LOVE SEIZE



 与えられた部屋の机で、アルベルトは少しの休養を取る為か、それとも気が弛んで思わずなのか、頬杖を付いたまま器用に寝息を立てていた。
 そんなアルベルトに、ユーバーは静かに近付く。
 のちに英雄戦争と呼ばれることになる争乱から一週間あまり。
 アルベルトはハルモニアで確固とした地位を得、執務に終われる毎日だった。
 そして、ユーバーは変わらず、その傍らにある。
 ルックの野望に加担することは、アルベルトにとっては目的への一過程に過ぎず、そしてそれはユーバーにとっても同じだったのだ。
 音もなく横に立ってユーバーは、刀を抜き、そしてそれをアルベルトの首筋にそっと当てる。それでも、気配も殺気も消しているユーバーに、アルベルトは全く気付く様子はなかった。
 この手にほんの少しだけ力を込めれば、アルベルトの首は落ちる。
 相手の命を手中に収めたときのぞくりとした喜び、しかしユーバーは今それを感じなかった。
 刀をあと数ミリ動かせないのは、楽しみを長く持続させたいから、ではおそらくない。
 そして、生じている感情、それは・・・おそれ、だろうか。
「はっ、何を考えている」
 ユーバーは思わず笑った。
 それは、自分とは程遠い・・・いや、覚えたことすらないはずの感情なのだ。
 それを、目の前の男を失うかもしれないことで味わっているというのだろうか。悪鬼だ人外だと人間に、ときに恐怖をときに嘲りを込めて呼ばれる、そして自らも正にその通りだと認める、このユーバーが。
 まるで、人のような感情を、目の前の男に。
「・・・面白い」
 もしそうであれば、それでも構わないとユーバーは思った。
 暇つぶしになるもの、愉しみを見出すことはユーバーの特技であり、そして必須のことでもあったのだ。長い生を渇きを抱えて生きるユーバーにとって、少しでも気を紛らわせるもの夢中になれることは何よりも必要であった。
 そして、もし自分がアルベルトを、失くすのおそれるほどの存在だと思っているのなら。
 少なくともこの男が生きている間は、愉しむことが出来るということだ。アルベルトに向ける自分の感情すら、ユーバーにとっては娯楽に等しい。
 ユーバーは刃を収め、代わりに手をアルベルトの顔に伸ばした。
 寝ていてなお硬い表情が解けないアルベルトは、しかし瞳を閉じている分、普段よりは数段穏やかに見える。
 アルベルトを冷酷に見せているもの、それは何より、瞳の色その表情なのだ。
 その薄い緑の瞳はとてつもない冷たさを宿し、視線はまるで虫けらだとでも言うように見下ろされる。
 もちろん相手を選び、その瞳は偽りの穏やかさを宿すこともあるが、それでも知ったものから見れば、その冷たさは隠しようがなかった。
 アルベルトは人間よりもよほど自分の側に近い、ユーバーは常々そう思っていた。
 だが、それでもアルベルトは、やはり人だった。肉体的な問題ではない。心が、ぎりぎりの部分でアルベルトを人に留めているのだ。
 そして、アルベルトを引き留めているもの、それが何かをユーバーは知っていた。
 ユーバーはアルベルトの目蓋を押さえ、続けて少しパサついた髪に指を通す。
 緑の瞳に赤い髪、その色彩を、血を同じくするものだけが、彼を唯一捕らえているのだ。いや、血が問題なのではなく、そのものの持つ性質・・・もっと言えば血さえも含めた、そのものを形作る全て。その全てに、アルベルトは捕らわれているのだ。
 ふいに、アルベルトが身動ぎをした。
 そしてまるで求めるかのような口調で、小さく言葉を漏らす。
「・・・・・・シーザー」
 それは、ユーバーがまさに今思い浮かべていたものの名だった。
 夢に見るほど、アルベルトが焦がれる、ただ一人の名。
「・・・く、くくっ」
 ユーバーは何故か可笑しくて堪らなくなった。そして我慢などせず声に出して笑う。
「くくく、はははっ!!!」
「・・・・・・?」
 アルベルトはその声に目を覚ました。そして、笑い続けるユーバーを、不審そうに見る。
「・・・・・・気でも触れましたか?」
 もとよりユーバーを正常などとは微塵も思っていないが、とアルベルトはその思いを隠さず含めて見上げた。
「・・・・・・もし」
 しかしユーバーはそれには構わず、自分のしたいように、問いたいように問う。
「もし俺が、お前の弟を殺したら、どうする?」
「・・・・・・は?」
 訝しむアルベルトに、ユーバーは重ねて更に問う。
「どうするのかと、聞いている」
「・・・・・・さあ、どうでもいいことです」
 ユーバーの突拍子のなさには慣れているアルベルトは、しかしまともに取り合うような問いではないと溜め息まじりに一蹴する。
「弟が死のうが殺されようが、構わないと?」
「ええ、そうです」
 しつこく続けるユーバーから鬱陶しげに顔をそらしてアルベルトは吐き捨てる。
 だがユーバーにはわかっていた。どうでもいいつまらない、その反応は、振りに過ぎないと。
「・・・ならば、あの地をあいつらに教えたのは、何故だ?」
「なんのことです?」
 申し訳程度の返答をしながらアルベルトは書類を広げて目を通し始める。
 その紙を、ユーバーは無造作に取り上げ、そしてつまらなそうに床に落とした。
「・・・あなたは聞き分けのない子供ですか。邪魔しないで下さい」
「お前こそ、親に教えられなかったか? 人の話は最後まで聞け、と」
「・・・・・・」
 アルベルトは、仕方なさそうに溜め息をついた。ユーバーが諦めるのは、気が済んだときまたは興味を失ったときだと、アルベルトは知っているのだ。
「理由は簡単です。真の紋章が破壊されてその行方がわからなくなる、それはハルモニアにとって・・・」
「嘘をつけ」
 しょうがなしに説明しようとしたアルベルトを、人の話は最後まで聞けと言った舌の乾かぬうちに、ユーバーはさえぎる。
「お前はただ・・・」
 そして、ユーバーはアルベルトの顔を、見透かすように覗き込んだ。
「弟を、死なせたくなかった。それだけだろう?」
「・・・・・・」
 アルベルトは、答えずユーバーを見上げた。同じようにユーバーも、アルベルトを見返す。
 アルベルトは平静を装ってはいるが、その視線はかなり剣呑だ。
 ユーバーにこんな視線を向ける人間は、他にはいない。憎しみでも恐怖でも無関心でもなく・・・それでは何か、それは人の感情を読み取りながら生きてこなかったユーバーにはわからない。
 それでも、アルベルトの視線は、ユーバーに心地よく感じられた。
「・・・・・・馬鹿馬鹿しい」
 背けようとしたアルベルトの顔を、髪を無造作に掴んでユーバーは自分のほうに向けさせる。
「正直に言ったらどうだ? 愛しい弟が死ななくて嬉しい、とな」
「・・・もし仮にそうだったとして、あなたに何か関係がありますか?」
 アルベルトは髪を掴まれたまま、こんな行動に出られることには慣れているので動じず返した。
 ない、と当然返ってくると思っているだろうアルベルトに、ユーバーはニヤリと笑って言ってやる。
「あるさ」
 一瞬、僅かにアルベルトの瞳が見開かれた。
 その反応に満足しながら、ユーバーはこんなときでも固く結ばれたアルベルトの唇に、強引に口付ける。
 アルベルトは少し驚いたようだが、下手に抵抗すれば痛い目を見るのはわかりきっているので、おとなしく離されるのを待った。
 力の抜けた唇を割り、人並みのぬくもりを持つアルベルトの口内へと、ユーバーの舌が入り込む。
 どれだけ乱暴に弄っても、アルベルトは嫌がるそぶりを見せず、いつも受け入れた。
 そこにあるのも、決して嫌悪でも畏怖でも諦めでもない。
 今までアルベルトの感情など少しも考えたことのなかったユーバーは、しかし今、少しだけそれを知りたいと思った。
「・・・まったく、何を考えてるのか・・・・・・わかりたいとも思いませんが」
 やっと離されたアルベルトは、遠慮なく溜め息を落とす。だが気にせず、ユーバーは再び口付けた。
 ユーバーは、アルベルトの普段の冷徹な顔が、愉悦に歪む瞬間も知っている。
 それでも、アルベルトのその表情は、シーザーを想うときの表情には及ばなかった。
「だったら、お前は、何を考えている?」
「・・・あなたに話す必要がありますか?」
 素っ気なく返すアルベルトの表情を、ユーバーはたった一言で自分好みに変える。
「隠すなよ。どうせ、弟のことだろう?」
 僅かな瞳の動き、そこに微かに見え隠れする感情。
 ユーバーは、アルベルトのそんな表情を見るのが何より好きだった。
 恐怖と絶望と憎悪、人間のそんな表情だけがこれまでユーバーを愉しませてきた。
 それでも、自分と似通ったものを持つアルベルトの、それでも人間である部分。そのいびつな形が、堪らなくユーバーを惹き付ける。
 何故か、そんな理由などどうでもよく、ユーバーにとっては己が愉しめれば、それでよかった。
 だからユーバーは、折に触れてアルベルトにシーザーの話題を振るのだ。
 その者の存在だけが、こんなにも容易くアルベルトを揺さぶる。
「お前は、弟を想うときだけ、人間の顔になるな」
 顔を、瞳を覗き込み、表情の変化を逃さないように、ユーバーは告げる。
「安心しろ、お前の弟を死なせるような真似は、俺がさせないさ」
 ユーバーは勝手にシーザーの生を決定した。アルベルトを自分を愉しませる存在たらしめる、その為だけに。
 だが、もし。
 もしアルベルトの今シーザーに向けられている感情が、ユーバーに向けられることがこの先あれば。あの表情が、自分に向けられることがあれば。
 それこそ至上の喜びだと、ユーバーは思った。
 そしてどちらにしても、ユーバーにとってアルベルトは、何にも勝る最高の娯楽であることに、変わりはない。
「・・・今日のあなたはいつもに増して、おかしいですよ。人並みに、熱でもありますか?」
 アルベルトは馬鹿にしたような口調で、それでもユーバーの額に手を当てる。
 当然熱など感じ取れなかったアルベルトの手を、ユーバーは掴み、そしてその甲に小さくキスを落とした。
「ふん、俺にそんなことを言うヤツは、お前くらいだ」
 ニヤリと笑って、もう一度、キス。
「人間は、こうやって忠誠を誓うのだろう?」
「・・・あなたが、私に?」
 なんの冗談かとアルベルトはわざとらしく眉をひそめる。
「あぁ。忠誠ではないがな。それでも、俺はお前から、離れない。お前の命が果てる、そのときまでな」
「・・・それは、熱烈な告白ですね」
 意図を掴みかねているアルベルトは、それでもそれを知ろうとする素振りもなく、どうでもよさそうにユーバーを見上げる。
 アルベルトは、ユーバーに「理由」など、一切求めていないのだ。
 何を思ってなのか、それは関係なく、起こした行動喋った言葉、それだけがアルベルトにとってのユーバーの全てだった。
「そう取ってもらっても構わんさ」
 その瞳を覗き込み、だが今はそれでいいとユーバーは思う。愉しみは、多く残っているほうがいいのだから。
 アルベルトが五十年もすれば自分を置いて消える、そのことを、しかし長き生を持つからこそ刹那に生きるユーバーは考えない。
 ただ、今この男を失うことは、ユーバーには考えられなかった。
 自分でも知らなかった感情を呼び覚まし、渇きを忘れさせる存在。手放すわけにはいかなかった。
 このままこの兄弟の行く末を傍観するのもいいだろう、隙があれば手に入れるのもいいだろう。
 ただ、逃がしてだけは、やらない。
 捕らわれたのは果たしてどちらなのか、思ってユーバーは、深く笑んだ。




END

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アルベルトがユーバーを好きになったら、その日がシーザーの命日です。
そんな話。(ぇ)
いやでも、アルベルトが興味を失った対象をわざわざ殺すようなことはしない気も?
ともかく、この先アルがユーバーにちょっとでも興味を持ってしまえば、
晴れて泥沼ドロドロ三角関係が始まりそうですよ。楽しそう。(他人事)