約束



 その日、今日はイーピンちゃんの誕生日なんだよ、京子のその一言と共に了平は沢田家へと引っ張られていった。
 沢田家には了平も見慣れたメンバーが揃っていて、了平もそういうことなら極限に祝うことにした。
「沢田、極限にトイレを借りるぞ!」
「ど、どうぞ・・・」
 その途中席を立った了平は、用を足すとトイレを出る。すると目の前を、小さな体が2つ通り過ぎていった。
「イーピンではないか」
 了平は実は今までデコピンとしてしか認識していなかった、いつもアフロと一緒にいる子供が、イーピンという名前なのだとさすがに今日ようやく覚えた。
 イーピンはアフロの子供と、じゃれ合うようにケンカしている。主役なのに放っておかれるということは、これはよほどいつもの光景なのだろう。
 だから了平も気にせず戻ろうとしたが、背を向けた瞬間、二人のいたほうから爆発音が聞こえてきた。
「な、なんだ!?」
 何事かと振り向いた了平の隣を、アフロが泣きながらすり抜けていく。そしてその場には、イーピンだけが残っている、はずなのに。
「・・・・・・むっ!?」
 何故かそこには、了平と同じ歳くらいの少女が立っていた。どういうことかと目を見開く了平と同じように、そのおさげ髪の少女も目を丸くしている。
「ありゃ? ・・・あ、笹川のお兄さん」
 しかしすぐに了平に気付くと、ペコリと頭を下げてきた。まるで知り合いに合ったような反応だが、了平も確かにこの少女に見覚えがある。
「おまえは、でこっぱち娘ではないか・・・!?」
 何度か、了平の前に突然現れては華麗な身のこなしを披露し、また突然消えてしまう少女。どうして毎度突然現れるのかわからないが、そんなややこしそうなこと考えず、了平は思いをそのまま口にした。
「会えて極限嬉しいぞ!!」
「えっ」
 少女はまた目を丸くしてから、僅かに首を傾げる。
「・・・どうして、あたしに会いたかったんです?」
「そ、それは・・・・・・?」
 問い返されて、了平はどうしてだろうと思った。そういえば、ボクシング部に誘いたいと思っていたのに。いざ目の前にすると、それは何か違う気がした。
 だったらなんなのか・・・たとえ自分のことだろうが、了平に考えて答えを出せるわけがない。
「よくわからんが・・・しかし、おまえのことを何度も夢に見たことがあるのだ」
「えっ」
 それは関係あるのだろうかと首を傾げながら了平が言うと、イーピンが驚いたように声を上げた。そして、色白の顔が、僅かに赤くなる。
「・・・笹川のお兄さん」
「ん?」
「もしかして、あたしのこと、好きなんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 了平は目を丸くして少女を見返した。すると、少女はさらに頬を赤くしながら、慌てたように手をブンブンと振る。
「あっ、冗談ですよ!!」
「・・・・・・・・・いや!!」
 どうやら少女は適当な思い付きで言ったようだが。その言葉は、了平の胸にストンと落ちてしまった。
「そうか・・・オレは、おまえのことが好きだったのだ!!」
「ええっ!?」
 少女はまた声を上げてから、動揺しながらバシバシと了平を叩いてくる。
「な、何言ってるんですかー!」
「いや、そうではないのかと思ったこともあったのだ・・・」
 さすが意外と威力のある攻撃にも動じず、了平は呟いた。
 何度も夢に見てしまうでこっぱち娘に、恋をしているのではないか。あまりに奇妙な夢過ぎて、その考えは気のせいだと思い直してしまっていたが。
 やっぱり、そうだったのだ。だから、会いたかったのだ、会えて嬉しかったのだ。
 要はそんな単純なことだったのだと、わかって了平はすごくスッキリした気分になる。
「でこっぱち娘、オレは!」
 そしてハッキリ名前がついた思いを、了平は再度口にしようとした、のだが。大きく開けた口に、そっと人差し指が触れてきた。
 それだけで何故か口が動かなくなってしまう了平に、少女は微笑み掛けてくる。
「・・・もし、10年後も同じ気持ちだったら・・・そのとき、もう一度聞かせて下さい」
「・・・・・・・・・む?」
 どういうことかと、指が離れていくから問い掛けようとした了平の眼前が、突然煙に包まれた。
 数分前と同じ爆発音ののち、晴れた視界には、誰もいなくなってしまう。正確には、イーピンが足元にいたのだが、了平の目には入らなかったのだ。
「・・・・・・・・・何ぃ!?」
 またあの少女は、突然消えてしまった。了平は今回ばかりは、さすがに流してしまうことが出来ない。
「・・・・・・・・・沢田ぁ!!!」
 了平は急いで部屋に戻ると、ツナの肩を掴んでガクガク揺すった。
「えっ、お、お兄さん? ど、どうしたんですかっ!?」
「さっき、おさげ髪の少女が突然現れて、突然どこかに消えたのだ! どういうことだ!? あれは誰なのだ!? どこに行ったのだ!?」
 矢継ぎ早に問い掛ければ、ツナは目を丸くする。
「芝生頭ぁ! 10代目を離せ!!」
「それどころではないのだ!!」
 割って入ってくる獄寺にそう返してから、了平はまたツナのほうへ向き直った。再びガクガク揺すろうとしたが、ツナは自力で逃れながら。
「えっと、お兄さん・・・まだ知らなかったんですね・・・」
「む!?」
「ていうか、10年バズーカのこと自体、理解してねーんじゃねーのか?」
「なんだそれは! いや、そんなことどうでもよいのだ!!」
 まどっろこいい話はいいから、了平はあの娘が誰かどこに行ったのかが知りたかった。
「いえ、それが、関係あるんですよ・・・」
 しかしツナが、そう言いながら説明してくれる。10年バズーカ、というものについて。
「・・・・・・なるほど」
 かなり時間を掛けて、それをなんとか理解した了平は、やっぱりわからなかった。その話があの少女とどう繋がるのか。
「で、どういうことなのだ?」
「つまりですね・・・」
 そんな了平に、ツナはイーピンをひょいっと掲げて持ちながら、言った。
「お兄さんが見たおさげ髪の子は、10年バズーカで入れ替わった、10年後のイーピンなんです」
「・・・・・・なんと?」
「だから、このイーピンが10年経つと、お兄さんの見たおさげ髪の子になるんです」
 つまりあのでこっぱち娘は、ツナが抱いているデコピンと同一人物で、10年後の姿だということだろう。それを理解した了平は、
「・・・なんだとーーー!!!?」
 思わず叫んでいた。


 ピンク色の煙に包まれたイーピンは、元の世界に戻ってきた。
「お帰り、イーピン!」
「10年前のイーピンちゃん、懐かしくて可愛かったです!」
 など口々に迎えてくれたのは、イーピンの誕生日を祝うために今日集まってくれた、10年前とほとんど同じメンバー。
「はい、ただいまです」
 それに笑顔で返しながら、イーピンはチラリと視線を移した。了平は、京子と兄妹水入らずで話している。
 10年前の姿を見たばかりだから、いつも以上に了平が大人に見えた。了平はもう25歳、そしてイーピンは、今日ようやく16歳になったばかりだ。
 そんなイーピンは、きっと了平にとっては子供でしかないのだろう。了平はイーピンのことを、妹のように扱う。
 そして、それでも仕方ないと、そう思っていた。了平は大人で、自分はまだまだ子供で。だから、いつのまにか芽生えていた好きという気持ちは了平に届かない、そう思っていたのだ。
 了平の横顔をそっと見つめながら、イーピンは数分前の出来事を思い出す。
 自分のことを好きなのか、なんてただの冗談のつもりだった。そうだったらいいなと思ったけれど、まさかそうだなんて思ってもいなかったのだ。
 なのに了平は、好きだと言った。まだあどけない、でも今と同じ真っ直ぐさで、イーピンのことを好きだと。
 ランボの10年バズーカのせいで、何度か5分という僅かな時間、会ったことがあるだけの。そんな自分を好きでいてくれたなんて、全然知らなかった。
 イーピンは嬉しかった。了平に好きだと言われて、すごく嬉しかった。
 でも同時に、イーピンは聞きたくなかったのだ。昔の了平の口から、好きだなんて、今さら。
「どうしたんですか、イーピンちゃん?」
「ハルさん、・・・いえ!」
 無意識に溜め息をもらしていたらしく、ハルが気に掛けてくれた。イーピンは慌てて笑いながら、いい機会だと切り出す。
「今日まだ勉強してないので・・・なんだか落ち着かなくって。そろそろ、おいとましてもいいです?」
「はひ、熱心ですね! じゃあ、みなさんに・・・」
「いえ、そっと帰るので、大丈夫です!」
「えっ!? でも・・・」
 引きとめようとするハルをかわして、イーピンは沢田家を出た。
 すっかり日が短くなってしまって、夕方なのに外はすでに暗くなり始めている。その中をトボトボ歩きながら、とんでもない誕生日になったなとイーピンは再度思った。
「どうしよう・・・」
 好きだったのだ、そう言った10年前の了平がすぐに思い出されてしまう。そのうち諦められると思っていたのに、あんなふうに言われてしまったら、踏ん切りをつけることが出来なくなってしまう。
 今の了平にとっては、10年も前の言葉、気持ちなのに。
「はぁ・・・」
「・・・イーピン!!」
「っ!?」
 ついまた溜め息をついたイーピンは、しかしうしろから聞こえてきた声に、パッと振り返った。空耳かもしれないと思ったが、やっぱり自分に駆け寄ってくる了平の姿が見える。
「笹川のお兄さん! ・・・どうしたんですか?」
「どうしたではないだろう! こんな時間に娘が一人で、危ないではないか!」
 了平は走ってきたのに息も乱さず、腕を組んでちょっと怒ったように言う。それから、片眉を下げイーピンを見つめてきた。
「まあ、おまえの強さなら心配はいらんかもしれんが・・・放ってはおけん」
「・・・ありがとうございます」
「うむ!」
 快活な笑顔を見せて隣を歩き出す了平を、イーピンはそっと見上げる。
 妹のようにでも、構ってもらえるのが嬉しい。だからこれ以上距離が離れるのは嫌で、気持ちを伝えることも出来ずにいた。
 そのうち忘れるから、あの言葉はいい思い出にしてみせるから。だからこれからも、せめて了平とこれくらいの距離でいたい、イーピンはそう思った。
 きっと了平はもう10年前のことを覚えていないのだろう。もし覚えていても、あのときの気持ちはもう残っていないのだろう。
「・・・・・・・・・」
 どんどん暗くなっていく空の下を、会話もなく歩いた。了平はめずらしく寡黙で、イーピンの視線にも気付かずずっと前を向いている。
 何か悩みでもあるのだろうか、もしそうでもきっと了平は自分には話してくれないだろう。そんな姿を見てしまうと、やっぱりもっと近付きたい了平の特別になりたいと、イーピンはすぐに気持ちが揺れ動いてしまった。
 もしかしたら、告白してハッキリ振られてしまったほうがいいのかもしれない。そう思いながらも切り出せないうちに、イーピンの下宿先に辿りついてしまった。
「あの、ありがとうございました」
「うむ」
「・・・それじゃ」
「うむ」
 律儀な了平だからちゃんと建物に入るのを見届けるまで帰れないのだろうと、イーピンは名残惜しさを振り切ってクルリと背を向ける。
「いや、待て!」
「・・・え?」
 しかし背中に掛かった声に、ビックリしながら振り返れば、了平が怖いくらい真剣な表情をしていた。
「今日こそ、聞いてもらうぞ!」
「えっ?」
 そんな表情を見たことがなければ、今日こそと頭に付くような了平からの話になんて見当もつかなくて、イーピンは身構える。
「・・・・・・・・・」
 了平は少しの間また口を閉ざした。それから、今度は一転ニッと笑って、言い放つ。
「オレはイーピンが極限好きだぞ!」
「・・・・・・・・・」
 想像もしていなかった言葉に、イーピンは目を丸くして固まってしまった。すると了平は、ちょっと不満げな顔をする。
「なんだ、おまえが10年後に言えと言ったのではないか!」
「・・・・・・・・・」
 確かに、ついさっきイーピンは10年前の了平にそう言った。きっと10年経った了平にはもうそんな気持ちは残っていないだろうと思ったから。
 なのに今了平は、イーピンがついさっき見た、10年前の了平と同じ真っ直ぐさで。好きだと、言ってくれた。
 すぐにはそのことを受け止められなくて、まだ目を丸くしたままのイーピンを、了平は首を傾げながら見てくる。
「イーピン、どうしたのだ? ・・・はっ、まさか、10年も経ってからなんて、やはり遅かったか!?」
「・・・・・・あっ、いえ!」
 大げさに身をのけぞらせる了平に触発されたように、イーピンもようやく動きを取り戻し、首をブンブン横に振った。それから、見当違いのことを言った了平に、訂正を入れようと口を開く。
「その・・・あたしにとっては、ついさっきの出来事なので・・・」
「むっ、そういえば、そういうことになる・・・な・・・?」
 納得しようとしている了平だが、いまいち整理出来ていないらしい。ぼんやりとしか理解していなかったのに、10年前にイーピンに言われたことをずっと覚えていて、そして今実行してくれたのだ。
 好きだと、言ってくれたのだ。
「・・・・・・あのっ!!」
 ようやくそれがちゃんと到達したイーピンは、堪らず声を上げた。ランボの10年バズーカのせいでややこしいことになってしまったけれど。大事なことはたった一つ、今の自分の気持ちと了平の気持ち。
 何よりもまず、好きだと言ってくれた了平に、応えたかった。
「あたしもです!」
「な、何がだ?」
 イーピンの勢いにちょっと圧される了平へ、イーピンは今までずっと秘めていた思いを、ギュッとこぶしを握り締めながら伝える。
「あたしも・・・好きです!」
「・・・まことか!?」
「はい!」
「・・・そうか」
 イーピンがハッキリ答えれば、了平は明朗ないつものものとは違う、ちょっと照れくさそうな笑顔を浮かべた。
 それから、頭を掻きながら明るく笑い声を上げる。
「よかった! 今さら言ってもどうにかなるのだろうかと思っていたからな!」
「・・・・・・・・・」
 やっぱり、了平はいまいち理解していないらしい。了平らしくてクスリと笑いながら、イーピンは嬉しくて堪らない気持ちを言葉にした。
「ありがとうございます! 約束守ってくれて・・・10年経っても、あたしを好きでいてくれて」
「礼には及ばん。オレにとっては極限に自然なことだったからな」
「・・・・・・・・・」
 笑って率直に言ってくれる了平に、でももっと早く言ってくれていれば、とイーピンはちょっと思ってしまう。そして自分も、もっと早くに気持ちを伝えていれば。
 後悔したくなるけれど今さらだから、これからはイーピンも今の気持ちを了平に率直に伝えていくことにした。
「そうだ、勉強しに帰ってきたのだったな。すまんな、時間とって」
「いえ! ・・・もうちょっと、一緒にいたいです」
「そ、そうか・・・!」
 了平は嬉しそうに、またちょっと照れたような笑顔を浮かべる。
 今までにも見たことがあるその瞳に浮かぶ優しい色に、10年前からずっと了平が自分を大事に見守ってくれていたのだと、イーピンは知った。




 END
(09.11.30up)