テーマ「バレンタイン」
それは勿論、他意のない一言だった。
「牙琉検事の肌の色って、ミルクチョコみたいですよね」
「・・・・・・・・・」
王泥喜の隣に座っていた響也は、目を瞬かせてから、ふわりと微笑む。
「おデコくん、それは、バレンタインにはぼくが欲しいって、遠回しにねだっているのかい?」
「・・・・・・・・・ち、違います!」
響也が何を言っているか一瞬遅れで気付いた王泥喜は、慌てて否定した。そんな意味を込めて言ったわけでは断じてない。
「さっきまでみぬきちゃんがチョコを作ってて、それを見てたから、なんとなくそう思っただけです!」
「・・・なんだ、そうなのか・・・」
王泥喜のはっきりした答えに、響也は少々肩を落とした。
「・・・なんで、ちょっと残念そうなんですか?」
響也のほうこそ、そういうのを期待しているのかと、王泥喜は若干響也から身を離した。そんな王泥喜に、響也は相変わらず微笑みながら言う。
「だって、おデコくんもついにそういう誘い文句が言えるようになったのかと思ってね」
「・・・・・・・・・」
たしかに王泥喜は、いわゆる誘い文句というものを言うのが苦手だ。しかし、あんな変な言葉で誘うくらいなら、直球で誘ったほうがましだと思う。
それにしても、王泥喜が誘うつもりで言ってたと誤解していた割には、響也の反応は満更でもなさげに思えた。
「・・・もし、オレが本気で誘うつもりで言ってたら、どうするつもりだったんですか?」
「そうだね・・・」
響也は少し考えてから、自分の胸元辺りを指しながら、ちょっとずれた答えを返す。
「この辺に、のしでもつけて、おデコくんを迎えようかな」
「・・・・・・意外と、古風なんですね」
王泥喜もつい、ずれたつっこみを入れた。
「・・・で、おデコくん」
響也は王泥喜のほうに身を乗り出してくる。
「結局、どっちが欲しいのかな?」
「・・・はい?」
首を傾げる王泥喜に、響也は笑顔で聞いてきた。
「チョコと、ぼく、どっち?」
「・・・・・・・・・」
そんなことを聞かないで下さい、と言いたいが、どうも本気で答えを待っているらしい響也に言っても無駄だろう。
王泥喜はそんなにチョコが好きなわけではない。そりゃあ、どっちかと言われれば、響也のほうがいいが。それを口には出来ない王泥喜だ。
「じゃあ・・・チョコで」
「・・・・・・」
すると響也は、明らかにムッとした表情をする。
「どういうことだい、おデコくん」
「どういうって、選べって言うから・・・」
「普通はぼくのほうを選ぶだろう! もう、信じられないね!」
響也はご立腹したようで、ぷいっと王泥喜から体ごと背けた。質問も質問だが、この反応もどうかと思う。
「怒らないで下さいよ」
「怒ってないよ、拗ねているだけさ!」
「・・・・・・・・・」
いい大人が自分で堂々と宣言しないで欲しい。半分呆れる王泥喜だが、まだ背を向けたままの響也を放っておくわけにもいかない。
「じゃあ牙琉検事は、オレとチョコ、どっちが欲しいですか?」
「・・・・・・・・・」
響也はちらりと王泥喜を振り返って、またぷいっとそっぽを向いた。
「そんなの、チョコに決まってるだろう!」
チョコと言われた仕返し、なのだろうか。王泥喜はそんな響也に、忍び笑いをもらしながら言う。
「じゃあ、そういうことで。バレンタインはチョコを交換しましょうね」
「! でも・・・」
結局自分よりチョコを選ぶのかい、と言いたげな視線を送ってくる響也に、王泥喜は少々気恥しい思いを抑えながら言った。
「だって、チョコは、バレンタインにしか貰えないでしょう?」
対して響也は、バレンタインでなくても貰えるはずだ。というか、バレンタインだから、なんて特別な理由がいるようになったら困ってしまう。
「・・・・・・」
響也は王泥喜の顔をじっと見て、その発言の意味を考えているのだろう。そして、答えが出たらしい。
「・・・それも、そうだね」
久しぶりに、響也が笑顔を見せた。一転して上機嫌になり、王泥喜に近寄ってくる。
王泥喜の肩に手を掛けて、にこりと微笑んだ。
「ぼくのことはいつでも、好きなときに食べてくれて構わないんだよ、おデコくん?」
「・・・・・・・・・」
いつのまにかすっかり甘ったるい雰囲気になってしまって、王泥喜は若干尻込みしつつも、響也に合わせて口を開く。
「・・・たとえば、今でも?」
「愚問だね」
響也の返答に澱みはなく、期待するように目を閉じられてしまえば、王泥喜の次の行動は限られてしまう。
口付けは、ミルクチョコよりも甘かった、気がした。
テーマ「呼び方」
最近、響也にはブームになっていることが二つほどあった。
「・・・響也さん」
「なんだい?」
「・・・・・・・・・」
響也が満面の笑みを浮かべて見つめてくるから、王泥喜は困ってしまう。
「なんだい、じゃないでしょうが」
王泥喜は溜め息をついてから、まだニコニコ笑っている響也に言い返した。
「響也さんが、名前呼んで、って言ったんじゃないですか!」
「・・・そうだっけ?」
「そうです・・・」
とぼけた顔してみせる響也に、王泥喜はもう一度深く溜め息をつく。
響也の最近のブームの、一つ目はこれだった。つまり、無駄に王泥喜に名前を呼んでもらおうとするのだ。
王泥喜は長いこと響也のことを「牙琉検事」と呼んでいた。だが付き合いも長くなってきて、二人でいるときは「響也さん」と、ようやく呼ぶようになっていた。それが嬉しい響也の気持ちもわからないではないが、しかしわざわざ言わせてくるのはどうかと思う。
それに、普通に何気なく呼ばせてくれれば、まだいいのに。明らかに期待されてジッと待っているのがわかっている上で名前を呼ぶ、というのは何か気恥ずかしい気分になるのだ。
「勘弁して下さいよ・・・」
思わず呟く王泥喜に構わず、響也は朗らかにマイペースに話題を変えてくる。
「ところで、今どんな案件を抱えているんだい?」
「はあ・・・それは・・・」
話題が唐突に変わったから、だけでなく王泥喜の口は澱んだ。今扱っている問題は、要は隣人トラブルで。王泥喜にとってはそれも大事な依頼なのだが、有能検事である響也にとってはあまりにも小さな問題だろう。そう思うと、教えるのもはばかられたのだ。
だが、机に広げてある資料を見て、響也はすぐにわかってしまったようだった。
「ふーん、騒音か・・・大変だね」
「・・・はあ・・・まあ・・・」
響也が大変だと言うような仕事では全くないから、王泥喜はなんだか恥ずかしいような気分になる。いつまで経っても、自分が響也と釣り合いが取れていないようで。
「響也さんが扱っているような案件とは全然違いますけど・・・」
「まあ、派手じゃないし話題性もないし、報酬も低そうだし」
ついぼやくように言った王泥喜に続けて、響也はそう言って。いつものようにニコリと、笑い掛けてきた。
「そういう依頼にも全力投球する、キミのそういうところが、ぼくは好きだな」
「・・・・・・・・・」
直球で言われて、そろそろ慣れればいいのにと自分でも思いながら、王泥喜はどうしても顔が赤くなりそうになって。照れ隠しのように、無駄にさして散らかってもいない資料を整え始めてしまう。
そんな王泥喜に、響也はなおも一転の曇りもない笑顔で。
「ねえ、法介」
「・・・・・・・・・」
語尾にハートマークが見えたのは、気のせいではない気がすると、王泥喜は思った。最近の響也のブーム、二つ目はこれだ。つまり、無駄に王泥喜の名を呼んでくるのだ。
さりげなく呼んでくれるのならまだしも、明らかに不必要な場面で一字ずつハッキリと言葉にされると、なんだか妙に反応してしまう。
自分が名前で呼び合うことにいつまで経ってもいまいち慣れないのは、絶対に響也のせいだと、王泥喜は思っていた。
「ね、え、法介」
「・・・・・・・・・」
また意味もなく名前を呼んでくる響也は、ニッコリと微笑みながらも、期待している。それが嫌でもわかった王泥喜は、仕方なく口を開いた。
「・・・はい、響也さん・・・?」
「なんだい?」
「・・・・・・・・・」
王泥喜は、額を押さえながら、また溜め息をつかずにはいられない。
「だから、なんだい、じゃないでしょうが・・・」
「何がだい?」
もう勘弁して下さい、と呟く王泥喜だが、響也は全く以って堪えてくれないのだ、いつもいつも。
一体何がそんなに楽しいのだろうと、不思議だし呆れるし、付き合うのが面倒だし。でも、そんな些細なことで何故か嬉しそうに笑っている響也は、可愛い・・・と思えてしまうのも確かで。
だから王泥喜は、何度でも溜め息をつかざるを得ないのだ。
「・・・というわけで、オレは仕事で忙しいんですから、じゃましないで下さいね」
「うん、わかってるよ、法介」
「・・・・・・・・・」
多分、わかってない。と、半ば諦めたように思いながら。今日も王泥喜は、響也のいつ終わるとも知れないブームに、結局は付き合ってあげるのだった。