確かに今は、梅雨の季節。しかし、朝は綺麗に晴れていたから、うっかり油断してしまったのだ。
というわけでツナは、あと一歩で屋根がなくなる、というところで立ち尽くしていた。家までの数分で、この雨ならずぶぬれになってしまうだろう。とはいえ、傘がないのだから仕方ない。
あとは覚悟を決めるだけ、と思っていたツナに、うしろから声が掛かってきた。
「10代目、どうされたんですか!?」
「獄寺君」
駆け寄ってきた獄寺は、すぐに状況を悟ったようだ。少し誇らしげに、笑顔でツナに持っている傘を差し出してきた。
「どうぞ、お使い下さい!!」
「え、でも・・・」
獄寺らしいが、さすがに受け取ることは出来ない。手を伸ばせないツナに、獄寺はしかし強引に傘を押し付けてきた。
「心配無用です、10代目! こういうこともあろうかと!!」
そして獄寺は、鞄の中から折り畳み傘を取り出してくる。備えあれば憂いなし、ツナは感心した。
「さすがだね、獄寺君」
「勿体ないお言葉です!!」
嬉しそうに笑う獄寺に、いつもは困惑させられることも多いツナだが、今は正直助かるから笑い返す。
「じゃ、借りるね。ありがとう」
「はい、どうぞ!」
ありがたく、水色の傘を開こうとしたツナは、しかし手をとめた。
「あ、やっぱり雨・・・」
そう呟く声が、背後から聞こえたのだ。ツナが聞き間違えるはずもない、京子の声だった。
「京子ちゃん!」
「あ、ツナ君」
ツナを見て笑顔になった京子は、肩に鞄を下げて、手ぶらだ。どうやら傘を持っていないらしい。
「京子ちゃんも、傘忘れたの?」
「うん・・・朝晴れてたから、つい・・・」
同じだ!と一瞬喜びかけたツナだが、今はそれどころではないとすぐに思い出す。傘がなくて困っている京子に、ツナがしてあげられることは一つだ。
獄寺に借りた傘ではあるが、これを京子に使ってもらおうと思った。自分は、獄寺に入れてもらって帰ればいい。
そう思って、持っていた傘を京子に差し出そうとしたツナだったが。
「じゃ、10代目! お先です!!」
そう言って獄寺が、折り畳み傘を開きながら雨の中に出て行ってしまった。
「えっ、獄寺君!」
待ってオレも、と言おうとしたツナに、獄寺はウィンクしながら去っていく。もしかして、気を利かせてくれたのだろうか。
「・・・あ、あの、京子ちゃん」
せっかくの獄寺の好意だし、ツナは勇気を出して、言ってみた。
「よ、よかったら・・・入ってく・・・?」
すると京子は、首を傾げてツナを見てくる。
「え、いいの?」
「勿論、どうぞ!」
むしろツナとしては願ったり叶ったりだから、逸るように傘を広げて雨にかざした。これで断られたら、ちょっと立ち直れないかもしれない。
つい心配してしまうツナだったが、京子はすぐに笑顔で言ってくれた。
「じゃあ、よろしくね、ツナ君」
「・・・うん!」
そして二人は、並んで雨の中歩き始めた。
それはいわゆる、相合傘と呼ばれるもので。傘のサイズは限られているから、自然と近い距離になる。腕が、触れ合うくらいの距離。
すぐ隣に京子がいると思うと、ツナはドキドキとうるさい心臓を宥めることも出来なかった。京子に聞こえているのではないかと心配になるくらいで、落ち着かないとと自分に言い聞かせながら。ツナはつまらないと思われたくないので、途切れないように話題を振って。
その努力のおかげか、京子はツナの隣で笑ってくれている。
ツナは、なんて幸せなんだろうと思った。
こうやって、すぐ隣に京子がいる。言葉をかわすことが出来る。その笑顔を見ることが出来る。どれ一つとっても、ツナにとっては充分なくらい幸せなことなのだ。
しかも今、一つ傘の下という、なんだか雨によって隔絶された世界に二人っきりのようなシチュエーション。
もしかして、傍から見たら、恋人同士に見えるんじゃないだろうか。ツナはそうも思ってしまって、いやそれは高望みしすぎかな、と思い直しながらも気持ちは昂ぶり。
そんなときだった。向かいから歩いてきた、大学生くらいの女性の二人連れが、すれ違いながらした会話が耳に届いたのだ。
「ねえ、今の、中学生カップルかな」
「じゃない? 相合傘して、可愛いね」
ツナはつい、周りを見回した。だが、さっきの会話に当てはまる二人組みは、自分たち以外にいない。
恋人同士に見えるかな、そう思っていた直後だったので、ツナはとても嬉しかった。お似合いだと言われているようで、嬉しかった。
つい幸せ気分に浸りそうになったツナは、しかしハッと気付く。さっきの会話を、京子も聞いたのだろうか、だとしたらどんな反応をしているのだろうか。
ツナは期待してしまうような不安なような、ドキドキしながら京子にチラリと視線を向けた。するとちょうど同時に、京子もツナに視線を向けてくる。
当然、目が合った。京子の頬は赤く染まり、おそらくツナも同じで顔が熱い。ついパッと弾かれるように、お互いに視線を外してしまった。
「・・・・・・ご、誤解・・・されちゃったね」
「・・・・・・・・・」
やはり京子も、さっきの会話を聞いていた。視界の隅に映る、京子のピンク色の頬が、ツナに期待させる。あんなふうに言われて、嫌じゃなかったのだろうか、もしかして自分と同じように嬉しかったのだろうか。
「うん・・・つ、付き合ってるように、見えたのかな・・・」
「・・・・・・そ、そうだね・・・」
ツナは益々ドキドキしてくる。もしかして、京子の気持ちも同じかもしれない、そう思うのをとめられなくなっていく。
いつもより近い距離が、気持ちまで近いと、錯覚させているのだろうか。錯覚、なのだろうか。
京子とカップルに見えたのが、嬉しい。そう言われて、京子と顔を見合わせて、ちょっと照れくさいって言いながらも笑い合えたら、もっと嬉しい。
「・・・京子ちゃん!」
溢れる思いに突き動かされるように、ツナは口を開いていた。
「え?」
ツナにつられて、京子も足をとめる。見つめ合う、その距離は多分、今までで一番近くて。
だからだろうか、京子が自分の言葉を待っていると、ツナにはそんなふうに思えてしまった。
「京子ちゃん、オレ・・・オレは・・・」
傘を握る手にギュッと力が入り、緊張で口の中が乾いてきて。辺りを包む雨音が、突然大きく聞こえ始めた気がした。
京子は、ただ黙ってツナの言葉を待っている。その頬は、未だ赤く染まっている。
オレは、京子ちゃんが、好きです。
今まで何度も一人呟いてきた言葉を、今まで何度も呑み込んできた言葉を、京子に。
「オレはずっと、京子ちゃんのことが・・・・・・っ!?」
しかしツナの言葉は、最後まで続かなかった。
「危ない!!」
ツナはとっさに、京子を壁側にかばう。脇を通り過ぎていった車が、遠慮なくツナに水しぶきを浴びせてきた。
背中がびしょぬれになっているだろうが、ツナは自分のことには構わず、京子に問い掛ける。
「・・・だ・・・大丈夫だった?」
「う、うん・・・」
京子は驚いたような表情で、ツナを見返して頷いた。
ホッとしたツナは、一瞬遅れで状況に気付く。かばった勢いで、まるで京子を壁に押し付けるような体勢になっていた。
「・・・あっ、ごめん!!」
ツナは慌てて離れようとして、しかし傘を持っているのは自分だから、また慌てて距離を少し戻す。
「ご、ごめん・・・」
「ううん・・・」
首を横に振った京子は、パッと目を丸くした。
「ツナ君、背中、ぬれてるよ!?」
「あ、うん・・・これくらい、平気だよ」
気にさせたくなくて、ツナはあっさりした口調で言って、歩き出す。つられて歩き出しながら、京子はまだツナを遠慮がちに見つめてきた。だが、ツナが気にして欲しくないと思っていると、わかったのだろう。
「・・・ツナ君、ありがとう」
京子は微笑んで、そう言ってくれた。
その言葉、笑顔で、ツナはとたんに幸せな気分になる。背がずぶぬれになっていることも、もう気にならなかった。
「京子ちゃんがぬれなくて、よかった」
「ツナ君・・・」
京子はツナを見つめ、一度視線を逸らし、それからもう一度視線を向けてくる。
「・・・あの、さっき・・・何言いかけたの・・・?」
「えっ!? あ・・・」
そういえば、車が水を跳ね上げたおかげで、告白しようとしていたのが中断されてしまっていた。勿論、ツナは忘れていたわけではないが。京子のほうから蒸し返してくるなんて、思ってもいなかったのだ。
「それは・・・」
ツナを再び動悸が襲う。一度水を差されてしまったから、また勇気を振り絞るのは大変で。それでもツナは、口を開いた。
「・・・オレ、オレは・・・」
再び足をとめたツナに、合わせて京子も足をとめる。
「京子ちゃんのことが、す・・・す・・・」
ずっと言えなかった言葉だから、なかなか形には出来ずに。それでもツナは、今度こそと、京子を真っ直ぐ見つめて。
「好・・・き、ぶえっくしょん!!」
「ツナ君、大丈夫!?」
思いっ切りくしゃみしてしまったツナに、京子が鞄からポケットティッシュを出して渡してくれた。
「あの、鼻水・・・出てるよ?」
「えっ! あ、ごめん・・・ありがとう」
控えめに指摘されて、ツナは恥ずかしくて慌てて鼻を拭う。かっこ悪いところ見られたという思いと、それ以上に、最悪のタイミングでくしゃみしてしまった自分の不甲斐なさにへこんだ。
好き、の2文字目が京子に届いたか届かなかったか、微妙なところで。だから仕切りなおして、改めて告白を、とツナは思い直しかけたのだが。
「ツナ君、風邪引いちゃうよ。早く家に帰らないと・・・」
「・・・・・・あ、うん」
心配そうな顔をして京子にそう言われたら、ツナはそれに頷くしかなくなってしまう。仕方なく、京子に合わせて少し早足で歩き出しながら、ツナは内心で溜め息をついた。
せっかく告白しようとしたのに、2度も、さえぎられてしまうなんて。これは神様が言うなと言っているのだろうか、なんてツナは疑いたくなった。
京子の主張に折れて、先にツナの家に辿りついて。
「ツナ君、本当に、ごめんね・・・ありがとう」
「ううん、気にしないで」
首を振りながらツナが傘を渡すと、しかし京子はすぐには動こうとしなかった。
「・・・あの、ツナ君」
柄をギュッと握りながら、何か言いたそうに、ツナを見つめてくる。ツナはドキリとした。
1度目さえぎられたときは、京子のほうから続きを聞いてきた。今度も、そうなのだろうか。
少し顔を俯けた京子は、しかしパッと顔を上げると、ツナにニコリと笑い掛けた。
「風邪、引かないでね!」
そして、また明日!と言って雨の中に出て行ってしまう。
「あ、また明日!」
慌ててそのうしろ姿に声を掛けてから、ツナはつい溜め息をついた。結局告白出来なくて、ホッとしたような、でもそれ以上にがっかりしてしまう。
京子の反応を思うと、告白するのは怖い。それでもツナにとっては、それよりも京子に気持ちを伝えたい、その思いのほうが強くなっていた。
だからさっきだって、言おうと思ったのだ。好きだと、今日こそ。
でも最後までちゃんと言えなくて、湧き上がる後悔を、しかしツナは一先ず忘れることにした。放っておくと本当に、風邪を引いてしまいそうだから、風呂場に向う。
風邪なんて、引いていられない。そんなことになって、京子に申し訳ないと思わせるのは嫌だった。何よりも、明日もまた学校で、京子に会う為に。
今度こそ、好きだよと、最後の一文字まで伝える為に。
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