梅雨の名に恥じず、今日は朝からしとしとと雨が降り続いていた。
だが晴れていようと雨が降っていようと、風紀を乱す輩は関係なくいるもので。彼らに制裁を加えてきた雲雀は、応接室に戻ってきた。
すると室内から、雲雀に向けられる声。
「恭弥、おかえり!」
笑顔で近寄ってきたディーノは、そのままの勢いで雲雀を抱きしめてきた。
「そんで、久しぶり! 会いたかったぜ、恭弥!!」
「・・・・・・確かに、久しぶりだね」
暇を見つけてはちょくちょく日本に来るディーノだが、忙しかったのか、一ヶ月ぶりくらいになる。くらい、なんて曖昧な言い方をしなくても、雲雀は何日ぶりなのかちゃんとわかっているが。
「だろ! ほんとはもっと早く来たかったんだけどさ・・・」
言い訳でも、並べるのかと思えば。ディーノはその手間や時間すら惜しいのか、雲雀にキスしてきた。チュッと軽くしてから、角度を変えて今度は深い口付けを。
いつも、キスも抱擁もしつこいくらいのディーノだ。しかも久しぶりだから、てっきり長々と続くのかと思えば。意外にもディーノは、程々のところで切り上げて、雲雀から離れていった。
少し不思議に思いながらも、雲雀はいつものようにソファに腰を落ち着ける。すると、いつも隣に座ってくるディーノは、何故かそうはせず向かいに腰を下ろした。おかげで雲雀の隣には、一人分の不自然なスペースが出来てしまう。
やはりディーノは、いつもと少し違う気がした。しかしそれを確かめたり理由を聞いたり、する雲雀ではない。
放っておいて資料を手に取ると、ディーノが何やらぼやき始めた。
「にしても、暑いよな・・・」
だるそうにしながら呟く。気が向いたら返事してくれればいい、という類のディーノの独り言だ。
「いや、暑いっていうか・・・なんか、ベタ付くっていうか・・・」
梅雨特有の蒸した空気を、ジメジメしている、と日本人なら言うのだろうが。イタリア人のディーノには思い付かない表現なのだろう。
「なんか、こう・・・不快だよなー」
「・・・文句ばかりだね」
「だってさー。おまえは慣れてんのかもしんねーけど・・・」
ディーノは参ったように言いながら、ソファにゴロリと仰向けになった。だらしないが、仕方のない面もあるだろうと雲雀は思う。
梅雨には梅雨の楽しみ方というものがあるが、ディーノにそんな日本人の情緒がわかるはずもないだろう。
それに、イタリアは確か、地中海性気候。この日本の梅雨とは正反対の、からりと乾いた気候だろう。それに慣れているディーノが、この湿度の高さを不快に思うのも当然だといえる。
「・・・・・・・・・」
そして雲雀は、ようやく気付いた。いつもを基準に考えれば素っ気ないくらいのディーノの態度が、つまり梅雨の蒸し暑さのせいだったのだと。スキンシップが好きでやたらとくっついてきたがるディーノも、暑いとさすがに控えるらしい。
ということは、梅雨を過ぎて夏が終わるまで、ディーノはベタベタしてこないのだろうか。そう思うと、清々するような、何か物足りない気がするような。
いや別に物足りなくはないだろう、と思い直しながら雲雀は改めて資料に目を通そうとした。しかしディーノは、暑さから気を逸らす為か、今度は雲雀に問い掛けてくる。
「そうだ、恭弥、イタリア来ねーか? あっちは今、すげーいい季節だぞ!」
「・・・・・・・・・」
いい考えだ、と言いたげにディーノが提案してくるから、雲雀は溜め息をついた。
「あなた、僕が学生だって、忘れたの?」
学業を放り出せと唆してくるなんて、どうしようもない大人だ。どうせディーノは、その辺のことなんて何も考えずに誘ってきたのだろうが。
それにどちらにしても、雲雀に学校を休むつもりなんて、あるはずもなかった。
「行くわけないでしょ」
「・・・・・・それも、そうだな・・・」
ディーノは納得したように、それでも残念そうにハァと息を吐く。背中が蒸してきたのか体を起こしながら、ディーノは引き続き気を紛らわせようと、ぼやきながら雲雀に話し掛けてきた。
「まだすげー降ってんな。梅雨、って言うんだよな。確か、梅の雨って書くんだっけ・・・なんで梅なんだ?」
「・・・・・・」
相手をするのが少し面倒ではあるが、しかし放っておいても面倒そうなので口を開く。
「説明したところで、あなたがわかるとは思えないんだけど」
「なんでだよ、聞いてみないとわかんねーじゃん」
ディーノがムッとしたように口を尖らせてくるから、雲雀は仕方なく説明してあげることにした。
「一説によると、だけど。梅雨は「ばいう」とも読んで、元々は黴雨と書いていたらしいけど。黴の雨、で黴雨。この季節はカビが生えやすいからね。そのカビの黴が、同じ音の梅に変わった、というわけ」
「・・・・・・つゆがばいうで・・・ばいがかびで・・・同じ音だからばいがばい・・・?」
紙に書いて教えれば、ディーノでも理解出来ただろうが。雲雀はそこまでするのは面倒だし、黴という字を書ける気もしない。
「ほら、わからないでしょ」
「・・・日本語って、難しいな」
ディーノは諦めたように溜め息をついて、再びソファに横になった。
「・・・にしてもさ、おまえさ、暑くねーの?」
信じられない、と言いたげな視線を、ディーノは雲雀に向けてくる。雲雀がカッターシャツの襟を詰め、ネクタイまできちんと締めているからだろう。
雲雀とて、暑くないわけではないが。風紀委員たるものが、制服を崩して着ることは出来ない。服装の乱れはすなわち、風紀の乱れに繋がるのだから。
「・・・あなたの部下も、同じじゃないの?」
黒スーツに黒ネクタイ、という姿でいつも群れているディーノの部下を雲雀はつい思い出した。群れているのは措いておくにしても、あの格好こそ暑苦しい。
「あー、多分今頃は、好きな格好してんじゃねーのかな」
「・・・・・・」
暑いからといって格好を崩すとは、意外とマフィアというのもいい加減らしい。だが、トップがこれなのだから、仕方ないとも雲雀は思った。ディーノのスーツ姿なんて、雲雀はほとんど見た記憶がない。
「だって、暑ぃーんだから、仕方ないだろ」
呆れた視線を向ける雲雀に、言い返してからディーノはまた体を起こす。
「にしても、あー・・・やってらんねーな・・・」
そして、疲れたように言ったディーノは、ゆっくりと立ち上がった。
今日の様子では、もしかして嫌気が差してイタリアに帰ってしまうのだろうか。そう思った雲雀は、つい口を開こうとした。
しかしそれより早く、ディーノが行動を終える。雲雀の隣に、座ってきたのだ。
「・・・・・・・・・」
一体どういうことかと視線を向ける雲雀に、ディーノはさらに凭れ掛かってくる。ピッタリと体をくっつけられ、それはいつものことではあるが、しかし今日のディーノは暑いと散々ぼやいていたはずだ。
「・・・暑いんじゃないの?」
「そうなんだよ、暑いんだよ」
そう言いながらもディーノは、さらに肩に腕を回してきたり頬を寄せてきたりする。
「けどさ、どうせ暑いのは変わんねーし・・・だったら、くっついてるほうが得じゃねーか」
「・・・・・・」
わかるような、わからないような理屈だ。雲雀が納得していないと気付いたのか、ディーノは続ける。
「だから、こうやってくっついたら、余計に暑いだろう? でも、こうやっておまえにくっついてると、幸せだし。それで普通にしてるのと、差し引きゼロで変わらないならさ、オレは恭弥にくっついてたい」
「・・・・・・・・・」
やっぱり、わかるような、わからないような。
ただ、結局ディーノが自分にくっついていたいのだということは、雲雀もよくわかった。
暑いときはベタベタしてこないのだろう、という雲雀の予測は外れてしまったことになる。夏になってもっと暑くなっても、ディーノはきっと、こうやってくっついてくるのだろう。
「・・・・・・好きにしたら」
雲雀はつい、そう答えていた。どうせ、駄目だと言ってもディーノは勝手に纏わりついてくるのだ。拒否するだけ無駄、というより雲雀にはそうする理由もない。
暑いといえば暑いし、鬱陶しいといえば確かにそうだし。だが、ソファの隣が空いているというのも、何か落ち着かないような違和感があったのだ。
要は、雲雀はすっかり慣れてしまったのだろう。しつこい鬱陶しいくらいの、ディーノの抱擁やキスやスキンシップに。それが少し控えめになると、なんだか足りなく思えるくらいに。
足りないといえば、今日はまだしつこいと思うほどキスをしていないと、雲雀は思い出した。
「・・・いっそ、もっと熱くなる?」
「暑く?」
どうせ暑いのなら、それもまた一興だろう。問い返してくるディーノに、雲雀は手を伸ばした。
「そう、熱く」
湿気のせいでいつもよりすこし元気のない髪に指を絡ませれば、すぐに察したディーノが嬉しそうに笑って、キスをしてくる。
きっともう、ディーノにとってはどうでもいいのだろうけれど。熱いと暑いの違いは、気が向いたらあとで紙に書いて教えてあげよう、雲雀はそう思った。
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