4:大音声



 王泥喜の朝の日課、それは発声練習だ。
 この日も、起きてベッドを抜け出した王泥喜は、リビングで早速発声練習をしていた。やはりこれをしないと、一日が始まらない。
 しばらく繰り返していたが、ふと王泥喜は気付いた。自分を見つめる気配が、背後に。
 王泥喜が振り返ると、リビングの入り口に響也が立っていた。眠たそうに、ドアに体を凭れさせている。
「あ、すみません!」
 王泥喜の家に比べると格段に広いとはいえ、大声での発声練習なのだから、寝室で寝ていた響也にも届いてしまったのだろう。
「起こしちゃいました?」
「うん・・・でも、気にしなくていいよ」
 響也は起き抜けでもいつも通り爽やかな微笑みで言う。
「ここは防音だから、気兼ねなくすればいいし」
「それは、ありがたいです」
 王泥喜は心の底からそう言った。
「大家さんには何度苦情を言われたことか・・・」
 王泥喜のぼろアパートの壁は薄くて、おかげで発声練習も遠慮しながらしなければならない。なのにそれでも、いつもうるさいと苦言を呈されてしまうのだ。
 一方この響也のマンションは、広いしミュージシャンという仕事柄、防音は完璧だ。だから王泥喜も、嬉々として発声練習を存分にやっていたのだが。
「その声じゃ、そうだろうね」
 響也はのほほんと笑っているが、やっぱりまだ眠たそうで。王泥喜と違って、有能な検事である響也はとても忙しい。
 元々寝る時間は少ないだろうに、それを王泥喜と会う為にさらに削ってくれているのだ。ちょっと嬉しいが、しかしやはり申し訳ない。
「でも、牙琉検事、まだ起きる時間じゃないですよね?」
「うん、そうだね。もうちょっと、寝ようかな」
 そう言いながら、響也はリビングに入ってきた。そして、ソファに腰掛ける。
「牙琉検事?」
 そのままソファの肘掛にクッションを置いて枕にする響也を、王泥喜は困って見た。そこで寝るつもりなのだろうか。だとしたら、王泥喜も発声練習を控えめにするか、むしろそろそろやめるべきか、そう思ったのだが。
「あぁ、ぼくのことは気にしないでいいよ」
「いや、そう言われましても・・・」
 そういうわけにはいかないでしょう、と思った王泥喜だが。
「レコーディング中なんかだと、音楽が鳴り響くところで仮眠を取ることもあったからね」
「音楽っていうと・・・・」
「そう、キミが嫌いなあの大音量の中で、ね」
 あの、耳を塞いでもうるさくて仕方ない王泥喜にとっては騒音にしか聞こえない大音量の中で、だろうか。
「・・・だったら、心配なさそうですね」
 あの中で眠れるのなら、自分の発声練習が聞こえていても全く問題ないだろう。安心して声を出そうとした王泥喜は、しかし次の響也の一言に、ついそれをとめてしまった。
「それに、ぼくはキミの声が好きだからね。子守唄代わりになってくれるのなら、とても嬉しいよ」
「・・・・・・・・・」
 にこりと微笑んでそんなふうに言われてしまうと、声を出しづらくなってしまう。つい口を閉じた王泥喜に、響也は笑い掛けてきた。
「どうしたんだい、おデコくん。ぼくに聞かれていると思うと、緊張するのかい?」
「・・・・・・・・・」
 そんなふうに言われると、今度は黙っているのが癪になってくる。
「わかりました、じゃあ遠慮なく!」
 王泥喜は、こっちを見ている響也の視線を気にしないようにしながら、発声練習を再開した。
 それから、次第に乗ってきた王泥喜は響也のことも忘れて思う存分声を出し続け。しばらくしてようやく気が済んで、そういえばと視線を向けると。
 本当に言った通りだったらしく、響也はソファの上でスヤスヤと寝息を立てていた。
 感心しながらも、王泥喜はソファに近付いていく。
「・・・やっぱり、疲れてるんだ」
 熟睡している響也の顔を覗き込んで、王泥喜は呟いた。
「忙しいもんなぁ・・・オレとは違って」
 僻むわけではない。確かに、同じ男として、仕事ぶりに明らかな差があることは、気にしていないわけではないが。
 だが、今こうして響也の寝顔を見ていると、ただ思うのだ。
 そんなに忙しいのに、響也は王泥喜と会う時間を作るのを躊躇わない。一緒にいるときは、疲れた顔一つ見せない。
 それが無理をしているだとか、強がっているとか、そうだったら王泥喜も嬉しくないしやめろと言うが。
 響也は、嬉しそうなのだ。響也は、楽しそうなのだ。自分といるときの響也は、幸せそうなのだ。だから、忙しくたって会う時間を作る。
 そんな、響也の自分に向ける愛情、それは照れくさくなるほど、王泥喜にとって嬉しいもので。
「・・・牙琉検事」
 まだ夢の中にいる響也に向かって、王泥喜は話し掛けた。
「オレの声が好きだって言うんなら、いくらでも聞かせてあげますよ。子守唄代わりにでもなんにでも、使って下さい」
 響也のやわらかい金の頭を撫でながら、やっぱり起こしてしまわないか心配で、つい声をひそめながら。
「それであなたがちょっとでも幸せを感じてくれるなら・・・それが、オレの幸せでもあるんです」
 面と向かっては言えない言葉。聞いていないとわかっているから、ちょっと照れくさくても堂々と。
 言って王泥喜は、すやすやと寝息を立てている響也の唇に、小さくキスをした。




 END
「あと、オレもあなたの声、好きですよ」とか、せっかくだからいろいろ言ってたら、
途中から響也が狸寝入りになっていた。

とかそんなバッカップルなことやってればいいと思います。