夕暮れ時の海辺、シチュエーションだけは映画のようだった。
ヴァリアーとの戦いに備えた修行も、もう4日目になる。ディーノは今日の修行場を海辺に選び、場所なんてどこでもいいのだろう雲雀は、飽きる様子もなくトンファーを振るって向かってきた。
手合わせするたびに、雲雀はどんどん強くなっていく。それが手に取るようにわかるからか、雲雀の相手をするのは思いのほか楽しくて、ディーノもつい夢中になってしまうことしばしばだった。
時間を忘れ、この日もいつのまにか陽が傾き始めていることにも、互いに気付かない。それを、知らせてくれたのはいつものように、ディーノの忠実な部下ロマーリオだった。
「ボス、悪ぃが少し抜けるぜ」
短く言葉で割って入って、ロマーリオは背を向けて砂浜から去っていく。連絡を取る用事があるのかもしれないし、単に小休止を取らせるのが目的なのかもしれない。
動きをとめて見送ったディーノは、張り詰めていた緊張を解いてホッと息を吐いた。それに合わせて、雲雀もまたディーノに向けていた殺気を引いていく。
部下が席を外している間は休憩時間だ、といつのまにか雲雀は呑み込んでおとなしくトンファーを下ろすようになっていた。
気をゆるめながら、ディーノは自分の姿を見下ろして思わず苦笑する。夢中になっていたから気にならなかったが、水際で戦っていたからお互いにびしょぬれになっていた。日が出ている時間帯ならともかく、暗くなってくれば風邪でも引きかねない。
「恭弥、場所変え・・・っわ!?」
どうせまだまだ戦うつもりだろうから、場を移そうかと。提案しようとしたディーノは、しかし海から上ろうとしたところで、波に足を取られるように転んでしまった。
思いっきり顔面から、海水に突っ込んでしまう。
「げほっ・・・い、痛ぇー・・・」
噎せて咳き込んだら、余計に喉が痛んだ。喉元を押さえながら、ディーノはすぐ立ち上がるのも億劫で、そのまま海の中に座り込む。鳩尾辺りまで浸かるが、どうせもうずぶぬれだから気にならなかった。
「ハァ・・・で、恭・・・」
会話の続きをしようと雲雀に視線を向けたディーノは、また途中で言葉を切る。雲雀が、腕を下ろしたものの依然として手にしていたトンファーを、ドサリと砂浜に落としたのだ。
そうしてゆっくりとディーノに近付いてくる雲雀も、やはり今さらぬれるのは気にならないのか、ザブザブと音を鳴らして海に入ってくる。
「・・・恭弥?」
すぐ目の前までやってきた雲雀を、ディーノはどうしたのだろうとただ見上げた。雲雀が自分に寄ってくる理由など、攻撃を加えようとしている、しか思い付かないが。雲雀の得物は、彼の後方、砂に片方突き刺さるようにして放置されている。
勿論雲雀なら、素手でやり合うことも充分考えられるが。それにしては、すぐの距離に来ても、雲雀からの殺気や闘志が感じられない気がした。
雲雀は腰を屈めると、ディーノの膝頭に片手を置いて勝手に体の支えにしながら、身を乗り出してくる。
そして、物言わない雲雀の口が、ディーノの口に重なってきた。
「・・・っ!?」
雲雀が何をしようとしているのかわからずおとなしくしていたディーノは、少し遅れて触れてくるやわらかい感触の正体を悟る。
わけがわからずハッと弾かれるように逃げようとしたが、雲雀に脚を押さえられているような体勢では上手くいかず、身を引こうとすれば背後の海に今度はうしろ頭から突っ込んでしまった。
「っぶ・・・・・・・・・は!」
また海水を思いっきり飲み込んでしまいながら、ディーノは慌てて頭を浮上させる。雲雀は、助けてくれようともせず、そんなディーノをジッと見つめてきた。
「・・・な、んなんだよ!」
死ぬかと思った、と一連の行動を非難するように睨み付けても、雲雀の表情は変わらない。さらに身を乗り出し、ほとんどディーノに覆いかぶさるようにしながら、ようやく口を開いた。
「ちゃんと、体支えてなよ」
「はあ・・・っ!?」
勝手なことを言った雲雀は、再度ディーノに唇を合わせてくる。また、取り敢えず逃げようと思っても、すぐ背後は海。雲雀の体を押し返そうにも、不利な体勢では満足に力も篭められない。
「ん・・・・・・きょ、・・・」
その上口の自由まで奪われていれば、抗議も出来ずディーノにはなす術なかった。雲雀は何度も角度を変え、唇を触れさせてくる。ディーノの唇を舐め、さらに舌まで差し込んでくる。
雲雀の舌を塩辛く感じるのは、海水を飲んでしまった自分のせいなのだろうと、ディーノはボンヤリどうでもいいことを考えた。
「・・・・・・は、ぁ」
ようやく、雲雀の唇が離れていく。少し体を起こしてくれるが、雲雀の手はディーノの脚に置かれたままだった。
あまり代わり映えのない体勢で、依然退いてくれそうのない雲雀を、ディーノは見上げる。
「・・・な、何を」
どうしてこんなことを、と問いたかったディーノの声に、かぶさるように少し遠くから声が聞こえてきた。
「何してんだ?」
「・・・・・・ロマーリオ!」
そういえば少し抜けるだけだと言っていたロマーリオが、戻ってきて海の中の二人を首を傾げながら眺めている。
ディーノは慌てたが、雲雀は離れようともせず、ロマーリオを平然と見返した。
「見ての通りだけど。じゃましないでくれる?」
「おい、恭弥!」
そんな言い方したら誤解される、とディーノはさらに慌てるが、ロマーリオも何故か平然と肩を竦める。
「じゃ、今日の修行はもう終わりだな。あぁ、せめて、海から上ったほうがいいぜ?」
「・・・・・・えっ?」
そしてアッサリそう言ってクルリと背を向けるから、ディーノは驚く。こんな状況のボスを平気で置いていくってどういうことだろう、と呆然とするディーノに、ロマーリオは軽く手を振りながらさっさと歩いていってしまった。
「ちょ、なんで・・・っ」
なんだか見捨てられてしまった気分で、軽く混乱するディーノは、しかしハッとまた近付いてくる気配に気付く。
また至近距離にやってくる雲雀の顔から、逃れるように身を引けば、うしろ頭が海に浸かるのを感じた。だから逆に雲雀を押し返そうとしても、ビクともしない。
明確な意思を持っているのだとわかる、雲雀の行動に、ディーノは戸惑いながらようやく問い掛けた。
「な、なんでこんなことするんだ・・・?」
「・・・・・・・・・」
すると雲雀は、ふと動きをとめて、ジッとディーノを見つめてくる。その黒い瞳は、沈みかけの陽を受けて、明るく輝いて見えた。
雲雀のバックにオレンジ色の空、ゆらゆらと漂いながら光る海。こんなときなのに、雲雀を含めた目の前の光景に、ディーノは一瞬見蕩れてしまう。
そして、雲雀がゆっくりと口を開いた。
「あなたが・・・欲しいから」
「・・・・・・・・・」
雲雀の口から出てくるのには似合わない言葉、なんの説明にもなっていない言葉。それなのにディーノは、それ以上問い返すことが出来なかった。
ただ雲雀を見つめ返して、なんだか映画の1シーンのようだと思う。綺麗な光景と、熱烈な愛の告白のような言葉。
雲雀もそれ以上は言わず、また近付いてくる唇を、雰囲気に呑まれるようにディーノはそのまま受け入れた。
軽く啄ばむようなキスから、舌を絡ませるようなキスへ、自然と移行していく。二人の間で立つ水音が、大きな海の波音よりもよく聞こえるのが、不思議だった。
角度を変えながら何度も口付けてくる雲雀を、恭弥ってこんな顔してたっけ、とディーノはボンヤリ見返す。
陽を受ける側の頬には少年らしい繊細さが、反対に影になったほうの頬には男らしい精悍さが、滲み出ているようだった。そして次第に、後者の色合いが濃くなっていく。
そのままキスを交わしているうちに、やがて日は沈み、辺りは暗くなっていった。
麻痺したような思考とは別に、水に浸かりっぱなしの体が、ディーノに体温の低下を訴えてくる。寒気からブルリと体に震えが奔り、ディーノはハッと我に返った。
「っ・・・」
慌てて雲雀の体を押し返せば、不意だったからか今度は簡単に抜け出せる。いつのまにこんなに暗くなったのだろうと思いながら、ディーノは立ち上がった。
「・・・風邪、引く。戻ろうぜ」
敢えて何事もなかったかのように、そう言いながら海から上がっていくディーノを、雲雀が追ってくる。グイと腕を引かれて、振り払おうと身を捩れば、砂に足を取られた。
そのまま、雲雀を巻き込んで、二人して砂浜に倒れ込んでしまう。
文句を言われるかと思えば、雲雀はちょうどいいとばかりに、今度は砂の上にディーノの体を押し付けてきた。
「恭弥っ・・・!」
抵抗しても、雲雀はやはり意思を以って、それを抑え込んでくる。
「逃がさないよ」
「なっ!?」
そして言い放った言葉にディーノが僅かに絶句すれば、雲雀は少し面白くなさそうに呟いた。
「僕だけ、こんなふうになるなんて・・・癪だからね」
「・・・こんなふう?」
ディーノが思わず問い返すと、雲雀に手を取られる。そして引かれるまま、雲雀の左胸へと触れた。
じっとりぬれて肌に張り付く衣服の奥で、心臓がドクドクと脈を打っている。通常よりも早く大きなその鼓動を、ディーノは手の平で感じた。
「わかる?」
「・・・・・・」
「僕、あなたといるといつも、こうなるんだ」
「・・・・・・」
それがどうしてかなんてわかっていなさそうな雲雀は、ただその事実だけをディーノに伝えてくる。いつも、こんなふうに鼓動を早めていると言う。
それが伝染するように、いつのまにかディーノの心臓も高鳴り始めていた。
「僕だけ、なんて癪だよ」
もう一度繰り返して、雲雀がゆっくりと唇を合わせてくる。そんなの雲雀の勝手な言い分なのに、ディーノはそれを拒めなかった。
唇を摺り合わせ、舌を絡ませていけば、今度はもう塩辛さなど感じない。キスを繰り返していると、雲雀の心臓がさらに早鐘を打っていくのが、未だ触れたままの手越しにディーノに伝わってきた。
びしょぬれの体に風を受け、それなのに少しも寒くなんてない。逆に、すっかり冷えていたはずなのに、今や熱いくらいだった。
ディーノの髪を撫で頬を撫でる、さっきは冷たかった雲雀の手も、すっかり熱を持っている。
いつのまにか、ディーノも雲雀へと手を伸ばし、塩で少しべたつく髪に指を通し後頭部を引き寄せていた。
波の音も聞こえず、目を開いても雲雀しか見えず、光景に乗せられてしまったなんてもう言い訳にもならない。
はぁ、と呼吸する為に口を離しても、ディーノはもうハッと自分の行動を疑うこともなく、雲雀を撥ね付けたいとも思わなかった。
ボンヤリ浮かび上がっている月の明かりを受け、いつもよりも雲雀がやわらかく映る。この少しの間に、雲雀のいろんな面を見た気がして、ディーノは自然と表情をゆるめていた。
何がおかしいのかと、少し眉をしかめる雲雀の手を取って。ディーノはお返しのように、さっきから高鳴りっぱなしの自分の胸へと、導いていった。
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