スパナは基本的に、自分の研究室に篭りっきりで、出歩くことはほとんどない。そんなスパナが、わざわざ正一の研究室までやってきたから、正一は驚いた。
「スパナ、どうしたんだ・・・!?」
何かあったのだろうかと思ったが、スパナはいつもの呑気そうというか眠そうな表情で、マイペースに切り出してくる。
「正一、31日と1日、暇?」
「え・・・?」
それはもしかして、大晦日と元日のことだろうか。その予定を聞いてどうするのだろうと、正一はちょっと期待してしまった。まぁ同時に、どうせ期待しても意味がないだろうと思ってしまうのだが。
「・・・まあ、ひ、暇だけど・・・?」
することがないとは言わないが、誰かと予定が入っていないのは確かだ。
「そっか・・・じゃあさ」
正一の答えを聞いたスパナは、やっぱりいつものボンヤリした顔で、平坦な口調で言った。
「ウチと、過ごしてくれない?」
「・・・・・・・・・」
正一は、眼鏡を落としそうになってしまう。それくらい、動揺したのだ。
年越しというのは、誰にとってもそれなりに重要というか特別な日のはずだ。その日を、一緒に過ごして欲しい、と。
しかし正一は、いやいやスパナのことだから何か作業を手伝ってくれとか正月とは関係ない用件かもしれない、と思った。
「そりゃ、いいけど・・・」
スパナの目的がなんであれ正一に断る理由はないから、頷いて返しながら、一応確認してみる。
「でも、どうして?」
「正一はジャッポネーゼだろう?」
「そうだけど・・・」
今さらそれがどうしたのだろうと正一は思ったが、スパナにとってはそこが重要なようだった。胸の前で両手を組んで、拝むような視線を正一に向けてくる。
「ウチ、ジャッポーネの正月を、満喫してみたいんよ」
「・・・・・・・・・」
メカに触れているときのように、スパナの瞳がちょっとキラリと光った。
なるほど、と正一は思う。そういえばスパナは、日本贔屓の気があるのだ。正一といれば日本の正月を正しく満喫出来る、と考えたのだろう。
なんだそういうことか、とガッカリしているようではスパナに片思いなんてしていられない。スパナの周りに日本人は他にも何人かいるのだから、その中から自分を選んでくれたことを喜ぼうと正一は思った。
「わかったよ。僕が責任持って、日本の正月を堪能させてあげるよ」
「!!」
正一の返事に、スパナの瞳がまた輝き頬に赤みが差し、スパナの手が今度は正一の手をギュッと握ってくる。
「ありがと、正一」
「・・・・・・・・・」
スパナのこの表情や行動だけで、充分報われた気になってしまうのだから、自分も安いよなぁと正一はちょっと呆れた。
そして大晦日、正一の向かいでスパナは、コタツに入って半纏を着込んで年越しそばを食べていた。自分もそばを啜りながら、なんだか恋人通り越して長年連れ添った熟年夫婦のような光景だと、正一はちょっと思ってしまう。
今日は朝から大掃除を手伝わせて、といってもあんまり役に立たなかったが、紅白を見て、今は除夜の鐘を聞きながら行く年来る年を見つつそばを食べているのだ。この辺個人差はあるのだろうが、正一の大晦日年越しは毎年こんなかんじだった。
「スパナ、年越しそばは、年を越す前に全部食べきらなきゃいけないんだからな」
「そうなんだ・・・」
のそりのそりと食べていたスパナは、正一に言われてから少しスピードを上げる。が、それでも充分、遅かった。
「・・・手伝おうか?」
「・・・・・・」
正一が見兼ねてそう言ってみると、スパナは無言で器を正一の前にスススと移動させてくる。世話が焼けるなと思いながらも、それが嬉しいのだと、結構前から正一は知っていた。
3分の1ほど残っているそばを啜っていく正一を、スパナが頬杖つきながら見つめてくる。
「正一って・・・」
「・・・・・・な、なんだ?」
ジッと見つめながら切り出すから、正一は僅かにドキリとしてしまった。のに、スパナの口から出てきた言葉は。
「お母さんみたい」
「・・・・・・・・・」
確かに自分はスパナのことを気に掛けていて、それを感じてくれているのは喜ばしいことなのかもしれないが。でもやっぱり、お母さん、なんて言われるのは不本意でしかなかった。
スパナへの接し方を考えるべきかもしれないと、溜め息の代わりにそばつゆを飲み込みながら正一は思う。
「はぁ・・・ごちそうさま」
飲み干して、行儀よく手を合わせれば、スパナもそれに倣って手を合わせ「ごちそうさま」と小さく呟いた。
スパナのこういうところは、可愛く思えるが。親鳥に無条件で懐く雛のようで、複雑でもあった。どういう形であれスパナの一番近くにいられればいい、などとはまだ悟りたくない。
初詣に行ったらその辺を祈願しようか、と思っているうちに、除夜の鐘が最後の一回を撞いて年が明けたことを告げた。
「新年だ。スパナ、今年もよろしく」
「うん、よろしく、正一」
正一に合わせて、スパナも頭をペコリと下げてから。また、ジッと正一を見つめてきた。
「ウチ、正一がいないと、困るから」
「えっ・・・・・・」
取りようによっては告白にも聞こえる言葉に、正一はついドキッとしてしまう。勿論、スパナにその気なんて全く全然ないと、わかっているのだが。
「正一には感謝してるし、見捨てられたくないから・・・よろしく」
「・・・ああ、こちらこそ」
誰にもなんの関心も持っていないようなスパナに、そんなふうに言ってもらえるなんて、正一はやっぱりそれだけで嬉しくなってしまった。
「・・・とにかく、年も明けたことだし」
小さな幸せを感じてしまう自分を隠すように、正一は無駄に眼鏡の位置を直しながら提案する。
「これから、初詣とか行く?」
「うん・・・・・・」
するとスパナは、しばらくボンヤリとした表情で正一を見つめ返してきたかと思えば。
「ウチ・・・もう、限界」
小さくそう言って、フラッと背後に倒れていった。
「スパナっ!?」
正一が慌てて近寄ると、スパナはスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「・・・・・・なんだ」
ホッとして脱力しながら、正一はその場に腰を下ろした。スパナは自分と同じく夜型だろうが、今日はいつもより比較的早起きして、慣れない掃除にも付き合わせたから眠いのだろう。そう思えば、このまま寝かせてあげようという気にもなるが。
それにしても、あんまりにも無防備に眠っているスパナが、正一はちょっと面白くない。かといって、何かが出来る正一でもないのだが。
「・・・はぁ」
溜め息一つ、スパナに毛布を掛けてやってから、正一も寝ることにした。
翌日、お互い昼前にようやく起き出して。正月の行事といえばこれだろうと、正一はスパナを初詣に連れていった。
人波でごったがえす中、とろいスパナとあんまり人のことを言えない正一は、どうにか参拝をして。しっかり願い事をする余裕もなく、終えて人ごみから抜けた頃には二人ともすっかり疲れきっていた。
「ジャッポーネの正月って、大変だな・・・」
「・・・まあ、みんながそうまでするんだから、それだけの価値があるってことじゃないかな」
答えながら、正一は気分でも変えようと、スパナを誘う。
「おみくじでも引こうか」
「・・・おみくじ?」
「占いみたいなものかな」
スパナに小銭を渡して引かせて、また人混みから少し離れて。正一はたかがおみくじとはいえやっぱりちょっとドキドキしながら開いた。
「・・・・・・」
「・・・正一、これは?」
スパナに問い掛けられて、正一はハッとして、視線をスパナのおみくじに落とす。
「・・・大吉。一番いい運勢だよ」
「ふぅん・・・正一は?」
「・・・大凶。一番悪い運勢だよ」
スパナとは正反対の結果になってしまった正一は、つい溜め息をついた。昔から、いまいち運に恵まれない正一は、大抵が「凶」か「大凶」を引いてしまうのだ。毎度のことながら、やっぱりガックリしてしまう。
特に、恋愛なんて「あきらめましょう」などとズバリ書いてあって。それでも、こんなものに言われて諦められるなら、とっくにそうしている。
正一は気を変えようと、おみくじを畳みながら歩き出した。あとをスパナがチョコチョコとついてくるのに、なんだかくすぐったいような嬉しさを感じながら、正一はこのおみくじはあてにならないような気もする。
こんなふうに、スパナと過ごすことが出来ているのだ。充分、ついている気がした。
これくらいのことで幸せを感じてしまうのも、いまいち関係が進展しない一因なのかもしれないとも思うが。
正一はおみくじを木の枝に括り付けていった。すると隣でスパナも同じようにしようとするから、正一はそれをとめる。
「これは、大凶と凶の人だけが結ぶんだよ」
「そうなんだ・・・」
「・・・確か、だけどね」
ふーん、とスパナは引っ込めたおみくじを、指の先でブラブラさせながら首を傾げた。
「これは、どうすればいい?」
「なんだっけ・・・財布に入れたりして持ってるといい・・・とか、だったと思うけど」
微かな記憶を頼りに正一が言えば、スパナはしばらく手元のおみくじを見つめ、それからその手を正一のほうへ差し出してくる。
そしてはらりとおみくじが落下するから、正一は思わずそれを手のひらで受け止めた。
「正一、あげる」
「え、僕に?」
なんでそんな、と思った正一の前で、スパナは人差し指を立てた両腕を交差させてみせる。
「いい運勢と悪い運勢で、相殺」
「・・・・・・・・・」
なるほど一理ある、とつい思ってしまいながら、正一はおみくじを返そうとした。
「ありがたいけど、これはスパナが持ってなよ。これはスパナが引いたのなんだから」
しかし、スパナは首を横に振る。
「じゃ、代わりに持ってて」
「・・・僕を財布代わりにするつもりかい?」
「それ、いいね」
正一、天才。なんて言ってめずらしく笑うスパナに、正一が敵うわけがない。正一はハァと溜め息をついて、しっかりとしまい込みながら、財布のようにスパナの身近にい続けてやる、と思った。
「じゃ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
踵を返すと、やっぱり素直についてくるスパナに、正一はついまた嬉しさを感じてしまう。これが、日本の正月を満喫する、なんて目的もない日常だったらもっといいのになと思いながら。でも、そういう約束なのだから、最大限に叶えてやらなければならない。
「帰ったら、まずはおせちにお雑煮だな」
「うん、おなか空いた。楽しみ」
「そのあと、どうする? 正月らしいこと、書初め凧揚げ・・・いろいろあるけど」
「うん・・・」
任せる、と言うかと思えば、スパナはめずらしく条件を付けてきた。
「・・・体力使わないもの」
初詣に来ただけで、もうすっかり疲れてしまったようだ。とはいえ正一も、同じく頭脳派の体力なしだから、確かにもう今日は凧揚げなんてする気力はなかった。
「じゃ、書初めにしようか」
カタカナや漢字に魅力を感じているスパナには、ピッタリな気がする。正一が簡単に説明すれば、スパナはやっぱり瞳を輝かせた。
この表情をあと何度見れるのだろうと、正一はそんなことを楽しみにしてしまう。
「残りは、また明日にでも・・・」
「いい」
しかしスパナは、そんな正一の小さな幸せを奪うように、簡潔に言った。
「もう、充分」
「スパナ・・・」
つまりそれは、もう日本の正月を満足いくまで堪能したから、お役御免だということだろうか。凧揚げ、羽子板、双六、福笑い、まだまだ先があると思っていた正一は、不意打ちを食らって思わず立ち尽くしてしまった。
そんな正一には構わず、スパナはトボトボ歩きながら言う。
「残りは、来年」
「・・・・・・・・・」
えっ、と思った正一は、それから慌ててスパナに追いついて並んだ。
「そうだな、来年だな」
何気ない口調で、確認し念を押すように言いながら、正一は予想する。多分スパナは、そろそろ機械をいじりたくなったのだろう。昨日今日の2日、全く工具を握っていないから落ち着かないのだろう。
確かに、その気持ちは正一にもわかった。
「そうだな・・・僕も、そろそろ研究に戻りたい」
スパナとの正月はずっと続いて欲しいくらいだったが、やっぱり研究からそう長く離れていられない。それは生活の一部、それが正一の日常なのだ。
とはいえ、未練が残るのも確かで、正一はついそっと溜め息をもらす。きっとスパナは感じていないのだろうなと思いながら視線を向ければ、スパナも正一のほうへ顔を向けていた。
「・・・ありがと、付き合ってくれて」
「え? あ、いや・・・僕も楽しかったよ」
正一が正直に答えれば、スパナは視線を合わせたまま呟くような口調で言う。
「正一は、優しい」
「・・・・・・」
正一はドキリとした。優しくするのは、スパナだからだ。スパナが好きだから、下心だってあるからだ。
そんなよこしまな思いを、見透かされるのは怖くて、でも一方では知らせたい気もした。自分が特別なのだと、スパナはいつ気付いてくれるのだろう。
勿論、気付かないスパナではなく、伝えようとしない正一が悪いのだが。
「・・・大体、今日一日は、まだ正月を楽しむんだろ?」
「うん」
「帰ったら、あったかいもの食べよう。鼻の先、赤いよ」
「うん」
コクリ、と素直に頷くスパナに、正一はやっぱりそれだけで幸せのようなものを感じてしまった。
また来年も、スパナとこんなふうに過ごせるかもしれない。その可能性だけでも、嬉しくなってしまうのだ。
とはいえ、来年の今頃までにはもうちょっとくらいは進展していたい、とも思う正一だった。
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