#Throb





 75点。

 オレは目の前のその点数を呆然と見つめた。

 そりゃあ真面目に勉強したし、手応えだってあった。しかし、この点数・・・

「うわ、すごいじゃん」

 目に入ったらしく良太が驚きの声を上げる。

「う、うん・・・」

「どうしたんだ? もっと派手に喜んでもよさそうなのに」

 ボーっとしたままの表情で頷くオレを、良太が訝しげに見る。

「だ、だって・・・お前は何点だったんだ?」

「ん? オレは69点」

「お前って数学苦手だっけ?」

「英語とか国語よりはマシだと思うけど」

 それがどうしたんだと言う良太に、オレは別に今回のテストがとっても簡単だったわけではないのだと思う。

 つまり、この点数はれっきとしたオレの努力の証ってわけで。

 やっとじわじわと嬉しさが湧いてくる。

「うわっ、突然ニヤけ出したな」

 無意識のうちに頬が緩んでしまったらしいオレを良太が大げさに不気味がる。

「だ、だってっ、75点だぞななじゅうご!」

 自慢じゃないがオレは75点どころか50点を越えたことなんていつぶりだって程のバカなんだ。実際4月しょっぱなにあった課題テストの数学の点だって20あったかどうか・・・ってかんじ。

 そのオレが、75点。しつこいかもしれないけど、何度でも言うぞ。75点。

 数Tのテストが、75点。

 オレはテストを握りしめたまま、前でテストを返却しているセンセイを見た。

 数Tの先生であるセンセイ。

 オレに、努力すればちゃんと出来るようになるって言ってくれたセンセイ。

 センセイはこの点数見てどう思っただろう。

 よくやったって、誉めてくれるかな。

 よく頑張ったって、笑ってくれるかな。

 笑って・・・・・・

「って、なんだそれー!?」

 オレはびっくりして思わず声に出していた。

「なんだよ突然。もう配り終わるぞ」

 だから静かにしてろよと良太が注意したが、しかしオレはそんなこと耳に入らなかった。

 今 突然現れてオレの頭を占めてるもの、それはあのときのセンセイの笑顔。

 一瞬だけの、微かな、それ。

 オレは頭を振ってそれを振り払おうとする。

 確かに勉強嫌いなはずのオレがこんなに頑張ったのは、センセイに見直してもらいたかったってのもある。やっぱりやれば出来るんだなって、そう言わせたかった。

 でも、別に笑って欲しいなんて思ったことはなかった。だって、センセイのそんな顔見たのなんて、中間テスト終わった日が始めてだったし。

 そう、いつも無表情のセンセイが見せた、初めての笑顔。

「・・・だからそれがなんなんだってば」

 オレは呟くように言う。

 いい点取れた。それでいいじゃないか。

 うん、それでいい。

 そうオレは自分に言い聞かせて、授業を始めたセンセイに目を遣った。やっぱり無表情のセンセイ。

 あんなふうに笑うことも出来るのにな・・・。

「・・・・・・だからぁ」

 オレはもういっぺん頭を振った。

「集中集中」

 そう呟いて、オレはシャーペンを手に取りノートと教科書を開いた。

 中間の次は期末だ。また頑張って、そんでいい点とって、そんで・・・

「うん、いい点とれば、それでいいんだ」

 オレはまたしてもそう呟いて、今度こそちゃんと授業を聞き始めた。





「センセイ、ここは?」

 オレは教科書を指してセンセイに聞いた。

 今日は水曜日だから、弓道部は休み。だから、オレはよく水曜日の放課後にセンセイに授業の質問とか宿題教えてもらったりとかしてるんだ。ちなみにたいてい1−5の教室で。

 センセイの説明にオレは聞き入る。

 先週のオレはなんか変だったけど、今週になったらだいぶ落ち着いて普通にしていられるようになった。たぶん、先週はテストで今迄取ったこともないいい点を取って浮かれてたからだと思う。あのあとセンセイに頑張ったなって言われたときもすごく、なんていうか半端じゃなく嬉しいかんじだったけど、それだってきっといい点取ったことを誉められたからで。

 ともかく、今はこうやって全然普通にしていられる。

「あれ、なんか変?」

「これはマイナスが付いてるから、逆になるだろ。だから」

 声がすごく近くから聞こえたからふと顔を上げると、センセイもノートを覗き込むようにしてて近くに顔がある。

 あ、センセイの黒髪ってなんかキレイだ。サラサラって音がしそう。

 って意味ないこと考えてると、センセイがオレの視線に気付いてこっちに目を向けた。

 至近距離で、目が合う。

「どうかしたか?」

「う、ううん」

 オレは慌てて首を振ってノートに目を移す。やり直そうとして、しかしオレの手はとまった。

 さっきセンセイが説明してくれてたのに、なんて言っていたか全く覚えてない。それに、何故かセンセイがオレの顔に目を遣ったままだ。

「な、何?」

 オレはなんか落ち着かなくって、顔は上げずに尋ねる。

「お前って、こんなとこに傷あったんだな」

 センセイはオレの右頬の辺りを見ながら言った。確かにそこには薄っすらだけど十字傷がある。

「あ、うん、小さいときに、木登りしてたときにできたのが横ので、ガラス割ったときできたのが縦の」

 オレはやっぱり顔を上げないまま、その傷の由来を話す。するとセンセイはオレの顔に手を伸ばしてきた。

「上手いこと90度に交差してるな」

 そう言いながら、オレの頬にある傷を、その指でそっとなぞる。

 触れるか触れないかくらいのしかし確かな質感を伴った感触は、くすぐったいというよりも、

 いうよりも・・・

「・・・っ、ごめんっ」

 オレは言うと立ち上がって、教室を飛び出した。たぶんセンセイは突然のオレの行動に驚いてるだろうけど、でもそれどころじゃなかった。

 オレは全速力で走って、トイレに入って個室に飛び込む。

 丁度洋式だったからふたを閉めてそこにへたりと座った。

「な、なんで・・・」

 呆然と呟く。

 前にもこんなことあった。センセイが笑ったあと。息切れとか胸がドキドキとか。でもそのときは、それはきっと走ったせいだからって理由を付けた。

 だけど、今はそんなことじゃ説明付かない。

 だって、走っただけで、こんなふうになるはずない。こんな・・・

「きっと、最近、オレにしては真面目に勉強してたからだ・・・」

 オレはなんとかそこから気を逸らそうとする。

「だから、欲求・・・不満なんだよ」

 しかし、どうしてもそこに意識がいく。

 明らかに熱を帯びている、その部分に。

「なんで・・・」

 結論を出しておいて、それなのにオレはもう一度呟いた。

 だって、きっとそんなんじゃない。何故だかそんな気がする。

 でも、オレはその理由を探したいとは思わなかった。

 知りたいとは思わなかった。

 知っては、いけない気がした。

「なんで・・・」

 それでも勝手に口から出てくる言葉をとめられなくて、オレはしばらく立ち上がることも出来ないままそこにいた――。





END


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「Throb」は「ドキドキする、動悸(がする)、興奮」って意味。

楽太、落下中。

ちなみに「黒髪サラサラ」っての、武流のほとんど唯一の受的要素だったり。