本日も、つつがなく。



 歩いてくる足音が、途中でこけた。
 それだけで雲雀は、訪問者が誰かわかってしまう。
 その訪問者は、立ち上がって気を取り直してドアの前までやってくると、めずらしく礼儀正しくノックをした。だが結局、返事がある前にドアを開けてしまう辺り、意味がない。
 そしてそーっと開いたドアから覗いた顔は、いつもの能天気そうなものではなく。しかしその瞳が、雲雀を認めた途端に、パッと明るく輝いた。
「恭弥っ!!」
 まるで犬のように駆け寄ってくる男、ディーノを雲雀は溜め息つきながら見上げる。
「ここは病院だよ、静かにしたらどうなの」
「あっ、悪ぃ・・・でもさ」
 ディーノはあまり悪びれた様子なく、嬉しそうに言った。
「風邪で入院したって聞いたから、心配してたけど、元気そうでよかった」
「・・・わざわざ、来たの?」
 一体誰から聞いたのか知らないが、イタリアから遥々やって来たのだろうか。ディーノならやりそうだが。
 そしてディーノはやはり、ケロリと答える。
「当たり前だろ? だって、おまえが入院なんて、よっぽどのことだと思ったし」
 それから、雲雀を覗き込んで、心配そうに眉を寄せた。
「で、ほんとに大丈夫なのか? 熱あんのか? つらいのか?」
「・・・・・・ちょっと、風邪をこじらせただけだよ」
 遠慮なく額をくっつけてくるディーノにそう言えば、目の前の顔はすぐ笑顔になる。
「そっか、ならよかった!」
 そう言ったディーノは、しかしそのまま雲雀の顔を、両手で左右から包んできた。そして、チュッと唇にキスしてくる。
「おかげで日本に来れたし・・・会えて嬉しいぜ、恭弥」
「・・・・・・風邪、うつるよ」
 一応注意してみても、ディーノは気にした様子なく、何度も口付けてきた。仕方ないから好きにさせると、しばらくしてようやく離れてくれる。そして、椅子に腰を落ち着けたのも、一瞬。
「いや、でも、おまえでも風邪引くことあるんだなー。そうそう、ちゃんとお見舞いも持ってきたんだぜ・・・・・・あれ!?」
 ハッとしたように立ち上がったディーノは、慌てて自分の両手を見ているが、明らかにそこには何もない。
「・・・・・・ちょ、ちょっと待ってろ・・・!」
 驚き呆然とし考えたのち、ディーノはそう言って病室を駆け出していった。
 少しして、またこける音。
「・・・・・・相変わらずだね」
 そんなディーノに、溜め息をもらした雲雀は、しかし小さく笑っていた。


 しばらくして、息を乱しながら戻ってきたディーノは、今度はちゃんと果物籠を抱えていた。
「ほら、これ、お見舞いな!!」
 やたらでかくて豪華なその果物籠を押し付けてくるディーノから、仕方なく受け取りながら雲雀は尋ねる。
「・・・どこにあったの?」
「あ、うん・・・受付のとこに忘れてた・・・」
 ディーノはさすがに恥ずかしそうに、気まずそうに頭を掻いた。
 受付に取りにいっていたにしては、時間が掛かっているが。おそらく、道中いろいろあったのだろう。こけたり、落ちたり、迷ったり。
 それがわかりきっていて、ディーノを一人にするような部下たちではなかったはずだが。
「・・・今日は、部下は連れてこなかったの?」
「あー、前にツナの見舞いのときに連れてって、迷惑掛けたからな」
 めずらしく気を利かせたらしい。いやおそらく、部下たちの考えなのだろうが。
 それよりも雲雀としては、当然ツナの見舞いという部分に引っ掛かった。せっかく見舞いに来てくれたって、沢田綱吉と同じ扱いでは有難味もない。
「ふぅん・・・そのときも、イタリアから?」
「いや、そのときは、そもそもオレが怪我させたっていうか・・・エンツィオが暴れて、ちょっとな」
「・・・草食動物らしいね」
 どうやら、わざわざイタリアから駆け付けた、のとは訳が違うらしい。それなら雲雀は、もうツナの話題に興味はない。
 取り敢えずこの重い果物籠を棚に置こうとすれば、ディーノが笑顔で手を差し伸べてきた。
「せっかくだから、なんか、剥こうか?」
「・・・・・・・・・」
「リンゴとか、メロンとか、オレンジとか」
「・・・・・・じゃ、これ」
 早く出せよ、と言いたげなディーノに、雲雀はバナナを差し出した。
「・・・それ、自分で剥けるだろ」
 不満そうに、ディーノは受け取る様子を見せない。
 だが、ディーノがバナナ以外をまともに剥けないだろうことは明らかだ。とんでもない惨状になるだろうことは予想が付いて、別にそれ自体はよくあることだが。風邪を引いている今、やはり多少面倒くさい。
「それが今食べたいんだけど。剥いてくれないの?」
「・・・・・・し、仕方ねーな」
 そう言われれば、雲雀の意見を跳ね付けて自分を押し通せるディーノではなく。おとなしく受け取ったバナナを、剥き始めた。
 さすがにバナナなら、普通に剥けるだろう、と思ったのだが。
「・・・・・・これ、剥きにきーな・・・」
「・・・・・・・・・」
 何故かバナナ相手に格闘しているディーノを、雲雀は呆れて眺めた。
 まずヘタの部分を折って剥いていこうとしているようなのだが、その段階でつまずいている。次に、普通はすっと剥けていくはずの皮の部分が、どんどんボロボロになっていっている。
 そして、とどめに。肝心の中身が、てっぺんを剥くときに力をかけたせいか、真ん中辺りでポキリと折れて落ちてしまった。
「・・・バナナもまともに剥けないの」
「・・・いや、そんなはずないはずなんだけど・・・・・・悪ぃ」
 ディーノは申し訳なさそうに言って、布団に落ちたバナナを拾おうとするから、雲雀は先に手を伸ばす。
「別に、いいよ」
 そして、拾ったバナナを咥えた。
 するとディーノは、そんな雲雀をじっと見つめてきたかと思うと、呟く。
「・・・なんか、エロいな」
「・・・・・・・・・」
 相変わらず、下らないことを考えて、しかも臆面もなく言う男だ。
 雲雀は食べかけのバナナを、ディーノの口元につきつける。そして、条件反射のように素直に咥えたディーノに、笑い掛けた。確かに、わからないでもない、気もする。
「同じ言葉、返すよ」
「・・・・・・」
 何か言いたいのか、邪魔になるバナナを掴もうとするディーノの手を、雲雀は押さえて。
「早く、食べなよ」
 微笑みながら、バナナの先っぽを指でつついた。
「そしたら、キスしてあげる」


 ここが病院だとわかっていても、久しぶりに会ってキスだけで終われるはずもなく。
 雲雀としては、この病院は自分の支配下にあるから、自宅と気分はそう変わらない。それでも、さっきは風邪を引いているから面倒くさいなどと思っていたはずなのに、と自分に呆れる。
「・・・・・・なあ、恭弥。今さらだけど・・・風邪は、平気なのか?」
「・・・みたいだよ」
 少なくとも、ディーノが訪ねてくる前よりは、今のほうが体の調子はいいようだった。別にもう、いつ退院してもいいだろう。
「本当か? 熱とかないか?」
 ディーノが体を起こして、額に手を当ててくる。雲雀も、まだ熱の名残を残したディーノの頬に触れた。
「あなたのほうが、熱いんじゃない?」
「そうか?」
 首を傾げたディーノは、雲雀に顔を寄せ、頬をすり合わせてきて笑う。
「そうかもな」
「・・・・・・・・・」
 温度があまり変わらないからだろうか、心地よい。
 だが、普段なら雲雀から振り解かなければ離れていかないディーノが、不意に距離をとった。その視線を追えば、間の抜けた外見の黄色い鳥が窓から入ってくるのが見える。
 飼い主とすっかり顔見知りになった外人の間を、迷うようにしばらく飛んだヒバードは、結局黒髪の上にちょこんと乗った。
「・・・どこ行ってたの」
 問い掛ける雲雀に、鳴くヒバード。
「そう、散歩」
 何故か成立している会話を、ディーノは首を傾げながら聞いていた。とはいえ、それはいつものことだがから、今さら疑問に思ったわけではないらしく。
「オレ、動物持ち込むなって、受付で言われたぞ?」
 おそらく、いつものように肩にエンツィオを乗せていて言われたのだろう。どうしてヒバードはいいんだ、と呟く顔は不満そうだ。
 確かに、病院内に動物を連れ込んではいけない、というのは当然の決まりだろう。勿論、これも当然、雲雀は許されているが。
「それで、捨ててきたの?」
「なわけねーだろ! 預かってくれるって言うから、受付に置いてきたんだよ」
 亀がいなくてどことなく寂しいのか、ヒバードをつつきながらディーノは答える。そんなことをしていたから、果物籠を忘れてきたのだろう。
 それはともかく、しつこくつついてヒバードを頭から転げ落とさせた、ディーノの手を掴んで。
「言っておくから、今度からは連れてきなよ」
「うん・・・また入院するのか?」
 心配そうに眉を寄せるディーノに、雲雀は笑い掛けた。
「予定はないけど、可能性がないとは言えないからね。そうなったら・・・また、来てくれるんでしょ?」
「当然だろ」
 ディーノは微笑み返して即答し、どちらからともなく顔を近付け。ふわり、と雲雀の唇に触れたのは、ヒバード。
「・・・・・・何、咬み殺されたいの?」
 邪魔してきたヒバードを思わず鷲掴みにすると、その隙に、とディーノがキスしてきた。そうなれば、ヒバードを怒る気も失せるというもので、雲雀の手は再びディーノに伸びて。
 飽きず口付け合う二人の上を、解放されたヒバードがまた迷うように、パタパタ飛び回っていた。




 END
病院だろうがどこだろうが、何一つ構うことないヒバディノです…。


(08.05.30up)