80.夏の海
「・・・海に行きたい」
静かだった室内に、ポツリと呟きが響いた。声の主は、それまで机にかじりついて勉強していた楽太だ。
「ねー、海行こうようっ」
訴えるように言った楽太に、しかし向けられる視線はエアコンの冷気よりも冷たかった。
「大人しく、勉強してろ」
ベシッと却下されて、楽太は口をへの字に曲げる。
「センセイの意地悪〜」
「むしろ親切だろうが」
「でも〜」
楽太は不満気だが、しかし武流の言うことのほうがもっともなのだ。
「お前は、受験生だろう」
「・・・う」
そう、楽太は今年大学受験を控えた受験生。そして、今は受験生の天王山ともいえる夏休みなのだ。
そんなわけで楽太は補習の合間を縫って武流の家に来て、真面目に勉強している。しかし、ましになったとはいえ元々勉強よりも遊ぶほうが好きな楽太は、勉強付けの毎日にちょっとウンザリしてきているのであった。
「ねー、じゃあさー、来年の計画しようよー。そしたらまた勉強するからー」
ねだる楽太に武流が顔を向け、そしてまるで国語の『十字以内で答えなさい(句読点は字数に含む)』問題のように簡潔に述べる。
「俺は海には行かない。以上」
「ええー、なんでーっ!? 行こうよーっ」
「だるい」
やはり簡潔に話を終わらせようとする武流に、楽太はなんとか食い下がる。
「そんなおっさんくさいこと言わないでさーっ。海、楽しいよーっ?」
「どの辺が?」
「えーと、そう、水着っ。センセイの水着姿見たいーっ」
思いつきで言った楽太は、本当に見たくなってきてパーっと明るい顔になった。
「ねっ、今年海は諦めるからさ、水着姿見せてよーっ」
「・・・取り敢えず、持ってない」
テンションを上げていく楽太に、武流は呆れたように返す。すると楽太は残念そうに口を尖らせ、それからまたパッと笑顔になる。
「そしたら、誕生日にプレゼントしてあげるよっ。どんなのがいいかな〜」
「・・・いらないし」
「あげるのっ! えーっと、やっぱり普通のハーフパンツみたいなのかなー。色は黒とか紺とかだよねー。でも、赤とか意外とイケてたりしてー。あっ、ビキニも似合うかもーっ。あー、迷うなー。今度買いに行こーっ。楽しみーっ」
「・・・・・・」
武流はつっこみたそうに、しかしそれも面倒なのかそっと目を逸らした。しかし、どんどん自分の世界に入っていっている楽太を放っておくわけにもいかないので、武流は今度は楽太に近付いていく。
「楽太、そろそろ勉強に戻れ」
「ええーっ」
不満そうな声を上げる楽太に、武流は頭を撫でながら言った。
「取り敢えず、お前が大学生にならない限り、一緒に外出なんて出来ないんだからな」
大学生にならなくても卒業さえすれば出来る、ということに楽太は気付かない。
「・・・・・・そうだよねっ」
途端に楽太は張り切りだした。楽太をヤル気にさせることは、もう武流の特技といっていいかもしれない。
楽太は閉じてしまっていた参考書を開き直して、シャーペンを握った。そして、武流に向かって唇を突き出して言う。
「ねえ、このページ全部正解したら、ごほうびちょうだいっ」
「・・・全部、正解したらな」
期待満々な楽太に、武流は溜め息交じりだが了承する。
気を抜けば浮かぶ青い海と武流の水着姿を頭の隅に追いやりながら、楽太はごほうび目指して机に向かった――。
END
ええと、もし本当に海に行ったら続編書きます。
でも、あんまり行きそうにない。
しかし思うに、一緒に外出って、男同士の場合は
在学中よりも卒業後のほうが不自然な気が・・・。
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