#Mood





「あー疲れた。もうヤダ・・・」

 言うと楽太は机に突っ伏した。

「まだ三十分も経ってないだろう」

 そんな冷たい言葉しか返してくれない武流を楽太は見上げる。

「これでも頑張ってんだよ、オレにしては。でもさ、参考書とかずっと見てるの飽きるしさぁ。なんたってオレ、本とか読み切ったことないんだよなー」

 自慢にならないことを楽太はブツブツ言う。

「じゃあ、先生にでも聞きにいけばいいだろう」

「それもイヤ。先生と一対一じゃ逃げ場がないじゃん」

「逃げるな。それに、そんなこと言ってもいられないだろう。物理なんかは」

「う・・・」

 楽太は言い返せずに黙る。物理というのは、楽太が中間でゼロという輝かしい点を取った科目なのだ。

「あー、やだなあテストなんて・・・」

 楽太は言ってもどうしようもないとわかっていながら、しかしぼやかずにはいられない。試験前一週間に入った今週、楽太はまだ一日目なのにもうそう思っていた。なにがイヤかって、テストなんてワケもなくいやなものだが、理由もある。

 まずテスト期間中は部活がなくなる。まだ基礎練ばっかりとはいえ、体を動かすことが好きなほうな楽太はそれも楽しいのだ。それに武流が矢を射る姿も楽太の楽しみの一つなのだった。しかしそれも、先週の木曜日に見たのを最後に、来週末にテストが終わるまで見れないのだ。

 そして、楽太が一番いやなこと。それは武流の家に行けないことだった。テストなので武流も当然問題を作って採点をする。だから武流は楽太にその間は生徒を家に入れられないと言ったのだ。テストは来週の月曜日から始まるわけだから、土曜日泊まりにいくなんてことはできない。つまり、おあずけをくらうわけだ。

「ほら、もう充分休んだだろ」

 さっさと始めろと言う武流を楽太は恨めしそうに見る。

 楽太は武流と付き合うようになってから、毎週泊まりにいってもちろんそういうことも毎回してきた。しかし、今週末は出来ない。楽太は来週はテストと欲求不満の両方と戦うことになるのかと、心底逃げ出したくなった。

 しかし、逃げられない。逃げられないのなら、立ち向かうしかない。武流とのことだって逃げなかったからこそこうして付き合えるようになれたのだから。と、楽太はなんとか自分を励まそうとする。

「・・・そうだっ!」

 なんとかヤル気を出す方法を考えていた楽太は、思い付いてパッと起き上がった。

「ね、センセイ、お願いがあるんだけど」

 楽太は笑顔で武流に切り出した。周りに人がいないことを確かめる楽太に武流は耳を寄せる。ここは教室なので、今は廊下にも人がいないとはいえ、一応楽太は小声で言った。

「あのさ、もしオレが平均で40とれたらさ、あれやってくれる?」

「・・・何?」

 笑うと言うよりはニヤついている楽太に、武流は聞き返すのが嫌ながらもとりあえず尋ねる。

「オレのさ、アレをさ、口でやってくれない? 一度されてみたいんだよ」

 その言葉に思わず眉をしかめた武流に、楽太は「だって」と上目遣いで言う。

「テスト終わるまで出来ないんだしー。ね、いい?」

 楽太はテスト勉強する気もそれ次第だとねだる。

 一方武流は、実のところそれくらいして欲しいと言われればいつでもするのにとも思ったが、せっかく楽太がヤル気を出そうとしているのでここはその提案に乗ってやろうと思った。

「いいよ。してやるから、頑張れ」

「ほんとっ? やったー」

 嬉しそうに万歳までする楽太に、武流は思わず笑ってしまう。その笑顔に、しかし楽太はパッと顔を背けた。

「センセイは笑うの、テスト終わるまで禁止ね。おあずけくらってる身としては、つらくなるじゃん」

「おあずけって・・・」

 たった一週間じゃないかと武流は思ったが、これくらいの年代はそういうもんなのかと思い直す。そして横を向いたままの楽太の頬に手をやった。

「でも、キスくらいならどこでも出来るだろ。それとも、それも禁止か?」

「え、うーん、それくらいなら、別にいいかな・・・」

 笑い掛けられるよりつらいことになりそうだが、しかししようと言われているのも同然なそのセリフの誘惑を振り払えるほど楽太は自律心が強くなかった。

 仕方ないなあなどと明らかに嬉しそうな顔で言いながら、楽太は顔を寄せてくる。その様子に、武流はこみ上げる笑いをキスでごまかそうとした。

「あ、熱心だな、石井」

 しかしあと少しで触れるというときに突然声を掛けられて、楽太は思わず固まる。そんな楽太とは対照的に、武流は何もなかったかのように現れた国語教師を見て言った。

「丁度いいじゃないか。教えてもらえよ古文とか」

「ああ、いいぞ。漢文と現文もそれなりにいけるし」

 窓越しにこっちを見ている先生は武流と勝手に話をつけて、本取ってくると職員室に向かっていった。

「・・・びっくりしたー」

 姿が見えなくなってようやく楽太は息をついた。

「ねえ、怪しまれなかったかな?」

「大丈夫だろ。こっちが平然としてれば、もし本当にしてたとしても向こうも見間違いだって思うだろうし」

 だいたいこの二人で怪しまれるわけないだろう、と武流は答える。そのハッキリした言い様に楽太はなんだか納得してしまった。しかし楽太は安心し掛けて、ハッと思い出す。

「あっ、ていうか、なんで勝手に教えてもらうことにすんだよっ」

「頑張るんだろう?」

 そうだけどと口を尖らせる楽太に、武流は立ち上がりながら軽くキスをする。

 不意打ちのようなそれに楽太は一瞬動きをとめ、気付いたときには武流は教室を出ようとしていた。

「えっ、どこいくの?」

「一対一だと、逃げられないんだろ?」

 そう言うと武流は微かに笑って、楽太の視界から消えていった。

「・・・・・・。だから、笑うのは禁止って言ったじゃん・・・」

 いろいろとしてやられた気分になって、しかし楽太には悔まぎれのセリフを言うのが精一杯だった――。





END


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「Mood」はいわゆるムードって意味よりも、

「機嫌、気分、〜しようという気持ち」の意味で。

こっちの武流はなんか性格悪いですね。これからも更に悪くなります。