LOVE LEAD



 ヒューゴが炎の英雄として人々の前に立ってから、一週間ほどが経とうとしていた。
 新生炎の運び手はビュッデヒュッケ城にその本拠地を定め、少しずつ活動を始めている。ヒューゴも、英雄として精一杯頑張っていた。
 それでも、上手くいかないことのほうが、まだまだ多いのだ。
 グラスランドとゼクセンの人々の間には未だ深い溝がある。ヒューゴ本人も、鉄頭と呼んでいた彼らをすぐに同士として見ることに、頭ではそうしなければと思いながら心が付いていかないことが多かった。
 そして何より、自分が英雄であること。その重責、自分でいいのだろうかという疑念。
 耐え難いほどのプレッシャーに、逃げ出したいと思うことは一度ではなかった。しかし逃げ出すわけにはいかない。それは義務であり、そしてそれはまた、ヒューゴの望みでもあったのだ。
 それでもずっと気を張っているのはつらい、というより不可能なので、ヒューゴは息抜きをしようと一人で歩いていた。
 気を変える為に、入ったことのなかった森に足を踏み入れて、そして
「・・・・・・ここどこだろ」
 そう、迷子になってしまっていた。
 行けども行けども見えるのは高くそびえる木ばかり。やっと目の前が開けたと思ったら、その先にあるのは輝く湖。
「・・・ほんとに、どこなんだろ・・・」
 柵に手を掛けて、ヒューゴは途方に暮れる。陽はすでに陰ろうとしていて、夕飯までに戻れるかどうか全く自信がなかった。
 そのとき、うしろでガサッと草を踏み分ける音がする。誰か来たのだろうかと期待を込めて振り返ったヒューゴの先にいたのは、
「・・・ゲドさん」
 ゲドは人がいると思っていなかったのか、ヒューゴの姿を認めると踵を返そうとした。帰り道を教えてもらえると思ったヒューゴは慌てて駆け寄る。
「待って下さい!」
 足をとめて見下ろすゲドに、ヒューゴは少し言いにくいながらも背に腹は替えられないので正直に話した。
「あ、あの、帰り道がわからなくなったから・・・教えて欲しいんですけど・・・」
 するとゲドは何も答えず歩きだす。ついてこいということなのかヒューゴには判断が付かなかったが、どっちにしても置いていかれたら困るのでついていくことにした。


 森の中を黙々と歩く。黙々と。
「・・・・・・・・・」
 ゲドについて歩きながら、ヒューゴは一人で気詰まりを感じていた。
 ヒューゴは、初めて会ったときからゲドが苦手だったのだ。
 第一印象からして、さほどよくなかった。炎の英雄に会えると思って行ったあの場所で出会った彼の、長身で黒っぽい全身、険しい顔つきに隻眼、無口で重たい雰囲気。それらはヒューゴに近寄り難さを感じさせるに充分だったのだ。
 そして何より彼は、真の紋章の継承者で、50年前に炎の運び手の一員であった。常に炎の英雄の傍らにあり、その全てを見てきた人物。
 彼はこうして新しく炎の英雄となったヒューゴに力を貸すと言ってくれた。しかし本心では、どう思っているのだろう。
 ヒューゴは自分がまだまだ英雄を上手くやれていないと自覚している。自分でもそう思っているのだから、ゲドから見るとどれだけ、英雄として劣っているだろうかと。
「・・・あの、・・・ごめんなさい」
 少し先を行くゲドに、ヒューゴは俯いたまま謝罪した。この状況に対して、ではない。
「オレみたいに頼りないのが、炎の英雄になっちゃって」
 ゲドのほうから言われるより、先に自分で言ってしまったほうが楽な気がしたのだ。自分が英雄に相応しくないことくらいわかっている、だからそう思ってても、言わないで欲しいと。
 そんなヒューゴの言葉が聞こえていなかったかのように、ゲドは変わらず足を進める。
 そしてヒューゴは、自分が否定の言葉を待っていたことに気付いた。そんなことはない、そう言ってくれることを、期待していたのだ。
「・・・・・・」
 ヒューゴはどうしようもなく自分が嫌になった。こんなに小さくて卑屈な自分は、一体ゲドにどう映っているのだろう、そう思うともっと堪らなくなる。
 これ以上一緒にいられない、そう思ったヒューゴは道がわからないのにも構わず駆け出そうとした。
「・・・・・・俺は」
 それよりも一瞬早く、唐突にゲドが口を開く。
 ヒューゴは思わず動きをとめた。しかしゲドが歩みをとめないので、少し躊躇いながらももう一度あとをついていく。
「・・・見ての通り、右目がない」
 ゲドはうしろを気にした素振りもなさそうだが、間違いなく自分に向けた言葉なのだろうとヒューゴは黙って聞いた。
「・・・だから、人が例え真っ直ぐ俺の顔を見たとしても、俺にとっては右に少しずれているように映る」
「・・・・・・・・・?」
 聞いたが、しかしヒューゴはゲドが一体何を言っているのかわからない。自分の言葉に対する応答ではないのだろうかと首を傾げた。
「・・・・・・」
 そして当のゲドも、それからしばらく沈黙してしまう。
 そして、ヒューゴが自分から何か言ったほうがいいのだろうかと迷い始めたころ、やっと再度口を開いた。
「・・・それでも、慣れれば、ちゃんと真っ直ぐ見つめ合うことは出来る。・・・つまり・・・だな」
「・・・はい」
 ゲドはゆっくりと言葉を切りながら話す。しかしそれは、ヒューゴに言い聞かせる為というよりも、ただ言葉を探しながら話しているからのように思えた。
「・・・つまり、誰だって最初から、何もかも上手くやれるわけじゃない・・・ということだ」
「・・・・・・」
 その喋り方は、たどたどしいと言っていいかもしれない。無口なのは言葉を掛ける気がないからだろうかと思っていたが、単に不得手だからなのかもしれないとヒューゴは思った。
 もしそうだとしたら、それなのにゲドは自分の為に言葉を尽くしてくれている。おそらく、励まそうとしてくれているのだろう。
 ヒューゴは嬉しくなる。
「・・・・・・オレ」
 そして、聞いて欲しくなった。誰にも漏らせなかった、ずっと心にあった思い。
「この紋章・・・これをオレが受け継いだから・・・だからオレが炎の英雄って呼ばれることになったけど・・・」
 ヒューゴは足をとめて、紋章が宿る右手を握りしめた。
「でもオレは、ただ・・・ただオレの周りの人たちを、このグラスランドを守りたいって思っただけで、そんな力が欲しいって思っただけで・・・」
 ゲドも、そんなヒューゴに気付いたのか立ち止まる。
「そんなオレが・・・たいした力も持ってないオレが、英雄だなんて・・・」
 真なる火の紋章を受け継いだとき、ヒューゴはこれで大事なものを守る力が手に入ったと、それだけ思った。こんなふうに多くの人の前に立つ英雄になるだなんて、思ってもみなかったのだ。
 ブラス城で皆の前で語ったことは本心だけれど、それでも自分以外に同じことを考えている人はいるだろうし、その中にもっと相応しい人がいるのではないか。
 ただ、好きな人たち、場所を守りたい。そんな個人的な理由で力を欲しがった自分よりももっと、立派な志とそれに見合う力を持った人が。
 誰にも言えない、言ってはいけない思いを、しかしヒューゴは誰かに聞いて欲しかったのだと気付いた。
「本当に、オレが英雄で・・・いいのかな」
 今更英雄を辞めることは出来ない。辞めたいと思わないし、辞めるつもりもない。
 それでも、ただ誰かに聞いて欲しい、ほんの少しだけ、弱音を吐かせて欲しい。そして、叱咤でも激励でもいいから、背を押して欲しかった。
 こんな自分をどう思っているだろうと、ヒューゴはおそるおそる顔を上げる。
 ゲドは、黙ってヒューゴを見下ろしていた。そのやっぱり硬い表情が、しかし敬遠していたころの冷たいものと違う気がするのは、ヒューゴの期待が見せる錯覚だろうか。
「・・・・・・紋章など、象徴に過ぎない」
 ゲドはヒューゴの右手を見てから、また顔に視線を戻しゆっくりと口を開いた。
「お前は・・・命の重さ、人を傷つけるということ、そして何より・・・自分の無力さを知っている。皆も、お前が・・・普通の少年だと、知っている」
「・・・・・・」
「・・・それでも、人並みの力しか持っていなくても、この大地を、そこに暮らす人々を守りたいと戦うお前の姿に、人は希望を見る。自分たちにも守るべきものの為に戦う力があると、そう信じることが出来る」
 五十年前も英雄と共に戦った、その経験なのだろうか。話し方は少し拙いが、しかしその言葉自体に淀みはなかった。
「英雄とは・・・人にそう思わせる、そんな存在なんだろうと思う」
 そんな存在。果たして本当に自分がそうなのだろうかと、ヒューゴは自らを顧みる。持てる力の全てで大切なものを守るために戦う、その決意は誰にも負けない。その思いだけで、いいのだろうかと。
 そんなヒューゴに、ゲドは締めくくるようにハッキリと言った。
「ヒューゴ、お前は炎の英雄に相応しい。俺はそう思う」
 ゲドは立派だったであろう炎の英雄を知っている。その上で、そうなれるだろうと、ヒューゴに期待してくれているのだ。
 無口で何を考えているかわからなかったゲドが、こんなふうに自分を見てくれていた。ヒューゴは「嬉しい」だけでは表現出来ない感情を覚える。
 ヒューゴはゲドの左目を真っ直ぐ見上げ、その気持ちを言葉にして伝えた。
「ゲドさん、オレ、頑張りますね」
 ゲドの期待を、裏切らない為にも。
 ヒューゴにもう迷いはなかった。
「・・・そうか」
 ゲドは小さく頷くと、体の向きを変えて歩きだす。
 それについて歩きながら、ヒューゴは今更気付いた。自分よりもゲドのほうがずっと歩幅が広いはずなのに、普通に歩いていても距離は離れない。つまり、ペースを自分に、合わせてくれているのだろうと。
 ヒューゴがゲドに大してずっと抱いていた苦手意識は、もう全くなかった。
 強く、そして優しいこの人が、自分にはついている。見ていてくれている、認めてくれている。
 それは何よりも自分の力になるだろう、ヒューゴはそう思った。




END

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苦手意識なくなったヒューゴは、
ここから坂を転げ落ちるように好きになってしまうわけです。
ゲドさんの右目ネタから膨らんでった話でした。