#Treat





「そういえばセンセイ、下の名前なんてーの?」

 土曜日、楽太は部活を終えて武流の部屋に来ていた。勉強を教えてもらいという名分もあるのだが、なんといっても恋人になったばかりなのでせっかくの休日を一緒に過ごさないわけがない。楽太はもちろん泊まる気も満々で、着替えなども準備してきていた。

 そんななか、古文の予習を自分の当たるところだけ終わらせて一息ついた楽太は、ふと知らないことに気付いて尋ねたのだ。

「武流」

「たける・・・漢字どう書くの?」

「武士の武に流れる」

 楽太は何度か「ぶし」と呟いて、やっと漢字が浮かんだらしくなるほどーと言った。その様子に武流は本気で楽太の日本語力が心配になる。

 しかし楽太はそんなことは知る由もなく、武流に楽しそうな笑顔を向けた。

「ね、武流って呼んでいい?」

 恋人らしくさ、と言う楽太にしかし武流は読んでいる参考書から顔を上げずに答える。

「だめ」

「なんで? いいじゃん。二人きりのときくらいはさー」

 こっちも見ずに即答する武流から参考書を取り上げて、楽太はねだるように言った。そんな楽太に軽くデコピンして武流は悟ったように言う。

「お前が、使い分けれるわけないだろう」

「う・・・」

 その言いように、しかしその通り全く自信がなかった楽太は言い返すこともできない。だがやはり悔しいらしく口を尖らせて見つめてくる楽太に、武流は宥めるようにその頭を撫でてやった。

「先生って呼べるの、あと三年もないんだから、せっかくだから今のうちはそう呼んどけよ」

 その言葉は、武流が三年後も当然のように二人がこうしていると思っている、そう楽太には聞こえた。勝手な解釈かもしれないが、楽太は嬉しくなってエヘヘと笑う。

「じゃさ、せめてセンセイはオレのこと下の名前で呼んでよね」

「わかったよ。・・・楽太、だっけ」

 楽太は武流が覚えていたことにこっそり喜びながら頷いた。しかし武流はその喜びが薄れるようなことを言う。

「楽太・・・に良太か。お前ら名前も似てるんだな」

「もって、なんだよっ。どうせオレたちは二人ともちっちゃいよ」

 しかも良太の名前も知っているし、と楽太はむくれた。武流の前で良太の名を散々口にしていることも忘れて、自分の名前だから知っていたのではないのだと楽太は勝手にがっかりする。

「で、そろそろ返してくれないか?」

「・・・やだ。それ見てるとセンセイ、周りが目に入んなくなるもん」

 素知らぬ振りで先程取られた参考書を指して言う武流に、楽太はますますへそを曲げる。駄々をこねる子供のようなことを言う楽太に、武流は仕方ないなと溜め息交じりに口を開いた。

「じゃあ、相手してあげるよ、楽太」

 名前を呼んで、しかも笑顔でそんなことを言う武流に、楽太は早くも機嫌を直す。恋人として付き合うようになってから武流が楽太に笑い掛けることは結構あったが、楽太は未だにそれを向けられると胸が高鳴ってしまうのだ。

「ほんとっ? してして」

 しっぽを振るように寄ってくる楽太に、武流は手を差し出した。

「中間の答案用紙、持ってきたんだろ? 見せてごらん」

 笑顔はそのままで、しかし楽太が期待したこととは程遠いことを言う。

「も、持ってきたけどー。・・・相手ってそういうこと?」

「そういうこと」

 あからさまに落胆する楽太に、武流は早く出せと促す。楽太は仕方なく自分のボストンバックを漁り始めた。

 そのうしろ姿に、武流は付け足しのように声を掛ける。

「どうせ泊まってくんだろ。そっちの相手は、またあとでな」

 その言葉に楽太はパッと振り向いて嬉しそうに何度も頷いた。武流が内心ちょろいなと思っていることなど知らずに・・・。





「・・・・・・はい、これで全部・・・」

 楽太は一枚ずつ妙によれよれの答案用紙を武流の前に出していった。

「・・・・・・」

 武流はそれを黙って見ていた。これが呆れて物も言えない状況なのかも、などと楽太は他人事のように思った。

 そして武流は楽太の予想通り、絶句していた。ここまでとは思っていなかったのだ。

 武流は、課題テストこそ悪かったが楽太は自分の担当している数Tに熱心に取り組んでいるし中間の点数もよかったから他の教科もそうなんだろうと思っていた。しかし他の先生の楽太に掛ける言葉を聞く限りでは、どうやらそうでもなさそうなのだ。

 なので、気になった武流は成績表はもう学校に返しているので答案用紙を見せろと楽太に言ったのだ。そして楽太は言われた通りに、部屋のあらゆるところに散らばっていた答案用紙をなんとか発掘してきて、こうして武流の前に並べているのである。

 そして、その答案用紙の点数は、上でも四十点台で下はなんと一点も取れていないのまであった。

「・・・平均、三十もないじゃないか」

 数学教師らしくぱっとおおよそを計算した武流は、数Tの七十五点を入れてもその程度なのかと愕然とする。そして、他は全て悪いのに数Tだけがいいせいで他の教科の先生から訝しまれてしまったのだと気付く。

「エ、エヘヘ・・・」

 そんな武流を横目に、楽太はもうばれてしまったのでなんだか肩の荷が下りた気分になって笑った。

「いや、笑い事じゃないだろう。お前、やれば出来るのにどうして・・・」

「だって、勉強嫌いだもん。数T頑張ったのは、センセイが先生だったからだよ。今 思うと口実って感じだったのかなー」

 楽太は明るく言った。その様子に武流は深い溜め息が出るのを抑えられない。

「お前、期末ではせめて平均四十は取れよ。数T抜かして」

「ええっ、無理だって!」

 かなり低い目標に、しかし楽太はできないとハッキリ言い切り武流はますます頭が痛くなる。

「出来ないじゃなくて、やるんだ」

「・・・う」

 武流の目線に逆らいがたいものを感じて、楽太はしぶしぶわかりましたと答える。

「でもさ、数Tはいいんだし担任でもないんだから、オレが他の教科悪くてもいんじゃない?」

 しかし往生際が悪い楽太は最後の抵抗とばかりにそう言った。そんな楽太の頭を武流は軽くこぶしで叩く。

「放っておけるわけないだろう。教師として」

 まだ不服そうな楽太に、武流は今度はその頭を撫でながら続けた。

「それから、恋人として、な」

 その言葉に楽太はピクッと反応して、そして満面に笑みを浮かべる。

「え、えへ、うん、オレ、頑張るよ」

 途端に楽太はみるみる張り切りだした。そして数A教えてよと武流を逆に急かすように言う。

 その様子に武流は、楽太に「飴と鞭」の意味を聞いたらきっととんでもなく面白い答えが返ってくるのだろうな、と想像して密かに笑った――。





END


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楽太、武流にメロメロってかんじですね。

二人の力関係はこんなかんじです。

楽太は決してセンセイには敵いません。

とろこで先生って生徒の成績表を自由に見れたりするのかな?