LOVE POSSESSED 4
真なる風の紋章の化身を呼び出した影響か、崩れ落ちたシンダル遺跡は、今や無残な廃墟と化していた。かつて繁栄を誇こり、そして長きに渡って静かに眠っていた遺跡は、もう跡形もない。
大小の瓦礫が一面を埋め尽くし、吹き抜ける風も砂塵を含んでいた。
目に痛いその風を払いのけるようにしながら、シーザーは石ころに足を取られつつも歩く。かつて整った通路だったろう道を進み、そして探した。
彼はきっと、ここにいる。彼自身が導いた、破壊の爪痕がまざまざと残る、この遺跡のどこかに。
来た道順を頭に叩き込みながら散々歩き回り、そして不意に、シーザーの視界が開けた。抜けるような青空、吹く風も外気と混じり合い随分と澄んでいる。元々天井のない場所だったのだろう、おかげでそこは他に比べると大分以前の面影を残していた。
そして、その祭壇と思しき場の中央に、やはり彼はいた。
その姿を視界に納めながら、シーザーは一歩一歩近付く。あと数メートルの距離まできたとき、彼がシーザーに気付いた。この距離が、あのときと同じだと、そのことに気付いてはいないだろうけれど。
ゆっくりと振り返ったアルベルトに、シーザーは静かに声を掛けた。
「・・・ここにいると思った」
だから、ここに来た。おまえに会う為に。その思いを隠さず含める。
「・・・私のことは、もうどうでもいいと、言っていただろう」
「・・・・・・・・・」
アルベルトは少し眉を寄せ、意外そうに、真っ直ぐ見据えてくるシーザーを見返した。
シーザーのほうこそ、あのときの自分の言葉をアルベルトが覚えていたことに驚きながら、口を開く。
「・・・そう思ったさ。あのとき本気で、もうおまえのことなんかどうでもいいって、そう」
そのときのことは、思い出してもまだ、シーザーの心を苛む。言葉にならないほどの、無力感、痛み、悔しさ、悲しみ。
アルベルトを、その存在ごと忘れてしまえば、そんな苦しみから逃れられると思った。
「・・・だけどな、そんなの、全然無理だった」
忘れるなんて、無理だった。
生まれた負の感情も、やっぱり消えなかったそれ以外の感情も、シーザーの思いの全ては、アルベルトに向かうのだ。否応なく。
シーザーが見つめる先のアルベルトもまた、視線を逸らさない。互いに真っ向から対峙して、シーザーは、隠さず自分の思いを晒した。
「だって、放っておけるわけないだろ。おまえのせいで世界がめちゃくちゃになろうとしてんだったら・・・おれがとめないで、誰がとめんだよ・・・!!」
一度打ち砕かれ自負でなくなったそれは、今度は使命になった。
アルベルトをとめたい。とめるのは、自分でなければ嫌だ。
おれが、アルベルトを・・・それは、願いでもあった。
だからシーザーは、アルベルトが何かしようとしているかもしれない、アップルにそう聞いたとき、思考を働かせることもなく飛び出したのだ。
「どうでもいいなんて、思えるわけねえだろ!!」
胸を張って、シーザーは言い放つ。
今回結果的に野望を果たすことが出来なかったアルベルトは、シーザーの言葉などに耳を貸さずまた次の手を考えるかもしれない。
そうしたなら、また彼を追い、再びそれを阻止すればいいのだ。アルベルトがどれだけシーザーの存在を歯牙にかけていなくとも。
その覚悟と自信を、シーザーは今回得た。
自分は絶対に、アルベルトを諦めない。見捨てない。誰もが見放そうとも、何があろうとも、ずっとずっと。アルベルトが過去の亡霊から解放されるまで、今その胸に棲む男の存在が消え去るまで。
その決意を秘め、シーザーはアルベルトをただ真っ直ぐに見つめ続けた。
アルベルトは、やはり目を逸らさない。そのどこか穏やかに見える気がする緑の瞳を、シーザーが少し訝った、そのときだ。
「・・・・・・今の」
その口が、不意に動いた。
「私の心境が・・・わかるか?」
「・・・あぁ?」
唐突な切り出しに思え、虚を衝かれたシーザーだが、すぐに立ち直る。
「どうせ、残念、だろ? 何も、誰も、死ななくて、ガッカリ、なんだろ?」
失敗してお気の毒様ざまーみろ、とシーザーはわざと嘲る口調で言った。今の自分がとっても惨めだと、そう気付けばいいと思う。それでアルベルトの心を変えることが出来るかもしれない、可能性は低くとも、シーザーはその努力を惜しまない。
だが、きっと気にも留めていない反応が返るだろうと思ったシーザーの耳に、予想外の言葉が届いた。
「・・・安堵だ」
「・・・・・・・・・」
シーザーは思わず、自分の記憶の中からその単語の意味を引っ張り出して再確認した。ほっとする、そんな意味の言葉であることは間違いない。シーザーは次に、聞き間違いをしたのかと思った。
そうでなければあり得ない。思い通りにならず落胆しているか、悔しがっているか、そんな感情が相応しいはずだ。
戸惑うシーザーに、アルベルトが繰り返す。より端的に。
「私は安堵した。誰も、何も、死ななくて」
「・・・・・・・・・な」
シーザーは自分が目に見えて狼狽していることがわかった。それでも、自分を繕うことも忘れてしまう。それほど衝撃的だった。
騙そうとしているのだろうか、シーザーは一瞬そう疑う。もうその気はないと思わせ、邪魔してこないようにと。
だがその考えをシーザーはすぐに打ち消した。アルベルトがそんなことをするはずがない。シーザーの存在を気にも留めていないはずのアルベルトが、わざわざそんなことをするはずが。
「何・・・言ってるんだ? だって、お前の望みは、この世の人間どもを根絶やしにする、そうなんだろう・・・!?」
その思想こそが、ルカ・ブライトの狂気。アルベルトはそれを受け継いでいる、そうだとシーザーは思っていた。本人が、そう認めていたのだ。
「・・・そうだ。この世の全てを憎み、この世の全ての人間を焼き尽くす。それが望みだった。あのお方の」
アルベルトは、淡々と語る。中に比べてましとはいえやはり砂礫まじりの濁った風は、ともすれば瞳を開けることすら困難な強さで吹き付けてくるが、それでもシーザーは目を見開いてアルベルトを見つめた。
「そして私は、あの方の望んだ道を辿ろうと、あのとき決めた。彼の願いを自らのものにすることで、彼の纏っていた憎悪を引き受けることで、・・・そうすれば、彼と一つになれると思った。ずっと消えずに、私の内に存在し続けると・・・」
澱みない口調で言うアルベルトもまた、しっかりと瞳を開け、未だシーザーと視線を合わせている。そしてその目は、あのときのようにそれでもどこか遠くを見ている、わけでもなかった。
真っ直ぐに、シーザーを見据えている。
「なんで・・・それなのに、なんで」
シーザーはわからなかった。アルベルトのその決意は固いと、決して変わらないと、思ったからこそあのとき一度逃げ出してしまったのだ。
惑うシーザーに、アルベルトは静かに問い掛ける。
「・・・わかるか? 忘れられないと、忘れたくないの、違いが」
「は・・・?」
動揺したシーザーにはすぐに答えなど出せない。脈絡など全くないと思えるような問いだからこそ、なおさら。
ただ答えを欲して見つめ返すシーザーに、アルベルトは風が乱す髪を直しながらゆっくりと応える。
「うつし世に生きる私は、どうしても変わらずにいることが、出来なかった。忘れられない、そう思っていたはずなのに・・・」
一度目を伏せ、それからアルベルトはやはりまたシーザーを見据えた。
「忘れたくないとは、忘れてしまいそうになるから、そう思うのだ」
「・・・・・・」
「本当は、ずっと、気付いていた。私は、この世界を・・・憎んでなどいない」
シーザーは瞬きも出来ずに、アルベルトの告白を受け止める。
「誰も・・・何も・・・、お前も」
「・・・・・・」
シーザーは見極めるように、その瞳をしっかりと覗き込んだ。
その目は、確かに自分を見ている。シーザーを通り越してどこか遠くを見てはいない、その目は過去を映していない。
確かに、今目の前にいる、シーザーを映していた。
「・・・な、なんだよ」
声が自然と震える。とても信じ難かった。
「なんだよそれ! 今さらそんなこと言われて、おれが信じるとでも思うのか!?」
そう言いながら、しかしそれでもシーザーには、アルベルトの言ったことがただの嘘やでまかせには思えなかった。
真実だと信じたい、そう思うシーザーの期待だけが原因ではなく。
「この十五年間・・・日々の暮らしは、この世を憎もうと、憎んでいるはずだと思う気持ちを、次第に削ぎ落としていった」
そしてアルベルトのその言葉は、シーザーに思い出させた。
物心付いたときにはそこにいた、アルベルトと、過ごした日々。アルベルトが自分に向ける表情。そこに、自分に向ける愛情を、感じたことが、一度もなかっただろうか?
あった。確かに、あった。
だからこそ、シーザーは諦めきれずにアルベルトを追ったのだ。一度は打ちのめされても、それでも立ち上がれたのだ。
どこかで、信じていた。アルベルトにとって自分が、どうでもいい存在などではないと。
「そして、そんなはずはないと、行動を起こした結果が、これだ。私は自らが用意した、世界が滅びるかもしれないという結果を前に、それが叶えられるのをただ見ていることは出来なかった」
「・・・だから」
シーザーは、はっと思い出す。
「だから、おれたちに教えたのか? 儀式の地の場所を」
「・・・そうだ」
「・・・・・」
そこだけずっとわからなかったシーザーは、腑に落ちると同時に、アルベルトの語ることが真実なのだと、知らされる。
憎んでなどいない。殺しても平気だなどと、思っていない。
それがアルベルトの、本心なのだ。
「シーザー、私は」
名を呼び、アルベルトが伝える。
「たとえ、ルカ様が、どんなに望もうと・・・私には、お前は殺せない」
「・・・・・・」
「軍師としての私にとって、ルカ様を超える主は、きっともう現れない。だがそれでも・・・」
アルベルトは少し顔を歪めた。ずっと、そうだと自分に言い聞かせてきたことを打ち消すのは、躊躇いと苦しみを伴うのだろう。
「ルカ様よりも・・・シーザー、私はお前のほうが・・・」
それでもアルベルトは、言葉にして、シーザーに届ける。
「・・・大事だ」
風が吹き荒ぶ中、それでもその声は、シーザーにはっきりと聞こえた。
「・・・・・・っ」
シーザーは、弾かれたように地を蹴る。
「・・・っ馬鹿だろ、おまえ!」
一直線に駆け寄り、そして自分の目線の位置にあるアルベルトの襟首を掴んだ。
「んなことに、今さら気付くなんて! ほんとはすっげぇ馬鹿なんだろ!!」
掴んだ手で引き寄せるシーザーを、アルベルトは目を細めて見下ろす。不思議とその表情は、泣き出しそうにも、今にも微笑むようにも見えた。
「・・・そうかもしれないな」
「・・・・・・馬鹿だよ」
シーザーは押し寄せる感情で途切れそうになる声を必死に繋ぎとめ、どうにか言葉を継ぐ。嬉しい、単純にそれだけではなかった。
「おれも・・・馬鹿だ」
あのとき、アルベルトにちゃんと向き合わず逃げ出した自分を、シーザーは悔いる。そして今、ついさっきまで、やっぱり気付けていなかった。アルベルトの思いに。
誰よりも自分が、アルベルトを。そう思っていたはずなのに。
顔を伏せたシーザーは、それでも、その腕を目の前の体に伸ばしていた。
悔しい。でも、嬉しいのだ。涙が出るほど、嬉しいのだ。
「・・・・・・・・・」
もう言葉になど出来ず、シーザーはただ回した腕に力を込めて、アルベルトを抱きしめた。この現実が、確かなのだと、確かめるように、強く強く。
「シーザー・・・」
囁くように小さく呟いたアルベルトも、躊躇いがちにそれでもしっかりと、その腕でシーザーを抱きとめた。
END
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いろんな部分をはしょりながらのこのシリーズ、一応無事にシザアルで終えることが出来ました。
シリーズ通して説明不足な部分が多々ある気がするのですが…その辺は、まぁなんというか、こっちもよくわかってないというか…(…)
あ、アルベルトはシーザーに対しては「俺」のようですが、雰囲気重視で「私」にしました。
あと、ゲームでの儀式の地でのシザアル会話は忘れるように(笑)
ちなみに、蛇足だろうかと付け加えるのを迷った部分、せっかくなので下↓のほうに載せておきました。
「・・・おまえ、これからどうするわけ?」
二人は歩いていた。躓きそうになってシーザーが少しうしろを見れば、アルベルトも疲労困憊した様子でそれでもなんとか前に進んでいる。
完璧な頭脳労働者の二人にとって、この瓦礫だらけの遺跡はまともに歩くことさえ困難な場所なのだ。だが日が暮れる前には出なければならないので、足をとめず歩き続けているのである。
「はぁ、もう、なんでおまえ、あんなとこにいんだよ」
「・・・その言葉、そのままお前に、返そう」
ぜーぜーと荒く呼吸しながら悪態をつくシーザーに、アルベルトも息を乱しながら言い返した。
頑張った甲斐あって、出口まであと少しのところまで来た。シーザーは堪らず、ちょっと休憩とばかりにその場にへたり込んだ。するとアルベルトも、どこかホッとしたように、壁に背を預ける。
「・・・で、これから、どうするつもりなんだ?」
息を落ち着けて、それからシーザーはちょっと前の問いを思い出して、繰り返した。
アルベルトは、シーザーを見て、それからふいっと視線を逸らす。
「・・・自分のやりたいことなど、考えてこなかったからな」
つまり、現時点では何も思い付かないのだろう。
「はっ、情けねえなぁ!」
馬鹿にしたように笑ったシーザーを、アルベルトが見返した。
「・・・お前は、どうするんだ?」
「それは・・・・・・・・・」
問いをそのまま返されて、シーザーは言葉に詰まってしまった。
自分のほうこそ、アルベルトをとめることしか考えていなかったと、気付いたのだ。
「そ、それは・・・」
馬鹿にした手前、何も返さないわけにはいかないと、何か搾り出そうとしたシーザーだが。
「人のことを笑えないな」
「・・・・・・」
やり返され、むっとする、べきところだったのかもしれない。だがシーザーは、アルベルトを思わず見上げた。
アルベルトの口調が、馬鹿にするにしては、妙に柔らかく思えたのだ。
そして、振り仰いだ視線の先には、僅かに口の端を上げたアルベルト。それは嘲るようなものではなく、その逆で。
「・・・・・・・・・」
シーザーは、懐かしい、と思った。
アルベルトのその、自分に向けられる表情を、確かに見たことがある。アルベルトはそんなふうに、シーザーに笑い掛けたことが、確かにあった。
そんなこともシーザーは忘れてしまっていたのだ。
だが今、思い出した。自分が、アルベルトを何故とめたいのか、それからどうしたいと思っていたのか、それも思い出した。
取り戻したかったもの、それは今目の前に、ある。
シーザーはゆっくり立ち上がった。
「・・・そんなの、これから考えればいいだろう」
服に付いた埃や砂を払って、それからその手を、躊躇わずアルベルトへ差し出す。
「出口はすぐそこだ。行こうぜ」
「・・・・・・・・・あぁ」
アルベルトも壁から背を離し、そしてシーザーの差し出した手を、しかし取りはしなかった。
シーザーの横を通り過ぎて、さっきまでの疲れを見せず、勝手に先へと進んでしまう。
「・・・全く、素直じゃないね」
軽く肩を竦め、わざとらしく溜め息をついてから、小さく笑ってシーザーはアルベルトの背を追った。
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