ミルフィオーレとの戦いも終わりイタリアに戻る前、ディーノは迷いながら、その足を雲雀の地下アジトへと向けていた。 ロマーリオを介して草壁に、雲雀に話を通してもらったら、断られるかとも思っていたが返事はOK。 意外に思いつつも、ディーノはかつての恋人の元へ向かった。
リング戦に際して、ディーノは雲雀の家庭教師をした。それが出会いのキッカケで、それから関係を持つようになった直接的なキッカケは、もう覚えていない。 なんとなく受け入れながらも、ディーノは確かに雲雀に好意を持っていた。ただ、好きだと口にはしても真剣に伝えたことはなかったし、雲雀からそういう類の言葉を聞いたこともない。雲雀がどう思っていたのかディーノには今以ってハッキリとわかっていないし、だから本当は「恋人」だったのかどうかも怪しかった。 数ヶ月に一度しか会えず、そしてようやく会えても体を重ねるだけの曖昧な関係。そんな関係だったから、結局2年と持たず終わってしまった。心の繋がりなんて感じたことがなくて、会う機会が減ればそれだけで関係も薄れていったのだ。 何年も前にディーノは新しい恋人がいると伝え、雲雀にもまた相手がいることを聞いていた。それ以来、仕事柄たまに連絡を取ることはあっても、直接顔を合わせることはほとんどなく。個人的な交流は、ほぼ絶えていた。
だから、ディーノが雲雀の日本のアジトに来るのも、これが初めてのこと。案内され、つい周りを見まわしながらも着いた部屋で、雲雀が待っていた。 和服に身を包み、座布団にゆったりと腰を落ち着けている雲雀は、この和風の部屋に馴染んでいる。ここで異質なのは自分なのだと、ディーノは少し居心地の悪さを感じた。来たことを後悔しそうになるが、部下は襖を隙間なく閉め下がってしまう。 「・・・・・・・・・久しぶりだな」 部屋の真ん中に腰を下ろしている雲雀に、どう声を掛けようか迷いながらも、訪ねてきたのは自分なのだからと口を開いた。 「・・・ケガの具合は、よさそうだな」 「まぁね」 結局当たり障りのないことしか言えないディーノに、雲雀は昔と変わらず素っ気なく返してくる。こちらに視線を向ける素振りもなく、ディーノはやっぱり帰ろうかと思った。 しかしその前に、意外にも雲雀が向かいの座布団を手で示してくる。 「・・・座ったら?」 「ああ・・・」 とっさに頷いて返してしまい、ディーノは躊躇を感じながらも雲雀の目の前に腰を下ろした。雲雀との距離は、1メートルもない。雲雀とこんな近い距離で向き合うのは、本当に久しぶりで、ディーノは僅かに緊張した。 雲雀は自ら急須を傾け、湯呑みに注いだ緑茶をディーノに出してくれる。 「・・・サンキュ」 また意外に思いながらも、ディーノは湯呑みを手に取ろうとした。しかし触れた瞬間思った以上に熱くて、パッと手を離すと湯呑みが倒れてしまう。 「悪ぃ!」 あっというまに畳に広がる緑茶に焦りながらもどうしようかと思っているうちに、雲雀が素早く布巾で拭ってくれた。 昔の雲雀なら、呆れて馬鹿にするか苛立って追い出すか、そういう対応が簡単に想像出来るのに。 「あなたは・・・相変わらずだね」 「・・・・・・・・・」 怒るわけでもなく、逆に小さく笑いながら言う雲雀に、ディーノは反対の感想を覚えた。 「おまえは・・・変わったな」 自分といた頃とは違う、雲雀をそんなふうに変えたのは今の恋人なのだろうかと思うと、ディーノに湧き上がる気持ちがある。 でもそれを口にしてもどうしようもないだろうと、ディーノは言葉には出来なかった。 「・・・10年前の僕はどうだった?」 「ああ・・・そうだな、懐かしかった」 改めて緑茶を差し出しながら話題を振ってくる雲雀に、今度は湯呑みにすぐには手を出さないことにして、ディーノは答える。 今日ここに来ようと思ったのも、そのことがキッカケだった。 「・・・おまえと会った頃のことを、思い出した」 雲雀と、キスしたり抱き合ったり、していた頃を。 あの頃に戻れるなんて思っていない。でも、出来るなら戻りたいと、そう少なからず思っている自分に、昔の雲雀に会ってディーノは気付いてしまったのだ。 あの頃に戻れたって、それから今まで、ずっと一緒にいられるかなんてわからないのに。そしてきっと、こんなふうに感傷めいたことを思っているのは自分だけなのだろう。 なのにこうやって雲雀を訪ねてきて、一体何を期待していたのだろうかとディーノは自嘲したくなった。 「・・・ねぇ、僕らしくないこと、言っていい?」 「・・・・・・え?」 そこに雲雀から聞こえてきた言葉に、ディーノが顔を上げれば、目が合う。その益々鋭くなった切れ長の瞳に、こんなふうに真っ直ぐ見つめられるのは初めてだった。 それだけで胸がざわめくディーノに、確かに雲雀の口から出るとは思ってもいなかった言葉を、雲雀は向けてくる。 「僕は・・・あの頃に戻れたらいいのにって、思うことがあるよ」 「恭弥・・・?」 それはさっき自分が思ったことと似ていて、でも雲雀の言うあの頃が同じときのことなのか、同じ気持ちで言っているのか、わからない。 「ねぇ、もう一つ、言っていいかな」 戸惑うディーノに、雲雀はまた似たような前置きをしてから、少しも視線を逸らさず言った。 「僕は、あなたが好きだった。愛してたよ」 「っ!」 まさか、あの頃雲雀がそんなふうに思っていたなんて、今になってそれを知るなんて。ハッと目を瞠りながら、でも今頃そんなことを言って雲雀が何を伝えようとしているのか、ディーノもジッと雲雀を見つめ続けた。 「あの頃は言ったことがなかったけど・・・言おうと、思ったこともなかったけどね」 「・・・・・・・・・」 「あの頃の僕に足りなかったものが、今の僕にはわかる気がする・・・」 「・・・・・・・・・」 ただ昔を顧みて昔話に花を咲かせようとしているだけなのだろうか。それとも、今なら上手くやれる、そう言いたいのだろうか。 まだわからなくて、何も言えないディーノに、雲雀は昔では考えられないほどの饒舌さで言葉を重ねてくる。 「あんなふうに誰かに強い執着を抱いたことは、あれ以降なかったよ」 「・・・・・・でも」 どんどん期待してしまいそうになる自分を抑えるように、ディーノはようやく口を開いて問い掛けた。 「・・・恋人、いるんだろ?」 「その言葉が当てはまるかはわからないけどね」 「・・・・・・」 雲雀からはハッキリとした肯定も否定もなく、自分はどちらの返事を望んでいたのだろうと思っても、ディーノには今自分を見つめる暇はなかった。 「でも、あの頃の・・・あなたに対するような気持ちには、なれない」 「恭弥・・・・・・」 雲雀の一言一言が、否応なくディーノを揺さぶり、背を押そうとしてくる。 今、雲雀は一歩踏み出してきたのだろうか、自分からも一歩近付いていいのだろうか。今なら、あのときのような失敗をせず、上手くやれる気がする。ディーノだって、あの頃雲雀に抱いていた感情を、超える思いを他の誰にも抱くことはなかった。 だからといって、やり直そうなんて。雲雀はそんなこと望んでいるのだろうか、自分は望んでいるのだろうか。 「・・・あなたは、・・・恋人とは上手くいってるの?」 「・・・・・・オレは・・・・・・オレ、は・・・」 どうにか合わせ続けてきた視線を、ディーノは伏せた。 今すぐにでも手を伸ばし雲雀に触れたい、そんな思いを抑え込むべきなのか従ってもいいのか、迷うディーノに雲雀の呟きが届く。 「・・・やっぱり、こんな遠まわしなやり方、僕には合わないみたい」 「・・・・・・え?」 つい視線を上げると同時に、ディーノの視界がグルリとまわった。また湯呑みが倒れ緑茶が畳に広がっていくが、雲雀は気にも留めずディーノは気付きもしない。 真上から見つめてくる雲雀の顔が、ゆっくり近付いてきた。そして唇に、やわらかく懐かしい感触が触れた瞬間、ディーノの思考は停止する。 まるで染み付いた行動のように、ディーノの腕が無意識に雲雀の背を抱いた。何度も触れやがて深くなっていく雲雀からのキスを、受け入れ応える。 雲雀がどんなつもりなのかなんてどうでもよくて、ディーノはただ夢中で雲雀を手繰り寄せていった。 今でも誰よりも、雲雀を愛している。 その姿を見て目が合って声を聞いて、そして雲雀に触れられた瞬間、ディーノはそれを改めて思い知ったのだ。
は、と息を吐いたディーノの、額に張り付いた前髪を雲雀が梳く。そんな優しい仕草をされたのは初めてだが、言葉よりも体が先行してしまうのはあの頃と変わっていない、そう思うとなんだか可笑しかった。 「ハハっ」 「・・・何?」 「いや、なんでもない」 でもあの頃と違って、今は雲雀が自分に向ける感情がわかる。それは、昔の雲雀がわかりにくかったからなのか、それとも昔のディーノが鈍かったからなのか。 ディーノが引き続き髪を撫でてくる手に触れていけば、雲雀はその手を取ってチュッと口付けてくる。やっぱり昔は決してしなかった動作に、雲雀が変わったからかもしれないと思った。 それもそうだろう、あれからもう10年近く経つのだ。ディーノだって雲雀だって、変わらないはずがない。ディーノは今の雲雀を取り巻く環境も、毎日をどんなふうに過ごしているのかも、何も知らなかった。 「・・・恭弥」 ディーノが気怠い体を起こしていくと、雲雀は半分脱げかけで体に纏わりついているシャツを肩に掛け直してくれる。 そんな些細な所作にも、言葉にも、視線にも、雲雀の自分へ向かう愛情が見える気がした。 でも、雲雀がどういうつもりなのかは、わからない。さっきはそれでもいいと思えたが、僅かに冷静さを取り戻した頭で、そうもいかないとディーノは思い直した。 そこがハッキリしなければ、先には進めない。一時だけの遊び、それで終わらせるのは、嫌だ。 「おまえ・・・恋人、いるんだろ?」 さっきははぐらかすような答えしか返ってこなかった問いを、ディーノはもう一度雲雀に向けた。 すると雲雀は、首を横に振って返してくる。 「お互い心なんて伴わない、割り切った相手しかいない」 「・・・そうなのか?」 「言ったじゃない・・・誰にも、あなたに対するような気持ちにはなれなかった」 少し安堵しながら、それでも少しその相手に嫉妬してしまうディーノに、雲雀はやはり言葉を惜しまず伝えてきた。手を伸ばし、ディーノの頬を撫でながら。 「僕は今でも、あなただけを愛している」 「・・・・・・・・・」 真っ直ぐ自分に向かう、言葉が思いが、ディーノは嬉しかった。嬉しくて嬉しくて堪らなくて、すぐに言葉が出てこないディーノに、雲雀は苦笑気味に話を続けていく。 「でも、こうやってあなたが訪ねてきてくれなかったら、僕からはどうもしなかったと思うよ」 「・・・そうなのか?」 「あなたが恋人と上手くやってるのに、自分だけ未練がましく思い続けてるなんて、言えるはずもない」 「・・・・・・・・・」 その気持ちはディーノにもよくわかった。自分ばっかりまだ雲雀を好きで、自分ばっかり引き摺ってて、きっと全然そんなことないのだろう雲雀にそれを知られたくなくて、ディーノは嘘だってついたのだ。 そしてこうやって会いにきても、雲雀に気持ちがないのを知るのが怖くて、自分からは何も出来なかった。 でもそんなディーノに手を伸ばしてきてくれた雲雀は、その思いを正直に伝えてくる。 「昔の僕と会えば、懐かしんで会いにきてくれるかも、とは思ったけど」 「・・・思うつぼだったんだな」 「そうだよ。だからといってどうしようと思っていたわけじゃなかった、のかどうかは今となってはわからないけど。結局、あなたを目の前にしたら、抑えが利かなくなった」 「恭弥・・・」 雲雀はディーノを引き寄せ軽く唇を重ねてくると、そのままの至近距離で瞳を合わせ、熱の篭った口調で言った。 「あなたに恋人がいようが関係ない。奪ってあげるよ」 「・・・・・・」 そしてもう一度キスされ、またディーノの胸が苦しいくらいの喜びで満たされる。でも今度はちゃんと返事をしようと、言葉を搾り出していった。 「・・・それは、無理だ」 軽く首を横に振ってから、ディーノはようやく本当のことを雲雀に伝える。 「だってオレ、10年前におまえに奪われたっきりだ・・・。おまえ以上に好きになれるやつなんて、一人もいなかった。恋人なんて、最初っからいない」 雲雀と同じように、自分ばっかりいつまでも雲雀のことを忘れられなくて恋人も作れないなんて癪だったから、恋人がいるなんて嘘をついたのだ。 「・・・・・・・・・」 そんなこと思ってもいなかったのだろう、きょとんとする雲雀の表情が可愛くて、ディーノはつい笑いをもらした。 そしてあの頃と変わらない、もしかしたらもっと強くなった思いを、口にする。 「オレも、今でもおまえだけ、愛してる」 「・・・・・・・・・」 ディーノが今度は自分から雲雀を引き寄せ、唇を重ねていけば、目を丸くしていた雲雀はやっと表情をゆるめた。 鋭い切れ長の瞳が、それでも優しく微笑む、雲雀のそんな笑い方を見るのは初めてで。やっぱり雲雀はあの頃の雲雀ではなく、ディーノもまたあの頃のディーノではない。だからこそきっと、今度こそ上手くやれるはずだ。 ディーノが離れていた時間を埋めるようにしっかり抱きしめていくと、雲雀も随分と成長した腕でディーノの知らない力強さで抱き返してくる。 こうやって触れるたびに、失くしていたものを取り戻したような感覚と共に、また新しく雲雀に惹かれていく自分を感じた。 どんどん溢れてくる雲雀への思いと湧き上がる喜びに満たされながら、ディーノはもう一度思う。離れていた期間があるからこそ、もう離れたくない離さない、今度こそきっと上手くいく。
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