#Vice 





「ねぇ、にいちゃん、一緒に寝てもいい?」

 楽太が甘えたように言うと、武流は無言で布団を上げその為の空間を空けてやる。そこに潜りこむと楽太は仰向けになっている武流に抱き付くようにくっついてその胸に顔を埋めた。

「えへへ、おやすみっ」

 そう言うとそれっきり楽太は黙り込んだ。武流はもう寝てしまったのだと思って、それでも一応おやすみと返してしばらくは本を読んでいたが、やがて枕元の電気を消してしばらくすると寝息を立て始める。

 すると、それまで大人しくしていた楽太がもぞもぞと身動ぎした。実は楽太は寝ていたのではなく、ずっと狸寝入りしていたのだ。

 楽太は顔を上げて、寝ている武流の顔を見つめた。そしてしばらくするとまた胸元に顔を戻して、今度はもう少し強く抱き付く。

「・・・にいちゃん」

 小さく呟くように言って、楽太は目を閉じた。

 楽太は、年も体つきも自分より一回りほど大きくしかも実の兄でもある武流に、いつからかずっと恋愛感情を抱いているのだ。

 小さい頃から、十も年が離れているからか楽太は武流によく懐いていた。誰かにお兄ちゃんっ子だとかブラコンだとか揶揄われても、その通りだとなんの抵抗もなく答えられるほど、楽太は武流が好きだった。両親に対してすらほとんど無表情な武流が、自分には笑い掛けてくれることがとても嬉しかった。

 その兄として慕っていた純粋と言えるかもしれない気持ちが、いつ形を変えてしまったのかはっきりとは楽太にはわからない。ただ、四年前、楽太が小学六年のときに両親が事故で亡くなった頃がきっと契機だったろうとは思う。それ以来、二人は頼る親戚もいなかったしちょうど武流が教員採用試験に合格したばかりだったこともあって、文字通り二人っきりで生活してきたのだ。

 そんな中できっと、楽太は自分には武流しかいない武流さえいればいいと思うようになって、そして武流もそうだったらいいと思うようになったのだろう。

 そんなふうに、外見も内面も全く似たところはないがしかし確かに血の繋がった兄を恋愛感情で好きになってしまったことは、しかし楽太には拒否感や戸惑いなどなくむしろ自然なことにすら思えた。

 そして、成長するに従ってその想いに肉欲が伴うようになっていた頃には、楽太は考えるようになっていた。どうしたら、武流が自分のものになるだろう、自分だけのものになるだろう、と。





「あー、やりたい」

 楽太は机に肘をついてぼやいた。

「やりたいやりたいやりたいー」

「おまえ、オレたち以外に人がいないとはいえ、学校でそういうこと言うなよ」

 ヤケのように連呼する楽太を良太が周囲を確認しながらとめようとする。

「目的語がないから、聞かれても大丈夫じゃない?」

「でも、別になんのことかバレても平気じゃない? 本人に以外は」

 慌てた良太と違って、ケロッと言ったのは瑛一郎とシャルロットだ。

「・・・・・・」

 そして、憲一は何か言いたげに、しかしいつものように何も言わなかった。

 この五人は、高校に入ってから知り合って、なんとなく気が合うのでつるむようになっていたのだ。

 楽太はこの気の置けない友人たちに、兄に片想いしていることを打ち明けていた。どんな流れでそれを話したのかはもう覚えていないが、彼らの前では隠さず思いを語れるので楽太はとてもありがたかった。

「なんかもう、一緒に寝るのも嬉しさ半分つらさ半分ってかんじになってきたしさー」

「じゃ、一緒に寝なきゃいいだろ」

「お前、知らないからそんなこと言えるんだよ。ぎゅーっと抱き付いてるときの、今はオレだけのものなんだーって幸福感っ。それに、寝てる隙に、こっそりキスとか出来るし」

「・・・・・・」

 知るかよそんなこと、といったかんじで良太が呆れたように目線を向けたが、しかし楽太はそんなの気にしない。

「そろそろさ、想像しながら一人でするだけじゃ、足らなくなってきてさ」

「・・・・・・欲求不満?」

「そう、そんなかんじっ」

 ポツっと言った憲一の言葉に、楽太はまさしくそれだとばかりに何度も頷く。

「あんまり我慢しすぎると、体に悪いんじゃない?」

「そうそう。適当にさ、発散してくれば? なんなら、ぼくが相手しようか?」

「えっ、駄目だよシャルロット、そんなこと」

 心配するように言った瑛一郎に続いてシャルロットが提案すると、瑛一郎はビックリして慌ててとめようとした。

「こういう経験もしておくといいかもしれないし」

「そんな経験、いらないと思うよっ」

 別に付き合っているわけではないがしかし何もないわけではないらしい瑛一郎とシャルロットは何やら言い合いを始める。その原因を作った楽太は、しかしそれをとめようと思ったわけではなく口を開く。

「でもさ、そう言ってくれるのはありがたいんだけど、オレ、にいちゃん以外の人に勃つ自信ないんだよね」

「そっか、ちょっと残念」

「もう、他の人にそんなこと軽々しく言っちゃ駄目だよ」

「だって、そんなこと言ってたらいつまで経っても経験積めないじゃない」

「だから、そんな経験いらないってば」

 堂々と言い放った楽太は何やらホヤンと自分の考えに入り、瑛一郎とシャルロットはまたいつものように言い合いだす。憲一はそんな様子を、何かを思っているのだろうが口にはせずに黙って見ていた。ちなみに、いつもは楽太のつっこみ役の良太は、こういうシモな話が苦手なのでこんな話題になったときはいつも逃げるようにうしろを向いて会話に参加しないのだ。

 傍から見ているととてもまとまりにかけるおかしい五人だが、しかし本人たちは自分たちのことをとてもいい関係だと思っていた。





 それからしばらくして、他に話題が移ろうとした頃、パッと楽太が教室のうしろのドアに顔を向けた。

「あっ、にいちゃんっ。もう帰れるのっ?」

 姿を見せた武流に素早く反応した楽太は、跳ぶようにそこまで駆けていく。武流は楽太が通う高校で教師をしているのだ。

「いや、今日会議があるから、先に帰ってろ」

「えぇ〜、待ってていい? ねっねっ」

 ねだるように武流を見上げる楽太は、それまでとテンションも見せる笑顔も全く違う。いつも武流の前では無邪気な可愛さを見せる楽太だが、しかしそれは別にわざとそう演じているわけではない。そんな楽太も、それから友達といるときの少々すれた楽太も、どちらともが地なのである。

 武流といるとどうしても甘えてしまう。だから、仕草や態度が子供っぽくなるのだ。武流といるとどうしても嬉しくなる。だから、声も表情も明るくなるのだ。

 しかし、楽太は段々と武流といるときも、もちろん表では明るく楽しく振舞ってそれは見せ掛けなんかではないのだが、しかし心の中は少し違う動きを見せるようになっていった。

 もう、足りないのだ。弟として好意を向けられるだけでは。ただ側にいて、ただ見ているだけでは。

「ね、にいちゃん、おかわりー」

 二人が暮らすマンションでの二人っきりでの夕食。楽太が笑顔で空になった茶碗を差し出すと、武流は受け取ったそれに御飯をついでから返した。楽太はまた勢いよく食べながら、ニコニコする。

「やっぱり、にいちゃんが作る御飯、おいしーねっ」

 笑顔で、もちろん本心から出た言葉である。しかし同時に心の中では、にいちゃんのほうがおいしそう、なんて思ったりもしているのだ。

 次々と御飯を飲み込んでいく武流の口、その唇の感触は知っている。寝ている隙にこっそり口付けたことがあるのだ。でも、唇に触れるだけじゃなくて、口内や舌の感触とかぬくもりも知りたい。口だけじゃなくて、体だって触りたい嗅ぎたい舐めたい。それだけじゃなくて・・・。

 段々と夕食時の考えじゃなくなっていって、楽太は慌てて思考を中断した。武流は、しかしその目線はテレビに向けられていて楽太の様子には気付いていない。

「に、にいちゃん、あのさ」

 それがなんだか悔しくて、楽太は咄嗟に声を掛けた。すると武流はすぐに楽太のほうに向き直る。

「あ、あの、・・・話あるんだけど、あとで聞いてくれる?」

 話を振った手前何か言わないといけないと思って、楽太はしかし思い付きではなく最近ずっと考えていたセリフを言った。

「いいよ」

 もちろん、といったかんじで頷く武流に、楽太はそれでもまだ引き返せるのだと逃げたくなる。

 だが、もうきっと限界なのだ。楽太の、心も、体も。もう、隠しておくなんてことは出来ない。それと同時に、やっぱり武流を失うなんてこともあってはいけない。

 だから楽太は、仕掛けようと思ったのだ。気持ちを伝えて、それでも武流の側にいられるように。

 勝算は、ある。





 楽太がリビングのソファーで待っていると、入れ違いで風呂に入っていた武流が戻ってきた。

「にいちゃん、ここ」

 楽太は自分の隣を叩いて、座るように促す。武流がそこに腰を下ろすと、ふわりとシャンプーの香りがした。自分も同じのを使っているのだから同じ匂いがするはずなのに、それでも楽太はドキッとする。

「に、にいちゃん、あの・・・ね」

「ん?」

 優しく頭を撫でられて楽太が顔を上げると、武流の顔には同じように優しい笑顔が浮かんでいる。きっとどこか様子のおかしい楽太を落ち着かせ安心させる為なのだろう。昔は向けられるとただ嬉しかった笑顔も、今はもうそんな感情を覚えるだけじゃないのだ。

「にいちゃん、オレっ」

 楽太は衝動的に武流に抱き付いて、その胸に頬をなすり付けた。もしかしたらきっと赤くなっているだろう顔を隠す為だったのかもしれない。

 体が密着して、今度はボディーソープとそれに混じる武流の匂いが鼻を掠め、楽太は息苦しくさえなった。

「オレ、にいちゃんのこと、好き」

 変わらず楽太の頭に置かれていた武流の手が、一瞬ピクッと動く。その反応にどうしてもまだ兄弟としてだと誤魔化せると逃げたくなるが、しかしその心を抑えて楽太は続けた。

「好き、なんだ。・・・キス、とかいろんなこと、したいって思う、好き、なんだ」

 やっぱり声は震えてしまったが、しかし言ってしまうと楽太はずいぶんと心が軽くなった。

「・・・ホントだよ。オレにとってにいちゃんは・・・、お兄さんとしても好きだけど、お兄さんとしてなんかじゃなくも好きなんだ」

 告げてしまって、だがまだ終わりではない。

 楽太はそこでやっと顔を上げた。武流の表情には単純な驚きしか見えなくて、楽太はホッとする。

 受け入れてもらおうなんて思っていない。ただ今は、拒絶されなければそれでいい。そして楽太は、武流がきっとそう出来ないと、知っている。

「にいちゃん、こんなこと言うオレのこと、気持ち悪いと思う? ・・・嫌いに、なる?」

 真っ直ぐ見つめる楽太を、武流はしばらく惑うように見返していたが、やがてその手がいつものようにゆっくりと優しく動いた。

「・・・嫌いになんて、ならないよ」

 戸惑いは消えないがしかしそれだけは確かだと、武流の声色が告げている。

 武流は、楽太のことが大事なのだ。誰よりも、かわいいのだ。楽太はそのことを知っている。そして、それが弟へのものでしかないとわかっていても、今はそこに縋るしかないのだ。

 武流は、どんなことがあっても楽太を見捨てられない。突き放すことなんて出来ない。楽太はそこに、付け入るのだ。

「よかった・・・」

 楽太はこうなることが予想出来ていたのにそれでも消えなかった怖れがやっとなくなるのを感じた。同時に目頭が熱くなるのも感じて、慌ててそこを拭う。

「・・・でも、にいちゃん、好きでいていい?」

 楽太は頭を武流の肩に預けた。それに対する拒否反応は、少しもない。

「オレが勝手に、想ってるだけだから。だから、好きでいて、いい?」

 自然と涙声になって、少し卑怯かもしれないと思ったがそれでも楽太はなんでも利用してやると思った。武流が自分の側から離れてしまわないように。そして、武流がいつか自分を受け入れてくれるように。

「駄目だったら、そう言って。オレのこと、突き放して」

 武流には、そんなこと出来ない。出来ないように楽太は言葉を選んだのだ。武流は、受け入れられなくても、決して拒絶は出来ないのだから。

 楽太はそっと武流の体に腕をまわした。その腕は、振り解かれない。

 武流は結局、いいと言わなかったが、駄目だとも言わなかった。





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「Vice」は「堕落行為、邪悪、性的不道徳行為、欠陥、弱点」など。

目指したのはそんなかんじの話。なのに部分的に妙に明るくなったし・・・

もっとこう、どろっとしたかんじに、したいなあ・・・