ミルフィオーレファミリーが誕生したばかりで、まだ慣れない隊服の襟を気にしながら、正一は通路を歩いていた。
同じ隊服の色違いを身につけたブラックスペルのものたちから向けられる敵対心あらわな視線に、自らの研究室へ向かう足取りも自然と速くなる。
「・・・・・・・・・」
しかし、正一はその足をピタリととめた。まさかと、まずは自分の目を疑う。
それでも、ブラックスペルのものたちと通路に立ち止まって話し込んでいるのは、やっぱりスパナだった。
高校生のとき国際ロボット大会で出会ったスパナとは、それ以来メールなどで連絡を取り合っている。勿論、今でも。
だが、互いに私生活の話をしたことはなくて。まさかスパナがマフィアだったなんてと、正一は自分のこと棚上げで驚いた。
「ス・・・!」
こんな偶然の再会はまるで漫画か小説のようだと思いながら、つい声を掛けようとして、しかし正一は慌てて言葉を切る。
ホワイトスペルの人間は正一も全員把握しているし、つまりスパナはブラックスペルなのだろう。この場にはホワイトスペルもブラックスペルもいる。互いの立場を考えれば、以前からの知り合いだということは隠しておいたほうがいいと正一は考えた。
だからこのまま通り過ぎようとしたそのとき、スパナと目が合ってしまう。気付いてくれた、再会はこんな場でなければとても嬉しかったのに。
「入江様?」
「いや、なんでもない」
隣の部下に、溜め息を呑み込んでそう答えて。正一はスパナに向けていた視線を前に戻し、その場を立ち去った。
昼間より人通りの減った通路を、警備兵の巡回の隙を狙いながらそーっと歩く。そうやって正一は、どうにか誰にも会わずにスパナの研究所に辿りついた。
正一はホワイトスペルで、対してスパナはとても仲が良いとは言えないブラックスペルの一員で。そんな立場の違いもあるし、昼間は無視してしまった形になったし。スパナがどんなふうに自分を迎えてくれるのだろうと、不安に思いながら正一は扉をくぐった。
「・・・やあ、久しぶりだね、スパナ」
出鼻を挫かれないよう、黄色い頭を見付けるなり声を掛ける。するとスパナは、何故か這いつくばったような体勢のまま、正一を見上げてきた。
「正一・・・ちょうどよかった」
そして、また床に散らばる工具や書類を掻き分けながら、呑気な声で言う。
「大事な部品がなくなって・・・探すの手伝ってくれないか?」
「え、ああ・・・」
なるほどそれは探しものをしている体勢だったのか。突然の頼みごとにちょっと面食らいながらも、正一は探しものが何かを確認してからしゃがみ込んだ。辺りをひっくり返しまくっているスパナの様子に、放っておけばいつまで経っても見付からない気がした。
それから軽く数分は探して、正一はようやく書類の間からその部品を見付ける。
「あ、これじゃないか!?」
「・・・ああ、それだ」
四つん這いのまま近寄ってきたスパナは、頷いてからそれを受け取った。
「ありがと、正一」
「どういたしまして・・・」
反射的に答えて、立場も距離も何も感じさせないスパナの態度に、正一はつい噴き出してしまう。
「ははっ、君って・・・」
「ん?」
「いや・・・」
キョトンとした顔をしているスパナに、すっかりリラックスした気分のまま、正一は素直に気持ちを言葉にして伝えた。
「ビックリしたけど、会えて嬉しいよ、スパナ」
「うん・・・ウチも驚いた」
本当か疑わしいボンヤリした表情で言ってから、しかしスパナはめずらしく笑顔を見せる。
「ウチも、嬉しい」
「・・・・・・・・・」
その瞬間、正一は胸がギュッとするような変な感覚に襲われた。首を傾げたくなりながらも、正一はここに訪ねてきた本題を切り出す。
「あの、ホワイトスペルとブラックスペルの関係は、君も知っているだろう?」
「うん、一応」
「君にとってはどうでもいいことなのかもしれないけど・・・やっぱり、表立って仲良くすることは出来ないんだ」
「うん」
頷きながら話を聞いてくれるスパナに、正一は僅かに緊張しながら問い掛けた。
「でも・・・だから、コッソリになるけど・・・たまに、ここに来てもいいかな? 立場とかは関係なく、君のことは・・・」
何故かそこでちょっと言葉が詰まってしまって、スパナの反応が怖いからだろうかと思いながらも、続ける。
「友達、だと・・・思ってるから」
「うん・・・歓迎する」
するとスパナから返ってきたのは、笑顔付きのそんな言葉で。正一はホッと胸を撫で下ろしながら、顔を綻ばせた。
この日もスパナのいる研究所へ、人目を避けながらそーっと向かう。存在感を消すのが昔からわりと得意で、それがこんなふうに役に立つなんてと思いながら、正一は近付いていく距離についこの前の出来事を思い出していた。
毎度見付からないかドキドキしながらもスパナの部屋に無事辿りついて、正一はいつもドアをくぐるなりホッと溜め息をもらす。
そして、スパナが緑茶で出迎えてくれるから、それを頂いて益々気が抜けながら。自然と口が動いていた。
「こうやってコソコソしてると・・・なんだか、逢い引きみたいだ・・・」
「・・・アイビキ? 日本語か?」
日本に惹かれているスパナが、正一の言葉を聞き流さず興味を示してきた。おかげで正一は、ようやく自分が何を言ったのかに気付いてしまう。
「あっ、な、なんでもないよ!」
慌てて首を横に振りながら、正一は動揺した。
逢い引き、なんて言葉は、恋人同士の為のものだ。
その言葉を自然に使ってしまった自分に、正一はドキリとする。スパナとは友達のはずなのに、でも確かにここに来る正一の気持ちは、そう表現してもおかしくないもののような気がした。
多少の危険を冒してもここに来てしまう、一緒にいたら楽しくて安らげる、スパナに会いたい。
それから、正一がスパナへの思いを自覚するのに、そう時間は掛からなかった。
同じ組織の中で敵対するグループの相手を好きになるなんて、まるで恋愛小説みたいだと正一は思う。ロミオとジュリエット、ほど悲劇的ではないしそんな柄でもないが。でもその主人公たちも、こんなふうに悩ましく、そしてそれでも幸せな気持ちでいたのだろうかと、ちょっと親近感が湧く気がした。
今日もスパナは緑茶を出してくれて、正一はズズッと啜ってホッとしながらも、それに反するでも心地のよい高揚感を覚える。
「・・・そういえば、正一」
「なんだい、スパナ」
すると隣から呼び掛けられて、正一は何気なく問い返した。スパナも美味しそうに緑茶を飲みながら、思わぬことを言ってくる。
「逢い引きを日本語辞書で引いたら、『相愛の男女が人目を避けて会うこと。密会』って書いてあったんだけど・・・」
「ぶっ!!」
まさかそこを蒸し返されるとは思ってもいなくて、正一は緑茶を噴き出した。途端に焦る正一に、スパナは不思議そうに疑問を口にする。
「ウチと正一は男女じゃないから・・・用法間違ってるんじゃないのか?」
「・・・そっちかい!!」
相愛でなく男女に引っ掛かったスパナに思わずつっこんでから、正一は慌てて口を押さえた。
「・・・そっち?」
「いや・・・なんでもないよ・・・」
「・・・・・・」
何かを探る研究者のような眼差しを向けられ、それでも動揺を抑え付けて対せば、スパナは再び前を向いて緑茶を啜る。そしてハァと息を吐いてから、僅かに口元をゆるめて言った。
「でも・・・逢い引き、っていい響き」
「・・・そうかい?」
まだその話題を引っ張るのかと心臓を傷めながらも、自分が変えるのも不自然かと正一は仕方なく相槌を打つ。
するとスパナの口から、さらに正一をドキッとさせる言葉が出てきた。
「ウチ、日本の恋愛小説読んだ」
「・・・・・・・・・」
ついこの間まるで恋愛小説みたいだなんて思ったばかりだから、ギクリとした心地で眼鏡を押し上げる正一に対して、スパナは嬉々として語る。
「逢い引き、恋文、忍ぶ恋・・・日本人の感性は、素敵だ」
「・・・・・・」
一体いつの時代の恋愛小説を読んだのだろう。とちょっと思いながらも、正一は益々動悸を早めていた。忍ぶ恋、だなんてまさに今の正一の状態だ。
まさかスパナがそれをわかった上で言っているわけはないだろうが、と正一は自分を落ち着かせようとしたのだが。
「シャイで繊細で・・・奥ゆかしい」
と、スパナは正一に視線を流し、ニンマリ笑ったように見えた。もしかしてバレているのだろうか、正一は一気に顔が熱を持っていくのを感じる。
「す、スパナ・・・その・・・」
おそるおそる正一が確かめようとすれば、スパナは飲み終わったのか湯呑みを床に置いた。それからフラリとした動きで、正一の向かいに移動してくる。
さらに近付いてくる読めない表情が間近からジッと見つめてくるから、正一は益々顔が赤くなってしまった。
するとスパナは、まるで試算で期待通りの結果が出たときのように、目を細めて笑う。
「正一、わかり易い」
そして、そう言ったスパナの唇が、正一の唇に重なってきた。
「・・・!!??」
丸く見開いた正一の目に映るのは、やっぱりスパナのどこか楽しそうな笑顔で。軽い接触に、驚き動揺した正一は、パッと弾かれたように後退りして距離を取った。
「す、スパナ・・・き、君は・・・っ!」
そしてその行動の意味を確かめようとした正一は、しかし動いた拍子に、まだ空になっていない湯呑みを倒してしまう。床に広がった緑茶は、スパナが撒き散らかしている書類にまで及んでいった。
「ああっ、ごめんスパナ!!」
「乾けば平気だ」
正一が慌てて引き上げた半ばまで緑色に染まった書類を、スパナは受け取りヒラヒラと振ってのんびり乾かし始める。
正一も布巾を借りて床を拭きながら、この間抜けな展開にやっぱり恋愛小説なんて自分の柄じゃないなと、そっと溜め息をもらした。
チラリと視線を向ければ、スパナはさっきまでの出来事なんてまるでなかったかのように、いつものボンヤリした表情で書類をパタパタさせている。
それでも、正一の唇にはしっかりと、スパナの感触が残っていた。
「・・・・・・・・・」
確かめなければと思いながらも、ずばり聞く度胸がなくて、正一は遠まわりする。
「・・・スパナ、そういえば、その恋愛小説の結末は?」
彼らの恋は成就したのだろうか、もしそうならそれにあやかろうと思った正一に、疲れたのか手をとめてスパナが教えてくれた。
「アンハッピーエンド。思い合ってるのに結ばれない、だからこそ美しいラストだった」
「・・・・・・そうか」
物語としてはそれでいいかもしれないが、自分と重ねていただけに、正一は溜め息をつきたくなる。しかし、でも、とスパナが言葉を続けた。
「ウチは、ハッピーエンドのほうが好きだ」
「・・・・・・・・・」
思わず視線を向ければ、スパナと目が合う。その言葉はどう解釈すればいいのだろう、額面通りただ好みの話なのだろうか、正一は迷いながらも言葉を返した。
「僕も・・・そのほうが好きだよ」
物語ならともかく、現実のスパナとの恋は、出来るなら実らせたい。
「あの、スパナ・・・!」
その思いを口にしようとしたところで、部屋に入ったとき脱いで置いておいた正一の上着から、連絡用無線が無粋な音を立てた。
なんてタイミングの悪さだろう、やはりどうあっても小説のように綺麗に纏まりそうにないと、正一はガックリする。
かといって呼び出しを無視して居場所を探られても困るので、仕方なく上着を掴んで一旦コールを切って。
「じゃ・・・、また会いにくるよ」
ちょっと情けなさを覚えながら、正一はでもまた機会はあると自分を慰めつつ、いつものセリフを口にした。
すると、いつもは手を振るとか頷くとかそれくらいの反応しか返さないスパナが、問い掛けてくる。
「逢い引き?」
「・・・・・・・・・」
スパナの指摘した通り、男女、ではないけれど。やっぱり正一は、そのつもりでいたかった。
「そう、それ」
だから肯定してみれば、スパナはまるでその言葉を待っていたかのように、笑ってくれる。つられて正一も、顔を綻ばせた。
再会こそ多少は劇的だったが、恋愛小説みたいにはいまいち決まらなくて不恰好で。でもハッピーエンドに辿りつけるのなら、そんなの構わなかった。
スパナも同じように望んでいるのなら、幸せな結末の確率は、きっとそんなに低くない。
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