出会いのキッカケは、スパナだった。
高1で国際ロボット大会に出場して、その一回戦を終えてホッとしていたときに声を掛けられたのだ。
「ショーイチ・イリエってあんた?」
不躾に呼び掛けられて、てっきり因縁でもつけられるのかと思った。相手は金髪碧眼、普段から外人と接することもない正一は、その時点ですでに腰が引けてしまう。年の頃は同じくらいのようだが、据わった目つきがいかにも何か不穏な用件がありますと言っているようで。
どうやって穏便にことを収めようか、つい頭の中でシュミレーションしてしまう正一に、しかしその男は突然捲し立てるように言ったのだ。
「さっきの試合、見てた。あんた、すごいな。ファンタスティックだ、感動した。やっぱりジャッポネーゼは素晴らしい・・・!」
「・・・・・・」
下手な英語で、ボンヤリした表情が一気に生き生きとして、何よりも正一はその表情の変化に目を奪われていた。さっきまでのマイナスな印象はどこかへ吹き飛んで、もしかしたら、いわゆる一目惚れ、というやつだったのかもしれない。
スパナも大会の参加者で、出番があるからとその場は言いたいことだけ言ってすぐに戻っていってしまった。そして正一もスパナの試合を見て、彼の才能に驚き、今度はこっちから声を掛けて。
それから、よく話をするようになった。
お互いに、あんまり上手くない英語で、でもそれはあんまり障害にはならず、ロボットのこと日本のこと。スパナはあんまり自分のことを語らなかったが、そういうタイプなんだろうと正一は思っていた。
大会の決勝で、正一とスパナのチームが当たり、正一が勝った。スパナは悔しそうでもあり、嬉しそうでもあり。自然と、また来年、と約束をした。
メールアドレスを交換して、大会以降も何度かやり取りをして。翌年のロボコンは、スパナのチームが優勝した。悔しいけど嬉しい、去年スパナが言っていたことを正一は実感する。
また、一年後。一年に一度しか会えないけど、たまにメールして。思い付いたロボットの設計図を送り付けたり、論戦を交わしたり。そうしながら、正一はスパナと会える日を楽しみにしていた。
生まれも育ちも全然違うけれど、スパナのことを一番理解出来るのは自分だ、といつのまにかそんな自負すら生まれていた。そして、自分を一番理解出来るのも、してくれるのもスパナであって欲しいと。互いに認め合い、高め合い、そうやってずっとやっていけたらいいと、思っていた。
高3の国際ロボット大会。出番を控えて正一は、ついまたおなかが痛くなって会場の隅でうずくまっていた。
そんな正一の前に、ミネラルウォーターと薬がスッと差し出される。
「久しぶり、正一」
「スパナ・・・久しぶり」
よりによって腹痛起こしているときに再会とは情けない、と思いながらも一年振りだから素直に嬉しかった。ありがたく薬を服用してから、ついぼやくように口にする。
「勝つ自信はあっても・・・大勢の人の前に立つってだけで、すごいプレッシャーなんだよ」
「ふーん・・・」
プレッシャーとは無縁そうなスパナは首を傾げてから、正一にジッと視線を向けて言った。
「ちゃんと、勝ち上がってこいよ」
「勿論だ」
今回も優勝するのはスパナか自分だ、そう確信している正一へと、スパナの意外な言葉が届く。
「・・・ウチ、今回が、最後だから」
「・・・・・・え?」
思ってもいなかったことで、正一は眼鏡の奥で目を丸くしてしまった。てっきり、スパナは大学に行っても大会に出てくるのかと思っていたのだ。
「そう・・・なのか?」
「うん・・・」
スパナはそれ以上何も語ろうとしないから、正一からも聞けなくなってしまう。
この大会で最後、もう会えなくなるのだろうか。正一は動揺しながらも、勝ち進んで。今年は正一のチームが、優勝した。
「1勝2敗か・・・やっぱり、正一はすごいやつだな」
「・・・・・・」
対決の直後、正一のところにやってきたスパナは、素直に感心するように言う。そのセリフは、もう今回の対戦で最後、ハッキリとそう言っているように聞こえた。
正一はどうしようかと悩む。このままだと、離れ離れになってしまうのだ。今までとは違って、もう会える当てのない別れ。
「・・・スパナ、僕は・・・」
何を言えばいいのか、わからないけど口を開こうとした正一に、スパナが右手を差し出してきた。機械を語るときにだけ見せる笑顔を、正一に向けて。
「正一。ウチ、あんたに会えて、よかった」
「・・・僕も、だよ」
不覚にも込み上げてきそうなものごと言葉も呑み込んで、正一もスパナへと右手を差し出した。
別れの日は、すぐに来る。
先に国に戻るスパナを、正一は見送りに来た。自分の気持ちを、伝えるべきだろうか、やっぱりまだ悩みながら。
ギュッと握手をしたあと、離れていく手を、離したくなかった。会えてよかった、なんてまるで別れのセリフで、嬉しいけど聞きたくなかった。
そんな気持ちを、スパナに言おうか。この先、メールでのやり取りは出来るが、もう会うことはめったに出来ない。イタリアと日本は遠過ぎる。
でも、と迷う時間は、しかし正一にはもう残されていなかった。
「じゃ、ウチ、行く」
短く言って、スパナは正一に背を向ける。空港に向かうバスへと歩いていく、スパナのうしろ姿。
「・・・・・・スパナ!」
その姿を見るのはもうこれで最後かもしれない、このままでは。そんなの、嫌だ。
どんどん遠くなっていくスパナの背中に、正一はとっさに叫んだ。
「僕は・・・君のことが好きだ!」
ピタリ、とスパナの歩みがとまる。周囲には人が結構いたが、正一の目にはもう入っていなかった。
「好きなんだ・・・ティアーモ!!」
ついなんとなく調べたことのあった、彼の母国語も一緒に。すると、スパナがクルリと振り返った。そして、彼にしては大きい声で。
「ウチも、正一のこと、好きだ。アイシテル!」
「・・・・・・え?」
思い掛けない言葉が耳に届いて、目を丸くする正一へと、スパナはふにゃりと笑い掛けてくる。
スパナの返事も反応も、そういえば考えてもいなかった。正一が呆然としている間に、スパナはまた背を向けそのままバスに乗っていってしまう。
発車音で我に返った正一は、ハッと人目を思い出して、熱くなる顔を眼鏡を押さえてごまかしながら逃げるようにその場から離れた。
人気のないところまでいって、ようやくホッと息を吐いた正一に、スパナの言葉がよみがえる。
「・・・愛してる・・・?」
英語と日本語で、確かにそう聞こえた。まさかスパナも自分にそんな思いを抱いてくれているとは知らず、正一は驚くと同時に、とても嬉しくなる。
どんどん距離が近付いていると感じていたのは、自分だけではなかった。特別だと、思っていたのも自分だけではなかった。
「スパナ・・・」
この先、会える当てがないのは変わらないけど。スパナの言葉と笑顔、それを思い出すだけで満たされる自分を正一は感じていた。
それから、やっぱりメールだけのやり取りが続いた。
スパナはどこかの企業にでも入ったのか、研究について語ることはなくなって、正一もその話題を出すことはなくなったけれど。二人の文字での会話は尽きることはなかった。
お互いの日常の些細なこと、お互いの国のこと。
一年二年と経っていって、正一はたまに不安になることもあった。あのとき確かめ合ったはずだけど、スパナがまだ自分と同じ思いでいてくれているのか。
そんなときはメールの最後に、ティアーモ、とそっと書き足した。そうすると、スパナも彼らしい簡潔な文章の一番最後に、アイシテル、と。
それだけで充分、正一は幸せだった。
スパナとの変わらないやり取りの一方で、正一の生活には大きな変化が訪れる。自分の研究を買ってくれた、イタリアのマフィア、ジェッソファミリーに入ることになったのだ。
イタリアに渡って生活するようになって、でもそのことをスパナに話すことは出来なかった。純粋に研究に打ち込むスパナは、研究の為とはいえそんな人たちと手を組んだ自分を軽蔑するかもしれない。だから、まさかマフィアにかかわっているなんて、イタリアに来ていることさえ、スパナには言えなかった。
勿論、会いたい気持ちはある。告白し合って、それ以降全く顔を合わせていないなんて、普通あり得ないだろう。
それでも、自分の気持ちが確かにスパナに伝わっているとわかる、スパナの気持ちが自分に向かっていると感じられる、今の関係は正一にとってとても心地よいものだった。
正一の属するジェッソがジッリョネロと合併して、ミルフィオーレファミリーが誕生して。その頃には正一の中に白蘭への疑念が芽生えていて、少しずつ密かに形を取ろうとしていた。
そんな中で、スパナとの何気ないやり取りは、安らげる心の支えですらあったのだ。
だが、正一はスパナと再会することになる。突然の、そしてそんな正一の幸せを奪う、再会だった。
ホワイトスペルの白い衣装に身を包んだ正一は、ブラックスペルの黒い衣装を纏う男たちと一緒にいるスパナの姿を、見付けてしまったのだ。
スパナが自分について多くを語らなかったのは、正一よりももっと前からマフィアの一員だったからなのかもしれない。今さらそんなことに見当を付けたところで、どうにもならないが。
まさか、正一は思ってもいなかったし、スパナもそうだったかもしれない。もう3年は会っていない、それでも見間違えるはずもない姿に、正一の頭はしばらく停止した。
戻った、というべきかもしれない。純粋にロボットを作成する喜びを感じ、少し理想は違うけれど同じものに情熱を傾けるスパナと語り合った、あの3年間。
感情のまま、スパナに駆け寄って、それ以降の期間を埋めたかった。やっぱり、会いたかったのだ、そう思い知りながらも。
正一の体は動くことはなく、一度合った視線を外し仲間に促されるように歩き出すスパナを、ただ見送った。追い駆けたい話したい、なのに正一の立場が、それを押しとどめたのだ。
同じファミリー、とはいえホワイトスペルとブラックスペルの間の溝は深い。表面上は協力しながらも、そこには信頼も何もなかった。
ホワイトスペルで立場のある正一は、ブラックスペルのスパナと、親しく接することを躊躇う。スパナも、ホワイトスペルの一員になっている正一に失望しているのかもしれない。だから、スパナだって声を掛けてこなかったのかもしれない。
ブラックスペルの人たちはホワイトスペルよりも、構成員同士の結び付きが強く、「ジッリョネロ」への愛着も強い。合併することになった経緯は、彼らにとってはあまり喜ばしいものではなかったはずだ。
同じファミリーなのに、ホワイトスペルとブラックスペルに立ち塞がる壁はあまりに高く。さらに正一は、そもそもミルフィオーレにすら背いていた。
自分の立場と、スパナの気持ちと。ようやく、会えたのに。そのことを喜ぶことなんて、出来なくて。
正一は顔を合わせるどころか、なかなかメールを送ることも出来ず。ただ待っていてもスパナからもあれ以降メールは来なくなって、いつのまにか、互いに連絡は途絶えてしまった。
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