Io lo godo.



 めずらしく雲雀が、この日に来い、と指定してきた。だからディーノは、スケジュールをどうにか合わせて、ウキウキと来日したのだった。
 呼び付けられた雲雀の家の前に立ちチャイムを鳴らす。しばらくして扉が空くから、ディーノはいつものように真っ先に再会を喜んで雲雀に抱き付こうとした。
「久しぶり! きょ・・・」
 しかし、腕を大きく広げたところで、ピタリと動きをとめてしまう。雲雀がいつもと、全く違う格好をしていたのだ。
「・・・着物?」
 落ち着いた深い紺色の、浴衣よりもしっかりした生地の着物に身を包んだ雲雀は、さっさと家の中に引っ込んでいってしまう。ウッカリ抱きしめ損ねたと気付きながら、ディーノはあとを追った。
 本当なら隣にくっついて座りたいところだが、座布団とお茶を向かいの席に用意してくれるから、仕方なくおとなしくそこに座る。
 そして向かいでお茶を啜る雲雀は、着物がハマっていてウットリするような姿だ。さすが、これぞジャッポーネーゼ、とディーノは感心しつつ見蕩れてしまう。
 それにしても、常ならず着物なんて着てるのは、来いと呼び付けたのと何か関係があるのだろうか。いくら考えても予想は予想でしかなく、ディーノは雲雀本人に聞いてみることにした。
 もし答えてくれなかったとしても、おそらくそのうちにわかるだろう。雲雀の行動には、いつも全て理由がある。
「なあ、恭弥。なんで今日は着物着てんだ?」
「・・・そのほうが、雰囲気出るからね」
 雲雀は勿体つける気はないらしく、すぐに答えを返してくれた。とはいえ、着物を着る理由とどう結び付くのか全くわからない答えだが。
「なんの?」
「お月見」
「・・・・・・お月見?」
 ディーノはつい首を傾げた。初めて聞いた言葉だが、解釈は出来る。月を、見るのだろう。だが、ただ月を見るだけのことに、何故格好が関係あるのだろうか、ディーノはちっともわからなかった。しかもわざわざイタリアから自分を呼び寄せて。
「あなたにもたまには、日本の趣深い行事を体験させてあげようと思ってね」
「・・・・・・」
 なるほど、これで2つ謎が解けた。どうやらお月見とは、日本の日本らしいなんらかの行事らしい。そして、それをディーノに体験させる為に、日にちを指定して来いと言ってきたようだ。
 しかし同時に、謎が1つ新たに加わって、ディーノは今度は逆側に首を傾げる。
「でも、日本の行事なら、いろいろやってきたじゃねーか」
 イタリアとはちょっと違うバレンタインや、桜を見つつ宴会するお花見や、願い事を短冊にしたためる七夕や。今まで雲雀と一緒に体験してきた、日本独特の行事をディーノは指折り数えた。
 しかし雲雀は、ふぅと溜め息つきながら、ディーノの主張を一蹴する。
「聞こえなかったの? 趣深い、って言ったじゃない」
 なるほどそこが重要らしい。しかしディーノは、そう言われてもよくわからなかった。日本語が堪能とはいえ、日本人特有の感性を反映した言葉は、どうしても理解しづらいことが多い。
「・・・趣深い・・・って?」
 つまりどういうことか、とディーノは説明して欲しかったのだが。雲雀はまた溜め息をついてから、お茶を一口啜り、それから独り言のように言った。
「まあ、あなたに日本情緒だとか風情だとか、理解出来る気もしないけどね・・・」
「・・・・・・・・・」
 はなから諦めているような言い草にちょっとムッとするが、しかしディーノにはそんなことないと否定するだけの自信もない。
「・・・ま、いいや。その、お月見っていう趣深い行事を、楽しませてくれるんだな?」
「一応ね。あなたが楽しめるとも思えないけど」
 やっぱり、わざわざ呼び出しておいてその言い草はどうなんだと思うが、ディーノは気にしないことにした。よくわからないが、一緒に過ごせる機会を、雲雀のほうから作ってくれたのだ。その時点でディーノにとっては充分、とても嬉しくて楽しいことだった。


 お月見というだけあって、すっかり日も沈み夕飯も終えてから、ようやく雲雀は動き出した。テーブルの上にふるいやボール、小麦粉のようなものを用意して、何かを作り始める。
「・・・何、作ってんだ?」
「月見団子」
「ふーん・・・」
 名前からしてどうやら、お月見には欠かせない食べ物らしい。粉を混ぜ合わせてふるいに掛けていく雲雀を、ディーノは団子を作っているだけなのにやっぱりどうしてか様になってるなと思いながら眺めていた。
 だがそのうちに、見ているだけというのも勿体ない気がしてくる。
「なあ、恭弥、オレも」
「言っておくけど、あなたは手を出さないでね」
 せっかくだから参加したいと思ったのに、先手を取ってそう雲雀が言うから、ディーノは面白くなかった。
「なんで? 手伝うぜ」
「それがいらないって言ってるの」
「・・・なんだよ、お月見体験させてくれるんじゃないのか?」
「だから、だよ。月見団子が台無しになったら困るじゃない」
「・・・・・・・・・」
 まるでディーノが手を出したら団子作りが失敗すると言いたそうな言い様で、ディーノはさらに面白くない。が、同時に、確かに自分が手を出すべきではない気も、してきた。
 お月見団子を作っていく雲雀の手つきに迷いはなく、着物を着用しているからか流れるような動きは、まるで舞踊のようにも見えて。だからディーノは、おとなしくそんな雲雀の姿を眺めていることにした。未だに月見がどんなものかよくわからないが、こんな光景が見られるだけでも充分日本に来た価値はあるというものだ。
 雲雀はパンを作るように、捏ねた白い生地を小分けにして丸めていく。そして、蒸し器へと綺麗に収めて蓋をした。
「・・・いつ出来るんだ?」
「30分後」
「へー・・・」
 数えたところ十数個ほどの団子を作るのに、随分と手間の掛かることだとディーノは感心する。買ってきたほうがずっと早いだろうが、しかしそうしないところも趣だとか風情だとかと関わるのだろうかと思った。
 団子を蒸している間も、雲雀のお月見準備は滞りなく進んでいく。団子作りの道具を片付けると、窓際に何やらセッティングし始めた。梨や葡萄といった秋の果物の乗った台に、お酒の乗った台に、おそらくお団子を乗せる台と。両脇に、花瓶のような容器に挿してある、何かの植物。ディーノは見たこともないそれを、ものめずらしくて指でつついた。
「なあ、このホウキみたいな茶色いの、何?」
「ススキ」
「ススキ・・・」
 名称を聞いたところで、ディーノにはよくわからない。綺麗な花などではなく、どうしてこんな枯れているようにしか見えない草を飾っているのか。ちっとも理解出来ないが、これも日本情緒というものだろうと納得しておくことにした。
 月見団子が蒸し上がるまで、まだあと少し。やるべきことは終えたらしく、一息つく雲雀に、ディーノは実はずっと気になっていたことを話題に上げてみた。
「ところでさ、オレは着物、着なくていーのか?」
 せっかく日本の趣深い行事を体験させてくれるのだし、雲雀も着ているのだし、ディーノは自分もせっかくだから着物を着てみたいと思う。が、雲雀はアッサリと首を横に振ってから、何やら呟いた。
「あなたが着たら、趣がどこかにいってしまうからね。まあ、そういうのも悪くはないけど」
「ん?」
「取り敢えずは、心静かに過ごさせてもらうから」
「・・・・・・」
 ディーノが着物なんて身に着けたら、どうせすぐに裾やら胸元やら肌蹴てしまうだろう。そうなったら静かに月を愛でる気分ではなくなってしまう、なんて雲雀の事情にディーノが気付くはずもなかった。
 今日、理解出来ないことはそれが日本情緒なのだと片付けることにしたディーノだが、それで納得していい問題でもない気もする。
「・・・なんで、オレが着物着たら、趣とやらがどっかいくんだ? オレが日本人じゃないからか?」
「・・・・・・まぁ、そんなところだね」
 雲雀は適当に頷きながら、お茶をズズッと啜って、蒸し器の様子を窺っていった。雲雀が話題に関心を失ってしまえば、ディーノはこれ以上追求することが出来なくなる。そもそも、着物を用意してくれていなければ、どうしようもない。
 団子が無事完成したらしく、雲雀によって台の上に綺麗に積まれていった。そして、部屋の明かりを控えめにしてカーテンを開ければ、準備完了のようだ。腰を下ろす雲雀の向かいに、ディーノもせっかくだから合わせて正座をしてみたが、1分も持たなかった。
「・・・・・・で、どうするんだ?」
「どうって?」
「だから、お月見って・・・」
 雲雀は、窓の外、空に浮かんでいる真ん丸いお月様を見上げている。
「・・・もしかして、月、見るだけなのか?」
「そうだよ」
 まさか、と思いながらディーノが問えば、雲雀はアッサリと肯定してきた。確かに、お月見、という名前だが。綺麗な桜ならまだしも、月なんてものが主役になるなんて、ディーノの感覚では到底理解出来ない。
 お花見も名目は桜を見ることだとはいえ、酒やご馳走を食べて楽しく過ごすイベントは、ディーノにとっては馴染み易かった。
「お花見とはえらい違いだな」
「花見だってそもそもは、桜を見るだけだよ」
 しかし、雲雀が相変わらず月を眺めながらそう言うから、ディーノは驚く。
「・・・宴会せずに?」
「宴はあっても、あなたが想像するような騒がしいものではないね」
「へー、日本人ってすげーな・・・」
 本当にただ静かに、自然物を眺めてそれを楽しむ。それが日本情緒だとか風情だとかいうのなら、確かにディーノには理解出来ないものだった。花や風景を見て綺麗だなと思うことはあっても、それでしみじみとした感慨に浸るなんてことはなく、むしろ心が浮き立ってはしゃぎたくなってしまう。
 それに、月なんて見たって、別に特に惹かれるものはなかった。満月なんて、欧州ではむしろ不吉なくらいなのだ。だからディーノは、月を眺める気にはならず、だったらどうお月見を楽しもうかと悩んでしまう。
 お花見のときは、桜の花びらを纏わりつかせる雲雀が可愛くて、見ていて飽きなかった。でも今はそんな要素もないし、ディーノの関心はつい、お供え物の飲食物に向いてしまう。
「・・・なあ、お酒飲んだり・・・団子食べたらダメなのか?」
 また趣が、とか言われそうな気がして、ディーノは控えめに尋ねてみた。すると雲雀は、ようやく視線を下げて、お神酒を手に取る。
「勿論、構わないよ」
「あっ、そうなのか」
 ディーノはホッとしながら、杯を渡し酒をついでくれる雲雀の動作に、また見蕩れてしまった。その流れるような動きのせいか、着物姿のせいか、それとももしかして月明かりのおかげなのか。
 相変わらず風情なんてものがよくわかっていないディーノだが、風情とやらを満喫しているらしい雲雀の姿は、大変魅力的だった。充分、ディーノの目を楽しませてくれる。
「・・・どう、少しは趣ってものが理解出来た?」
「んー・・・」
 答えがわかりきっているからか小さく笑いながら問い掛けてくる雲雀に、ディーノも笑い返した。
「やっぱ、よくわかんねーな」
 正面の雲雀を見つめながら、正直な感想をもらす。
「だってオレさ、桜見るより月見るより、恭弥見てるほうが楽しいし」
「・・・あなたらしいね」
 そう返してくる雲雀の言葉には、意外に呆れた響きはなかった。こんな行事に興じる趣味があるのに、それを解さないディーノに別にそのままでいいと言ってくれているように、聞こえる。
 だからディーノは、ありのままの自分の、正直な欲求に従った。雲雀へと、擦り寄っていく。
「・・・何?」
「そういや今日、まだ抱きしめてもねーと思ってな」
 いつもなら会った瞬間抱きしめるのに、その出鼻を挫いてくれた着物姿へと、ディーノはゆっくり腕をまわしていった。
「・・・結局、いつもと同じになるんだね」
「ん?」
 何やら意味の掴めないことを呟くその顔を覗き込んでも、雲雀はさらに独り言のように続ける。
「まあ・・・僕も、そういうの嫌いじゃないしね」
 やっぱり何が言いたいかディーノにはよくわからないが、次いで雲雀がもらした溜め息には、どこか甘い響きが含まれていた。そういう変化には敏感なディーノは、自然と顔を綻ばせていく。
 その唇に、やっぱり読み通り、雲雀がキスしてきてくれた。久しぶりの感触をしっかり味わいながら、ディーノは結論付ける。
 月なんかよりもずっと魅力的なものが、目の前にあるのだ。せっかくセッティングしてくれた雲雀には悪いが、まともにお月見なんて出来るわけがない。
「お月見もオレにとっちゃ、おまえと会える口実にしかなんねーや」
 多少苦笑いしながも正直に言って、口付けていくディーノに、雲雀も腕を伸ばしてきた。後頭部や背にまわってきた手は、普段の雲雀からは想像も付かない優しさで、ディーノを受け入れる。
「・・・それも、否定はしないよ」
 そして、囁くように言ってから、雲雀がさらに深いキスを仕掛けてくるから。頭上の月なんて、もうディーノにはとっくに見えなくなっていた。




 END
花より月より団子より恭弥、なディーノでした。
タイトルは、「私はそれ(彼)を楽しむ」て意味だと思われます。

9月のイベント=お月見、と挙げて下さった方、ありがとうございました!(縁遠い行事なので、自分では思い付けなかった…)


(08.09.30up)