ベッドに腰掛けていた雲雀は、気配を感じて振り返った。
いつのまにか、シャワーからあがってきたディーノが、ドアのところに立っている。何故か部屋に入ろうとせず、そこに突っ立って、雲雀のほうを見ている。
頭に無造作にタオルを乗せ、しかし髪は拭かずに、ポタポタと滴を垂れさせながら。じっと、雲雀を見つめてきた。
「・・・・・・どうしたの?」
「・・・・・・・・・」
ディーノは答えずに、ベッドに近付いてくる。そして、雲雀と反対側に腰を下ろした。
「・・・・・・なぁ、恭弥」
囁くような小さな声で、ディーノが呼んでくる。雲雀は首を回してディーノのほうを見たが、完全に背を向けているディーノの顔は、雲雀からは全く見えなかった。
「・・・もう、こういうの、やめねえ?」
「・・・・・・・・・」
こういうの、とは、こんなふうに会ったり、そして肌を重ねたり、することだろうか。
雲雀は、ディーノの発言は、ただの冗談なのだと思った。時計はとうに0時を回り、今日は4月1日、エイプリルフール。きっと、タチの悪い冗談なのだろうと。
「あなたらしいね。そんな、子供じみた冗談」
「・・・・・・冗談で、こんなこと、言わねーよ」
バレたか、なんて言って笑って振り返ってくれるかと思えば。返ってきたのは、ディーノらしくない、淡々とした口調。
「・・・・・・・・・」
冗談でないのなら、なんなのか。雲雀の頭がすぐに理解するのを拒む間に、ディーノはさらにポソポソと続ける。
「だってさ、やっぱ・・・どうかしてんだろ」
「・・・・・・・・・」
雲雀と、関係を持つことが、だろうか。
そうだとしたら、雲雀には否定は出来なかった。こんな自分とこうしているなんて、ディーノはどうかしている。雲雀自身、ずっとそう思っていた。
やっとそのことに、気付いてしまったのだろうか。雲雀はそう思ったが、しかしディーノの口は違う言葉を吐いた。
「恭弥はさ、オレなんかよりも・・・もっと、普通の、女の子とか・・・」
それは、雲雀を思いやるようなセリフ。果たしてそれが本心なのか、雲雀にはわからなかった。
ディーノはわかり易い。だがそれは、ディーノが隠そうとしていないからだと、雲雀は知っていた。ディーノはきっと、自分よりもずっと、嘘をつくのが上手い。
「・・・ただ、僕のせいにしたいだけじゃないの?」
ディーノの背中に向かって、雲雀は多少の苛立ちを隠さず言った。
「はっきり言ったらいいじゃない。あなたが、嫌になっただけ、だって」
「そんなこと・・・!」
弾かれたように、ディーノが振り返る。違う、と強く否定するようなディーノの瞳を、雲雀も真っ直ぐ見返した。
「僕が年下だから? 男だから? こんな性格だから?」
どの一つを取っても、ディーノが嫌になる理由としては充分に思える。
理由を一つ一つ挙げながら、なんだか一つ一つを否定して欲しいみたいだと、雲雀は思った。
「・・・嫌だなんて、オレは思うわけねーだろう」
そしてディーノは、変わらず、雲雀に非はないと言う。雲雀を見つめて、ハッキリと。その瞳に、嘘は見えなかった。
本当はどんな理由であったとしても、関係をやめようとしているのなら、そういうことにしておく手もあるのに。
嘘をつくのが上手いディーノは、それでも雲雀に嘘をつかない。つきたく、ないのだろう。
「だって、そんなの、今さらだ。最初からわかってたことだ」
雲雀が年下で男で、こんな性格で。わかってて、だからこそそんな雲雀を好きになったのだと、ディーノは伝えてくる。
それがディーノの偽らざる本心。それならば、雲雀にもう怖いものはなかった。
あとは、どうしてディーノがそんな馬鹿なことを言い出したのか、それが知りたい。ディーノを不安にさせるようなことを、自分が何かしていたのかもしれない、だったらそれを解消してやらなければならない。
もう二度と、ディーノの口からあんな言葉、聞きたくなかった。
「・・・その言葉、そっくり返すよ」
雲雀は立ち上がると、ベッドをぐるりと回って歩み寄り、ディーノの前に立つ。見上げてくるディーノからは、相変わらずポタリポタリと滴がその髪から頬を伝い落ちていて。どこか頼りなさそうな表情のせいもあって、まるで、泣いているようにも見えた。
「あなたが男だとか、年上だとか、マフィアのボスだとか・・・そんなこと、気にしてるの?」
ディーノがこの関係をやめたいと思う理由なんて、雲雀のほうにないのだとしたら、そんなことくらいしか思い浮かばない。
目を伏せたディーノが、言葉で肯定はしなくても、その通りだと教えた。
そんなこと、どうして気にするの。そう言って嗤うことは、雲雀には出来なかった。雲雀だって同じように、ディーノが自分から離れる理由を数えることがある。
だが、その不安を、側にいていつもなかったことにしてくれるのは、ディーノなのだ。
雲雀に、そんなところも好きだと、そう言うのなら。だったらディーノだって、雲雀もだからこそディーノを選んだのだと、自信を持てばいいのだ。
それとも、雲雀はディーノがしてくれるようには、不安をなかったことにしてやれていないのだろうか。そうだというのなら、今この場でその努力を、怠る理由はない。
「そんなの、今さら、でしょ?」
「・・・・・・でも」
俯いたままのディーノに、雲雀は手を伸ばした。両の手の平で、出来るだけ優しく頬を包み、その顔を覗き込む。
「見くびらないでよね。全部、知ってるよ。あなたの、いいところも、悪いところも」
「・・・・・・」
気に入らないところだってお互いにあるだろうし、だから喧嘩だってする。
それでも、側にいてこうして、頬を撫でまだ濡れている髪を撫で。そうしていると湧き上がってくるこの感情が、全てではないだろうか。
「それで、こうしていることのどこが、どうかしてるの?」
言い切って、雲雀がゆっくり口付けると、ディーノは拒む様子もなく受け入れた。
そんなんで、よく終わりにしようだなんて、切り出してきたものだ。雲雀は半ば呆れ、そして安堵する。
「・・・恭弥」
ディーノは雲雀の腰に腕を回して、ぎゅっと抱きしめてきた。いつもなら、痛いよ、なんて一言を言わずにはいられないけれど。
雲雀は、黙ってディーノを抱き返した。
勝手に不安になって突然馬鹿なことを言い出して、困った人だと思う。だがそれも、ディーノが雲雀とのことを、真剣に考えているからだろう。
ディーノには自分よりも、そう思っても決して口になんてしない雲雀よりもずっと、誠実かもしれない。
でも、ディーノのそんなところは、やはり気に入らなかった。雲雀の為にならないかもしれないと、そうわかっていても、それでも離れる気はないと、傲慢にもそう思えばいいのだ。
雲雀が一旦ディーノの腕を引き離すと、ディーノが離れたくなさそうに雲雀の袖を引いてくる。その仕草に雲雀は、自分でも呆れるくらいの、ディーノへの執着を改めて自覚した。
ディーノが離れたかろうが離れたくなかろうが、雲雀には離す気になんてなれないのだから。
雲雀はディーノの体をうしろへと押し倒し、真上から覗き込んで問い掛けた。
「・・・それで、どうして突然、あんなこと言い出したの?」
「・・・・・・それは」
ディーノは雲雀を見上げ、それから視線を逸らして、ボソボソと呟く。
「・・・ずっと、考えてたことではある。おまえと、こうなってから。オレ、おまえの重しになってねーかな、とか・・・」
「・・・・・・」
重しに、なんて、ディーノだったらなってくれていいのに。雲雀はそう思う。
束縛を嫌う雲雀が、ずっとディーノを側に置いているのは、心地いいからだ。ディーノの、愛情の重みが。
雲雀とディーノの、価値観の違いなのだろう。雲雀は、自分がディーノの重しになれるのなら、そんなに嬉しいことはなかった。自分がディーノにとって、なんの重しにもなれない軽い存在だなんて、そんなの御免だった。
「それで、どうして今日、なの?」
「それは・・・・・・」
ディーノは依然雲雀から視線を逸らしたまま、気まずそうに今となっては少し恥ずかしそうに、理由を教える。
「・・・だって、今日はエイプリルフールだろ? もし、言って耐えられなくなったら・・・やっぱ、冗談、ってことに出来るだろ?」
「・・・・・・」
だったら、そもそも言わなければよかったのに。だったら、冗談だと言えばよかったのに。そうしなかったディーノの決意は、意外と固かったのだろうか。そう思うと、雲雀の胸は再びざわめいた。
そういえばまだ、ディーノはあの発言を撤回はしていないのだ。
「・・・だったら、言えばいいじゃない」
それは許可のようで、その実、懇願に他ならない。
「冗談だ、って」
「・・・・・・・・・」
ディーノは雲雀に視線を合わせ、それからようやく、雲雀が待ち望んでいた言葉を口にした。
「・・・冗談だ。こういうのやめる、なんて、冗談だ」
「・・・・・・・・・・」
雲雀は、思わずディーノの肩口に顔を落とす。
ディーノの否定の一言を、自分がこんなにも聞きたかったのかと、息が詰まりそうなほどに雲雀は思い知った。
「・・・つまらないよ、その冗談」
そのまま雲雀がディーノの体に腕を回せば、ディーノの腕が雲雀の背を抱いてくる。
「・・・悪ぃ・・・もう、言わない」
続けて、ディーノの手が雲雀の頭を撫でてくる。そのいつもと同じ優しい手つき、失うなんて絶対に嫌だった。
「・・・でも・・・ねえ、もし、本当にあなたが嫌になったのなら」
雲雀はディーノの上で、その体に手に身を任せながら呟く。
「そのときは・・・ちゃんと言ってね」
「・・・どうするんだ?」
問い返してくるディーノの声色が、やっと少し笑っていた。雲雀が、仕返しに、つまらない冗談を言うと思ったのだろう。
その通り、雲雀は思ってもいないことを口にした。
「嫌々、なんて趣味じゃないからね。そのときは、好きにしなよ、って言ってあげる」
雲雀は、言葉とは対照的に、ディーノを益々強く抱きしめた。
エイプリルフールの日に、嘘つきが一人。
本当は、離してやるつもりなんて、少しもない。
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