#Shake





「あー、やっと終わったー」

 五月十九日から始まった中間テストが今日で終わって、楽太は大きく伸びをした。

「やっとっていうか、おまえさっきのテスト中寝てたろ・・・」

 まるで精一杯やったかのような態度の楽太に良太はつっこむ。その言葉に楽太はだってすることないんだもんとあっさり答えた。

「ま、もう終わったことだし、部活いこー」

 さっさと着替え終えてうきうき教室を出て行く楽太を、良太は呆れながら慌てて追う。

「おまえさー、ちょっとは勉強しないとやばいんじゃないのか?」

 謙遜でもなんでもなく本当に勉強していない楽太が心配になって良太が声を掛ける。しかし楽太はそんなこと全く気にとめない。

「だから、数Tだけは真面目にやってるよー」

「だけ、じゃなくて他の教科もさあ」

 言っても無駄だと思いながらも良太は一応言ってみる。

 しかし楽太としては、一教科でも真面目にやっていること自体が奇跡に近いのだ。むしろ誉めてくれていいのにとすら思うほど。

 なので楽太はヤダとだけ短く答える。

「でも、なんで数Tだけなんだ? どうせなら数Aもすればいいのに」

 良太はもう楽太に勉強しろと言う気はなくなり、ただの好奇心で尋ねる。

「え、だって数Tは先生がセンセイなんだもん」

 答えになってるようで全くなっていない楽太の返答に、しかし良太は慣れたらしくもうあえて追求はしない。

「そういえば上田先生といつの間にか仲良くなってるよな」

「えっ、仲良く見える?」

 そのセリフに楽太は思わず良太を振り返った。確かによく教えてもらいにいってたが、楽太にその自覚はなかった。

「うん。あんなふうに遠慮なく話し掛けてんのっておまえくらいだぞ」

「そうなのか?」

「だって、上田先生って近寄り難そうじゃん。それにおまえ他の先生はむしろ避けてるってかんじなのに」

 良太の言葉に、楽太は言われてみればと思う。

 そもそも楽太は先生というものが苦手で好きではなかった。自業自得なのだが、先生には叱られるか見放されるかの記憶しかないのだ。

「でもさ、センセイとは最初に会ったのが勉強教えてくれる先生としてじゃなかったから・・・かな?」

 自分でもハッキリとした理由はわからなかったが、楽太は確かに先生を他の先生とは少し違ったふうに見ているのだと気付かされる。それは何故なのか、なんてことをしかし楽太は考えようとは思わない。

「まあいいじゃん」

 楽太はハハハと笑って良太の背中を叩いた。

 そしてそれが切り替えの合図だったかのように、駆け出した楽太の頭にはもう久しぶりの部活のことしかなくなっていた。





 ランニングから戻ってきた楽太は、そのまま弓道場に飛んでいった。

「センセイっ、今日はするんだ。見てってもいい?」

 楽太は入口から中を覗いて、目敏く見つけた袴を着用し弓を持った先生に声を掛ける。

「お前、基礎練の途中だろ」

「いいじゃんちょっとくらい。ただでさえ一週間に一回しか見れないんだから」

 しかも今回は中間テストの部活動禁止期間をはさんでもっと長いこと見ていないのだと、楽太は訴える。

 どう考えてもワガママなそれに、しかし楽太が言うと何故か微笑ましく感じられ、上級生も困ったやつだと笑っている。

 部長が少しだけならと許可しようとしたそのとき、楽太がふと気付いて口を開いた。

「そういえば、なんでセンセイは週に一回しかしないの?」

 無邪気な楽太のその問いに、急に弓道場内が静まり返る。しかし、そんな空気に気付く楽太ではない。

「ねー、なんで・・・ってー」

 答えない先生にもう一度問いかけようとした楽太は突然頭を後からはたかれた。楽太がムッとして振り返ると、それは良太だった。基礎練の途中なのに弓道場に向かっていった楽太の様子を見にきたところだったのだ。

「ほら、一人だけさぼってるなよ。行くぞ」

 そう言って良太は楽太の抗議を無視しながら、迷惑掛けてすみませんと謝って、楽太を引っぱっていった。

「何すんだよっ。まだ答え聞いてないし見てもないのに」

 弓道場から離れてやっと手を離した良太に楽太が文句を言う。

「バカかおまえは」

「バ、バカだけど、それがなんの関係があるんだよっ」

 呆れたように言う良太に楽太はますますムッとする。

「だから、先生があれだけ上手なのにめったにしないっていうのは、何か事情があるからに決まってるだろう」

「だから、それを聞いたんじゃん」

「だから、言える事情だったらとっくに言ってるって。言ってないってことは、言えない事情もしくは言いたくない事情があるってことだろ」

 わかったかと言う良太に、やっと楽太は自分の質問がどうやらまずかったらしいと知る。

「まあ、おまえが考えなしなのは先生も知ってるだろうから、気にしてはないと思うけどさ」

 良太の微妙なフォローに楽太はそうだなと笑って答えた。

 そう答えながら、楽太は先生が本当に気にしていなかったらいいと思った。





「・・・オレ、やっぱりセンセイに聞いてくるっ」

 部活が終わって制服に着替えたところで、楽太が言った。

「聞くって、何を?」

「ほんとに気にしてないのかを」

 だから先に帰っといてと言って、楽太は鞄を持って教室を飛び出した。

 そして、探し回って体育館近くの廊下で先生を見つけると駆け寄る。

「センセイっ、さっきオレもしかして嫌なこと聞いちゃった?」

 遠回しに聞くなんてことできない楽太はストレートに尋ねた。

「別に」

 先生はいつもの無表情でそう答える。普通の人なら本当に気にしていないのだろうかと思うところだが、単純な楽太はそうなんだと安心する。

 そして聞かれるのが嫌ではないのならと、楽太はもう一度問い掛けた。

「じゃあさ、なんで?」

「・・・それは」

 先生はちょっと間を空けてから口を開いた。

「大学のとき肘を痛めて、それであんまり無理出来なくなったんだ」

 よくある話だろうと言う先生に、楽太はそうなのと首を少し傾げた。そして、笑って言う。

「でも、よかったね」

 そのセリフに先生が思わず楽太に目線を遣った。

「何が・・・?」

「だってさ、週に一回は出来るんだから。だからよかったじゃん」

 楽太は単純にそう思って言った。あんなに上手なのだからちょっともったいない気もするが、二度と出来ないよりは全然マシだと。

「・・・そんなふうに言われたの初めてだよ」

「えっ、そうなの?」

 楽太はまた自分がうかつなことを言ったのかもしれないと、心配そうに先生に目を向けた。

 そんな楽太に、先生は小さく首を振る。

「いや、でも、お前の言う通りだよ」

 そう言って、先生は口の端を少し上げた。僅かだが、一瞬だが、しかし確かにその表情は、笑顔と呼べるものだ。

「お前これから帰るんだろ? ついでに送ってやるよ」

 しかしすぐにいつもの表情に戻って、そう言うと歩き出す。

 楽太はそのうしろ姿を何故だかボーっと見つめた。それに気付いて先生が振り返りどうしたと尋ねるが、やはり楽太は黙って突っ立っている。

「ああ、今日は自転車なのか?」

 先生のその問いに楽太は首を振って答えた。

「じゃあ、靴履き替えたら駐車場来いよ」

 そう言うと先生は今度は振り返らず歩いていく。

 その姿が見えなくなっても、楽太はまだボーっと突っ立っていた。

「あれ、楽太何やってんだ」

「うわっ」

 突然後から肩を叩かれて、楽太は飛び上がりそうになった。帰ろうとして偶然通りかかった良太が、突っ立っている楽太の様子を訝しんで声を掛けたのだ。

「うわって・・・。何ボケッとしてんだよ?」

「・・・な、なんでも」

 歩きだした良太と並んで楽太も足を動かす。

「それで、先生に聞いたのか? 気悪くしてなかったか?」

「うん。それが・・・」

 楽太はさっきの会話を話そうとして、何故か詰まる。言葉というより、胸が。

「どうした?」

「い、いや、そうだ、センセイ送ってくれるって。良太もついでに乗ってけよ」

 一瞬ざわめいた胸に気付かない振りをして、楽太は良太を誘う。

「いいのか?」

「いいって」

 勝手に決めて楽太は走りだした。なんとなくじっとしていられなくて。

「・・・って、おい楽太、おまえ上履きのままっ」

「うわっ、ホントだ。先行っといて」

 そう言って楽太はターンすると、速度を落とさず下駄箱に向かって走りだした。

 そして靴に履き替えて、駐車場まで再び走っていく。

「ごめーん、遅くなって」

 そう言って楽太は良太とうしろの座席に座った。

 楽太がドアを閉めるのを確かめて、先生が車を出す。

 まだ息切れがする。胸がドキドキする。それは走ったからだと楽太は思った。それがなかなかおさまらないのは、運動するのが中間テストのせいで久しぶりだったからだ。

 楽太はそう思いながら、ずっと何かから気を逸らすように窓の外をじっと見つめていた――。





END


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穴に落ちると思いきや、なんとかしがみついて落ちないように頑張ってるってかんじ。

無駄な努力はもうちょっと続きます。