並盛中学校の屋上は、少し空気が冷たく、それでも日差しがあたたかくてちょうどいい気候だった。
「気持ちいいなぁ」
つい大きく伸びをするディーノに、呟くような雲雀の声が届く。
「そういえば、屋上は好きな場所だと、言ってたね」
「・・・・・・・・・」
ディーノはすぐに思い出せず、少し考えてから、ようやく思い至った。初めて雲雀に会った日、修行をしようと屋上に来たときに、確かそう口にした気がする。
たいした意味もなく、なんとなく言った言葉だった。
「よく覚えてんな」
「まぁね」
素っ気ない口調の雲雀は、しかし意外とディーノのことをよく見てくれている。そのことは、ディーノにくすぐったいような幸福感を与えてくれた。
ディーノはフェンスまで歩いていって、ゆっくりと背を凭れさせる。金網が、ギシリと僅かに軋んだ音を立てた。
「・・・いろいろ、思い出深い場所だからな」
学校の、屋上。国が違っても、この屋上は、ディーノの記憶にある屋上とあまり変わらなかった。おかげでだろうか、ディーノの脳裏に、あざやかによみがえってくる。
こんなふうに日当たりのいい屋上で過ごした、スクアーロとの日々を。
そろり、と顔を覗かせた屋上にスクアーロの姿を見付けて、ディーノは急いで駆け寄っていった。見付かってしまった、と言いたげにスクアーロが顔を歪めたことは、見ない振りをする。
「また怪我してる!」
「・・・これくらい、怪我でもなんでもねぇ」
プイッと顔を背けるスクアーロの目の前に座って、ディーノは絆創膏や包帯を制服のポケットから取り出した。
「手当て、してやるよ」
「いらねぇ。平気だって、言ってんだろぉ」
「いーから。遠慮すんなって!」
ディーノが手を伸ばしていけば、スクアーロは嫌そうに振り払おうとする。少しスクアーロが力を入れれば、ディーノは簡単にうしろに転がって、それでもディーノは諦めなかった。
「・・・だ、大体・・・テメェなんでオレに構ってくんだぁ!?」
「そっ、それは・・・」
ディーノはつい、一瞬手をピタリととめてしまう。スクアーロを構ってしまう、そのとどのつまりの理由を、ディーノは言葉に出来ない。
「・・・そりゃ、そんなに傷だらけのやつ、放っておけるわけねーだろ! 見てるこっちが痛ぇーし!!」
ディーノはそうまくし立てると、再び手を伸ばしていった。面倒になったのか、スクアーロの抵抗も次第にやんでいって。無理やり絆創膏を貼っていくディーノを、結局スクアーロは引き剥がすことはなかった。
「・・・やるならもっと、上手にしやがれぇ」
いつも通りあんまり上手く手当て出来ないディーノに、スクアーロは舌打ちするように言ってくる。それは半分本音で、きっと半分、照れ隠しで。
少しだけ頬を赤くしながら、スクアーロは最終的にはいつも、ディーノの手当てをおとなしく受け入れてくれる。ディーノはこの瞬間が好きだった。
スクアーロのことが、好きだった。
結局、言えず仕舞いで終わった、思い。
「・・・誰を見てるの?」
「内緒」
ギシリと、雲雀の体重を受けて、ディーノの左右の金網が鳴った。雲雀から伸びてくる2本の腕以上に、真っ直ぐ見上げてくる瞳が、ディーノの身動きを奪う。
多少の面白くなさを正直にぶつけてくる、雲雀のその眼差しに見つめられるのは心地よく、ディーノは自然と口元をゆるめた。
「あの頃、オレは弱虫で逃げてばかりで・・・大事なこと何一つ言えなかった。たった一言・・・言えてりゃ、未来は違ったかもしれなかったな」
「そう・・・」
雲雀は、拗ねるか不機嫌な顔になるかと思えば、逆にその顔に笑みを浮かべる。
「だったら僕は、あなたが弱虫で意気地なしだったことに、感謝しないとね」
「・・・それから、オレがもう昔のオレじゃないことにもな」
雲雀の漆黒の瞳に映る、当時からは随分と成長した自分を眺めながら、ディーノは雲雀に手を伸ばした。
「恭弥、愛してる」
艶やかな黒髪に指を通し、そのままうしろ頭を引っ張って、腕の中に雲雀を抱き寄せる。2人分の体重を受けて、フェンスがさらに撓んだ。
それでも遠慮なく、雲雀はディーノに体重を預けてくる。ディーノも雲雀の体を、しっかりと抱きしめた。
「愛してる」
そう、躊躇わず言えなかったのは何故だったのだろう。少しの後悔と共に、ディーノは思い返す。あんなに好きだったのに、それを少しも伝えることが出来なかった。
「愛してる・・・」
今はこんなに、簡単に口に出来るのに。何度も呟いていくディーノに、雲雀が問い掛けてきた。
「誰に・・・言ってるの?」
その声は、ディーノの胸に顔を埋めているせいで、少しくぐもっている。
「・・・内緒」
「・・・・・・・・・」
「嘘だよ。おまえに、に決まってんだろ」
笑いながら言い直すと、雲雀がゆっくりと顔を上げた。拗ねた顔不機嫌そうな顔余裕そうな顔、今度はどれだろうと見下ろした雲雀は、どれかといえば呆れた表情をしている。
「・・・思うんだけど」
「ん・・・?」
その表情の理由がわからないディーノに、ハァという溜め息と共に、思いもしない言葉が届いた。
「あなた、言葉にしたほうが嘘っぽいんじゃない?」
「・・・えっ、マジで!?」
せっかく言葉にしても、伝わっていなければ意味がない。ディーノは不安になって、思わず雲雀をしげしげと見つめた。
すると雲雀は、ディーノの頬を両手で包み込み、さらにしっかりディーノと瞳を合わせてくる。
「僕は、愚かじゃないからね」
そして雲雀は、ディーノの心を読んだように、小さく笑いながら囁き掛けてきた。
「伝わってるよ」
「・・・恭弥」
言葉に、しなくても。いつも涼しく鋭い雲雀の目が、いつもより少しやわらかく、そして熱っぽく、ディーノを捉えていた。確かにそれだけで、充分に伝わってくる。
ディーノも笑い返して、もう一度ギュッと雲雀を抱き寄せた。この、腕の力強さからも、雲雀には伝わっているのだろうか。
それでもディーノは、つい口を開いた。
「愛してる、恭弥」
雲雀に言わせれば、嘘っぽいらしいが。雲雀を抱きしめて、あぁ好きだなぁと思えば、言わずにはいられない。
「愛してる」
思いを、言葉にして伝えられること、そして受け止めてもらえること。
ディーノはそれが、嬉しかった。
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