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 チャイムが鳴ったので楽太が玄関に取り敢えず向かうと、ドア越しに声が聞こえてきた。

「僕だよー。和志」

 そう言うので楽太は迷わずドアを開ける。

「あ、楽太くん久しぶりー」

「久しぶりー」

 会うのは二度目の二人だが、もうすっかり打ち解けている。

「武流は?」

 部屋に上がって武流がいないことに気付いた和志は楽太にそう尋ねた。

「なんか学校に用があるって行っちゃった」

 ちなみに今日は冬休み中の日曜日。

「そっかー。ま、いっか。そのほうが好都合かもしれないし」

「なんで?」

 てっきり武流に会いに来たのだと思っていたので楽太は首を傾げた。

「あのね」

 和志は鞄の中からアルバムらしきものを数冊取り出しながら続ける。

「楽太くんに学生時代の武流のことを教えてあげようと思って。前に会ったときはゆっくり話し出来なかったから」

 その言葉に、楽太は飛びついた。

「わーいっ。聞きたい見たいっ」

 楽太は瞳を輝かせながらアルバムを眺め始めた。

 和志のアルバムなので枚数は少ないが、それでも所々にいる初めて見る武流に楽太は夢中になる。

「うわー、今よりちょっとちっちゃいー。でもあんまり変わらないー。あっ学ランだー」

 中一から順番に一つずつ見ていき、高一に入ると弓道着を着た武流と和志の写真が数枚現れた。

「へえ、部活一緒だったんだ」

「うん。ていうかね、僕が一緒に弓道部入ろうって誘ったんだよ」

「えっ、そうなんだ」

 武流が弓道を始めたきっかけを聞いたことがなかったので楽太はその話題に食い付く。

「なんで誘ったの?」

「それがねー、実は僕が好きだった先輩が弓道部に入ってたの」

「へー」

「で、一人でってのもなんだから一緒に入らないって誘ったの。そしたら武流がみるみる僕が追いつけないほど上手くなっちゃってさー」

「へー」

 その話を楽太は大きな目をキラキラさせながら聞いていた。

「てことは、オレの恩人なんだねっ。オレとセンセイが出会ったきっかけが弓道だったから」

「へー、そうなんだ。で、どうやって付き合うことになったの?」

 その和志の質問に、楽太はデレデレ笑顔になる。

「それがねー、オレがセンセイに好きって言って、センセイもオレのこと好きって言ってくれたのーっ」

 楽太は当時のことを思い出しながら、いろいろはしょって話した。それに、和志はちょっと驚く。

「へえ、武流って好きとか言ってくれるの?」

「うんっ。オレが『センセイ、好き』って言うとね、センセイいっつも『俺も、好きだよ』って返してくれるのっ」

「うわー、武流のイメージじゃないなぁ」

「だよねー。でもセンセイはオレには超優しいんだよっ。ときどき意地悪だけどっ」

「へえー」

 和志はものめずらしそうに聞いていて、昔からの親友でもそんな武流は知らないのだと思って楽太は嬉しくなった。

「ラブラブなんだねー」

「エヘヘっ」

「なんか羨ましいなー」

「恋人いないの? そういえば片想いしてた人とはどうなったの?」

「実はねー、今付き合ってる人がその人なんだけど・・・」

「へえっ、よかったねっ」

 楽太は素直におめでとうと言ったが、和志は溜め息をつく。

「でもね、その人、イチャイチャさせてくれないし好きとかも全然言ってくれないんだよー。楽太くんが羨ましー」

「え、エヘヘ〜。あっ、でもセンセイはあげないよっ」

「ちぇ〜」

 和志はそう言って仕方なさそうに肩を竦める。

「でもさー、僕のときはいろいろ協力してくれたから、武流のときは僕が力になろうって思ってたのに。全然その必要ないんだね」

「エッヘヘ〜。・・・・・・・・・ってことはセンセイ、今まで誰かと付き合ったことないの?」

「聞いたことないの?」

「なんでかちゃんと答えてくれない・・・」

 ちょっと不安そうな楽太に、和志はちょっと考えてから口を開いた。

「そっかー、知りたい?」

「う、うん」

「あのね、実はね、一人だけいるんだ」

「えっ!?」

 楽太は思いっきり驚いた。

「大学の弓道部で一緒だった、ロングの黒髪でちょっとお嬢様っぽい美人さんだったよ。あ、ほら、この人」

 和志はアルバムをめくり、弓道部員の集合写真を指差す。その右端には、和志が言った通りの少し昔風の正統派美女が映っていた。

「・・・・・・綺麗な人」

 自分とは似ても似つかなくて、楽太はなんだかヘコむ。そんな楽太を見て和志が何か言おうとしたとき、ちょうど武流が帰ってきた。

「どうしたんだ? 変な顔して」

「・・・・・・」

 楽太の様子がちょっと変だと気付いて武流が問い掛けたが、楽太は『変』という言葉に引っ掛かる。

「どうせオレは変な顔のちんちくりんだよーっだ」

 楽太は完全にむくれてしまったが、和志は薄情にもなんのフォローもせず帰ってしまった。





 翌々日、冬季休業中だが補習授業があり、午後からは部活があった。

 楽太は、大学のとき付き合っていたという女性のことをまだ武流に聞いていなかった。武流本人の口から、例えば『綺麗な人だった』なんて言われたら、なんだか立ち直れない気がしたのだ。弓道着姿で何故かこのときだけは寒がりでなくなる武流のことを見ながら、楽太はいかんともしがたいモヤモヤを抱えていた。

 そんな楽太は、次の瞬間、思わずショック死しそうになった。

「先生、店の人が来られたみたいですけど・・・」

 道場の外にいた部員が、中を覗き込んで少し躊躇いがちに武流に声を掛ける。楽太は、月に一度弓道用具の補充に来る人だと思って何気なくドアのほうを見た。

 すると、そこに立っていたのはいつものおじいさんではなく、若い女性だったのだ。

「おじいさま、このところの寒さでちょっと寝込んでしまって」

 だから代わりに来たのだと言う女性を、武流はいつもおじいさんにするように道場に上げる。

「そうか。お大事にと伝えておいてくれ。もう老い先短いんだし」

「わかった。一字一句違えず伝えておくわね」

 どうやら顔見知りらしく、二人は気安く会話する。

 そして楽太にも、その女の人は見覚えがあった。それもそのはず、楽太は二人が一緒に写っている写真を前々日に見たばかりだったのだ。

 武流の大学時代の部活仲間で、和志が言っていた唯一付き合ったことがある女性、その人。

 楽太は写真で見るよりもずっと綺麗なその女性を呆然と見つめた。武流は、和志といるときほどではないが割にくだけた対応をしている。

「・・・・・・」

 備品の確認をしている二人に、楽太は心の中で気合を入れて、近付いた。

「あれー、いつものおじいさんどうしたの?」

 楽太はさっきの二人の会話をバッチリ聞いていたが、話し掛けるキッカケとしてそう尋ねる。すると女性は優しい微笑みを浮かべて返した。

「おじいさま、風邪を引いてしまったの」

 近くで見たその笑顔は、武流に萌えることが出来るようになった楽太でもメロメロっとくるほどだ。こんな人と武流が付き合っていたと思うと楽太はへこたれそうになったが、しかし我慢した。

「へえ。おじいさまってことは、孫なの?」

「ええ」

「じゃあ・・・」

 なんとか探りを入れようとする楽太に、何か感付いたのか武流がさえぎる。

「お前、練習に戻れよ」

「えー」

 顧問としてのもっともな言葉に楽太が抗議しようとすると、女性がやんわり武流に話し掛けた。

「あら、少しくらいいじゃないの。こんな若い子と話す機会なんてめったにないんだし」

「なんだそれ」

 仲良さそうなその様子に、楽太はまたしてもヘコみかける。しかしどうにか勇気を振り絞って、切り出してみた。

「・・・なんだか二人仲良いね。知り合いなの?」

「そうなのよ。大学のときに同じ弓道部だったの」

「へえー。でも、それだけに見えないけどー」

 内心ではドキドキしながら何気なくを装って尋ねた楽太に、女性はふわりと笑って答える。

「あら、わかったかしら。実はね、私と武流、付き合っていたことがあるのよ」

「・・・・・・・・・へ、へぇー・・・」

 楽太は、今にも崩れそうになってしまった。二人が昔付き合っていたことが決定的になった、ことよりも彼女が『武流』と呼び捨てしたことにショックを受けてしまう。

 表面上は笑顔を保ちながら、楽太の頭は真っ白になってしまった。そんな楽太に武流が気付かないわけはない。

「ほら、そろそろ練習に戻れって」

 武流は楽太を立ち上がらせて、背を押してその場から離れさせた。

 そしてそれ以降、当然ながら楽太は魂が抜けたようにボーーーーっとしていた。





 部活が終わって、楽太はいつものように武流の車に乗っていた。まだ、ショックが全然消えてなく抜け殻のようになっている。

「・・・和志から何か聞いたのか?」

 武流がそう問い掛けても、楽太は耳に入らないのか答えない。武流は溜め息をついて、取り敢えず楽太をなんとかするのは後回しにして家まで連れ帰った。

「・・・お前、いつまでそうやってるんだよ」

 部屋に入っても惰性だけで着替えて座る楽太に、武流は呆れて声を掛ける。しかし楽太はまだボーっとしたままだ。

 放っておいても鬱陶しいだけなので、武流は楽太に近寄った。そして楽太の鼻をつまむと、おもむろに口付ける。

 それをボーっと受け止めていた楽太は、しかし当然次第に息苦しくなっていった。

「ーーーーっ!?」

 楽太はジタバタ暴れて、やっとのことで武流から逃れた。

「セ、センセイっ、何するんだよっ」

 息継ぎしながら楽太は武流に抗議した。

「変な顔してるから」

「変って・・・・・・うわーん、ひどいよーっ」

 楽太は一瞬忘れてしまっていたことを思い出して、涙目になりながら武流をポコポコ殴った。

「なんのことだ?」

「何って、わかってるくせにーっ」

 駄々っ子のように楽太が暴れるので、武流は溜め息をつきながら口を開く。

「はいはい、黙ってたのが悪かったんなら、改めて言うよ。大学のとき三年間、あいつが言った通り付き合ってた」

「三年・・・あいつ・・・・・・」

 楽太は頭に大きな石が二つ落ちてきた気分になった。『あいつ』と言うということはかなり親しいということだし、楽太はただでさえ武流の約二十七年の人生の中で自分と過ごしたのがまだ二年に満たないことを気にしているのに、彼女とはそれを更に上回る三年間付き合っていたというのだから。

「・・・そ、そうだよね、付き合ってた人くらい一人や二人いて当然だよね・・・」

 しかし楽太はなんとか無理やり納得しようとした。

「・・・や、やっぱり、したり、し、したの? い、いろいろと・・・」

 そしてそこで話を終わらせればいいのに楽太は気になって聞いてみる。

「いろいろって?」

「だ、だから・・・」

「俺とお前がしてるようなことか?」

「う、うん・・・」

 楽太の視線は段々下がっていき、おかげで武流がいつもの意地悪そうな表情をしていることに気付かなかった。

「三年間も付き合ったんだから、そりゃあ、何もなかったわけはないよ。お前とだって、付き合った一日目に最後までしたしな」

「・・・・・・・・・・・・うっ」

 楽太は本格的に泣きそうになった。

 しかしその前に、武流は楽太の頭をポンッと叩く。

「っていうのは嘘」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?」

 楽太は呆然と武流を見上げた。

「う、うそ・・・?」

「そう」

「え? な、何が?」

「ほとんどが」

「ほ、ほと・・・?」

 楽太は何がなんだかわからなくなった。逆に表情が弛んで涙がつたってしまう。

 それを武流は指で掬い、そして舌で舐め取り、ついでに宥めるように数度キスをした。

「いつもの冗談だ。気付けよ」

「だ、だってーっ。じょ、冗談って、何がっ? どこからっ?」

 混乱する楽太に、武流は頭を撫でてやりながら教える。

「付き合ってた、ってのは本当。でも、なんにもしてないよ」

「うそーっ。三年も付き合ってたのに何もないなんてーっ」

「本当だよ。まあ、あったって思いたいんならそれでもいいけど」

「あっ、違うっ。ないほうがいいっ」

 説明するのが面倒になってきた武流に、楽太は気付いて慌てて続きを乞った。すると武流は溜め息つきながら口を開く。

「あっちにいろいろ事情があって、それで付き合う振りしてたんだよ。俺は誰とも付き合う気なかったから都合よかったし」

「都合いい・・・。そんなにモテたの?」

「別にそういうわけじゃない。ただ、ずっと相手がいないと、詮索されたり煩わしいからな」

「・・・じゃあ、ホントに何もしてないの?」

 しつこく確認してくる楽太に、武流はさっさとこの話を終わらせたいのかスパッと答える。

「してない。何も」

 そして武流は、楽太に優しく口付けた。

「俺が、こういうことをしたいと思ったのは、お前にだけだよ」

「センセイっ」

 楽太はすっかり上機嫌になった。武流にガシッとしがみ付いて、何度もキスをねだる。それに、揶揄ったことは悪いと思ったのか武流はちゃんと応えてくれて、楽太は益々いい気分になった。

「も〜、センセイったら〜っ。ないならないって言ってくれればいいのに〜っ。意地悪〜っ」

 ヘラッと笑いながら言う楽太に、武流はちょっと釈然としなくてボソッと呟く。

「でも、俺が昔誰と何をしてようと、お前に文句言われる筋合いはないよな・・・」

「うっ」

 楽太には言い返す言葉がなく、笑ってごまかすことにした。

「エヘヘっ。セ、センセイ、それより昼ごはん食べようよっ」

 楽太はそそくさとカバンから弁当を取り出し、お腹が空いているのを思い出したのかその中身に夢中になりだす。

 その様子を見て、武流は深い溜め息をついた――。







 END

こんな締めでいいのかな・・・。

タイトル「100000」の解釈は、

「武流の現在の年齢」=「二十七歳四ヶ月ほど」=「約10000日」

ちゃんと計算しました。でも強引な解釈・・・。(毎度のことですが・・・)

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