒューゴにふと疑問がよみがえる。
「・・・そういえば、リザードはキスするのか? どうやって?」
 思わず呟いたヒューゴを、問い掛けなのか独り言なのかはかりかねたゲドは見下ろした。
 ヒューゴもゲドを見上げ、二人の視線は合う。
「・・・そんなことより、ゲドさん」
 にんまり笑ってヒューゴは、ゲドを更に森の中へ引っ張っていった。
 そして、人の目が完全になくなったところで、もう一度ゲドを見上げ、期待を込めて言う。
「ゲドさん、キスしていいですか?」
 キスについていろいろと聞いているうちに、例の激しいキスとやらはともかく、ゲドとキスしたくなっていたのだ。
 そんなヒューゴを、ゲドは少し困ったように見下ろす。
「・・・・・・何故いちいち聞く?」
 改まってするよりは、なんとなくの流れでしたほうがましな気がするゲドだ。
 しかしヒューゴにもヒューゴの言い分があった。
「聞かなくても出来るんなら聞きませんよ。言ったじゃないですか、オレがしたいと思っても、このままじゃ届かないんです!」
 ヒューゴは自分より20センチも高いゲドを、少し悔しそうに見上げる。
「・・・・・・」
 説得力ありすぎなその訴えに、ゲドは仕方ないと思わざるを得なかった。辺りを見回し、高さを合わせる為に座れそうな場所を探す。
「・・・・・・やっぱり、ゲドさんからしてくれるっていう選択肢はないんだ・・・」
 残念そうなヒューゴには敢えて構わず、ゲドは近くの切り株に腰を下ろした。
 そして不満なのかと見上げるゲドに、残念ではあってもやっぱり不満なわけはないヒューゴは喜んで近付く。
 そして真正面に立つと、もちろんゲドを見下ろす位置になり、ヒューゴはちょっと嬉しくなる。肩に手を掛け、ヒューゴはゲドに笑い掛けた。
「じゃあ、しますね」
「・・・だから・・・」
 前置きはいらない、と言おうとしたゲドの唇に、ヒューゴは自らのそれを合わせる。
 唇と唇を合わせるだけがキスだと思っていたヒューゴのキスは、もちろんそのまま唇と唇を合わせるだけで終わる。
 軽くだったりしっかりだったりの差はあるものの、触れ合わせ、離し、また合わせる、それを繰り返すだけだ。それでも、ヒューゴはそれだけで、充分に思えるほどの幸福感を感じた。
 こんな些細な接触でこうなのだから、「激しい」らしいキスをしたら一体どうなるのか、ヒューゴは知りたくなってくる。
「・・・そういえばコボルト同士は舌を使ってキスするんだって」
 唇を離し、ヒューゴはゲドを至近距離で見つめながら、舌をぺっと出した。
 そして人間も出来るのだろうかと考え、しかしやはりよくわからなくて、諦めまた普通に唇を触れさせる。
 それでも何か試してみようと、ヒューゴは舌を使って出来ること、つまりゲドの唇を舐めてみた。
 なんでもないことのように思えたが、しかしなぞっているだけでなんとなくヒューゴの気分は高揚する。
 なんだろう、と思いながらヒューゴは、ゲドの様子を窺おうと目を開けた。
 すると、タイミングよくゲドも目を開き、視線が合う。なんだか嬉しくて目だけで笑ったヒューゴは、しかし突如もたらされた思わぬ感触にあやうく飛び上がりそうになった。
「・・・・・・!?」
 突き出したままだった舌に、何か生暖かいものが触れたのだ。何か・・・というか、ゲドの舌以外の何物でもない。
 驚いて見開いたヒューゴの目の先で、ゲドは目を閉じ直していた。そして、触れるだけだった舌を、僅かに絡ませるように動かす。
 ゲドのほうも、このままずっと触れるだけのキスをし続けるのは微妙だと思っていたのだ。ヒューゴのほうもそれを望んでいると、言葉で言われたわけではないが、しかし今のこの行動だけで充分伝わってきていた。
 そんな考えの末のゲドの行動だったが、ヒューゴにとってはその動機は今どうでもよく、ただそれによって与えられる感覚だけで一杯一杯になる。
 生暖かいぬるっとした感触、それに何故かヒューゴは堪らなく引き付けられた。
 同じように舐め返すと、ゲドの舌は逃げるように自分の口へ戻っていってしまう。それを追ってヒューゴの舌は、初めてゲドの口内へ侵入した。
 最初は控えめに舌の表面に触れていたが、次第にそんなんじゃ足りなく思えてきて、裏側を辿ったり少しずつ動きを大胆にしていく。酒の味が残るゲドの口内は、しかしとても甘くヒューゴには感じられた。
「・・・ん、は・・・ぁ」
 動きのたびにピチャっと湿った音が鳴り、飲み込みきれない唾液のせいだと気付いたところで、ヒューゴにはもうどうしようもない。鼻に抜けるような声がもれてしまうのも、もうどうしようもなかった。
 唇を触れ合わせるだけのキスのときに感じたものが一体なんだったのかわからなくなるほどの幸福感、高揚感。ヒューゴはそれをひたすら追い求めるように、深く深く、触れていないところがなくいらい舌を這わせた。
「・・・・・・っふ」
 そのうち、開きっぱなしだった口が少ししんどくなって一端離れると、思わず声が漏れる。それはひどく、満足そうに響いた。
 同時にゲドも、思わずといったように溜め息をつく。
 いつものよりも多分に熱を含んだそれに、ヒューゴは引き寄せられるようにもう一度距離を詰めた。
「・・・も一回」
 囁くように言いながら、ヒューゴはもう一度ゲドの唇を捉える。
 もちろんそれは、もう触れ合わせるだけでは終わらなかった。
 こうしてヒューゴは、周りに散々迷惑を掛けて回り紆余曲折あったものの、見事に初志貫徹、ディープなキスを習得するに至ったそうな。




END

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こんなに長くキス描写をしたのは初めてです。これでも頑張りました(笑)
そして相変わらずわからないダック、そしてコボルトとリザードのキス。
でもコボルトはしそうだなぁ・・・ということで無駄にムト→ゲドを入れてみたり。
しかしこのゲドさんは「流される」ことがなさそうなのでムトゲドは無理そうです。
しかししかしヒューゴには流されてしまうゲドさんでした。(痛)