#Disclosure





 キス、してるかと思った。

 放課後の教室で、顔をすごく近づけていたから。

 しかし、すぐにその考えを頭から振り払う。だって、そんなわけがない。

 片方は、同僚で数学教師の、同い年だから二十五の男。

 もう片方は、元気と明るさが取り柄ってかんじの、高校一年生の男子。

 だから、あり得ない。同性で、年の差がすごくあって、教師と生徒で。

 二人だって、こっちに気付いても慌てた様子もなく普通にしてたし。

 帰りに先生と丁度一緒になったからついでに乗せてもらったとき、それでも気になって遠回しに尋ねた。

「石井と仲良いんですね」

 俺がそう言うと、上田先生は普通に答えた。

「まあね」

 と。うしろ暗いところがあるとこんなふうには答えられないだろう。

 だから、やっぱり気のせいだったんだ。

 確かに、上田先生が石井の話題が出たときに見せた笑顔とか、石井が中間テストで先生の担当する数Tだけずば抜けてよかったとか、疑おうと思えばそれらしい要素もあるけど。でもそれだって、どうしても自分のことがあるから、つい変に疑ってしまうだけで。

 そんなこと、あるわけがない。

 俺は心の中で上田先生と石井に謝って、それからこのことは忘れた。





 忘れていた。

 しかし、

 キス、してたんじゃないだろうか? 今度こそ。

 俺は目の前に座る上田先生を見た。先生は無表情だが、それはいつものことなので当てにはならない気がする。

 俺は続けて、部屋の隅のほうで何やらコンビニ袋の中を漁っている石井を見た。その無邪気で何も考えてなさそうな様子は、やはり何もなかったように思える。

 それは、ついさっきのこと。

 俺は夏休みに入る前に配る学年通信みたいなのを任されて、前回作った上田先生にいろいろ相談しようと思って部屋を訪ねようと思ったのだ。ちなみに、俺と先生は教師用アパートの隣同士でもある。

 そして、先生の部屋のドアをノックしようとしたら、僅かに開いているのに気付いた。俺は無用心だなあとか思いながら、声を掛けてドアを開けた。

 そこに現れた光景に、俺は思わず息を呑んだ。

 上田先生は玄関の一段低くなってるところに部屋側を向いてしゃがみ込んでいる。そしてその首に腕をまわしてしがみつくようにしているのは、顔は先生で隠れているけど髪型からおそらく石井。

 俺の角度からは先生の後頭部しか見えないが、しかしやっぱりキスしてるように見える。だいたい、玄関先でこの体勢って時点で充分怪しい。

 いろいろ考えがよぎったが時間にすれば数秒だったらしく、ふと石井が顔をずらして俺のほうを見た。

「・・・何やってるんだ?」

 その視線でハッと我に返って、俺はおそるおそる尋ねる。

 すると、上田先生は石井を首根っこの辺にぶら下げたまま体を起こして、石井も自動的に立つ。

「こいつが、こんなことでこけたんだ」

 バカだろうと石井の頭を叩きながら上田先生が自然に答える。

「ちょっとうっかりしただけじゃん」

 石井はむくれた顔をするが、その態度もやはり自然だ。

 自然だが、しかしあれがこけた生徒を起こすための体勢なのだろうか?

 俺はどうしても疑ってしまう。

「それで、西嶋先生は何か用ですか?」

「あっ、うん、ちょっとこれ、聞きたいと思って」

 先生にそう言われて俺は目的を思い出し、それ用のファイルを見せる。すると先生は俺にあがるように言って、俺はリビングにお邪魔させてもらった。

 そんなわけで、俺は今上田先生と向かい合ってアドバイスしてもらったりしてるんだけど。

 どうしても、さっきのことが気になる。

 気になるといえば、石井の様子もそうだ。まるで自分の家のように寛いで、買ってきたらしい漫画雑誌を読んでいる。日曜日にわざわざ先生の家に来て一体何してんだか・・・って、俺がいるから先生に質問とか出来ないのか・・・。

「石井、悪いな。もうちょっとで終わると思うから」

「ん? 別にいいよー」

 石井はそう軽く答えたが、先生が生徒の勉強を妨げるなんてよくないよなと思って、俺は早く終わらせようと集中する。

 しかし、そう思っているにもかかわらず、なかなか終わらない。そうしているうちに、出された麦茶を飲んだせいか俺はトイレに行きたくなってきた。

 そのことを言って自分の部屋に戻ろうとした俺に、先生がそこを使えばいいと言ってくれた。遠慮することでもないと思ったので俺はお借りすることにして、同じ間取りのため迷わずそこに向かう。

 ドアを開けようとして、ふと俺は持ってきたほうがいい気がする資料を思い出して、やっぱり一旦自分の部屋に戻ろうと思った。

 トイレはリビングより玄関寄りにあるんだけど、一言言っていこうとリビングに入ろうとした俺は、思わず足をとめた。

「ねー、センセイー」

 石井がいつの間にかレンジで温めたらしいコンビニのスパゲッティらしきものを持って先生に近付いていった。

 別にこうやって隠れる必要はないんだけど、たぶん俺に二人が自分がいないときどんな会話してるのか聞いてみたいっていう好奇心があるせいだと思う。俺って、嫌なやつだな・・・。

「な、これナスビ入ってんだよ。食ってー」

 そんな俺のことなど知る由もなく、石井はフォークで茄子を刺して先生に差し出した。

「好き嫌いしてるとそのままでっかくなれないぞ」

「だから、ニンジンは食べるようになったじゃん。な、これもそのうち食べれるようになるから」

 茄子が嫌いで人参も嫌いだったって、石井ってわかりやすく子供だな・・・。

 なんて俺が勝手に思ってると、上田先生が仕方なさそうに、溜め息交じりに今度からは食えよと言った。そして、先生はフォークは石井に持たせたまま、茄子を口に含む。しかし、それからすぐに口を離した。

「熱い・・・」

「え、冷ましたつもりなんだけどな」

 じゃあ食ってみろと言う先生に、石井はあっさりそれを食べる。

 嫌いじゃなかったのかよと、その素直さというか単純さに驚く。しかし、ここで驚くべきなのはむしろ、先生が一旦口に入れたものを躊躇わず食べたことではないだろうか。それとも、これくらいは普通のことなのか?

 俺の戸惑いは他所に、二人の会話は続く。

「別に熱くないじゃん」

「俺には、熱い」

「もー、半端じゃないなあ、センセイの猫舌」

 舌の様子を確かめてるらしい先生に石井が愉快そうに言う。

 俺はよく先生と学校で一緒にお茶とか飲んでるから知ってるけど、どうして石井はそれを知ってるんだろう・・・。

 いや、俺に先入観があるからなんでもつい変に映ってしまうだけだよな。たぶん客観的に見たら、普通のことなんだよな、うん。

 というか、そろそろ戻らないと俺のほうこそ怪しまれる気がするな・・・。そう思って俺は資料を取ってくるためその場を離れようとした。が。

「センセイ、痛い? 見して」

「ん」

 顔を近付けて言う石井に上田先生は素直に舌を見せる。

 俺はやっぱりつい様子を窺ってしまった。ああ、俺って・・・

「ちょっと赤くなってんなー」

 そして石井は楽しそうに笑った。

「さっきのお返し。痛いの痛いの飛んでけ」

 そう言って、ペロっと。舌で舌を。

「いや、逆に痛いよ」

 そう言いながらも上田先生はそれをとめる気はないらしい。

 そうしてるうちに触れ合う部分がやがて舌から唇に移っていって。

 キス、してるように見える。

 というか、どう見ても間違いなく、している。

「・・・・・・・・・・・・」

 俺はビックリして固まった。そりゃ、もしかしたらって何度も思ったけど、でも実際見るとなんか衝撃的だ。

 さっさとこの場を離れようって思うのに、足が動かない。目も釘付けって感じだ。

 それは、この光景がショッキングなせいであって、自分が野次馬根性旺盛なせいではないと信じたい。なんて微妙に思っていると、

 目が、合った。

 まだキスを続けている、上田先生と。

 その瞬間、俺は咄嗟にしかし静かにその場から逃げるように去った。そしてそのまま自分の部屋まで戻る。

 どうして俺のほうがこんなに動揺してんだってかんじだけど、するんだから仕方ない。

「・・・どうしよう」

 あの二人のことを知ってしまった俺の今後の身の振り方もだが、さしあたっては、今からあそこに戻らないといけないことに対して苦悩する。

 資料がなかなか見つからなくって、なんて言い訳を繰り返しながら俺は先生の部屋のドアの前に立って、深呼吸してからそれを開けた。





 あれから一日後の月曜日。俺はコーヒー飲みながら、溜め息をついた。

 あのあと、二人はやっぱり何事もなかったようにしていた。

 しかし、あの二人はおそらくいわゆる恋愛関係というものにあるのだろう。

 俺と上田先生は、同い年で同期でここに入ってきて同じ学年担当して部屋も隣同士だ。仲も結構いい、というか友達だくらいは言ってもいいかもしれない。

 そんな上田先生と、その生徒である石井。

 その二人の関係を、俺はどうするべきなんだろう。気付かない振りをするか、応援するか、とめるか。

「・・・君って、いつも何かで悩んでる気がするね」

「・・・お前はいっつもなんの悩みもなさそうだな」

 軽い声で話し掛けられて、俺は同じように軽い表情を浮かべているその顔に目を遣った。

 こいつ、ミドリは、家が近所で小さいときからの腐れ縁というか幼なじみなやつだ。ちなみにここは美術室で、ミドリは美術教師らしくカンバスに何か塗ってる。俺はそっちの知識なんて全くないから何してんのかはわかんないけど。

「今度は何悩んでるの?」

「それがなー」

 俺はいつもの調子でミドリに相談しようとした。俺は悩みがあると、気心も知れてるし軽く受け流してくれるこいつによく話をした。

 しかし、今回のことは俺には直接関係ない、人のプライバシーに係わることなので、話していいものかと迷う。

「・・・やっぱりやめとく」

「そう」

 言ったきりミドリは追求してこない。こういう引き際のいいこと、付き合ってて楽なんだよな・・・。

 まあ、それはおいといて。

 今は、あの二人のことだよな。

 まあ、俺が悩むことじゃない気がしないでもないけど。でも、知ってしまった以上、どう対応するかくらい決めないと。

 たぶん、やめとけって、言うべきなんだろうな。

 男同士で、十も年が離れてて、先生と生徒で。そんなんで、恋愛関係なんて・・・

 そこまで思って、俺は思わず苦笑いした。

 だって、俺は人のこと、言えない。

 俺には片想いしてる人がいる。相手は高校のときの同級生で、親友で、男、だ。

 そりゃあ条件は違うけど、ハッキリと胸を張って人に言えない相手を好きなのは一緒だ。

 ・・・いや、やっぱり一緒じゃないか。

 俺は、あいつに、軽蔑されたり親友でいられなくなるのを怖がって、未だに気持ちを伝えることが出来てない。

 でもあの二人は、恋愛関係にあるってことは、互いに想いを告げたんだ。俺なんかよりよっぱどたくさん障害があるのに、それでもちゃんと伝え合ったんだ。

 なんだか俺は二人が羨ましくなった。自分の気持ちを伝えられる、その勇気が。

 俺には無理だから。俺はきっと、一生伝えられないから。

 羨ましいっていうより、もう尊敬だよな。きっとあの二人は、俺が何か言ったくらいじゃ揺らがないだろう。

 俺の応援なんかも必要ないだろうし、とめようとするなんて以ての外だ。

 そう結論付けて、俺は残りのコーヒーを飲み干し立ち上がった。

「あ、なんだか解決したみたいだね。悩んでるときはせっかく年相応ってかんじの顔になるのに」

「うるさいよ」

 気にしてる童顔を遠回しに揶揄うミドリを軽く睨んで、俺はカップを洗うと美術室を出た。

 歩きながら、そういえば少なくとも先生は俺にばれてること知ってるだろうし、やっぱり一言くらい忠告しておこうかと思った。

 ちょっとは人の目を気にしろ、と。俺だからよかったものの、と。

 それを言ったら俺の片想いの話もしなくてはいけなくなるだろうか。

 でも、それでもいい。

 あの二人には、臆病者の俺のぶんまで、障害に負けることなく自分の想いを貫いて欲しい。

 余計なおせっかいかもしれないけど、そうこっそり祈るくらいは、いいだろ――?





END


--------------------------------------------------------------------------------

「Disclosure」は「発覚(した事柄)、打ち明け話」って意味。

でばがめ宏、彼にはやっぱり片想いが似合いますね。

しかし武流はなんであんなに堂々としてるんだろう・・・