LOVE STRENGTH



 その日は晴れていた。
 太陽は眩しく、空は青く、風は穏やか。
 いつもと何一つ変わらない、そんな日だった。

「ヒューゴ、まだ取りにいってないのか?」
 軍曹が、ヒューゴのうしろにいつも付いている刀がないのに気付いて声を掛けた。
「シンダル遺跡から帰ってきてすぐ持っていってたよな。もうできてるんじゃないか?」
「あ、う、うん・・・」
 ペギィの鍛冶屋としての腕は確かだし、と言う軍曹に、ヒューゴはあいまいに返す。
「どうした、元気ないな。・・・まあ、まだ・・・」
「軍曹、やっぱりこれから取ってくるよ!」
 軍曹の言葉を慌ててさえぎって、ヒューゴは言うなり駆け出した。だがその方向には鍛冶屋はない。
 一見、不審なヒューゴの行動だが、しかし軍曹にはわかっていた。軍曹とて、まだ気持ちの整理が付いていない部分があるのだ。
 幼いヒューゴはなおさら、どうしていいかわからないのだろう。今回は、憎しみとすりかえることも出来ないのだから。
 それでも、ヒューゴはすぐにでも立ち直ることを要求されている。炎の英雄なのだから。
 自分の友であり教え子であり子でもある少年を、それでも一番に支えるのはもう自分でもルシアでもないのだろう。軍曹はこんなときだがそれを少し寂しく、また嬉しく思った。


「・・・はぁ」
 一方、走り去ったヒューゴは。
 足をとめて、酸素を取り込んだ。そして、自分に降り注ぐ日差しにつられるように顔を上げる。抜けるような青空とはこんな空のことを言うのだろうかと、ヒューゴはらしくないことを考えた。
 いっそ曇りだったり雨だったほうがよかったのかもしれない。
 空も晴れ風も優しく、いつもと変わらず穏やかな日。それが余計に、一つだけ変わってしまったことを浮き出させてしまうのだ。
 一人だけ、いなくなってしまった人のことを。
「・・・まだ、嘘みたいだよ、ジンバ」
 シンダル遺跡で体の一片も残さず消えてしまった彼の姿を、ヒューゴは今も鮮明に描くことが出来た。探せばどこかにいるのではないかと思えるほど。
 ヒューゴが誰かの死に直面したことは、これが初めてではもちろんない。老衰、病気、戦争、いろいろな理由で仲間を何度も見送った。
 それでも、何度経験してもどうしても慣れることが出来ないのだ。
 ルルのときはクリスへの憎しみで、悲しみをごまかすことが出来た。そのほうがいいとは決して言えないが、それでも、どこにもぶつけられない悲しみを自分の中で消化するには、ヒューゴはまだ未熟だった。
「すごく、天気がいいなぁ。眩しすぎて・・・目が痛いよ」
 一瞬顔を歪めたヒューゴは、しかし頭を振って水気を飛ばす。
 ヒューゴは、炎の英雄として、いつまでも悲しんでいる姿を晒していてはいけないと、よくわかっていたのだ。
「・・・・・・やっぱり、だめだ」
 ヒューゴはわかっていてそれでも、耐えられなくて、また駆け出した。


 えれべーたで降りて、暗い道を歩く。ランディスはどうやらいないようで、ヒューゴはなんとなくほっとした。
 ビュッデヒュッケ城の地下にある不思議な空間。物静かで暗く人気もないそこに、ヒューゴは来ていた。誰の目も気にせずに、思い切り泣いてしまう為に。
「・・・いるのかな?」
 奥の部屋から光がもれていて、アイクがいるなら少しの間この場所を貸してもらおうと、ヒューゴは部屋に足を踏み入れた。
 しかし、そこにいたのは。
「・・・ゲドさん・・・?」
 ヒューゴは驚く。ゲドはそこに何をするわけでもなく突っ立っていた。
 いつものヒューゴなら、ゲドを見付けたら一目散に駆け寄るが、今はそんな気分ではない。その代わりヒューゴはすでに滲みかけていた涙を慌てて拭った。
「ヒューゴか。どうした? こんなところに」
 ゲドも驚いたようで、ヒューゴに問い掛ける。しかしヒューゴは正直に「泣きにきました」と答えるわけにもいかない。
「・・・ゲドさんこそ、どうして?」
 だからヒューゴが逆に問い返すと、ゲドはゆっくりと薄暗い部屋を見渡した。
「・・・昔・・・を、思い出していた」
 その口調には、懐かしむ響きが含まれている。
「・・・それって・・・」
「・・・ワイアットと・・・ここにもよく来た」
「!」
 ヒューゴは、そこでやっと気付いた。いや、わかっていたはずだが、ジンバが死んだ、その悲しみで見えなくなっていたのだ。
 ジンバはワイアットだった。クリスの父親であり、真なる水の紋章を宿し五十年前に炎の運び手としてゲドと共に戦った、ワイアットその人。
「・・・そう・・・なんですか」
 ゲドは、それでもいつもと変わらない様子に見えた。
 五十年前からの親友を亡くしたゲドの悲しみは、どれほどのものだろうか。ヒューゴには想像も出来ない。物心付いたときから数十年の付き合いでも、失ってしまえばこんなにも悲しいのだから。
 自分とは及びも付かないだろうに、ゲドはつらそうな顔一つ見せていない。
 なのに自分がいつまでも悲しんでいるのは、ひどく身勝手な気がした。
「・・・ごめんなさい」
 ヒューゴは俯いて、こぶしをギュッと握った。
「オレだけが・・・悲しいんじゃないのに」
 言いながら、逆にヒューゴの視界は潤んでいく。悲しんでいてはいけない、そう思えば思うほど、ジンバのことを思い出し、悲しくて堪らなくなるのだ。
「オレよりもっと、悲しんでる人がいる・・・のに」
 頭を振ろうとしたヒューゴは、しかしそれをとめられる。
 ヒューゴは驚いて、自分の頭に触れているゲドを見上げた。
「ゲドさん・・・?」
「・・・・・・悲しみの深さなど、関係ない」
 ゲドはヒューゴの頭に遣った手を撫でるように動かしながら言葉を継ぐ。
「他人と比べる必要はない。そして、悲しく感じている自分の気持ちを否定する必要もない」
「・・・・・・」
 いつになく優しい響きのゲドの言葉に、ヒューゴの涙腺は勝手に弛んでいく。
「・・・でも、オレは・・・泣いたらだめです」
「あいつと十五年共に暮らしたお前には、充分泣く権利があるだろう」
「でも、カラヤの戦士は簡単に泣いたりなんか・・・」
 ヒューゴはそれでも泣くまいと、どうにか理由を探して我慢した。
 そんなヒューゴに、ゲドは変わらず頭を撫でながら、諭すように言う。
「目の前にある悲しみを、そのまま悲しいこととして受け取ることが出来るのは、お前のいいところだと、俺は思う」
 そしてゲドは、頭を撫でる手でヒューゴを引き寄せ、背を促すようにさする。
「・・・それに俺は、この年になると、もう泣けない。だから、ヒューゴ。・・・俺の代わりに、泣いてくれ」
「・・・っ」
 それがゲドの本心なのか、それともヒューゴを泣かせる為のものなのか、わからないが。
 ヒューゴはもう、我慢出来なかった。
「う、うぁ、うあぁぁぁぁ!!!」
 ヒューゴはゲドにしがみ付き、声も憚らずに、泣いた。
 そして、この瞬間、ヒューゴは自分が腕を回している体を、ジンバのものだと思う。
 ヒューゴはジンバが好きだった。立派な大人として強いカラヤの戦士として、尊敬し憧れていた。そして、いつかきっと越えてやると、そう思っていたのだ。
 それなのに。もうジンバとは、剣を交えることも出来ない。決して手の届かない存在になってしまったのだ。
「ジンバ・・・ジンバぁ・・・!!」
 思い出されるジンバと過ごした日々を、交わした言葉を、ヒューゴは一つ一つ刻み付けるようにかみしめていく。
 そんなヒューゴの背を、ゲドは黙って、ヒューゴが泣きやむまで撫でていた。


「・・・・・・あ、あの・・・」
 それからどれくらい経っただろうか。ヒューゴは躊躇いがちにゲドに声を掛けた。
 思う存分泣いて、やっと涙も出尽くしたようなので、いつまでもこうさせているのは悪い気がしたのだ。
 だからヒューゴはゲドから離れようと、回していた腕を外した。その動きを感じたのか、ゲドもヒューゴの背から手を離して距離を取ろうとする。
 が。ヒューゴはもう一度ギュッとしがみついてそれをとめた。
「・・・ヒューゴ?」
 不思議に思って見下ろすゲドに、顔を上げないままヒューゴは答える。
「す、すいません。でも、ちょっと待って下さい。オレ、今多分、変な顔になってると思うから・・・」
 というか、ヒューゴは今さらだが、恥ずかしくなってきたのだ。泣く喚く姿というのは、好きな人に見せたいものではあまりない。
「・・・気にしないが」
「オレが気にするんですってば!」
 しかしヒューゴは、こんなふうに泣いておいて、今さら気にするのはおかしい気もしてきた。
 だから、再度ゲドの背から腕を外す。
「やっぱり、もういいです・・・」
 ヒューゴは一歩うしろに下がって、ゲドをそろーっと見上げた。ゲドの表情は、呆れていたり馬鹿にしたりしてなくて、ホッとする。
 だが気恥ずかしいのは変わらなくて、ヒューゴは涙でぬれた頬を拭いながら、ごまかすようにそれでも思っていることを口にした。
「え、英雄がこんなんじゃ、だめですよね」
 しかしゲドは、首を振る。
「いや。大事な人の為に泣くことが出来るお前を、情けないなどと思うやつはいないさ」
「ゲドさん・・・」
 自分の恋人であるゲドだからこそ、そして「英雄である」ということを知っているゲドだからこそ、ヒューゴはその言葉が余計に嬉しい。
 ヒューゴの顔には自然と笑顔が浮かんだ。そこには、無理などない。
「ありがとうございます、ゲドさん。おかげで、多分もう、オレは大丈夫です」
 やはりまだ、ジンバのことを思い出すと悲しくて堪らないが。それでもヒューゴは、ジンバと過ごした日々を懐かしみ自分の力に出来る日がいつか来るだろうと思えた。
「・・・そうか。よかったな」
「ゲドさんは・・・」
 そして、やっとゲドに気を向ける余裕が出てきたヒューゴは、少し不安そうにゲドを見上げる。
「ほんとに我慢してるわけじゃないんですよね?」
「ああ」
 ヒューゴの心配を、ゲドはすぐに否定した。しかしそれから、少しの間をおいて、もう一度口を開く。
「今は、生を全うしたあいつを、羨ましく・・・そして誇らしく思っている」
 ゲドはめずらしく、ヒューゴに自分の思いを言葉にして聞かせた。ヒューゴの素直に泣きじゃくる姿に思うところがあったのだろうか。
「・・・だが、もしかしたらまだ実感出来ていないだけなのかもしれない。ふとした瞬間に、もういないんだと・・・・・・」
「・・・ゲドさん」
 自分の何倍も生きているゲドの心の中は複雑すぎて、ヒューゴにはとてもわからない。
「・・・じゃあ、そのときになったら」
 それでも、きっと自分にもゲドの為に出来ることがあるはずだと、ヒューゴはゲドを見上げた。
「悲しくて堪らなくなったら、オレに言って下さい。今度はオレの胸を貸します。オレをジンバだと思って、思う存分泣いて下さい」
 泣きやむまで背を撫でていてくれたゲドのように、ヒューゴもまたそんなふうに側にいたいと思った。
 しかし言葉にすると、なんだか大それたことを言っているような気がして、ヒューゴはちょっと恥ずかしくなる。
「まあ、オレはジンバの体格とは程遠いけど・・・ほら、肌の色なら一緒だし、ね」
 だからヒューゴはそう付け加えて、少しおどけたように笑った。
 そんなヒューゴをゲドは見下ろして、ヒューゴにとっては予想外の言葉を返す。
「・・・ああ、そのときは頼む」
「えっ、いんですか!?」
 ヒューゴは自分で言い出しておきながら、そう返されるとは思っていなくて驚いた。驚いたが、同時にそれ以上に嬉しくなる。
「じゃあそのときは、どーんとオレに甘えて下さいね!」
 ヒューゴは自分の胸をドンと叩いた。
 そして、二人は自然に並んで、この薄暗い部屋をあとにする。
「・・・ゲドさん」
 行きと同じように暗い道を歩きながら、ヒューゴはゲドを見上げた。
「オレ、ほんとに変な顔してません?」
「・・・ああ別に」
「だったらいいですけど・・・」
 ヒューゴは少しカピカピする頬を押さえたり少し腫れぼったい目蓋を触る。たぶん目も充血してるだろうから泣いていたことはバレバレになるとヒューゴは今さら気付いたが、しかしそれでもいいかという気分になった。
 ジンバの為に泣いたことを、恥ずかしいことだとはヒューゴは全く思わなかったからだ。
「・・・ゲドさん」
 そしてヒューゴは、自分にそう思わせてくれたゲドをまた見上げた。
「オレ、元々ここに、一人で泣きに来たんです」
 ゲドもヒューゴに目を遣る。
「でも、ゲドさんがいてくれて、よかったです」
 ゲドに向けるヒューゴの笑顔は、未だ悲しみを宿してはいるが、その色はだいぶ和らいでいた。
 ゲドはそんなヒューゴから視線を外す。そして代わりに、ヒューゴの頭を撫でた。
「・・・それは、お互い様だ」
「・・・・・・」
 その手つきが、さっき宥めてくれたときと同じくらい優しかったので、ヒューゴは不覚にもまた少し涙ぐんでしまった。
 好きな人に泣いているところを見られるのは少々決まりが悪い。しかし、ゲドだから見せられるのだとも、ヒューゴは思った。
 ゲドは、そんなヒューゴも、受け入れてくれるのだから。
 そんな人が隣にいてくれることを、ヒューゴは感謝した。そして、ゲドにとっても自分がそんな存在であれたらいいなと思う。
 ヒューゴはもう一度ゲドを見上げて、笑った。
 そのヒューゴの笑顔は晴れやかなものだ。今日の空と、変わらない。




END

-----------------------------------------------------------------------------
最初、ヒューゴがジンバの死を悼むだけでおわる予定でした。
しかし、転んでもタダではおきないヒューゴ(?)
さすが、バカップルです・・・
あ、ヒューゴが刀を取りに行かなかったのは、
刀を見たらジンバのことを思い出してしまうからです。形が同じなので。
ってのを話しに入れ忘れました・・・。