#Mood





「あー疲れた。もうヤダ・・・」

 言うと楽太は机に突っ伏した。

「まだ三十分も経ってないだろう」

 そんな冷たい言葉しか返してくれない武流を楽太は見上げる。

「これでも頑張ってんだよ、オレにしては。でもさ、参考書とかずっと見てるの飽きるしさぁ。なんたってオレ、本とか読み切ったことないんだよなー」

 自慢にならないことを楽太はブツブツ言う。

「じゃあ、先生にでも聞きにいけばいいだろう」

「それもイヤ。先生と一対一じゃ逃げ場がないじゃん」

「逃げるな。それに、そんなこと言ってもいられないだろう。物理なんかは」

「う・・・」

 楽太は言い返せずに黙る。物理というのは、楽太が中間でゼロという輝かしい点を取った科目なのだ。

「あー、やだなあテストなんて・・・」

 楽太は言ってもどうしようもないとわかっていながら、しかしぼやかずにはいられない。試験前一週間に入った今週、楽太はまだ一日目なのにもうそう思っていた。なにがイヤかって、テストなんてワケもなくいやなものだが、理由もある。

 まずテスト期間中は部活がなくなる。まだ基礎練ばっかりとはいえ、体を動かすことが好きなほうな楽太はそれも楽しいのだ。それに武流が矢を射る姿も楽太の楽しみの一つなのだった。しかしそれも、先週の木曜日に見たのを最後に、来週末にテストが終わるまで見れないのだ。

 そして、楽太が一番いやなこと。それは武流の家に行けないことだった。テストなので武流も当然問題を作って採点をする。だから武流は楽太にその間は生徒を家に入れられないと言ったのだ。テストは来週の月曜日から始まるわけだから、土曜日泊まりにいくなんてことはできない。つまり、おあずけをくらうわけだ。

「ほら、もう充分休んだだろ」

 さっさと始めろと言う武流を楽太は恨めしそうに見る。

 楽太は武流と付き合うようになってから、毎週泊まりにいってもちろんそういうことも毎回してきた。しかし、今週末は出来ない。楽太は来週はテストと欲求不満の両方と戦うことになるのかと、心底逃げ出したくなった。

 しかし、逃げられない。逃げられないのなら、立ち向かうしかない。武流とのことだって逃げなかったからこそこうして付き合えるようになれたのだから。と、楽太はなんとか自分を励まそうとする。

「・・・そうだっ!」

 なんとかヤル気を出す方法を考えていた楽太は、思い付いてパッと起き上がった。

「ね、センセイ、お願いがあるんだけど」

 楽太は笑顔で武流に切り出した。周りに人がいないことを確かめる楽太に武流は耳を寄せる。ここは教室なので、今は廊下にも人がいないとはいえ、一応楽太は小声で言った。

「あのさ、もしオレが平均で40とれたらさ、あれやってくれる?」

「・・・何?」

 笑うと言うよりはニヤついている楽太に、武流は聞き返すのが嫌ながらもとりあえず尋ねる。

「オレのさ、アレをさ、口でやってくれない? 一度されてみたいんだよ」

 その言葉に思わず眉をしかめた武流に、楽太は「だって」と上目遣いで言う。

「テスト終わるまで出来ないんだしー。ね、いい?」

 楽太はテスト勉強する気もそれ次第だとねだる。

 一方武流は、実のところそれくらいして欲しいと言われればいつでもするのにとも思ったが、せっかく楽太がヤル気を出そうとしているのでここはその提案に乗ってやろうと思った。

「いいよ。してやるから、頑張れ」

「ほんとっ? やったー」

 嬉しそうに万歳までする楽太に、武流は思わず笑ってしまう。その笑顔に、しかし楽太はパッと顔を背けた。

「センセイは笑うの、テスト終わるまで禁止ね。おあずけくらってる身としては、つらくなるじゃん」

「おあずけって・・・」

 たった一週間じゃないかと武流は思ったが、これくらいの年代はそういうもんなのかと思い直す。そして横を向いたままの楽太の頬に手をやった。

「でも、キスくらいならどこでも出来るだろ。それとも、それも禁止か?」

「え、うーん、それくらいなら、別にいいかな・・・」

 笑い掛けられるよりつらいことになりそうだが、しかししようと言われているのも同然なそのセリフの誘惑を振り払えるほど楽太は自律心が強くなかった。

 仕方ないなあなどと明らかに嬉しそうな顔で言いながら、楽太は顔を寄せてくる。その様子に、武流はこみ上げる笑いをキスでごまかそうとした。

「あ、熱心だな、石井」

 しかしあと少しで触れるというときに突然声を掛けられて、楽太は思わず固まる。そんな楽太とは対照的に、武流は何もなかったかのように現れた国語教師を見て言った。

「丁度いいじゃないか。教えてもらえよ古文とか」

「ああ、いいぞ。漢文と現文もそれなりにいけるし」

 窓越しにこっちを見ている先生は武流と勝手に話をつけて、本取ってくると職員室に向かっていった。

「・・・びっくりしたー」

 姿が見えなくなってようやく楽太は息をついた。

「ねえ、怪しまれなかったかな?」

「大丈夫だろ。こっちが平然としてれば、もし本当にしてたとしても向こうも見間違いだって思うだろうし」

 だいたいこの二人で怪しまれるわけないだろう、と武流は答える。そのハッキリした言い様に楽太はなんだか納得してしまった。しかし楽太は安心し掛けて、ハッと思い出す。

「あっ、ていうか、なんで勝手に教えてもらうことにすんだよっ」

「頑張るんだろう?」

 そうだけどと口を尖らせる楽太に、武流は立ち上がりながら軽くキスをする。

 不意打ちのようなそれに楽太は一瞬動きをとめ、気付いたときには武流は教室を出ようとしていた。

「えっ、どこいくの?」

「一対一だと、逃げられないんだろ?」

 そう言うと武流は微かに笑って、楽太の視界から消えていった。

「・・・・・・。だから、笑うのは禁止って言ったじゃん・・・」

 いろいろとしてやられた気分になって、しかし楽太には悔まぎれのセリフを言うのが精一杯だった――。





END


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「Mood」はいわゆるムードって意味よりも、

「機嫌、気分、〜しようという気持ち」の意味で。

こっちの武流はなんか性格悪いですね。これからも更に悪くなります。

#Mutual 





 2/11(金)。

 楽太は部活が終わったあと、嫌がる良太を今年も連れていった。女の子で溢れる、普通 男はとても入っていけるはずがない店内へ。

「今年はどんなのにしよっかなーっ」

 楽太はうっきうきと棚に並ぶ多種多様なチョコを眺め始める。しかし、隣の良太は、こんな店にどう見ても高校男子な二人連れがいるので視線を集めてしまい、それに当然のように居心地の悪さを感じていた。

「・・・おまえさ、去年も思ったけど、なんでそんな堂々とっていうか・・・。恥ずかしくないのか? 男なのにチョコ買うのって」

「なんで恥ずかしんだ? だって、そもそも外国じゃ男のほうがプレゼントするのが普通だって聞いたしー。それに、男にあげるのには違いないじゃん」

「あー、おまえそんなこと声に出して言うなよーっ」

 ケロッと言う楽太に良太は慌てて周囲を見たが、どうも二人は遠巻きにされているらしく近くに人はいないので聞こえなかったようだ。

「ふー。まあ、好きにすればいいけどさ、オレは帰らせてもらうぞ」

「あっ良太、なっ、こっちとこっちどっちがいいと思うっ?」

「だから、オレは帰るって、おい聞けよっ」

 良太の抗議にも構わず、楽太はもうチョコ選びに夢中だ。そんな楽太を、しかし放って帰ることが出来るのならばそもそもこんなところまで付いてきたりしない。良太はしぶしぶだがせめてさっさと終わるように付き合い始めた。





 2/13(日)。

 楽太を車で送ったあと、寄ったコンビニで武流はふと気付いた。もうすぐバレンタインデーなのだと。夕食を手にレジに向かったところ、レジの向いに作られていたバレンタインチョココーナーが目に入ったのだ。

 ちなみに武流は去年もこんなふうにギリギリにバレンタインを認識した。そして適当に手に取ったのを買って、楽太を大感激させたのだ。

 武流は去年の楽太の反応を思い出しながらやはり今年も適当に手近にあったのを取って、夕食と一緒にレジに出した。レジの女性は驚いて思わずチョコと武流を見比べたが、しかし武流はそんなこと気にならないのかいつもの無表情で会計を済ませてコンビニを出た。

 楽太のあんな嬉しそうな顔が見られるのなら、少々人に好奇の目で見られることくらい大したことない、わけでは別にない。ただ単に、武流は元々人の目をそんなに気にしないタイプだし、日本人にしては高い身長のせいで人に目線を向けられることが多くなってからは余計に構わなくなったのだ。

 武流はアパートに戻り車を出ようとして、思い立ってコンビニ袋からチョコだけを取り出してそれを車に戻した。おそらくバレンタインは今週中くらいにあって、たぶん学校帰りにでも渡すことになるだろうと思ったからだ。

 アパートに戻ると、部屋はエアコンを切って出ていた為もうすっかり冷え切ってしまっている。しかしそんな部屋に入っても、その日のことを思うと武流は何故だかいつもより寒さを感じなかった。





 2/14(月)。

 バレンタイン当日、この学校の校則は妙なところは厳しいのにお菓子の持ち込みに関しては全く問題ないらしく、学校中甘い匂いでいっぱいだ。

 楽太も休み時間になると義理で貰ったチョコを食べながら、ドキドキしていた。この雰囲気だから、きっと武流も今日がバレンタインだと気付いただろう。もちろん自分が渡すワクワク感もあるのだが、それより今年も武流に貰えるのかどうかが今の楽太が一番心配と同時に期待していることなのだ。

 楽太は実のところ、バレンタインが去年と違って学校がある日にあるので、昨日渡してしまおうかとも思った。しかしやっぱりこういうイベントは当日しないと意味がないと思い直したのだ。

 そして結局、バレンタインのことは一度も話題にすら出さなかった。出そうとするときっと自分はねだるような言い方になると思ったからである。欲しいと言われたからではなくあげたいから、そんな理由で楽太は武流から貰いたいのだ。

「あー、楽しみだなーっ」

 楽太はきっと来るはずのそのときのことを考えて、顔がにやけるのをとめようとはしなかった。





 昼休み。

「先生、コーヒー入りましたー」

「ああ、どうも」

 昼食を食べ終わった武流と宏は、カップ片手に隣り合った机のちょうど隣接している部分にケースに入った詰め合わせチョコを置いてそれを食べ始めた。二人が担任・副担任する2−6の女生徒に「西嶋先生と上田先生に」と貰ったものだ。

「義理でも貰えると嬉しいな。まあ、俺なんか本命チョコ貰ったことなんて数えるほどなんだけど。今は今で、ほら俺たちってあげるとかあげないとかないから」

「・・・まあ、普通はそうなんだろうな」

「先生のとこは違うのか? ・・・ああ、まあ、こういうイベント好きそうだよな。去年も貰ってたり?」

「ああ。でかいハート型の」

「ははは、どんな顔してそれ買ったんだろうな」

 などとあまり職員室でするにはよろしくない会話をしながら、二人は次々とチョコを消費していく。二人とも、どちらかと言わなくても、甘党なのだ。

「・・・お前ら、よくそんなもんそんなに食えるなあ」

 そんな二人に職員室に戻ってきて席に座ろうとした春彦が呆れたような顔を向けた。右手にはトレードマークの竹刀、左手には貰ったのであろうチョコが無造作に鷲掴みされている。

「まあ、おかげでこれ持って帰らなくて済むんだけどよ。ほれ、引き取ってくれ」

「せっかく貰ったんだから、せめて放課後までは喜んで受け取った振りくらいしてたほうがいんじゃないですか?」

 やはり無造作に二人に向かって差し出したそれを、宏はこっそり眉をしかめながらそれとなく注意する。

「仕方ねぇな。じゃ、帰るときに渡すよ」

 春彦はパッと諦めて自分の机にそれを放ると、結局席にはつかずにまたどこかへ去っていった。

「・・・せっかく貰ったんだから、もっと大切にすればいいのに」

「まあ、せっかく貰っても甘いもの苦手だったら、あとは捨てるかあげるかするしかない気もするけど」

「・・・まあ、そうか」

 武流と宏は会話を再開しながら、残り少なくなったコーヒーを啜った。ちなみにケースの中は、もうすっかり空っぽだ。





 放課後。

 楽太はドキドキしながら部活に向かった。月曜日は武流の担当する数Uはないので、まともに顔を合わせるのはこれが初めてになるのだ。

 きっと何かいつもとは違う態度や仕草を自分に向けてくれるはずだと楽太は期待していた。

 しかし。

「おー、調子悪いな」

「・・・だってー」

 的からかなり離れたところに突き刺さった矢を見て良太が揶揄うように言うと、楽太はしょんぼりして弓を下ろした。

 武流が、ちっとも少しもそんな素振りを見せてくれないのだ。今も遠くのほうで他の生徒の指導をしている。

 もしかしたら今日学校に来てバレンタインだと気付き、用意していなかったから文句言われるのが面倒なので避けているとか。もしくは、そもそもこんな行事どうでもいいと思っているのか。などという考えが楽太の頭を掠め、ますます気落ちしていく。

 もちろん貰えなかったからといって、それで武流の気持ちを疑うなんてもちろんしないのだが、しかし楽太は欲しかったのだ。去年貰ってすっごく嬉しかったから、だから今年も欲しかったのだ。

 ガッカリした楽太だが、しかし立ち直りが早いのが長所の一つである。

「いいよっ、そのぶんオレが盛り上げてやるからっ」

 楽太は決意を新たにして、ちょうど空いたので今度こそと思って射場に立った。

 構えて手を離そうとした、そのとき。

「相変わらず、腕の張りが足りないな」

「うわあっ」

 ビックリした楽太から離れた矢は、へろへろっとその辺に飛んでいった。

「もー、いきなり声掛けないでよーっ」

 突然うしろから声を掛けてきた武流を、ちょっと嬉しかったのだがそれを隠しながら怒った顔をして楽太は振り返った。しかし武流はそれに構わず、ついでに集中力も足りないなとダメ出しまでする。

「いいから、次構えろよ」

「う、うん」

 なんだか素っ気ない気がする武流の態度にちょっぴり悲しくなりながら、楽太は言われた通り次の矢を番えた。武流はさっき言ったように楽太の腕を直して、楽太がいざ弓を射ようとしたとき。楽太にしか聞こえない、小さな声で。

「今日、送ってやるよ」

 直後の楽太の射は、その日一番の出来だった。





 部活が終わって武流が職員室に戻ると、自分の机の上にはバレンタインチョコの箱が何個も積まれていた。丁寧に、『先に帰るので、半分持って帰ります。残りは持って帰ってください。 西嶋』 という宏からのメッセージ付きで。

 武流と宏が甘いものが得意だということで、毎年 春彦のように苦手な人がこんなふうに押し付けていくのだ。ちなみにこの学校は若くて独身の男性教師が多いので、義理から本命チョコまでその量は結構なものだった。

 しかしそれを消費することが全く苦ではない武流は、それを抱えると職員室を出て駐車場に向かう。そして車に着くと、そのチョコの山を後部座席に投げた。

「・・・ああ、そういえば」

 運転席に乗ろうとしたとき武流は思い出して、後部座席に戻るとチョコの山を掻き分ける。楽太にあげるつもりだったチョコをそこに置いていたからだ。

「確かこれだったよな・・・」

 武流は見覚えがある包装紙の箱を取り出して、運転席に戻った。

「センセーイ、お待たせーっ」

 ちょっとすると楽太がすごい勢いで走ってきた。楽太は弓道着から着替えなければならないぶん、時間が掛かったのだ。

 楽太はウキウキと助手席に乗ってくる。その姿は、部活中のしょんぼりした姿とは正反対だ。そのわかり易さに、武流は思わずもうちょっとおちょくってやろうかという気になる。

 なので武流は、何も言わずに車を動かし始めた。

「・・・ねー、センセー」

 しばらくすると楽太が武流のほうを窺いながら聞いてきた。

「なんだ?」

「・・・送ってくれる・・・だけなの?」

「そう言っただろ」

 楽太はおそらくちっともそんな素振りを見せない武流に心配になったのだろう。武流が素っ気なく返すと、楽太はみるみる沈んでいった。

 その様子に、武流はやっと表情を緩める。

「・・・嘘だよ。ちゃんと、わかってる」

「えっ!?」

 パッとこっちを見た楽太に武流は軽く笑ってやってから、いつの間にか送り道からそれていた車を停めた。さすがに楽太のマンション前に停止させて、というのはやめたほうがいいと思って、事前に大丈夫そうなところを探していたのだ。

 武流が楽太の方を向くと、もうすっかりさっきまでとはうって変わった明るい顔になっている。

「センセイっ、はいこれっ!」

 楽太はにこにこしながらカバンから取り出したバレンタインチョコを武流に差し出した。

 その顔を見て、武流は思う。

 楽太ほど揶揄いがいがある人はいないだろうと。そして、楽太ほど甘やかしがいがある人も、きっといないだろうと。





「うん、ありがとう」

 武流は笑顔を浮かべてそれを受け取ってから、右脇のちょうど楽太からは見えないところに置いていたらしいバレンタインチョコの箱を楽太に手渡した。小さめだが確かな質量のあるそれに、楽太はどうやら揶揄われていたらしいことなんかもうすっかりどうでもよくなる。

「うわーいっ。嬉しーっ。センセイ、ありがとっ」

 楽太はしっかりとチョコを握りしめてから、武流のほうに体ごと向き直った。

「センセイ、好きっ」

 笑って言ってねだるように顔を上向ければ、武流はすぐに頬を撫でながらキスをくれる。

「俺も、好きだよ」

 少し離してからそう言って、また武流は口付けを再開した。楽太はそれに応えながら、ふと気付いて目だけ動かして回りを見渡す。しかし人通りはなく誰かに見られる心配もないような場所だった。たぶん武流はわざとこんなところに停めたのだろうと思って、楽太は益々嬉しくなる。ここなら人目を気にせずイチャイチャ出来るし、そして武流もそうしたいからこの場所を選んだのだろうから。楽太は幸せいっぱい気分で武流に抱き付き、何度も繰り返されるキスにうっとりしていた。

 それからしばらくイチャついて、そろそろお腹がすいてきた頃 楽太は車を降りた。最後にもう一度軽くキスしてから、名残惜しいがマンションに入っていく。そして楽太はもう夕食が出来ているといった母親にもう少しあとにすると言って自分の部屋に戻り、武流に貰ったバレンタインチョコの箱を床に置いてその前に正座した。

「エヘヘ、へへっ」

 果てしなく相好を崩しながら、楽太はそれがまるで高価な貴重品であるかのようにそーっと包装紙を剥がそうと手を伸ばす。実際、楽太にとってそれは宝物のようなものなのだ。去年貰ったのだって、チョコだけ食べてその箱や包装紙はまだ大切に取ってあった。

 きっと自分のように力いっぱい選んだものではないだろうが、それでも楽太は武流が他でもない自分の為に買ってくれたということだけで充分なのだ。どうしようもないくらいの幸福感に楽太は顔を思いっきり綻ばせながら包装紙を開いていった。

 そのとき。

「え、えぇぇぇぇぇぇぇ〜!?」

 ひらっと落ちたメッセージカードのようなものの文面が目に入った楽太はつい思いっ切り叫んでしまった。

 女らしい文字で書かれたその文面は、『上田先生へ 迷惑かもしれませんが受け取ってください』 と。





『センセーイっ、どういうことだよーっ! 用意してなかったんならそう言ってよーっ!』

 武流が電話に出ると、相手は開口一番にそうまくし立てた。

「・・・何が?」

『何がってー! ひどいよーっ!』

 すでに涙声に近くなっている楽太を、しかし武流は全く身に覚えがないのでとりあえず落ち着かせて話を聞いた。

「・・・へえ」

『へえって! どういうことなんだってばーっ!』

 少しは落ち着いてきたらしいがまだまだ収まらないらしい楽太が、武流にやっぱりまだ涙交じりの声で聞いてきた。だが武流のほうこそどうしてそんなことになったのかわからない。

「・・・とりあえず、俺はちゃんと自分で買った。それは信じろ」

『う、うん』

「どうせ、なにかの拍子にカードが間違ってちょうど入ったとか、そんなとこだろう。気にするな」

『う、うん・・・』

 武流は考えられることを諭すように言ったが、楽太はまだ納得出来ないのかその返事はハッキリとしない。

『・・・センセイって』

「ん?」

 しばらくすると楽太がぽつっと口を開いた。武流はなんだかかわいそうになって、どうして自分がと思わないでもないが、機嫌を取ってやろうと思ってなるべく優しく聞き返す。

 そうしながら適当に彷徨わせていた視線が、貰ってきたチョコ箱の山でふととまった。武流は近寄ってそれを手に取り、そういうことだったのかとやっと合点がいく。そしてそれを楽太に教えてあげようと思った武流の耳に、入ってきた楽太の言葉はしかし全くの予想外のものだった。

『やっぱり、こっそり、モテるんだ・・・』

「・・・は?」

『だってー、こんなカード付いてんの絶対本命チョコだもんーっ。なんで受け取るんだよーっ』

 武流は思わず脱力した。

 言ってる本人はきっと大真面目なのだろうが、武流はうっかりフォローしてやろうと思った自分がバカらしくなって、一人で勝手に喚いてろとばかりにさっさと電話を切ってやった。





 2/15(火)

「あれ、これって・・・」

 部活が終わったあと、武流に車まで連れて行かれた楽太は渡されたものを見てビックリした。

「これが俺が買ったやつ。ま、そういうことだ」

「え、ええっと・・・」

 楽太は手の平に収まっている、どうみても昨日自分が貰ったものと同じものを見て考えた。つまり、偶然買ったのと全く同じバレンタインチョコを貰ってしまってそれを間違えて渡してしまった、ということらしい。

「な、なーんだぁ」

 真実がわかってしまえば、なんとも単純でなんてことないことだったろう。もしかして用意していなかったから適当に貰った中からくれたんじゃないか、とかしつこく考えていた楽太はホッとした。

「でもさ、わかったらすぐに教えてくれればよかったのにー」

 武流のことだからきっと電話をしていたときにもう気付いたのだろうと思って、今日一日なんだかしっくりしなかった楽太は不満げに見上げた。教えてくれるどころか武流は楽太が急に気になったことにも答えてくれずに電話を切ってしまったのだ。

「お前がくだらないこと言い出すからだろう」

「くだらなくなんかないよーっ」

 誰だって恋人が自分以外の人から本命チョコを受け取ったら嫌だろうと、楽太は口を尖らせる。

「・・・別に受け取ったわけじゃなくて、いつの間にか机に置いてあったんだよ。それにな」

 武流は恨めしそうに見上げてくる楽太に、仕方なさそうに溜め息をついてから口を開く。

「俺がわざわざこんなものを買って、あげようと思うのは、お前にだけだよ。それくらい、わかってるだろ?」

「・・・っ!」

 仕方なさそうではあるがしかし軽く笑いながらのセリフに、楽太はいつものように気にしてたことなんてもうどうでもよくなった。

「センセイっ」

「じゃ、また明日な」

 すっかりいい気分になって場所も憚らず好きっと言おうとした楽太を、武流はさえぎってさっさと車に乗ろうとする。

「ええっ、ちょっと待ってよーっ。ていうか、どうせなら送ってよーっ」

 楽太は慌てて素早く助手席に乗った。

 そんな楽太に武流はわざとらしく溜め息をついて見せたが、しかしその顔はやはり軽く笑っていて、楽太も嬉しそうに笑い返した――。





END


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「Mutual」は「相互に(の)」て意味。語源はラテン語の「交換した」。

ラブってるとこは少なめにしてみました。(これでも・・・)

#Nearby 





「わーい、センセイの部屋、久しぶっりー!」

 楽太は入るなり楽しそうにはしゃいで、深呼吸などを始めた。武流はその頭をはたいてそれをやめさせる。

「お前は変態か」

「ひっどーい、いいじゃんかー」

 楽太は懲りずに武流に抱き付いて、今度は本人の匂いを嗅ぎ始めた。しかしすぐに武流に引き剥がされる。

 楽太は残念に思いながら、しかしまだまだ時間はあると、武流が着替えにいったので自分も制服から私服に着替えて、弁当を取り出し昼食の用意をした。

 仲良く弁当をつついて、それから腹一杯でうっかり寝そうになった楽太は、ハッとしてなんとか起き上がった。

「センセイ、おみやげーがあるんだけど」

 楽太は自分のスポーツバッグから箱を取り出してきた。それには「温泉饅頭」とかかれている。

「また温泉行ってきたのか?」

「うん、今回は西のほうのなんとかってとこー」

 楽太はお土産といいながら自分で開けてさっさと食べ出した。

「あのね、毎年いろんなとこに旅行に行くの。母さんと一緒に、父さん連れて」

「父親?」

 楽太は確か母子家庭だったはずだと、武流は薦められるまま饅頭を手に取りながら聞き返す。

「えーっと、いっつもは仏壇に置いてある、こーんな形の・・・」

「位牌か?」

「うん、たぶんそれっ。それ持ってくの。そんで、三人でまったりするの」

 二つ目を頬張りながら楽太はカラッと言った。

 温泉地で位牌を囲む母子という光景は、見ようによってはかなり暗いというか背筋が寒くなるかんじだ。しかしそれをやっているのが楽太だと思うとその印象は何故か全く異なって、とても陽気な旅なのだろうと想像させる。ちなみに武流はまだ知らないのだが、楽太の母親は武流の母親とかなり似た無闇に明るいタイプなのである。だから武流の想像通り、二人(+1)の旅はひたすら明るく楽しいものであった。

「そだ、センセイもそのうち父さんに紹介するねっ。そしたら、あれやってよっ」

「・・・何?」

 瞳を輝かせて見てくる楽太に、こんな表情をするときはろくなことを言わないとわかっているので武流は嫌々ながらに素っ気なく聞き返す。

「あのね、『お嬢さんを僕に下さい』ってやつ!」

「・・・・・・」

 武流は言い返す気にもなれなくて、ただ顔を背けた。

「あー、無視しないでようっ」

 口を尖らせる楽太に、しかし武流はやはり応えようとしない。楽太のこういうアホなところは、よく武流を呆れさせた。

 しかしそんなところも、かわいいと思えばかわいいのだ。

 だから武流は、不満そうな楽太に笑顔を向けてやる。

「嫁にきたいんなら、せめて料理くらいは作れるようになっとけ」

「えっ、うんっ。作る作るっ。だから貰って!」

 楽太はパッと明るい顔になって元気よく言った。

「本当に作れよ?」

「まっかせてーっ!」

 武流がもちろん冗談で言ったことを楽太は結構本気にして張り切る。といっても楽太はどちらかというと三日坊主タイプなので、勉強のヤル気が続いているだけでもすごいことだから、その上料理を頑張るなどとはとても思えないのだが。

 ともかくすっかりご機嫌でニコニコしていた楽太は、ふと少し考え込み、それからもう一度スポーツバッグを引き寄せた。そしてバッグから包装されたものを取り出して武流に差し出す。

「ホントは夜に渡そうと思ってたんだけどさ、なんか待ち切れなくなってー。センセイ、プレゼントっ」

「プレゼント?」

「そっ。誕生日の」

 楽太は期待感でワクワクしながら、受け取った武流に開けるように言った。それに促されて武流はその封を解く。

「この前見たときさ、すっごいセンセイに似合うって思って、そんで買ってきたんだっ」

 それは、渋い緑を基調とした浴衣であった。武流の浴衣姿がすっかり気に入った楽太は、わざわざ買い物に行ってピッタリそうなのを見付けてきたのである。

「・・・そういえば、俺はやってなかったな」

「何を?」

「誕生日プレゼント、に決まってるだろう。お前に」

 浴衣を手にとって眺めながら言う武流に、楽太はキョトンとした顔をすぐに笑顔に戻して答える。

「そんなの、これ着てくれたセンセイがオレへのプレゼントに決まってるじゃーん。ねっ、着て着てっ」

「・・・着る気失せるようなこと言うなよ」

「えー、なんでーっ。着てよっ」

 あからさまに嫌そうな声を出す武流を楽太は引っぱって立たせる。

「ほらっ、着て着てっ」

「・・・わかったよ」

 武流はせっかくくれたので無下に断るわけにもいかず、しぶしぶ着てやることにした。

「わーい。あっ、ちゃんとうしろ向いとくねっ」

「・・・・・・」

 楽太は嬉しそうにそう言うと、楽しみはあとに取っておくと言わんばかりに背を向ける。その様子に武流は軽く溜め息をつくと、それでも手にしている浴衣を着ていった。

「・・・・・・センセー、もういーいー?」

「ああ、別に」

 しばらくして、おとなしくうしろを向いていた楽太が痺れを切らしたのかそう聞いてくる。実はとっくに着替え終わって寛いでいた武流は、これ以上放置しておくのもかわいそうなので立ち上がりながらそう返してやった。

「あっ、やっぱり似合うねーっ。エヘヘヘヘー」

 振り返るなり楽太は嬉しそうにはしゃぎだす。そんな楽太を見るのは全く嫌ではないので、武流はじっと見ていたのがやがて抱き付いてくるようになっても好きにさせておいた。

「・・・満足したか?」

「したしたっ」

「じゃあ、もう脱いでいいか?」

「うん、んぇ、えぇー」

 ギューと抱きついていた楽太はつい頷きそうになって慌てて顔を上げる。そして楽太はしばらく考えて、いいことを思いついたと再び笑顔になった。

「ええっとねっ、オレに脱がさしてくれるならいいよっ」

「・・・・・・」

 楽太のアホなしかし予想通りのセリフに、武流はそれでもバカだなと突き放す気にはなれず、その代わりに笑顔を向けてやった。

「じゃあ、お願いしようかな」

「ええっ、いいのっ!? やったーっ」

 はしゃぐ楽太に、武流は軽くキスした。すると楽太は一瞬キョトンとして、それから嬉しそうに笑う。

「なんかセンセイ、優しい?」

 たったこれだけのことでこう言われてしまうのだから、普段そんなに自分は優しくないのかと武流は思った。しかし楽太がこのセリフを言うことは結構多いので、まあ今のままで充分だろうとも思った。

「久しぶり、だからな」

「エヘヘっ、センセイ好きっ」

 楽太はたいそう幸せそうに笑った。

「俺も、好きだよ」

 言って笑い返す武流も、少々わかりにくいが幸せそうである。

 二人は現在補習授業があるのでもちろん学校では会っていたが、こんなふうに触れ合うのはもう一週間以上前以来なのだ。

 期末テストのときはこれ以上の期間二人きりになどなれなかったのに、武流には今回のほうが長く感じられた。それが以前よりももっと楽太のことが好きになっているせいなのだとしたら、これから先が思い遣られるなと武流は小さく溜め息をつく。

 しかし、そんな自分も悪くないと、小さな体を抱き返しながら武流は思った――。



 ちなみに翌朝、楽太が期待していたちゃんと浴衣を着て寝てくれた武流の寝乱れた姿は、楽太と違って寝相がとってもいいため残念ながら拝めなかったそうな・・・・・・。





END


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「Nearby」は「近くに(で)」って意味なんすが、内容とあってないね・・・

そろそろ楽太が本格的にヘラヘラになってきたかんじ。