LOVE LEAVE



 いつからだろう、アルベルトが自らの野望に目覚めたのは。
 アップルに祖父レオンの話を聞いてから根付き始めたその思いは、ハルモニア留学を経て、明確な形を取るようになっていた。
 いつかそれを実現する、その覚悟も自信も、すでにアルベルトの中にある。多少の犠牲など厭いはしない。それが修羅の道であっても、構いはしない。
 なんの迷いもなくその道を突き進んでいける、アルベルトはそう思っていた。


「・・・なぁ、聞いてるか?」
 不意に耳に届いた声に、アルベルトは本から視線を外し右方を見た。
「あ、やっぱり聞いてなかったんだろ。兄貴、本読んでるとき全然周り見えなくなるもんな」
 シーザーは言いながら、ベッドによじ登り更に布団に入ろうとする。
「・・・何をしている?」
「え、だって、さっきおれが『今日ここで寝ていい? 嫌だったらそう言って』って聞いたら、嫌だって言わなかったから」
「・・・・・」
 理に適ってはいるが、当然腑に落ちないアルベルトだ。だが、同時に慣れてもいた。
 シーザーは頻繁に何かと理由をつけて、こんなふうにアルベルトの寝床の半分を奪いに来るのだ。
 アルベルトが何を言っても、一端もぐりこめばもう決して出てこない。それがわかったアルベルトは、もう最近は無駄な労力は使わないようにしていた。
「いいだろ? だって、今日寒いもん。兄貴は大事な弟が風邪引いてもいいのかよ? それとも・・・」
 そして本日の理由を述べるシーザーの頭を、アルベルトは溜め息まじりに撫でた。こうすればシーザーが黙ることを知っているのだ。
 そしてシーザーは予想通り、口を閉じた。そして、笑顔を見せる。
「じゃ、おやすみ、な」
 どこまでもマイペースなシーザーは、目を閉じて、すぐに寝息を立て始めた。
 そんなシーザーの頭を、アルベルトはなんとなくそのまま撫で続ける。
 自分よりも明るい色をした、自分よりも元気に跳ねている、自分よりも少しだけ軟質の、それでも同じ血が流れているのだと感じさせる赤い髪。
 唐突に、アルベルトに自らの決意がよみがえった。
 野望を達成させる為には、どんな犠牲を払うことも辞さない。
 犠牲、それは自分自身であったり、恋人であったり友人であったり、そして家族であったりするのだろう。
 そんな人たちであっても、妨げになるなら躊躇わず消す。そうする自信が、アルベルトにはあった、はずだった。
 だがアルベルトは、自らの腕の先にいるシーザーを見て、思う。
 犠牲に、出来るだろうか。今自分の隣で無防備に眠っているこの弟を、切り捨てることが出来るだろうか?
 自分に問い掛けて、アルベルトは愕然とする。
 出来ない、かもしれない。
 アルベルトは自分に大切なものなどないと思っていた。そんな存在は、きっと自分の野望実現の妨げにしかならないだろうから。
 それなのに、
 失いたくない。
 どこかで自分がシーザーに対してそう思っていることにアルベルトは気付いた。
 アルベルトはシーザーの頭からそっと手を離し、そして握りしめる。ギュッと、強く。さっきまでそこにあった、ぬくもりを断ち切るように。


「兄貴!!」
 門を出ようとしたアルベルトは、うしろからしたその声に、思わず足をとめた。振り返れば、開け放たれたドアの前に息を乱したシーザーが見える。
「兄貴、どういうことだよ!?」
 シーザーは信じられないという顔で、救いを求めるようにアルベルトを見上げた。
「家を・・・出るって・・・な、なんかの冗談だよな!?」
「・・・・・・」
 アルベルトは家を出ようと決めてから、誰にも知られないように準備してきた。そして、ついさっき執事にだけ告げてきたところだったのだ。
 誰にも、シーザーにも何も言うつもりはなかった。だが、こうしてシーザーがタイミングよく知ったことは、いい機会になると、アルベルトは思い直す。
「聞いたんだろう? その通りだ」
 いつも以上の無表情で告げてやると、シーザーは目を見開いた。一瞬表情をなくし、それから顔を歪ませる。
「・・・んで・・・なんでっ!?」
 そして少しよろけながら駆け寄ると、アルベルトの服を掴んだ。
「兄貴、なんでなんだよ! なんでっ」
 しがみ付く手は微かに震え、見上げる瞳も僅かに揺れている。そんなシーザーの姿を、アルベルトは視線を向けたまま、視界から締め出す。
「だったらおれ・・・おれも・・・っ」
 言いかけたシーザーの腕を、アルベルトは振り払った。容赦なく、躊躇いなく。
「うんざりだ、シーザー」
「・・・兄貴?」
 シーザーの瞳がもう一度見開かれる。そして今自分の耳に届いた言葉を打ち消すようにゆるく首を振った。
 そんなシーザーに、アルベルトは更なる言葉を最後通告のように叩きつける。
「目障りだ。虫唾が走る、お前のぬるさは」
 心地よくて、いつまでもここにいたいと、そう思うほど。だからこそ、このぬるま湯のような場所から出なければならないのだ。
 そんな心の内を全く覗かせない冷たい目線の先で、シーザーはよろけるように数歩後退る。
「・・・ずっとそんな・・・そんなふうに思ってたのか?」
「・・・・・・」
 アルベルトは答えないことで肯定した。そしてシーザーは意図通りに受け取る。
「だったら・・・」
 シーザーは俯き、それからまた顔を上げた。その表情は、さっきまでとは全く違う。
「だったら、好きにすればいいだろ・・・!」
 アルベルトを睨み付けながら、シーザーは声変わり途中の掠れた声を張り上げた。
 おそらく彼を今支配しているのは怒りだろう。泣きそうにも見えるシーザーの表情を、アルベルトは敢えてそう分析した。
 シーザーは両の拳を握り締め、叫ぶように吐き捨てるように言う。
「おまえなんか、どこにでも行ってしまえ、アルベルト!!」
 そして踵を返すと、振り返らずに走り去った。
 そのうしろ姿を、乱暴に開けられた扉がゆっくりと閉じるのを、アルベルトはただ見送る。
 そして、これでいいと、声には出さず呟いた。
 自分には弟などいない。大切に思うものも、いない。
「もう迷いなど、ない」
 そして今度は声にしてから、アルベルトは背を向けた。
 シーザーと過ごした日々、それは全てこの家に置いていく。もう決して、思い出しはしない。
 そう決意して、アルベルトは歩き出した。
 二度と彼が目の前に現れないように、そう祈りながら。




END

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祈りつつ、本人も気付かない心の奥では、
追い掛けてきてくれることを期待している。
そんな難儀なアルベルトの話でした。
ちなみにこの話を書くにあたって一番悩んだのは、
アルとシザ、どっちの髪のほうが硬いかです。(まだ悩み中)