「川平のおじさん、ラーメン一丁、おまち!」
今日もバイトに励んでいるイーピンは、常連の川平さんの家に出前に来ていた。もうスッカリ顔馴染みなので、精算の合間ににこやかに世間話をする。
そのとき、イーピンに川平さんが言ったのだ。
「にしても、こんな日まで偉いねえ」
こんな日、というのに心当たりがなくてイーピンが首を傾げると、川平さんは教えてくれた。今日は並盛神社で夏祭りの日なのだと。
それを聞いて、イーピンはようやく、そういえばそうだったと思い出す。8月のイベントといえば3週間後の了平の誕生日しか頭になくて、スッカリ忘れていた。
おかもちを提げて店に戻りながら、そろそろみんな神社に向かい始める頃だろうかと、夕焼け空を見上げて思う。夏祭り、そうだと知れば、イーピンは惜しい気持ちになった。
忙しい了平が、誕生日を自分と過ごす為に予定を空けてくれている。それがわかっているから、贅沢は言えないけれど。でも、一緒に行けれていたら、とつい思ってしまうのだ。
でも自分にもバイトがあるし、と気を取り直してイーピンは店に戻った。
しかしせっかく張り切っていたのに、しばらくして店長が今日は祭りだし客も入りそうにないから閉めることにする、なんて言いだす。さらに、イーピンも祭りにでも言ったらどうか、と言われた。
もう祭りは始まっているし、今さら一緒に行く人もいない。それでもイーピンは、せっかくだしと足を向けてみることにした。
バイト終わりのその足で神社のほうへ向かえば、浴衣姿の男女の姿が自然と目にたくさん入ってきて。自分も浴衣を着て了平と一緒に来たかったな、とつい思ってしまう。
少しの間一人で歩いていて、でもせめて声だけでも聞きたくなって、イーピンは携帯を取り出した。きっと仕事中だろうから繋がらないだろう、そう思いながらも僅かに期待しながら電話を掛ける。
しかし、やっぱりその電話は、一向に繋がらなかった。残念に思いながら、携帯をしまって。このまま一人でいても仕方ない気がして、イーピンはやっぱり帰ろうかなと思う。
そのとき、空に花火が舞った。次々と打ち上げられる花火に、イーピンは自然と足をとめて見蕩れる。夏祭りの主役は、色あざやかで華やかで。
今この瞬間、隣に了平がいてくれたら、イーピンはやっぱりそう思ってしまった。
「了平さん・・・」
思わず呟いた声に、まるで応えるようにイーピンの携帯電話が鳴る。ハッとして取り出しながら、もしかして、とイーピンは期待した。
そして、ディスプレイに表示されているのは、了平の名前。イーピンは急いで通話ボタンを押した。
「はいっ!」
『おっ、イーピンだな。さっきは取れなくて悪かった』
「いえ・・・今、大丈夫なんですか?」
『うむ、構わん』
明瞭な返事を返してから、了平は今度は少し不思議そうな口調で言う。
『しかし、めずらしいな。イーピンのほうから掛けてきてくれるとは』
「・・・・・・」
確かに、仕事中かもしれない忙しいかもしれないと遠慮して、イーピンから電話を掛けることはめったになかった。
「あっ、別に、急ぎの用事があるとかじゃないんですけど・・・」
いつもと違うからと、不安を与えてしまわないようにイーピンは慌てて付け加える。それから、ちょっと寂しくてと動機を正直には言えず、花火を見上げながら口を開いた。
「今、並盛神社で夏祭りをやってて・・・」
『そういえば、そういう時期だったな。楽しんどるか?』
「・・・はい」
変に心配させないように肯定して、でもイーピンはついポロリともらしてしまう。
「でも・・・了平さんがいたら、もっと楽しいだろうなって・・・思います」
『・・・・・・・・・』
すると、電話の向こうで了平がしばらく黙り込んでしまった。もしかして咎めるような口調になっていただろうかと、イーピンはまた慌てる。
「あの・・・」
『イーピン、待っておれ!!』
何かフォローをしようとしたイーピンは、しかし了平のそんな言葉にさえぎられた。
「え・・・っ、了平さん!?」
どういうことかと思っても、電話はすでに切れてしまっている。イーピンは携帯を手に、しばらく呆然としていた。
待っていろ、ということは今から来てくれるということだろうか。まさかと思うが、でも了平はいい加減なことなんて言わない。口にしたことは必ず実現させようと、どんな努力だってする人だ。
だからイーピンは、待ってみることにした。
1時間経ち2時間経ち、そのうち祭りは終わって、人はどんどんいなくなってしまう。それでもイーピンは、もしかしてと思えばとてもこの場を動く気にはなれなかった。
ここが一番見付けてもらえ易いだろうかと、境内に続く石の階段のてっぺんに腰を掛けて、了平を待つ。たまに携帯を見ても連絡は入っていないし、だとしたらその余裕もなく、きっと本当にここを目指しているのだろう。
そして、やがて遠くから自分を呼ぶ声が、確かに聞こえた。
「イーピン!」
「・・・了平さん!」
イーピンも声のほうへと、階段を駆け下りていく。下に辿りつくと同時に、暗闇の中からスーツ姿の了平が現れた。
汗を流し立ち止まるなり膝に手をついて荒く呼吸する了平に、イーピンはまさかと思いながらも問い掛ける。
「・・・走って・・・来たんですか?」
「・・・・・・ちょうど、仕事が終わったところで、来れん距離ではないと思ってな」
「でも・・・」
了平がここまで息を乱しているのだから、相当な距離を走ってきたのだろう。しかし了平は体を起こすと今度は胸を張り、笑って言った。
「何、オレは中3のとき日本5週したのだ、それに比べればこれくらいどうってことない!」
「・・・・・・・・・」
「はっ、しかし、祭りはもう終わってしまっているな・・・すまん」
すっかり灯りが消えて静まり返っている神社を見上げ、了平は心底申し訳なさそうに項垂れる。
少し考えればわかりそうなことなのに、そんなことに頭がまわらないほど全力で、会いにきてくれた。そんな了平に、イーピンは思わず抱き付いていく。上等そうなスーツは、しっとりとぬれていた。
「・・・すごい汗」
「す、すまん!」
謝りながら離れようとする了平に、イーピンはさらにギュッとしがみ付く。
「了平さん・・・嬉しいです」
「・・・そ、そうか! よかった、走ってきた甲斐があったというものだ!!」
「・・・・・・」
いつでも全力な了平に、こうして思ってもらえているのが自分だという幸せを、イーピンは噛み締めた。
「よし、来年は一緒に来ような!」
「・・・・・・」
張り切って言う了平は、その約束を守る為にきっといろんな努力をしてくれるのだろう。今日のように。
無理しなくていい、イーピンはそう言いかけた。忙しい了平の負担になってはいけない、迷惑を掛けてはいけない。イーピンはずっとそう思っていた。
でも、走ってここまで来てくれた了平は、無理とも負担とも、きっと少しも思っていないのだろう。
「・・・はい!!」
だからイーピンは、その言葉が堪らなく嬉しいことを、素直に伝えることにした。そしてイーピンの返事に、了平はやっぱり曇りのない笑顔を見せてくれる。その顔に、自分の答えが間違っていなかったのだと、イーピンは思った。
「そうだ、待っている間にいろいろ買い物したんですよ」
一緒に階段を上って、さっきまで座っていた場所に置いてきていた戦利品を見せれば、了平がおなかを押さえながら破顔する。
「ありがたい! ハラペコだったのだ!」
「だと思いました」
その少年のような笑顔にクスリと笑って、イーピンは並んでさっきのように階段の一番の段に腰掛けた。
もうすっかり冷めているのを気にした様子もなく、焼きそばやフランクフルトを次々と腹に収めていく了平の隣で、イーピンもリンゴ飴を齧りながら祭り気分を味わう。祭りの喧騒も花火も、もうないけれど、了平がいれば充分だった。
それから、食べたり話をしているうちにあっというまに時間が過ぎ、空がうっすらと明け始める。
「あ・・・朝帰りになっちゃいました」
「ぶっ!」
思わずもらした言葉に、了平が動揺して飲んでいた烏龍茶を噴き出した。だから、イーピンはついもうちょっと大胆に言ってみる。
「でも・・・本当の朝帰りは、了平さんの誕生日にとっておきたいな」
「・・・むっ、そっ、それは・・・っ」
益々顔を赤くして慌てる了平に、イーピンは笑いながら凭れ掛かれるように体を預けていった。子供のように純粋なところも、男らしい力強く頼もしいところも、全部。
「了平さん、大好きです」
「・・・うむ、オレもだぞ、イーピン!」
了平は大きな声で言いながら、イーピンの肩をガシッと抱いてくれる。その強くて優しい腕に身を任せ、イーピンは隣に了平がいる幸せに目を閉じ浸った。
|